『俺がお前の本当の父親だ』。
たったその一言で、の思考を停止させるには十分だった。
雨の中で、と父を名乗るその男を見つめる事しか出来なかった。男の姿は見覚えがある。生前の母が『これがあなたのお父さんよ』と写真を見せてくれたのだ。写真の中の父よりこの男は歳を取っていたが、今も健在ならこれくらいの年齢になっているだろう。
何も出来ずにいるに、男はポケットから写真を1枚取り出した。にそれを差し出しながら言った。
「お前の母、と付き合っていた頃に撮った写真だ」
は写真を黙って受け取る。若かりし頃の母と、その母の直ぐ隣で父が笑っている。父の顔はやはり今の目の前にいる男とそっくりだ。背後には映画のセットのような部屋の内部が見える。母はを身籠る前、駆け出しの女優をしていたと聞いているので、それも合っている。
「女優だったの映画に、俺は当時ADとして関わっていた。それが出会いで付き合い始めた。そして出来たのがお前だ、。俺はお前を迎えに来た」
「ちょっと待ってください。話が良くわからなくて……。だって、今まで私はずっと父のいない生活をしてきました。私の中で父は亡くなったも同然で……。それなのに、今更そんな事を言われても……」
「……雨が強くなってきた。ひとまずファミレスにでも入ろう。話はそれからだ」
「……はい」
と男は雨の中ファミレスへと移動した。店員が明るく『いらっしゃいませー』と迎え、2人は案内されたボックス席に向かい合わせで座った。陽気なBGMが流れる店内で、2人の空気は決して明るくは無かった。
「何から聞きたい?答えられる事なら何でも答えてやるぞ」
男はそう言って名刺を取り出し、テーブルに置いた。名前は麻生聖斗。肩書はどこかの知らない会社だったが、【監督】と書かれている。じっと見て、はその名刺を受け取った。
は本当に聞きたい事だらけで混乱していた。すると、それを察して聖斗は言った。
「からは俺の事を何と聞いている?」
「殆ど何も。芸能関係の仕事をしているとしか……。それから――」
ふいに思い出す母の言葉。それは、幼かったが『私のお父さんはどんな人?』と問いかけた時だ。
『あなたのお父さんは、とても恐ろしい人よ』
「――な、何でもありません。とにかく、父の事は殆ど知らずに育ちました。祖母は母が私を未婚で生んだと言っていました。父親には何も知らせずに生んだ、と」
父の目は怒りを孕んだものに変わった。
「そうだ。つい数ヶ月前まで、俺に娘がいた事は知らなかった。こんな重要な事を離さずに消えた。つくづく勝手な女だよ、は」
「消えた……?別れたわけじゃなくて?」
「ああ。は突然何も告げずに消えたんだ。当時は巨匠と名高い映画監督からの出演オファーが来ていた。そのプレッシャーに耐えきれずいなくなったのだとばかり思っていたが、どうやらお前を妊娠したからのようだな。あの映画に以上の女優はいないと、監督が配役変更を譲らなくてな。結局幻の映画になってしまった。俺や他のスタッフも、あの映画製作には多くの期待を寄せていた分、本当にには失望した」
聖斗はそう吐き捨てるように言い、ブラックコーヒーを飲む。はただそれを見ていただけなのに、喉に苦みが広がる。
「言っておくが、お前が出来た事に失望しているわけじゃない。何も告げず、多くの人間の期待を裏切ったに失望しているだけだ」
「……」
は母の過去について多くの疑問を感じた。が知る限り、母は責任感が強くて筋の通った人だった。そんな母が、何も告げずに消えるなど無責任な事をするだろうか?
「お母さんがいなくなったのは、きっと何か他に理由があるとは思わないんですか?」
「例え本当に一大事があったのだとしても、何も言わずに消えるなんて、女優として許される事じゃない」
ピシャリと言い放った聖斗に、は冷や水を浴びせられたような気がした。
「が死んだ事はニュースで知った。あの時は本当にショックだった。が死んで、あの映画はもう完成させられる日は来ない。そう思った」
(この人はお母さんが亡くなったと知っても、お葬式に来なかった。今だってそう。頭の中にあるのは、映画の事だけなの?)
