僕と彼の昔話

光忠が高校2年生になって3ヶ月が経った頃の話。その日は生憎の梅雨空だった。しとしとと雨が降っている。
授業中、光忠はチラッと隣の席を見た。ぽっかりと空いているその席の主は、入学式から殆ど学校に来ておらず、ギリギリ2年生に進級出来た。しかし、2年生になってからは結局一度も登校せず、本来は3年生なのだが留年をしてしまったそうだ。今は光忠と同じクラスになっているが、新学期が始まってから一度も登校していない。
光忠はこの隣の席の生徒が気になっていた。不登校自体は珍しい事ではない。いつ登校してくるかわからない。今日かもしれないし、明日かもしれない。もしかすると光忠が卒業するまで不登校を貫くのかもしれない。もし登校してきたら、何を話そうか。そんな事を考える。
不登校の生徒は直ぐに忘れ去られるものだが、その人物については時々生徒達の間で話題に上がっている。何せ不登校の生徒の名前が、【五条国永】なのだから。
五条と言えば、日本でも有名な名家だ。日本の舵取りをしている一族の1つであり、財閥三条家の分家ともなれば注目度は大きい。
五条国永が本当にあの五条なのかも不明なので、噂にも尾ひれがついてくる。

(僕はただの噂だと思っているけれど)

光忠は、五条国永は名家の五条家ではないと思っている。光忠が通うこの高校は、県内屈指の進学校の1つだが、私立ではない。五条ほどの金持ちが通うイメージは無い。それに、どちらかと言えば自由な校風で、それこそピアスをしている生徒や髪を染めている生徒がうろうろしている。制服も無い。五条のような規律正しい家の者が入学するとは考えにくい。

(ルックスがすごく良いって話は聞いた。本当かな?)

1年生の時に五条は出席日数ギリギリで通っていた。光忠はその姿を見た事は無いのだが、目撃者によると非の打ち所の無い美形らしい。彼の姿を見られた者はそう口々に言っている。

(『五条君の事を見られると幸せになれる』とか、もはやパワースポット扱いされてるよね、彼)

いつの間にか、五条国永を見られた生徒には幸福が訪れるらしい。【幻の美形】などという呼び名まで付いている。
光忠はそこまで噂に振り回される方ではないが、ここまで噂になると気になる。何せ彼は光忠の隣の席なのだから。

「きりーつ、礼、着席」

日直の挨拶の声が響き、授業が終わった。後はホームルームがあって、帰宅するだけである。机の上を片付けていると、担任が光忠に声を掛けてきた。

「ちょっと良いか?」
「はい、何ですか?」
「お前、確か駅南の方向に家があるよな?」
「そうですけれど……」

担任はファイルから1枚のプリント用紙を取り出した。

「これを五条国永の自宅に届けて欲しい」
「えっ?僕がですか?」
「実は会議があってな。本当は俺も直接届けたいんだが……。郵送しても良いが、間違いがあったら困るからな」

生徒が届けるのに間違いが起きるとは思わないのだろうか?

「はあ……。わかりました。僕で良ければ」
「済まない。助かる」

こうして光忠は担任からお使いを頼まれた。しかもあの五条の元へだ。噂の真相を知る機会が思いもよらないところで訪れ、光忠の心は僅かに騒めいた。















五条の家は光忠の帰る方向と同じ駅南にあった。高級住宅街で有名な場所で、大きな家ばかりが立ち並ぶ。その中でも五条の家はひと際大きかった。立派な日本家屋で、泥棒もよじ登るのを諦めるほど高い塀に囲まれている。塀に開けられた美しい飾り穴から覘く日本庭園はとびきり美麗で、いつまでも眺めていたくなる。優雅に池の中を鯉が泳いでいるのが見えた。小雨が降っていて、風情がある。家は重要文化財にでもなりそうなくらい年月が経っているが、手入れが施されて美しさを保っている。建築家なら一度は建ててみたいと夢見るだろう。
どっしりとした立派な門構えの前で、光忠は緊張した。大理石で作られた表札には、達筆な字で【五条】と彫られていた。

