15 けない魔法

他の生徒たちも異変に気がつき始めた。どんどん機体は傾き、着陸態勢に入っていくが、速度は減速するどころか速まる一方だ。不安な空気が生徒たちの間に流れ出した。そして、その不安はまさに的中していた。
操縦席で絶望に打ちのめされた跡部は宮島を睨んだ。何を跡部が言いたいのか、既に彼はわかっているようだったが、平然としている。

「先に申し上げておきますが、私の気持ちに変わりはありません。あなた方に何を差し出されても、心変わりなど到底不可能です」
「…………」
「跡部……?」

跡部は一度瞳を閉じる。こんな状況下にあっても、彼は恐ろしく落ち着いている。それが逆に恐ろしくて、岳人は跡部の顔を覗き込んだ。
おもむろに瞼を明ける跡部。色素の薄い瞳は、真っ直ぐに狂気の笑みを浮かべる宮島へ向けていた。

「オレの命をもっても、お前の心は変わらないか?」
「なっ……?!」

その言葉には全員が絶句してしまった。

「跡部!自分、何を言い出すんや!」
「跡部!ふざけんなよっ!!」

忍足と岳人の怒声が響いた。また跡部は命を差し出すつもりなのか。全員の顔が凍りついた。宮島だけが冷静だった。この申し出を予想していたかのように。

「お坊ちゃまの命など、私には既にどうでも良いことなのです」
「……そうかよ」

さすがの跡部も表情が消えていた。

「あと―――うわぁっ?!」
「くっ!」
「皆踏ん張れ!!」

傾いた機体はそろそろバランスを取るのが難しくなってくる。宍戸は岳人を支えて、忍足とジローは項垂れている跡部を両脇を支えた。
ここにいても伝わってくる。他の生徒たちの不安な空気が。跡部は放送のスイッチを入れた。そして、マイクに呼びかける。

「酸素マスクを降ろす。全員それをつけて、体勢を低くしておけ……!」

それだけ言うと跡部はスイッチを切った。その言葉がどういう意味なのか、生徒たちにもわかっただろう。跡部は1階席と2階席の酸素マスクを降ろすボタンを押した。これだけが跡部に今出来る最善の配慮だった。

「クソッ!このままだと全員助からねぇぞ……!!」

宍戸が悔しさを滲ませて宮島を睨みつける。宮島は全てがもう既に終わったと言わんばかりに静かだ。
終わりが、近い。正面にどうにか必死で張り付いているの姿が見えた。落下速度に関係なく、の周りの空気は穏やかだった。しかしその表情は険しい。

「滝」

跡部が滝を呼び、メモ帳を受け取る。跡部はどうにかペンを走らせ、最初に忍足、滝、宍戸、岳人、ジローに見せる。そのメモを読んで、全員が納得したように頷くのを確認すると、跡部は の前にそのメモ帳を突き出した。内容を目で追いかけ、の大きな瞳がさらに見開かれていく。




『お前は逃げろ』




は震えた。
確かに、は魔法遣いで空を飛ぶことが出来る。その能力ならばこの飛行機から離れて安全な場所まで移動することが出来る。今この事件に巻き込まれた人間で、助かる可能性があるのはだけだ。もう落下速度は止められない。
跡部は全員の総意を訴えた。

!お前は逃げろ!!今、この場を生き残れるのはお前だけだ!!」

だが、は激しく首を横に振って髪を乱した。跡部の申し出など、到底受け入れられるものではない。
その返事を跡部は許さなかった。

「バカ野郎!お前は、オレのために1度死んだ!その拾った命を無駄にするつもりなのか!?」

きっと外にいるには全部は伝わっていないだろう。だが、跡部が何を言いたいのかはわかっているようだった。何度も何度も、駄々っ子のように首を嫌々と振った。の涙は風に流されて、窓ガラスに飛び散っていく。
ジローはの流す涙の跡を見つめながら言った。

ちゃん、お願いだから泣かないで」

声が震えている。
ニュースで流れる飛行機事故。この大型飛行機がが落ちたとき、乗客たちはどうなるのだろうか。他人事のようにそんなことを考えた。
一瞬で死ねるものなのだろうか。爆発で起きた紅蓮の炎で焼けていく身体を想像した。それとも、炎に包まれる前に、墜落の衝撃で身体がバラバラになるのが先だろうか。
けれど経験の無いことにいくら頭を巡らせてもわかるはずもない。だが、これから自分たちはそうなっていく運命なのだ。

