07 当の気持ち

廃ビルの屋上に人影が見えた。見間違いなんかじゃ無い。そんな確信がにはあった。
身体が勝手に動き出していて、すぐに廃ビルへ向かっていた。後ろからは驚きながらもの後をついてくる人々がいた。

「いったいどうしたんだよ!!」

岳人がを追いかけながらそう叫んだ。けれど、は後ろを振り向かない。前を向いて全力疾走をしたまま答えるしかない。

「人が……!」
「人?!」
「そう、人が見えたの!」
「人って、どこにです?」

長太郎がさらに問いかけた。どうやら全員がの後を追いかけているようだ。

「前に、私がいた廃ビル!その屋上にいるんだ!」

もう外は真っ暗で、街灯の明かりを頼りに走るしか無い。住宅街に入り、そこからまた走りながら廃ビルの屋上を見上げた。星空の下に微かに見える小さな人影。嫌な予感で胸が埋め尽くされた。
もっと近づく。もっと近づきたい。箒は邪魔だけれど、今のは気にならなかった。走って走ってついに廃ビルの駐車場までやってきた。夜の廃ビルは、オバケ屋敷のように昼間とはまた別の顔になる。
が到着して直ぐに追いかけてきた彼らも到着した。も他の皆も、息を荒く吐いては吸った。

「いきなり走り出して……どういう、つもりなんですか?」

日吉に睨まれてしまうが、は気にせず上を再び見上げた。今夜は満月。雲がどこにも見当たらない良い天気だ。それが幸いしてか、月明かりではっきりとその人影の正体が見えてくる。が声を上げる前にジローが叫んだ。

「あ!女の子だ!!女の子っ!!」
「何?」

跡部くんが目を意外そうに細める。
そう、屋上にいるのは女の子。それもランドセルを背負った、まだ中学年程度の。

「あの子、柵の先に立ってるやないか」

ボロボロに錆びてしまっている柵を乗り越えてしまったらしく、女の子の前を妨げるものは何も無かった。白い膝丈のスカートが風に揺れている。足場も不安定だ。このままあの場にいれば、いずれは風に煽られて落ちてしまうかもしれない。この廃ビルは15階建て。落ちれば無事では済まない。

「おいガキ!さっさと降りて来い!!」

宍戸が小学生に向かって大声で叫んだ。けれど、全く反応が無い。ゆらり、ゆらりと身体を少し左右に揺らして立っているだけ。虚ろな表情をして、真っ直ぐに前だけを見つめている。その先に、何かあるかのように。その先を求めているようにも感じられた。

「ちっ!」
「跡部くん?!」
「オレも行くぜ!!」

跡部と岳人は廃ビルの中へ入って行ってしまった。きっとあの女の子を止めるつもりなのだろう。なぜあの子があんなところにいるのか、詳しいいきさつはわからない。でも恐らく、あの子供は自殺をしようとしている。それだけはハッキリと伝わってきた。
跡部くんが向かったのは15階上。でも、エレベーターが動いていない。全力で走っても5分はかかってしまう。その間にも子供は少しずつだけれど前に進んで行った。

「まずい、あの子、このままだと……!」

滝が隣で悔しそうに顔をしかめる。
こんなときどうしたら良いかわからなくなる。他の全員もきっと同じ気持ちで、何かしたいけれどそれが上手く行動にできない。それに、この廃ビルは何人も入ったら倒壊の危険性も考えられる。

「あッ――――!」

ジローの短い叫び声に全員が一斉に顔を上げた。
子供は、ついにその小さな足を宙に踏み出したのだ。ツインテールの頭が下になり、コンクリートの地面、今たちが立っている場所まで落ちてこようとしている。落下してしまえば、人間も荷物も関係無かった。ただ、落ちていくことには何も変わりは無い。
全員が悔しそうに唇を噛み、或いは目を思わず逸らす者、一か八か受け止めようと走り出す者を、は見ていた。




お前は本当に何も出来ないのか?