「よ、よし!」

気圧されないように光忠は気合を入れて、ブザーを押した。中年の女性の声がインターフォンのスピーカーから聞こえてきた。

「はい。五条です。どちら様でしょうか?」
「あの、僕、国永君と同じクラスの燭台切光忠と言います。国永君にプリントを届けに来ました」

カメラ越しなのに、睨まれているような気がした。

「……お待ち下さい」

少しして、大きな門に開けられた人の通れる小さな扉から女性が出てきた。着物に前掛けを着けている中年の女性だ。恐らく【お手伝いさん】というやつなのだろう。

「お待たせ致しました。プリントをお預かりします」
「あ、はい。お願いします」

光忠は促されるままにプリントを女性に渡そうと手を伸ばす。どうやら五条国永本人には会えないらしい。ほんの少し期待していたのだが。
すると、雨が強くなってきた。足元で雨粒が打ち付けられている。

「……お上がりになりますか?」
「えっ?」

プリントを渡そうとした手が止まった。

「雨が強くなってきましたし、せっかくご足労頂きましたので、お茶をお出しします」
「あ……ありがとうございます。お邪魔します……」

思いがけず五条家の中に入る事が出来てしまった。
門から入ると50メートル以上先に屋敷の玄関が見えた。日本庭園には庭師がいて、丁度手入れをしているところだった。小さな滝があり、水の落ちる心地良い音が耳に入ってくる。
木々に囲まれた日本家屋は平屋で贅沢な広さだ。そして平屋の上に展望室が見える。そこから庭を眺めたら、さぞや絶景なのだろう。

「お入りください」
「ありがとうございます。お邪魔します」

玄関を入ると九谷焼の大きな壺があり、そこに傘が立てられていた。傘立てなのだろう。美しい鳥や花の絵付けがされている壺に、自分の傘を入れるのは躊躇われた。光忠は傷つけないようになるべくそっと傘を入れた。
玄関には虎の毛皮が横たわって、敷物になっているし、壁には鹿の頭が飾られている。そして熊の毛皮も壁に飾られていた。

(今更だけれど、五条君は本当にあの【五条】だったんだな……)

ここが五条の屋敷ではないなら、どこが五条の屋敷なのか。
黒漆を贅沢に使用した黒光りする廊下を通ると、奥まった部屋に案内された。装飾のされたドアがあり、洋間だとわかる。和洋折衷の構造らしい。
使用人の女性はトントンとドアを小さくノックする。

「国永様、ご学友がプリントを持ってきてくださいましたよ。今宜しいでしょうか?」

『ああ、どうぞ』とドアの向こうから声が聞こえて、使用人の女性はドアを開けた。
アンティーク家具に囲まれたベッドの上に、上体を起こしている男性がいる。クリスタルガラスのシャンデリアにぼやっと照らし出された肌は青白く、金色の目の下には薄っすらと隈が浮かんでいた。パジャマから見える手首は、同年代の高校生に比べて痩せ細っていた。一目で病気を患っているとわかる彼――五条国永は、キラキラと星のように目を輝かせた。嬉しそうに第一声を放つ。

「おお!君は燭台切光忠だろう?」

光忠が名乗る前に名前を言い当てられ、光忠は驚いた。

「どうして僕の名前を知っているの?」
「クラスメイトなんだから、当たり前だろう?ほら、ここに顔写真と名前がある」

国永はアンティークのチェストの引き出しから、何枚かのしわしわになった紙を取り出した。そこには、光忠のクラスの生徒の名前入りの顔写真が印刷されていた。恐らくこれは学校の公式的なものでは無い。五条が独自に用意させたものだろう。何度も読んだらしく、紙は寄れていた。

「今お茶をご用意しますね」
「ありがとう」

程なくして彼女がとても良い香りのする紅茶を運んで来た。そして部屋を後にする。
国永は体調不良とは思えないくらい、明るく振舞っていた。

「俺が五条国永だ。初めまして」
「初めまして、五条さん。僕は燭台切光忠です」
「『五条さん』なんて、止めてくれよ。俺の事は国永で良い。俺も君の事は光忠って呼ぶぜ」
「わかったよ、国永さん」
「どうしてさん付け?」
「だって国永さん、僕より1つ年上だろう?」
「まぁそうだな。俺は見てのとおり病人で、2年生にギリギリ進級出来たが、結局留年してしまった。1年生の時はまだ調子が良い日もあったんだがなぁ」
「そうだったんだ。病気は辛いよね」