「オレたちは、可能性があるなら……、それに賭けたい」

宍戸も拳を握り締めて言った。

「オレたちがまだ希望を持てるとしたら、それはキミなんだ」

滝も同様に言葉を紡ぐ。
ただ1つの望みさえ、今は失いたく無い。

!お前は生きろ!生きて、オレたちの希望を繋いでくれ!!」

岳人が吼えるように言った。その隣で忍足もに強い視線を送っていた。
その瞬間、ガタガタッと大きく機体が揺れ始めた。この速度による風の抵抗が大きくなっているようだ。操縦席にいる全員がバランスを崩して膝立ちになった。は何とか速まる飛行機になんとか今の状態を維持して飛んでいる。激しい風がついににも直接吹き荒れるようになった。酷い音が周りに響く。
1階席と2階席の生徒たちも悲鳴を上げていた。激しく揺れ続ける飛行機は落下速度を増すばかり。全員の耳がおかしくなる。
は目を硬く瞑っていた。

(どうしたら良いの?!やっぱり……私は、何も出来ないの……?何も出来ないままなの!?)

最後の最後で無力な自分と再び向き合うことになってしまった。
どんなに努力しても、叶わないことが世の中には数え切れないほど存在している。
諦めることが、最大の防御だった。
これ以上傷つくのは嫌だったから。

(でも……)

は、目を開ける。

(今諦めたら、皆は……)

分厚く覆われたガラスの向こうにいる、彼らの姿。

(私は……)




今諦めたら、絶対に後悔する。




は親指を思い切り噛んだ。真っ赤な血が出て風に飛んだ。が痛みに顔を一瞬歪め、それを見て全員が目を丸くした。

「お前何して―――」
「跡部!」

滝が制した。は、その親指を必死に動かしていく。窓に逆さの文字が綴られていった。




『あきらめないで』




たったの5文字。その言葉に、ものすごく大きな力を感じた。は窓に両手をついて目で必死に訴えている。先ほどまで泣いていた目は真っ赤だったが、もう頬に涙はどこにも見られなかった。今までのからは想像も出来ない姿である。
全員が言葉を失った。もう時間も残り僅か。しかも、もう跡部家の別荘の滑走路は目前で、機体もバラバラになってしまうかもしれないという時だ。そして、誰よりも様々な事を諦めていたが、諦めないで欲しいと言っている。はこのまま空を飛んで逃げれば助かるというのに。
心を貫かれた気分だった。
は薄く微笑み、そのまま額を軽く窓に押し付けると瞳を閉じた。そして、するっとその場から離れると、今度は操縦席の真上に降り立った。視界から消えてしまったことに驚くが、の行動を信じた。
は強い風と機体の傾きに必死で耐えた。何か考えなくてはならない。空を飛ぶ魔法を使える自分が、いったい何を今出来るのか。

(何か……何か方法があるはず……!)

しかし、頭の中がまだ混乱していて上手くまとめることができない。の額に汗が大量に滲んだ。そうしている間にも、機体はさらに傾いていく。

(こんなところで、終わりたくない……!!私は、もう逃げない!!)

心臓が強く脈打って、手が震える。

(それなのに……っ)

跡部たちだけではない。沢山の生徒たちも、恐怖と戦っている。絶望に打ちのめされている。
またの瞳に涙が浮かんだそのとき、宍戸が目元をぐっと拭って大声で言った。




、頑張れ!!!」




聞こえるはずの無い声だった。だが、の耳のすぐ横で聞こえてくるのだ。次々に声が聞こえてくる。




ちゃん!しっかりきばりや!」




ー!オレたち信じてるからな!」




「頑張ってくれ、!」




「頑張れー!ちゃん!」




「頑張れ、ちゃん!!」




にとって生まれて初めての、応援。それはまさに、彼らの魔法だった。




、良く覚えておきなさい。




心せよ。




力とは、才能とは、魔法とは、




たった1つの、勇気から生まれる事を。














全ての衝撃に備え、皆硬く瞳を閉じていた。様々な思いが過る。
しかし、いつまで待っていてもその衝撃は訪れなかった。
足元に違和感を感じる。傾いていたのだから、足をずっと踏ん張っていなかればならなかったはず。だが、その足元も平行に戻っている。そして、恐ろしいほど周りは静かだった。あれほどの轟音が機内に響いていたというのに。
忍足が顔を上げてみると、跡部もジローも岳人も滝も宍戸も、お互い不思議そうに見詰め合った。
膝立ちだった状態から全員がゆっくりと立ち上がった。正面には、青い空がんのんびりと広がっている。そしてゆっくりとだったが、徐々に機体が降下しているのがわかった。
全身に鳥肌が立った。同時に窓へ駆け寄った。
機体を包むように淡い光を帯びている。まるで、魔法を遣ったと同じように。





