09 無力
それは午後1時の頃だっただろうか。滝と宍戸は午前中学校が終わったことを機会に、駅前通りのデパートに立ち寄っていた。2人はもう中学3年生であり、受験生でもある。いくら高等部へエスカレーター式だとしても、出来の悪い生徒は問答無用で落とされる。宍戸は、その落とされる側の人間になるかもしれない可能性を持っていた。そこで、成績優秀で跡部と違い教え方も丁寧な滝に、参考書の選び方を頼んだというわけだ。滝はすぐに了承し、現在に至る。
この本屋はまだ出来たばかりで、入った途端新築の匂いが鼻腔をくすぐる。
「ここってまだ新しいみたいだな」
「つい先週オープンしたばかりで、かなり広いでしょ?オレも1度来てみたいって思ってたんだ」
デパートの1プロアを全てを本屋に使っている。滝の言うとおりで、とても広く、本の種類もたくさん置いてあるようだ。
本棚の前にはいくつかのソファが用意されており、試し読みも出来るようになっている。絵本や児童書のコーナーでは、子供たちが遊べるようにとおもちゃやぬいぐるみなどが置かれたスペースがあった。今も母親と子供がそこで遊んでいるのが見える。
滝は通りすがった店員に声をかけた。
「すみません、高校受験用の参考書はどこにありますか?」
店員が滝の問いに答えようとしたときだった。不意に爆発音のようなすさまじい音が聞こえ、地響きが床を伝わってくる。店員も客も悲鳴を上げた。
「おい!今の音……!?」
宍戸はバランスを崩しそうになり、足に力を入れて堪える。天井からはパラパラと埃が落ちてきた。滝は天井を見て言った。
「上の階で何かあったのか?」
直ぐさまここでデパート内全体にアナウンスが流れた。
『お客様にお知らせ致します。お客様にお知らせ致します。7階のレストラン街の厨房でガス爆発事故は発生致しました。お客様は、落ち着いて係りの者の指示に従ってください。繰り返します―――』
2度目のアナウンスが流れた頃には、客はパニックに陥ってしまった。人々の顔は青ざめ、我先にと出口を目指して走り出してしまった。女性の悲鳴や男性の叫び声が聞こえ、子供の泣き声が響いた。それが更なるパニックを呼ぶ。
新装開店のデパートで、まさかこのようなことが起きてしまうとは誰も予想していなかった。それは滝も宍戸も同じで、とにかく2人も出口へ向かった。
外へ出てみると、通りを歩いていた人々も心配そうにデパートの7階を見つめている。爆発は外にも聞こえていたようだ。デパートからはクモの子を散らしたように客が出てくる。その間にも、赤い炎が割れた窓から見え隠れしていた。
それから暫くして、道路渋滞を緩和するためにやって来た警察や消火活動に専念する消防車がやって来た。宍戸が消防隊員の1人に声を掛けられた。
「キミ、そこのデパートから出てきた人だね!」
「そうだけど」
「何か爆発について知らないか?」
「オレたちは6階の本屋にいたんだけどよ、いきなり大きな爆発音が聞こえて……」
それから、そのフロアにいた大体の客の人数や状況などを説明した。消防隊員は急いで隊長に報告しに戻る。滝や宍戸たち避難してきた客は救急車で到着した救急隊員に保護された。
消防隊員が必死で火を消そうとしているが、レストラン街には調理場のガスがたくさん存在している。それに次々に燃え移っているのか、なかなか火の勢いは収まらない。真っ赤な炎は全てを飲み込んでいく。どんどん野次馬は集まってくるばかりだ。こうなっては見守ることしか出来ない。
そんなときだった。
「キミ!待ちなさい!!」
一際大きな声が聞こえる。そちらに目を向ければ、重装備の消防隊員と、そして見慣れた金髪があった。
「アイツ……!?ジロー!!」
ジローは駆け寄る宍戸たちを見てハッとなった。そして自分も同じようにして2人に駆け寄った。その額には汗が大量に浮かんでいた。2人と同じように鞄を持っていることから、学校帰りであることは間違いない。ジローは険しい顔をしている。
「ジロー、どうしてここいるんだよ?確か忍足とと一緒に帰ったんじゃ無かったのか?」
「それより大変なんだよっ!」
「ジロー、まずは落ち着いて」
滝が不安そうなジローを落ち着かせようと肩に手を置いた。
次にジローの口から発せられた言葉は、全く予想もしていないことだった。
「ちゃんが、取り残された人を助けに行ったんだ!」
は消防隊員の隙を見てデパートの中に入っていった。1階にまで熱気が伝わってくる。外は冷たい冬の風だったというのに、制服を着ているのが辛い。
2階、3階、4階までどうにか進むことが出来た。だが、5階のフロアは炎が商品である洋服を燃やしていた。だが、無理をすればまだ先に進めるだろう。消防隊員がに気づいてハッとなった。
「キミ!いったいどこから入ったんだ?!ここは危険だ、早く下がりなさい!」
腕を掴まれそうになっては咄嗟にまだ燃えていない洋服を投げつけた。一瞬消防隊員が怯んだ隙をみて、はそのまま走り出す。6階へと続く階段はまだあまり火が移っていない。身体が燃えるように熱かったが、それでも構わずに走り続けた。ローファーの底は多少溶けてしまっているかもしれない。
6階は本屋になっていた。本だけあって紙ばかりのフロアは完全に燃えていた。床も天井も壁も全て炎に包まれてしまっている。火の粉が散って、容赦なくに襲い掛かってくる。焚火と違う苦い味の煙が充満してきた。
「熱っ!」
焦げてしまった制服の袖を払うと、そこには黒く焼け焦げた跡が出来てしまった。
。歩けるスペースも無い。天井にも火が回っている。しかし、火の勢い事態は弱い。7階へ続いている廊下は床も天井も壁も真っ赤だが、真ん中の空間だけ開いている。まるで炎の輪だ
普通の人間であればここで諦めるだろう。先へ進める手段が無い。だが、は違う。空を飛ぶ魔法を持っている。
しかし、箒がここには無い。
「箒……箒……!どこにあるの?!」
今日のは箒を持っていなかった。今日は飛ぶ予定が無かったからである。必死で箒を探したが、さすがに箒は置いていない。
そうこうしているうちに火の勢いが強まってしまう。7階には、取り残された人が助けを待っているというのに。
「!」
は本屋のカウンターを見た。するとそこには、男性用の大きめの傘が端に立てかけられている。きっとこれは店員が携帯している置き傘だったのだろう。は大きさや太さが箒に似ているそれを手に取った。柄がとても熱くて一瞬手を離してしまったが、それでもは再び握り直して箒のように跨った。
(お願い!飛んで!!)
