14 折れた翼
あ、と思った瞬間はもう遅くて。私は空へと背中から落ちていった。
雲にかき消され、すぐに見えなくなっていく飛行機。
突風が、私を容赦なく叩きつける。
私の短い髪がバタバタとなびいて、頭から落ちていく。
耳が割れそうなくらい風の音が響いた。
息をするのも苦しいくらい。
私は目をぎゅっと閉じて、自分の身体中にある魔法の力を探した。
生まれたときから存在していた魔法。
空気と同じで、あって当たり前。
でも、今の自分では何も感じ取る事が出来ない。
魔法は自分にとってどうしても必要だった。
自分を保つために、お父さんに認めてもらうために。
必要なもののはずなのに、魔法を上手く遣えない自分が嫌だった。
これじゃ、何も持っていないみたい。
誰にも自分は見てもらえない。
持っている人が憎かった。
素晴らしい才能を認めてもらえている人が羨ましかった。
羨ましいと感じてしまう自分が恥ずかしくて、苦しくて、大嫌いだった。
私には何も出来ない。
そんなことわかっているけど、何も持っていない私を見てくれた人たちがいた。
沢山のことを、私に教えてくれたね。
私のことを信じてくれたね。
ありがとう。
魔法は、私にとって全てじゃない。
魔法は、ただの魔法にしか過ぎない。
魔法は、私が前に進むための道具。
魔法は、きっかけなんだって。
魔法が遣えても遣えなくても、私は、私なんだ。
箒も持っていないけど、どうか、お願い。
私、もう1度、風になりたいの!
「!?」
落下速度が急に落ちてきた。は頭から落ちていたはずだったが、くるっと回って足が下になり、まるで地面の上に立っているかのような安定感に包まれる。そして、全身に僅かな光が帯びた。速度は落ちるどころか、ふわりと空中で静止しているではないか。
スカートの裾もふわふわと生き物のように揺れている。強い風が吹いているはずのこの高さで、なぜかの周りだけ穏やかな風が吹いている。全く寒くない。むしろ人肌のように温かさを感じている。雲が身体を包んだ。
風が、自分を受け入れてくれている。そう知ったは、上を、空を見上げた。どこまでも青い空がそこにはあった。
指にはめたクローバーの指輪が、陽だまりのような温かい光を帯びている。
指輪は魔法遣いの証。はその指輪に手を伸ばし、その存在を確かめるようにぎゅっと手の甲を握りしめた。
「ありがとう……!」
の瞳に力が戻った。
自分の意思で魔法の力を操り、は身体を上昇させていく。真っ白な雲を掻き分けて、は昇っていく。魔法遣いを必要としている人たちの下へ戻るために。
の目が銀の翼を捉えた。上昇スピードを上げた。それは間違いなくハイジャック事件が起きている現場、大型飛行機の姿だった。は飛行機の上空まで移動した。上から見ても何も変化は起きていない。だが、中では銃と落下の恐怖に怯える生徒たちが大勢乗っている。
は静かにジャンボジェットへ近づき、銀の翼の上へ着地した。全身に淡い輝きを纏ったは、ゆっくりと立ち上がる。スカートの裾がパタパタと揺れた。
その光景を1階席にいる全員が、窓から目を丸くして凝視する。
「え?もしかして、さんじゃない……?」
「ええ?!嘘?!」
「何がどうなっているんだ?」
「と、飛んでるー?!」
ざわめく生徒たち。目の前の信じがたい後継を前にして、凶悪事件に巻き込まれている事も忘れて驚きを口にする。
飛行中のジャンボジェットの翼に立った人間など、存在するだろうか。今何が起きているのかが全くわかっていないようだ。
「いったい何だアレは!?」
当然犯人グループの男も驚愕して、視線は翼の上にいるに釘付けになった。今彼の頭の中では、必死でこの光景を理解しようとフル回転しているのだろう。
その隙を滝が逃すわけが無かった。すかさず横から男の首と腹に素早く手刀を打ち込む。低い呻き声を上げて男はガクッと身体を震わせ、床に倒れこんだ。銃も床に落ち、それを宍戸が急ぎ拾い上げる。
一瞬のことで生徒たちも静かになったが、状況を理解して静かにガッツポーズをする。
幸いな事に、犯人グループのメンバーは今この男しかここにはいないらしい。恐らく、この閉じ込められた空間で生徒たちは何も出来ないと考えたのだろう。その油断が絶好のチャンスに変わった。
岳人は窓に両手をつけてに呼びかけた。
「〜〜っ!!」
もう嬉し泣きのような声色だった。ジローや忍足も同じように窓に張り付いた。
はふわりと羽のように浮かぶと、滑るように岳人の見える窓へ近づいた。分厚いガラスで声は遮られているが、岳人が無事なのを見てホッとしたような笑みを浮かべた。
「ちゃん、生きとったんやな……!ホンマに嬉しいで」
跡部も滝も忍足の後ろでの元気そうな姿に安心したようだ。
「魔法、ちゃんと遣えるようになったんだな」
「宍戸、紙とペンある?」