この飛行機は、浮いているのだ。





「「「うわああああああーーーっ!!!」」」

歓喜の声が機内で一斉に上がった。他の生徒たちも理由はわかっていないが、自分たちが助かった事を理解し、涙を流している。立ち上がってお互いの無事を喜び合った。もうお祭り騒ぎだった。もう理由などどうでも良い。奇跡が起きたと誰もがそう思っていた。

「アイツすごすぎるっつーの!!」

岳人は涙目になり、顔も緩んでしまっている。そして、忍足とハイタッチをした。

「マジマジ?!すっげーー!!」
「マジでオレたち助かったのかよ?!夢じゃないよなっ?!」

ジローも宍戸と両手を取り合ってはしゃいでいる。

跡部は鳥肌がずっと止まらなかった。

「アイツ……何者だよホントに……」

声も震えていた。
滝が隣で微笑む。





「忘れたの?彼女は魔法遣いだよ」





何がどうなったのかよくわからない。けれど、少女の魔法であることだけはハッキリとわかる。
真実は、彼らだけが知っている。
機体はその後もゆっくりと水平を保ったままで下降していく。その後、跡部家の無人島滑走路付近からずれた海岸に、ふんわりと着陸した。驚く事に、着陸のときも全く衝撃も無く、砂がサッという小さな音を立てただけだった。
ハッチを開き、次々に生徒たちが降りていく。足取りが軽い。ザシュザシュという音が周囲に響いた。それぞれ笑顔で走り回っている。白い息が出るが、寒さも忘れていた。
跡部たちも外へと出た。外は晴れているが、弱い日差しでまさに冬の天気だった。
肝心のがどこにもいない。飛行機の上にでも乗っているのかと思い、離れて様子を見たが、らしい人影はどこにも見当たらない。

「おーい!ー!!」
「どこに行ったんやちゃーん!」

返事は返ってこなかった。周りが喜びムードなのに引き換え、彼らは真っ青になってしまった。この寒い冬の空の下で逸れれば、どんな事になってしまうのか想像もつく。彼らは必死での名前を叫びながら周囲を探し回った。
目を凝らしていると、宍戸が声を上げる。

「おい!あそこにいるのはじゃないのか?!」
「何んだと?!」

跡部が驚いて振り向く。すると、海岸の浜辺にぐったりと仰向けに倒れたがいるのが見えた。砂を被って茶色くなった制服で良く見えなかったのだ。下半身は冷たい海水に何度も打ち付けられている。全速力で駆け寄り、を跡部が抱き起こす。他のメンバーも直ぐに駆け寄った。

ちゃん!しっかりしてよ!」

ジローも呼びかけるが、は目を閉じたままだ。岳人が震える。

「まさか……そんな……?!」
「何だよ岳人」
「魔法の力を全部遣ったから、は……!」
「!?」

は、魔法を遣うためにはある程度の体力が必要だと以前話していた。その上、今までは箒で空を飛んでいたため、殆どの魔法の力を使っていなかったはず。ということは、今回空を箒無しの状態で飛べるようになって体力の消耗も激しいことになる。さらに、は跡部家が特注した大型飛行機を浮かせる魔法も遣った。体力はもはやゼロに等しいだろう。
命の保障はどこにも無い。

「う、そ、だろ……」

宍戸がの短い髪に触れた。サラサラとした感触が、指をすり抜けていく。
滝もの右手を取った。ぎゅっと握り締める。まるで神に祈るかのようだ。

ちゃん、終わったんだよ。キミのおかげで皆助かったんだ。だから、目を覚ましてくれ……」

忍足はガクッと膝をその場に落とした。

「最後はいつもハッピーエンドじゃないとアカン。もう1回、かわええ顔見せたってや」

忍足が滝の上からの右手に触れようとしたときだった。滝の指の間から小さな白い光が零れている。全員それに釘付けになった。滝がそっとから手を離してみると、の中指にはまった指輪が淡く輝いていた。
指輪は彼らがへと贈った信頼の証。その指輪が静かに光を放っている。
目の前に、ひらりと白いものが降りてきた。跡部がその白いものを掌で受ける。あっという間に溶けて水になってしまった。