もう何も出来ないなら、何であんな事してたんだ?




繰り返される言葉。
胸を強く打ちつける、静かな問いかけだった。
は持っていた箒に素早く跨った。
振り返った彼らがを見た。




何も気にせず、




ただ地面を蹴った。




先輩?!」

日吉が初めて驚いた顔をに見せた。だが、にはそれを見ている余裕なんか無かった。ふわりと一瞬浮き上がった身体は、ロケットのように加速をつけて飛び立った。が飛んだ後駐車場に、強い突風が吹き荒れる。彼らの驚きの視線を足元から感じた。




だって、だって、





本当は、




私にも、何か持っているものがあるって……




思いたかったんだもの。















落下していく子供の身体を追いかけ、は子供の腰を両腕でなんとか捕まえた。大きな衝撃が腕にかかったけれど、それでもは箒に跨ったまま空中で女の子を腕の中に収めることに成功した。子供の背負っていたランドセルはそのまま落下して地面に叩きつけられて、中身を散らした。あと一歩遅ければ、あのランドセルと同じように子供はバラバラになっていただろう。の背筋が冷たくなる。
髪を撫でる風、近づいた夜空の星、そして久しぶりに感じる浮遊感。
心臓がバクバクと鳴り響いて、はようやく今自分が空を再び飛んでいることを実感した。は駐車場で感じる視線に向かって親指を立てて笑ってみせた。

「マジマジー?!すっげええーー!!」
「な、何がどうなっているんや……?」

ジローが大興奮してその辺を跳ね回った。日吉も長太郎も口をあんぐりと開けて硬直してしまっているし、忍足の丸メガネはずり落ちてしまった。

「こんな……ことって……、ええええ?!?」

ようやく長太郎の思考回路が正常に戻ったらしく、目を白黒させている。相当混乱してしまっているようだった。
は子供を抱えてゆっくりと降下し、駐車場の辺りで空中で静止した。1番驚いていなさそうな滝に子供を渡した。滝は気を失っている子供を丁寧に優しく横抱きにした。

「ほ、本当に飛べるんだね」
「ええ、まぁ、ね」

一応短く返事をしてみたものの、滝はまだ戸惑い不思議そうにしている。彼らの目の前で、ユナは今地面から1メートルくらい離れて浮いているのに、まだ納得できないような顔をしている。
この反応は、初めて公認魔法遣いの魔法を見た現実主義者にも似ていると思ってしまった。
ここで屋上から大声が聞こえてきた。

「おーい!大丈夫か?!」

岳人は腕をぶんぶん振って身体をボロボロの柵から乗り出している。

「ちょっと!危ないよ、向日くん!」

この子供のように落ちたら、きっと今度こそ助けられるかどうかわからない。岳人は小柄でも小学生よりはずっと重いのだから。しかし、が箒に跨って宙に浮いている姿が見えたらしく、益々岳人は身体を前に乗り出してしまう。

「ちょ……?!はぁ?!お前、空飛んでるんじゃね?!」
「何だと……?何をバカな―――って、マジかよ。いったいどうなってんだ?あーん?」

跡部もの姿を見ようと身体を乗り出す。と目が合い、それからが空中で静止しているのを見て、ポカンと数秒間凝視してしまった。はただ苦笑いを浮かべることしか出来ない。跡部はハッとなって子供の無事を確認した。

「ガキは生きてるか?!」
「大丈夫です!気絶しているだけみたいですから!」

滝が抱いている子供の顔を長太郎が覗き込んだ。少し青ざめてはいる様子だったが、命に別状は無い。
跡部と岳人が屋上から階段を走って降りて来た。相変わらず宙に浮いたまま静止している私にギョッとしながらも、自分の目で子供の様子を伺った。日吉はその間に子供の散らばってしまった荷物を拾い集めていた。

「マジかよ?!お前本当に空飛べるんだな!!」
「いったい何がどうなっているんだか……」
「宍戸も見たっしょー?マジマジすっげーよ!本当に魔法遣いだったんだな!!」
「せやけど、まだ頭がついていかれてへん……」
「でも、この子も助かったわけだし、良いと思うけど」