はこれ以上母の話をこの男から聞きたくなくて、話題を変えた。
「……私の事はどうやって知ったんですか?あなたは、母が妊娠していた事を知らなかったはずですよね?」
「お前の事を知ったんもは、本当に偶然だった。俺は映画監督という立場になり、あの映画を撮る機会を得た。だが、のいない今、もうあの映画は完成させられない。どうするか悩んでいた時、カフェでバイトをするお前を見かけた」
「Dateで私を?」
「そうだ」
バイト中に感じていたあの視線は、この男のものだった。
「お前は本当にに似ている。最初はが死んだというのは嘘だったんじゃないかとさえ思った。しかし、死者が蘇るなど有り得ない。だからある可能性を思いついた。もし、俺とに娘が生まれていたら?と。俺は探偵を雇って、の事やお前の事を調べた。俺の考えは正しかった。お前は俺との子供だと突き止めた」
聖斗はギラギラした目でを見ていた。異様さには怯えて視線を逸らす。
だって考えた事がある。いや、考えた事が無いはずが無かった。いつの日か父が自分を迎えに来てくれるのではないか、と。それが今現となったにも関わらず、はちっとも嬉しくなかった。
ズキズキと頭が痛む。助けて欲しい。そして、が思い浮かべたのは、鶴丸の屈託のない笑顔だった。
「お前と一緒に暮らしているあの男は、五条国永だそうだな」
「!」
今思い浮かべていた鶴丸の話題が出て、は驚き顔を上げる。目の前にいる聖斗は、眉を寄せて怒っている事がわかった。
「……どこまで知っているんですか?」
「金を積めば、いくらでも情報は得られる。世の中は金だ」
聖斗はコーヒーを飲み干す。
「五条の男が何故お前に近付いたのか、理由は知らん。だが、お前を養子にしたがっているのは知っている。の血か。見た目だけは本当に美しいからな、お前は。とんだ色狂いに目をつけられたものだ」
「あの人はそんな人じゃありません!勝手な事を言わないで!」
カッと頭に血が上り、は思わず立ち上がりそうになった。ぐっと堪えて聖斗を睨みつける。
「母の死を知ってもお葬式に来ない。見知らぬ男性と娘が暮らしていても止めに来ない。そんなあなたより、少なくてもあの人の方がよっぽど良いです」
「そうか。それはとても良い事を聞いた。本題に入ろう、。の娘であるお前にしか出来ない事だ」
「え?」
「、俺の元へ来い。女優として、映画に出ろ。あの映画の主演は、お前以外有り得ない」
本当ににはわからなかった。一度も会った事の無かった娘と初めて会い、こうして話をしている父親が言う事がコレだ。他にもっと話す事があるだろう。わけがわからな過ぎて、は眩暈がした。
父は返事を待たずに言った。
「お前に拒否権は無い。あの男が大事なら」
「……どういう意味ですか?」
「親族でもない未成年の少女、それもの娘を、あの五条の跡取りが囲っている。面白いワイドショーのネタになるとは思わないか?」
「?!」
「お前が映画の出演を拒むなら、俺は五条の跡取りからお前を保護する。その後で、五条の跡取りを未成年誘拐の罪で警察に突き出す」
「そんな……!鶴丸さんは、独りになった私を助けてくれただけです!」
「本当の父親は俺だ。父として、娘を護る。何がおかしい?」
「〜〜〜っ!」
自分の都合ばかり言ってくるこんな男の言う事など、は聞きたくない。こんな男が撮る映画になんて出たくなかった。だが、ここで断ったら、鶴丸の立場が危うくなる。ワイドショーのネタになれば、世間は間違い無く本当の父親に同情するだろう。鶴丸は好奇の目で見られる。そうなれば、鶴丸の写真家としての活動も出来なくなる。
(鶴丸さんから写真の道を奪いたくない……!)