「これは、雪だ……!」
「あッ!」

ジローが立ち上がって空を見上げる。すると本当にいつの間にか小さな雪が空から舞い降りてきた。しんしんと雪がこの無人島を包んでいく。今年彼らが初めて見る雪だった。




そして、




「ん……」




導かれるように彼女も目を覚ました。




「「「!!」」」

は全員の声に驚いて目をぱちくりさせたが、やがて今までのことを思い出して勢い良く立ち上がった。

「皆……、無事だったんだね!!」
「ああ、お前のお陰でな!」

宍戸がニッと微笑む。

ちゃん!本当に良かったCー!」
「全く、心配かけさせやがって!」

ジローがに飛びつき、岳人が怪我をしていない方の腕での肩を抱いた。

「きっと、神様が雪と一緒にキミを呼んだのかもしれないね」

が空を見上げる。雪が頬を撫でた。しんしんと降り続ける雪には目を奪われた。
そして、悟ったように瞳を細める。

「私を呼んでいるのは、神様じゃない。きっと、私のお祖母様だわ」

魔法が自分の中から溢れ出る瞬間、は確かに聞いた。
懐かしい祖母の声。優しくも厳しい言葉を、に投げかけてくれた。

「皆に聞いて欲しいことがあるの」
「いったい何や?」
「まだ言ってなかったけれどね……」

は、包み隠さず自分の魔法が無くなった経緯を話した。祖母が死ぬ直前、全ての魔法を遣って世界から魔法を消した事。自分以外の世界中から魔法そのものの記憶を消した事。そして、祖母の魔法はあることをきっかけにして解けるという事。
全員の顔が意外なものへと変わる。

「―――つまり……本当は魔法が普通にある事が当たり前で、今のオレたちがおかしいということなのか?」

宍戸の問いには頷いた。

「信じられねぇ……」
「けど跡部、ちゃんはこうして魔法を遣っているじゃーん」
「確かにな……」

降り注ぐ雪で世界が白く染まっていく。けれど、は感じ取っている。この雪そのものが魔法なのだと。
ぎゅっとクローバーの指輪を握り締める。さっきよりも指輪の光が強まっていた。

「この雪はね、お祖母様の魔法なの」
「これが魔法?!すっげーな」

岳人が掌に雪を受ける。

「この雪からは、お祖母様が魔法を遣うときと同じ感じがするの」
「でも、どうして……」

疑問の声が上がる。滝はを見た。アユミは少し間を空けてから応えた。

「……もうすぐね、魔法が解けちゃうんだ」
「魔法が、解ける?いったいどういうことなんだよ、アーン?」
「お祖母様の魔法が解けるとね、魔法を遣った日―――お祖母様の亡くなった日まで戻るの。この魔法は、時間と大きく関係しているから」
「おいおい……って事は……」

宍戸が焦ったように言葉を濁した。

「私たちが出会う前に戻るってことだよ」
「全部、今まで無かったことになるっていうのか?」

跡部の問いかけには静かに頷いた。
全てが元に戻る。今までがおかしかった。だから戻る。正常になるのだ。ただそれだけの事。
それなのに、気持ちが晴れない。
雪は更に降り続ける。その度に視界が真っ白へ変化していった。魔法の力だった。もう誰にも止めることは出来ない。
世界中の記憶を、白い雪が覆い尽くす。

「オレたちの記憶も消えるっていうこと?」
「消える……っていうか、元々無いんだよ。私たちが出会う前に戻っちゃうんだから」
「そんな事、どっちでも同じじゃんかよ!!」

岳人の唸り声が響く。だが、もはやどうすることもできない。雪が舞う。舞い続ける。
もまた彼らと同じように空を見上げた。

「あの、ね……」

は全員を順番に見た。の真っ黒な瞳は、泣きそうでもあり、不安でもあり、幸せそうだった。




「私、何にも持ってなかったの。ずっと、空っぽだった」




何も持っていない自分が嫌で、だけど、どうにも出来なかった。




「でも私、今は……」




彼らが自分を変えた。




「今はね、もう空っぽじゃないよ」




心から、笑顔になれる。




「皆がくれたもので、いっぱいなんだ」




笑ってみせると、閉じた瞳から自然と涙が一筋零れ落ちた。
の笑顔が伝染していった。全員が微笑みを浮かべている。それからに近づき、隙間を埋めるように抱きしめ合った。小柄な少女は彼らによって見えなくなってしまった。一瞬だけは目を開けて驚く。けれど、は抵抗をすることなく、その温かさに瞳を閉じた。

、ありがとう」
ちゃん、ずっと忘れないからね!」
「何があっても、きっと覚えているからな」
「よう笑う子になったなぁ」
「泣くなよ、激ダサだぜ?」
!!お前もオレらの事、忘れたりすんなよっ!!」
「!」

初めて出会ったときは、誰も想像もしていなかった。
の心は、彼らで苦しいほどに満たされていた。

「うん、うん……!皆も私の事、忘れないで!!約束して!!!」
「「「おお!約束する!!」」」

の右手にはまったクローバー。それが大きな光を放つ。世界を雪と共に真っ白に塗り替えていく。
魔法が、解ける。
彼らの顔も、真っ白な視界の中へ飲み込まれていく。