が喋る間が全く無い。それぞれ自分たちの意見を言い合っている。はスッと箒から降り立った。すると、子供の荷物を拾っていた日吉がこっちへやって来た。手に持っているのはノートやペンケース。それに月明かりだけでは見え難いが、赤いランドセルがあった。日吉の表情は暗かった。

「コレ、見てください」
「どうし―――?!」
「おい、どうかしたのか?」
「跡部くん……」

は日吉から手渡されたノートを見せた。それを見て、跡部も言葉を失った。他の皆も同じように口を閉ざし、感嘆の声を漏らした。
小学生の名前が書かれた児童用の学習帳。それには、黒いマジックやクレヨンで中傷めいた言葉が殴り書きされていたのだ。ページもボロボロで、子供の字と思われる授業の内容の上から、赤い絵の具が塗りつけられていた。それにランドセルも傷だらけで、ペンケースの中も墨汁でも入れられたのか真っ黒に染まっている。
この子供は、陰湿ないじめを受けていたのだ。

「何だよコレ、酷っ!」

岳人が信じられないという顔で汚されたペンケースを握り締めた。
自殺を選択するほど、辛いものだったことが想像出来る。

「オレたちで、何とか出来ないんでしょうか?」
「それは無理だな、長太郎」
「けど……!」

も宍戸くんの意見に頷いた。確かに、知ってしまった以上、どうにかしてあげたいという気持ちは良くわかる。

「気持ちはわかるよ。でも……、やっぱり私たちは手を出すべきじゃないよ」
「それは……」
「いじめって簡単な問題じゃない。それに、この子自身が行動しなくちゃ、何も変わらないんじゃないかな?」
「はい……」
「そう落ち込むんじゃねぇよ。今日あった事を、このガキの親に話せば良い。恐らく、コイツがこんなに思いつめていた事に気づいていないだろうからな」
「!そうですね。ご両親に事情をお話しすれば、きっと解決の助けになりますよね」

長太郎は跡部の提案に少し安心した笑顔を見せた。
たちは子供のランドセルの名札を頼りに自宅まで送った。子供は家に着くまでずっと眠っていて、1度も会話することは無かった。
子供の母親が驚いた表情でたちを見て、それから眠ったままの子供を強く抱きしめた。これまでの経緯を説明し、いじめに子供が遭っている事を話した。母親は案の定知らなかったらしい。涙を流して、何度もお礼を言ってた。とても優しそうな母親で、子供が母親にいじめに遭っていることを話せなかった理由がわかった気がした。
帰り道、もう時間は夜8時を過ぎてしまっていた。大人数の中学生が道を塞いでしまう。

「全く……。それにしても、お前は本当に魔法遣えたんだな」

宍戸がと私が持っている箒を指して言った。ジローは興奮しっぱなしのようで、キラキラと目を輝かせていた。

「マジですっげーよな!」
先輩のおかげで、あの女の子も助かりましたしね」
「あの時は無我夢中だったっていうか……」

改めてそんな風に言われるとは照れてしまう。

「お前、どうして魔法が遣えるんだ?」

跡部は後ろからに問いかけてくる。
は答えに悩んでしまう。

「私、今まで誰かに『どうして魔法が遣えるんだ?』なんて聞かれたこと無かったな……。だって、魔法遣いの人は普通に遣えてたし、別に特別なことなんかじゃないもの。公務員の職種として、魔法局があったくらいだし」
「はぁ?お前の言ってる事わけわかんねぇよ!」

宍戸が頭をガシガシと掻いた。日吉も全然理解出来ていないような顔をしている。

「実は―――」

はこれまでの出来事について説明した。
まず、自分が魔法のある世界からいきなり魔法の無い世界に来てしまった事。
なぜ来てしまったのかはわからない事。
でも、すごくこの東京に似ている事。
魔法のある世界での仕組み、魔法遣いが国公認の公務員職である事。
さまざまな魔法を遣う人たちがいる事。
そして、魔法を遣うためには、そのための免許が必要な事。
出来る限りは理解し易いように配慮して彼らに話した。