足元から風が起きる。だが、身体が浮かない。何度も祈るようにの身体は宙へと浮かんだ。だが、いつも以上に体力を消耗してしまったうえに真っ直ぐなかなか飛べない。それに加えてスピードも遅かった。だが、ここで止めるわけにもいかない。
は必死で身体のバランスを保ちながら、炎に包まれた廊下を抜けた。髪に火の粉がかかり、焦げ臭くなっていく。汗はもうこれでもかというほどに流れ出た。
階段に差し掛かると、ここも同じような状態で魔法を遣わなければ先には進めなかった。はそのまま傘で空を飛び、慎重に慎重を重ねて上を目指す。
「助けてくれー!!」
「!?」
人の悲痛な叫び声が聞こえた。確かに取り残されてしまっている人がいる。まだ生きている。
レストラン街はもうその面影も無いほどに燃えてしまっていた。蝋で出来た食品サンプルはガラスと一緒に溶け、それが何だったかはもうわからなくなっていた。
(怖い……!)
しかし、逃げ遅れたその人を助けるためにはもう自分がやるしか方法は無かった。は意を決して先へ進もうと傘の柄を握る力を込める。
だが、頭がいきなりぼんやりとし始めた。しかもすごく息苦しい。
「はぁ……はぁ……っ!」
ここは炎で酸素をほとんど使い切ってしまっていた。それに加えて酷い煙の量。真っ暗になってしまうほどに空間を飲み込んでしまっている。は必死にそれでも前に進もうとしたが、段々と意識が混濁していく。
(ダメ!私、は……先に……進まないと……っ)
何とか火の回っていない唯一の空間に降り立つと、そのまま意識を手放した。
が次に目を覚ましたのは翌日だった。
は意識を失った後、偶然にも先へと進んできた消防隊員の1人に発見されて病院に運ばれた。奇跡的にも殆ど怪我は無く、腕や足に軽い火傷を負っただけで済んだ。髪も少々焦げてしまったが、特に命に別状は無い。
付き添いでベッドの横にいた滝や宍戸、そしてジローはが目を覚ましたことを大いに喜んでいた。けれども、助かったは全く嬉しそうな顔をしなかった。
が助けようとした人は、焼けた墨のような姿で発見されたのだから。
「皆……。お願い、今は、1人にして……」
が消え入るような声で言うと、3人は黙って病室から出て行った。
結局この火事では5人の死者が出てしまった。
は、自分が自殺しようとした女の子を助けたことで調子に乗ってしまっていたのだ。そう簡単に自分に人を助けることなど出来はしない。
外を見ると雨が降っていた。地面を叩きつけるような雨。
(あの火事でもしこんな風な激しい雨が降っていたら―――いや、降らせることができていたら、何かが変わっていたかもしれない。なのに、私分の魔法は……)
そう思うといてもたってもいられず、は医者の許可無く外へと飛び出した。背中に投げかけられる看護師の声も、は振り切った。
あても無くは街を歩いた。雨が薄い色の寝巻きを濡らして重くしていく。薄い茶色の髪も濃くなっていく。だが、それでも構わず、人目も気にすることなくさ迷い続けた。その姿は幽霊のようだろう。
気がつくと電気屋の前にいた。電気屋の通りでは薄暗い空の元、ショウウィンドウに明るく展示された液晶の大型テレビがニュースを伝えていた。それは昨日の火事のこと。淡々とした様子で女性アナウンサーが原稿を読んでいく。は燃えていデパートの映像が流れると、肩が震えた。
(私が……私がもっと早くあそこに行っていたら……!)
目を逸らし、雨が打ちつけるアスファルトを目的も無く見た。
『次のニュースです』
女性がまた次のニュースを読み始めた。
『今日午前8時頃、東京都内にある○○小学校の4年生の教室で、女子生徒が首を吊って死んでいるのを同級生が発見しました』
『調べによりますと、この女子生徒は1ヶ月ほど前にも自殺をしようと廃ビルの屋上で目撃されていました』
『遺書が残されており、『あのとき死にたかった。どうして死なせてくれなかったのか』などと、誰かに宛てたもののようであることがわかっています』
顔を上げ、テレビに視線を移す。
自殺しようとした少女を発見した現場。
画面には、見慣れた廃ビルが映し出される。
の中で、何かが壊れる音がした。