国永の不登校の理由を知り、光忠は苦しくなった。クラスメイトの顔写真と名前が印刷された紙はしわしわだ。何度も読み込んでいたのだろう。国永がいかに学校へ行きたいと思っているかが伝わってくる。

「……国永さんの事、クラスの皆――いや、学校の皆が待ってますよ。何せ国永さんはパワースポットですからね」
「ん?パワースポット?」
「そうなんですよ。国永さん、たまに学校に現れる【幻の美形】って言われてて、その姿を見た人は幸せになれるって言われてるんです」

そこまで話をして、光忠は改めて国永を見た。病気の事ばかりに気を取られてしまうが、長い睫毛に縁どられた星のような瞳は美しい。すっと通った鼻筋、薄い唇、シャープな顎のライン。儚い系の美形だ。銀色の伸びっ放しの長髪を整えたら、今以上にイケメンになるだろう。
国永は『あははは!』と声を上げて笑った。

「いやぁ、そんな事になっていたとはな。本当にパワースポットみたいだ」
「ですよね。僕もどんな人なのか、実は気になっていました」
「それで?幻の美形に相応しい男前だったかい?」
「はいっ!!」
「……冗談のつもりだったんだが、そこまで強く頷かれるとはな。流石に恥ずかしいものがあるな。だが、ありがとう。あはははっ――う……っ」
「国永さん?!」

国永は苦しそうに顔を歪めて、胸の辺りを手で押さえた。前のめりになって、肩を上下させている。まるで全力疾走した後みたいだ。呼吸が荒い。
光忠は国永に近づこうと手を伸ばしたが、国永がそれを手で制した。

「大丈夫だ……っ、気に……、しないでくれ……っ、はぁ……」
「でも……」

戸惑ったが、光忠は見守る事にした。
何度か無理やり深呼吸をしている内に、国永の呼吸は落ち着いた。一筋の汗が国永の頬を伝う。

「はぁ……。すまんすまん、もう大丈夫だ」
「国永さん、良かった……!」
「興奮するとこうなっちまう。嬉しくても悲しくても、俺には毒らしい。両親もこの部屋には近づかない。何も感じない毎日を過ごす事。それが俺の病気の治療なんだが、それでは心が先に死んでいく」
「国永さん……」

国永の寂しそうに笑う顔が、光忠には堪らなく切なかった。

「そういえば、プリントを持って来てくれたんだろう?」
「あ……はい。どうぞ」

ふいにそう問われて、光忠はプリントを国永に渡した。だが、渡してから光忠は後悔する。そのプリントには今の国永には辛いものでしかないからだ。

「『進路希望調査』か……」

プリントは進路希望調査のお知らせだった。
国永は自分の胸に再び手を当てる。鼓動を確認するように。

「俺には望む未来なんて、あるのかわからんな……」

今の国永にどう未来を描いてもらうのか、光忠にはわからなかった。
















「鶴丸さんに、そんな過去があったなんて……」

話を聞いていたが呟く。光忠は最後の1枚の皿を棚に仕舞いながら言った。

「ご両親もなかなか会ってくれなかったらしいし、ずっと鶴さんは学校にも行けなくて独りぼっちだったんだ。だから、同じ独りになったちゃんを放っておけないんだよ。きっと鶴さんも、ちゃんには幸せになって欲しいと願っているはずだよ」

は昨日の出来事を思い出す。病院を嫌っていたのは、鶴丸の病気だった過去が関係しているのかもしれない。

「……鶴丸さんは、どうやって今みたいに元気になったんですか?」
「ああ!それがね、手術をしたら上手くいったんだって。いや〜、本当に今の医学の力はすごいよね。学校に来るようになってからは、伝説を作りまくっていたよ。やりたい放題。ずっと独りだった反動なのかな?文化祭の日に、鶴の恰好をして屋上から羽ばたこうとして怒られてたよ。それが元になって【鶴丸】っていうあだ名が生まれたんだ」
「え?!そうだったんですか」
「そうそう。他にもね――」

その後も鶴丸の作り上げてきた伝説について聞かされた。は笑って光忠の話を聞いていると、鶴丸が入ってきて、昔話に花を咲かせた。大倶利伽羅と太鼓鐘もそれに加わり、ツッコミを入れる。
こうしての誕生日はお開きになった。

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