「ああ、ちょっと待ってろ。おい、この中で誰か紙とペン持っているか?」
宍戸の近くにいた女子生徒が、自分のメモ帳とボールペンを差し出した。それを『悪いな』と言って借りると滝に渡した。受け取った滝はボールペンでメモ帳に文字を書くとそれをに見えるように窓へメモ帳を広げた。その文字をはじっと見る。
『体調はどう?気分は悪かったりする?怪我は?』
は首を横に振ってピースサインをしてみせた。体調は良好のようだ。再び滝は新たに文字をメモ帳に書き、に見せた。
『少し待っていてくれ』
が頷いたのを見ると滝は跡部に視線を移す。既に跡部も滝が何をしたいのかわかっているようだった。
「跡部」
「ああ。がいれば、どうにかなるかもしんねぇ」
「どうにか?」
宍戸が跡部の言葉を繰り返す。跡部は気絶して倒れている男を見ながら言った。
「の協力があれば、今回のことは全部解決できるはずだ。だが、チャンスは1度しかない」
「それでいこーよ」
「まだ何も言ってないやろ、ジロー」
おいおいと言わんばかりに忍足がツッコミを入れた。しかしジローの目は真剣だった。
「チャンスがちょびっとでもあるなら、それを実行するのみでしょー。じゃないと俺たち死ぬんだC!」
「実行して失敗しても死ぬがな」
「跡部後ろ向き過ぎ!言い出しっぺがそんな風でどうすんだよ!」
岳人がムスッとして跡部を叱る。しかし、失敗すれば本当に跡部の言うとおりになってしまうだろう。跡部でなくても慎重になる。
「さっさと覚悟決めようぜ?時間もほとんどねぇしよ」
そう、時間はもうほとんど残されていない。今気絶している男が起きてしまえば、また事態はふりだしへ戻ってしまう。操縦室にいるであろう、主犯の宮島に連絡されてしまう。
「2階席にも何人か見張りがいるだろうな」
「見張りも恐らく銃を持ってるんやろな……」
「……跡部、何か重い物ねぇの?」
宍戸の申し出に跡部がニヤリと笑った。跡部も宍戸と同じことを考えていたからだ。ジローと岳人が首を傾げた。
「何?どういうことだよ?」
「まぁオレの言う通りに動いておけ。説明は準備が整ってからだ」
「それで?」
滝が跡部の次の言葉を待った。
「湯を沸かせ。20分で用意するぞ」
宮島の前には真っ青な空と雲の海が広がっていた。もうすぐこの飛行機が墜落すれば、こうやって青い色を楽しむこともできなくなるだろう。それでも悔いは無かった。今日という日のために準備をしてきたのだから。
それにしても遅い、と宮島は通信機を手に思った。1階席の様子を見に行った部下がまだ戻ってこないのだ。もう20分は経過している。
(まさか何かあったんじゃ……)
しかし、それは考えられないことだ。人質になっている生徒たちはここがどこなのか知っている。上空1万メートルの世界に逃げる場所など無い。下手をすれば拳銃で撃ち殺されてしまうのだから。どの道、生徒たちや跡部の運命はただ1つしか無い。どんな奇跡が起きても、それは決して変らない。
宮島が自分の計画が完璧であることを再確認しているときだった。その完璧なハイジャック計画が崩れるときを目の当たりにすることになる。ある少女の出現で。
「なっ?!」
一面青と白の世界に、何の前触れもなくふわりと光を帯びた少女が現れたのだ。制服を着た少女は空中に浮いている。しかもその少女の姿は、自分が空へと投げ出して殺したはずの少女だった。は自分が浮いていることに関して慌てた様子は無く、むしろ強気に微笑んでいた。
人間が空中に浮くなど、ましてやこの場所で人間が姿を現すはずがない。操縦席にいる部下も目を丸くして青くなっている。自分は間違って天国に、天使のいる世界にまで上昇してしまったのではないかと錯覚してしまう。
その瞬間を跡部たちは待っていたのだ。操縦席のドアが乱暴に開いた。そこにはヤカンを両手に持った跡部と忍足の姿があった。持っていたヤカンのお湯をぶちまけると、操縦席に座っていた男2人が悲鳴を上げた。宮島にも同じようにヤカンのお湯をぶっ掛ける。白い靄が立ち上り、宮島の皮膚に熱い衝撃を与えた。ひるんだ隙を見て跡部と忍足は蹴りや拳を食らわせ、3人を床に引き倒す。
「ぐあッ!!」
部下の男は完全に気を失い、宮島も目の前がグラグラと揺さぶられた。跡部は素早く宮島の上着ポケットを探ると銃を引き抜く。これでももう自分たちを脅かすものは何も無い。
「バカな?!ここへ来るためには、2階席にいる見張りを倒さなければならないのですよ!?銃を持つ相手を前にどうやって……」
「倒してきたぜ」
「何……?!」
跡部は勝ち誇ったように宮島の頭の上で宣言した。しかし、部下にも自分と同じように銃で武装させている。丸腰の跡部たちが太刀打ちできるような相手ではない。ではなぜ?何が起きた?宮島は激しく混乱した。