それ以上に、鶴丸の不利益になるような事は絶対に避けたかった。
聖斗は少しだけ優しい口調で言った。
「、お前が俺の元へ来てくれるなら、あの男には手を出さない。お前はただ映画に出演する。ただそれだけで全てが上手くいくんだ。簡単な話だろう?」
「……」
「さぁ、お前の返事を聞かせてくれ」
「…………あ……あなたに、従います」
望む返事を貰い、聖斗は満足そうに初めて笑顔を見せた。
のバイト先では、が時間になっても現れないので心配をしていた。が無断でバイトを休むなど、これまで1度も無かった事だ。余計にの安否が気がかりになっている。
に何度も光忠は連絡を入れたが、返事が無かった。日が暮れてきて、カフェが閉まる時間になった。光忠はカフェの入り口にクローズの文字を掲げて、保護者である鶴丸に連絡を入れた。直ぐに鶴丸はカフェに駆けつけてきた。
「鶴さん、ちゃんは?」
「いや、見つからない。が立ち寄りそうな場所に行ってみたが、どこにもいなかった。……どこに行ったんだ……!」
「バイトに遅れるような時は、必ず連絡をくれていたのに……」
チリンチリンとドアのベルが鳴り制服姿の大倶利伽羅が戻って来た。その表情からして、は見つかっていないようだ。
「伽羅ちゃん、どうだった?」
「学校にはいなかった。鶴丸はどうだ?」
「いいや。見つからなかった」
「そうか……」
大倶利伽羅も珍しく焦っているらしく、額には走り回ったのか汗が滲んでいた。
鶴丸はスマホを取り出す。何度も電話をしているが、からの返事は無い。ズラッと履歴だけが残っている。
「警察に連絡した方が良くない?もしかしたら、何かの事件に巻き込まれているのかもしれないし」
「……そうだな」
鶴丸が110番をタップしようとした時だった。スマホの画面が着信を知らせてくる。相手はだった。鶴丸が素早く画面をタップし、スピーカーフォンで電話に出る。
「もしもし?か?」
『はい、です……』
「ちゃん!無事だったんだね!良かった!」
『え?店長、そこにいるんですか?』
「いるよ。伽羅ちゃんも。皆君が連絡をくれないから心配していたんだよ」
大倶利伽羅は無言だったが、の声を聞いて安堵の表情に変わる。
『連絡が遅くなってしまってごめんなさい』
「そんな事より、、今どこにいるんだ?」
『それは……言えません』
「何だって?それはどういう意味だ?」
から連絡が来て、全て解決するものだとばかり思っていた。それなのに、からの返事は予想外のものだった。
『実は今日、お父さんに会ったんです』
「父親って……、君の本当の父親かい?」
『はい。名前は、麻生聖斗。映画監督をしているそうです。名刺も貰いました』
「本当にそいつは君の父親なのか?」
『はい……。証拠写真も見せてもらいましたので、間違いないと思います。麻生聖斗が、私の本当の父親です。だから、これからはお父さんと一緒に暮らすと決めました』
「「「?!」」」
『鶴丸さんとは今日でお別れです。私の物は、全部捨ててくれて大丈夫です。今まで、ありがとうございました……』
「…………」
の言葉に、鶴丸はただ黙っていた。何を考えているのかわからない表情で、じっとスマホを見ている。
そんな鶴丸の代わりに声を上げたのは光忠だった。話が読めず、混乱している。
「えっ?そんな、待ってくれ。ちゃん、お父さんが見つかったから……鶴さんとはもう暮らさないのかい?」
『はい……。鶴丸さんは……、私の本当のお父さんじゃないから』
の言葉は、刃となって鶴丸の胸を抉った。
『今までがおかしかったんですよ。だって、鶴丸さんは赤の他人なんですよ?いきなりパパになるだなんておかしな事言って、私……あなたと一緒に暮らしていて、辛かった。だからもう、止めたいんです。鶴丸さんと親子ごっこなんて。もし私を引き止めるって言うなら、私はあなたを警察に突き出します』
「そんな……!ちゃん、あんなに鶴さんの事慕っていたじゃないか」
『あんなの演技に決まってるじゃないですか。貧乏な未成年が生きていくには、こうするしかなかったんですよ。お金持ちの気まぐれに付き合ってあげただけ。だから、楽しいわけないです。見ず知らずの男と暮らすとか、私、どうかしていました』