「―――つまり、オレたちの世界と違うのは魔法が存在しない事だけで、遣えない人たちは困ったときに魔法局で公認魔法士に依頼しているって事ですか?」

日吉が完結にまとめてくれたので、は頷いた。けれども、まだ信じられないという表情には変わらない。

「そんな世界があるのかよ……。信じられない話だけど、もし本当ならオレも空飛んでみてぇな〜」

岳人は自分が魔法遣いではない事が残念らしく、舌打ちをした。の話を信じたといいうより、どこか他人事である。

「何というか、完全に御伽話ですね」

日吉は厳しい表情である。前向きになったのは長太郎だった。

「でも、実際にオレたちは先輩が空を箒で飛ぶところを見てるだろ?」
「それはそうだが……、魔法なんて、簡単に信じられる話じゃない」
「自分の目で見た事も信じられねぇのかよ、お前は。オレ様は信じてやるぜ。が空を飛び、ガキを助けたところまで見てる。魔法の世界なんつー御伽話染みた話も、が空を飛んだところを見れば話も通じるだろうよ」
「まぁ、確かに魔法じゃねぇと説明出来ないからな」

宍戸もの話を理解しようと努める。ジローは純粋な心の持ち主なので、既にの魔法の世界に聞き入っていた。

「あ……ありがとう、信じてくれて。信じようとしてくれて……」

は自分が別世界の人間である話を誰にもしていなかった。そのため、この秘密を打ち明けられる相手が出来、すっと胸が軽くなるのを感じた。それと同時に自分が不安を今日まで抱えていた事を改めて思い知らせれる。

「魔法遣いは色々な魔法が遣えるって言っていたけれど、さんは他にどんな魔法を遣えるの?」

滝はもっとの言う事を理解しとうろ思ったのか、興味津々に聞いてきた。
は言葉に詰まってしまう。

「私は……、私は、ダメな魔法遣いなの」
「ダメな魔法遣い……?」
「そう。空を飛ぶっていう本当に基本的なことしか出来ないし……。普通、空を飛ぶには箒なんか必要無いんだよ」
「え?そうなん?」

御伽話に出てくる魔女を彼らは連想していたのかもしれない。空を飛ぶには箒が必要だ、と。けれど、実際には違う。

「何も遣わなくなって、自由に空を飛べる。物体浮遊の魔法は、自分自身だけじゃなくて、あらゆる物を浮かばせる事が出来るんだ。だけど……、私は箒が無ければ空は飛べないし、物を浮かせる事も出来ない」




どうしてキミはそんな魔法しか遣えないんだ?




本当に魔法局局長のお孫さんなのか?




あんな魔法しか遣えないなんてダッサー。




落ちこぼれなんだよお前は。




ちゃん?」

ジローに顔を覗かれては焦った。慌てて笑顔を作る。

「あ、あれ、ごめんね。ちょっとぼーっとしちゃった……」

一生懸命誤魔化そうとしたけれど、ジローは何かに気がついたように黙ってしまった。それから何かを思いついたのか、をじっと見つめる。それはすごく優しい表情だった。

ちゃんはすごいよ。だって、この世界に今魔法が遣えるのはちゃんだけなんだからさ」
「芥川くん……」
「飛べるなら、飛ばなくちゃ!」

この言葉がの冷たいものを溶かしていくような、そんな気がした。
しかし、同時に別の感情も浮かんでくる。

(私しか、遣えない……)

平凡ではなく、特別な唯一の存在になりたい。ずっとそう願っていた。今、はその願いが叶っている。だが、の心は複雑で、澄み切らない。

(なぜ、私がこの世界に来てしまったのかはわからない。でも……)

は、ここにいて、皆と一緒にいられて、すごく感謝したい。
そう思った。