「食事を運ぶときにカートを使うやろ?オレたちはアレに重りになるようなものを何でも乗せて突っ込んだんや」
忍足たちは手当たり次第カートに乗りそうな重い物を乗せていった。総重量は200キロを越える。それで一気に2階席へ突入し、相手が怯んだところで先ほどの熱湯をかけて隙を見たのだ。無抵抗とばかり思っていた者から逆襲を受け、部下たちは思っていたよりもアッサリと倒れてくれた。跡部と忍足以外は宮島の部下たちを縛って動けなくしているだろう。
「前にテレビで見たことあるんや、ハイジャック事件のときのドキュメンタリー。まさかこんなところで役に立つとは思わんかったけどなぁ」
勝ち誇ったように忍足が笑った。宮島は身動きが取れずただ黙っていた。
「それなら、あれは何だ?!あのお嬢さんは、私が確かに殺したはず……」
飛行機の外で窓の傍に立つの方へ振り返る。宮島はまだ現実を受け入れられなかった。がこうして存在している事を到底理解出来ずにいる。
忍足も流石にの事は説明することはしなかった。そして宮島を持ってきたロープで腕を胴体ごとグルグル巻きにしてしまう。これで宮島は自由に動けない。
跡部が操縦席の窓に張り付いて様子を見ているに親指を立てて見せると、同じように笑って親指を立てた。
「さぁて、これからどうするん?」
「操縦は自動で可能だ。……どうやら随分と北に来ちまったみてぇだな」
レーダーの状態を見ながら跡部は言った。恐らく宮島は限界まで燃料を無くし、氷帝学園へ墜落させるつもりだったのだろう。威力は落ちるが、確実にこの飛行機を落とせる。
これで全ては終わった。後は自動操縦で目的地を切り替えて、外へと連絡を入れ、どこかの滑走路へ着地させるだけとなる。
「この近くにオレの家の別荘がある。無人島だが跡部財閥の手が加えられているところだ」
「相変わらず嫌味なヤツやな……」
そういう忍足であったが顔は笑っている。跡部は自動操縦に操作して切り替えると、マイクを取って機内放送を始めた。
『ハイジャック事件は今を持って解決した。これからオレ様の別荘へ向かい、着陸態勢に入る』
歓喜の声が1階席で湧き上がった。恐怖から解放された嬉しさのあまり泣いている生徒もいる。生徒たちに笑顔が戻った。
2階席で犯人たちを縛り上げ終えた滝たちが操縦席へ入ってきた。手にはそれぞれ犯人たちが持っていた銃があった。
「縛ってきたぜ!銃も取り上げたし、これで解決だな!!」
岳人は任務達成という顔で言った。腕の怪我ももうあまり痛まないようである。心配していた忍足も安堵の表情だ。
10分程度経っただろうか。飛行機に寄りかかっているの視界に小さく島のようなものが見えてきた。アレがどうやら目的地である跡部の別荘のようだ。コンピューターで完全制御されてい機体が徐々に無人島の滑走路へ着陸するためm斜めに機体が傾いていく。さらに高度が徐々に落ちていく。
だが、跡部はすぐに異変に気がついた。
「速度が……落ちねぇ!」
「何だとっ?!」
宍戸が大きな声を上げて前を見る。白い雲を突き抜けて傾いていく飛行機だが、確かに着陸態勢に入っても速度は全く落ちていない。も異変に気づいたらしく、恐怖と不安を滲ませた顔をしている。
「本当に速度が落ちていないようだよ……」
滝も跡部の言葉に汗が額に滲んだ。
跡部は宮島が背後で笑っているのを感じ、振り返って胸倉を掴む。そのまま勢い良く壁に宮島の背中を打ちつけた。呻き声が上がったが、宮島はそれでも薄笑いを浮かべている。
「まさか……、貴様の仕業か?!」
「ふふふ……。お坊ちゃま、私がいかに完璧主義者かおわかりでしょう?失敗したときの事を、私が考えていないとでもお思いですか?既にこの飛行機に乗った時点で、あなた方はもう遅かったのですよ……。1度着陸態勢に入ってしまえばもう、落下するしか無いんです」
「てめぇっ!!」
既に何らかの細工がされていたのだ。今まで自分たちがやってきた事は全て無駄だった。一気に祝福モードは怒りに変わる。宍戸は憤怒の形相で持っていた銃を宮島へ向けた。だが、ジローはそれを許さない。
「宍戸!!」
ジローは持っていた銃で宍戸を狙った。もその光景に息を呑んだ。全員が静かになる中、ジローは言った。
「もしそいつを撃ったら、オレが宍戸を撃つよ」
ジローがなぜそう言うのか、宍戸にもわかっていた。罪もない生徒たちに銃を突きつけて脅した、凶悪な犯人たちと同じになってしまう。宍戸は銃を『ちくしょう……!』と言いながら歯がゆい気持ちで下ろした。
その飛行機は彼らの意思と関係なく速度を上げてぐんぐん進んでいく。いや、落ちていく。落下していくのだ。そう、死へ向かって。
まさに、翼が折れた常態と同じだった。
「ふふふ、あはははははははっ!!」
宮島の勝ち誇った笑い声だけが操縦席に響いた。