「…………」
「もう!鶴さん!こんな時に黙ってないで、何とか言ってよ!このままじゃ、ちゃんとこんな酷いお別れになっちゃうんだよ?!それでも良いの?!」
「…………わかった」
『?!』
「鶴さん!」
咎めるように名前を読んだ光忠には答えず、鶴丸はぐっとスマホを握って言った。
「それが、君の出した答えなんだな?」
『…………はい、そうです。鶴丸さん。あなたとは、お別れです。あなたは、私のお父さんじゃない』
鶴丸は僅かに沈黙した後、寂しそうに笑った。
「君は俺といて不快だったかもしれないが、俺は君との生活が毎日驚きに満ちていて、すごく楽しかった。愛しかったぜ」
『!』
「君からのさよならは聞きたくない。だから、俺が言う。……さようなら、。ありがとう。元気でな」
『……はい』
ここでから通話が切られた。
鶴丸は、ふーっと息を深く吐いて光忠と大倶利伽羅の方に振り返った。情けない笑みを浮かべて。
「フラれた!」
「鶴さん!」
「鶴丸」
2人の咎める様な視線に、鶴丸は無理にでも笑うしかない。
「仕方ないだろう。本当の父親には敵わない。わかっていた事だ。子供は、肉親といた方が幸せになれる。一緒にいられるなら、一緒に暮らすべきだ。そうだろう?」
「だからって、こんな終わり方……」
「鶴丸はそれで良いのか?」
「良いも何も、が決めた事だ」
「鶴丸の気持ちを聞いている」
「…………俺は――」
「ふむ……。不味い事になったな、国永よ」
「「「?!」」」
3人以外の声が店内に響き、驚愕して声の方へ振り向いた。そこにいたのは、凛とした美丈夫だった。
「え?!誰ですか?」
「いつの間に……!」
月を思わせるような風流さを感じるその男は、光忠と大倶利伽羅を無視して鶴丸の側に近付いた。
「久しいな、国永。何やら揉め事のようだが?」
「宗近……」
「鶴さん、この綺麗な人と知り合い?」
「ああ。コイツは三条宗近。【三日月宗近】という名前で小説家をしている、俺の親戚だ」
「あの、三条家の……?!」
三条家と言えば、汎ゆる場所で聞く名家だ。大企業の代表に三条グループが連なっている。光忠が驚くのは無理もない。
「宗近、カフェはもう閉店した。勝手に入って来たのか?本当にいきなりだな。毎回お前には驚かされる」
「はっはっはっ。国永が贔屓にしている娘を見たいと思ってな、来てしまった。だが、声は掛けたぞ。取り込み中で聞こえなかったようだな。済まぬが、話は聞いていたぞ」
「それなら、聞いたとおりだ。娘は――はもういない。本当の父親が見つかって、これからは父親と暮らすらしい」
「父親とは、先程話に出ていた麻生聖斗の事か?」
「知っているのか?」
宗近は顎に手を当て、『ふむ』と呟く。
「三条グループでも芸能関係の会社は多い。そこで麻生の名前を聞いている。確証は無いが、あまり良い噂が無いので、気になっていたところだ」
「良くない噂?」
「そうだ。麻生が芸能関係者に不審な接待をしている、と」
「不審な接待って、何だよ?もっと詳しくわからなのか?」
「国永よ、お前はもう娘とは縁が切れているのだろう?調べてどうするつもりだ?知ってどうする?」
「…………」
確かに、との縁はもう切れている。の拒絶という形で。
「国永。娘が心配なら、追いかけてみてはどうだ?」
「俺はもう、の父親じゃない。の傍には、本当の父親がいるんだ。他人である俺が口を出す事じゃない……」
「はっはっはっはっ。あの何でも飛び込んで行く国永が、今になって怖気づいたか」
「!」
面白そうに笑い飛ばした宗近に鶴丸が目を見張る。それに光忠も同調して頷いた。
「そうだよ、鶴さん。今更、関わらなかったように振舞うのは無理だよ。だって、鶴さんはちゃんが大好きじゃないか」
「光忠……」
「鶴丸、追いかけたいなら追いかけろ。お前らしくもない」
「伽羅坊……」
3人に背中を押された鶴丸の瞳に、生気が戻ってくる。
そして、鶴丸が下した決断は――