13 を照らす希望の光

雲の海の中へ消えてしまった。本当に一瞬で、空の中へと吸い込まれていってしまった。
人間というのは鳥じゃない。空は飛べないんだということを再認識させられたような光景だった。瞼に焼きつく。が飛行機から落とされていくのを目の当たりにして、生徒たちはもう逆らうことをしなくなった。ただ呆然と窓の外を眺めていたり、意味も無く足元を見ていた。生きているのに死んでいる。もう死ぬのを待つだけになっていた。
犯人グループたちは2階席への立ち入りを禁じ、1階席に生徒たちを縛り付けた。

「岳人、腕見せて」

滝は岳人の隣に座って岳人の傷の具合を確認した。縛ったタオルが赤から赤黒く変色していたが、どうやら止血は出来たようだ。

「痛む?」
「まぁな。けど……大丈夫だ」

岳人の視線は滝でも自分の腕でもなく、座席に取り付けられた時計だった。
はただの人間ではない。おそらくこの世界でたった1人しかいない魔法遣いだ。信じられないことに空を箒で飛ぶことができる。
本人は落ちこぼれで、本当なら箒無しでも飛べるはずだとも言っていたが、は1度も箒無しでは飛べたことが無いという。は精神的に不安定だったこともあり、魔法は成功率がかなり低い状態にあった。そして、出来る事ならば魔法を遣わせたくないという気持ちが彼らにはあった。
時計はが落ちてから30分を経過していることを示していた。

「30分……」

岳人がそう呟くと、後ろの席に座っていた忍足が言った。

「もう……アカンやろ……」

忍足の言葉が何を意味しているのか、それ以上言わなくても理解した。
30分経過してもが何か行動を起こした気配は何も無い。の魔法が失敗したのだ、と。




そして、魔法の失敗は、の死を意味している。




前の席にジローと座っている跡部が静かに言った。

は……アイツは死んだ」
「跡部……!」

ジローが跡部の腕を掴んだ。だが、跡部は微動だにしないで続ける。

が死んだことは受け入れがたい。だが、オレたちは、遺された側のオレたちには、まだするべき事がある」

は跡部の身代わりなってその命を空へと散らした。魔法がどうであれ、跡部には身代りになったことには代わり無い。が自ら望んで選択した行動であったが、それに報いるだけのことをしなければならないと跡部は思う。一瞬苦虫を噛み潰したように苦い顔をしたが、試合のときのような目でジローに言った。

「オレたちが立ち止まっていてどうする?アイツがそれを望んだか?違うだろう?」
ちゃんが、望んだ事……」
「そうだ」


は数ヶ月前に転校してきたばかりの少女だった。魔法の無くなった世界にいきなり放り出され、魔法も知らない人間たちと生活することになってしまった。




私、キミが嫌い。キミみたいな人、大嫌い!




魔法だけが彼女の取り得だったというのに、その魔法すらも取り上げられてしまった。その悲しみは14歳の少女には大きく重すぎた。嫉妬する心が、溢れてどうすることもできなかった。




私、魔法遣いなの。




そう宣言する事にも、勇気が必要だった。




私を忘れる世界なんていらない!!




あのときの少女の叫び声が耳に響く。
どんな世界を見てきたのだろうか。あそこまで思いつめた瞳の奥底に、どれほどの絶望が映ったのだろうか。
自分には何もできないと、深く傷ついていた。




それでも……私は、魔法遣いだから。




ようやく彼女が見せた笑顔。




キミを護るよ。




これが最期になると、誰も信じたくは無かったというのに。
儚く、悲しそうに微笑んでいた少女は、もういない。




通路を挟んだ席に座る宍戸も決意に満ちた目をしていた。じっと窓の外を眺めていたが、跡部の方へ向き直る。悲しんでいる暇は今無いのだ。

「何とかして食い止めるぜ」
「ああ、そのつもりだ。氷帝へは、コレを落とさせはしねぇ」
「そうだよな。オレたちで何とかしなくちゃな!」
「しっ!声が大きいで岳人」

忍足が後ろの席から長い腕を伸ばして岳人の口を塞いだ。むがむがと岳人が何かを言って抵抗してみせるが、忍足は口元を抑えたまま話を続けた。

「それで……何か方法はあるんか?」
「無いことは無い。だが、やはり困難を伴うな」
「というと?」

滝が真剣な目で問う。

「氷帝には落とさなくても、結局この飛行機は落ちる」
「結局落ちるのかよ!」
「宍戸、おまえも静かにしぃや」
「あ、悪い……」

幸いにもこの1階席には見張りがいない。代わりに2階席には犯人グループが仕切っていることだろう。

「宮島は最終的には宣言どおり氷帝に落として、今乗っている氷帝の生徒も合わせて消すつもりだ。だが、氷帝に落とせなくなれば、何が何でもこの飛行機を落とすだろう……」

宮島は完璧主義ともまではいかずとも、その傾向があると見た。どんな事をしてもただでは済ませない、と。
跡部は視線を後ろへ向ける。

「この機内には、緊急用に外へ連絡するための電話がある」
「けど、それって使用人だったあの犯人たちも知っているんじゃないの?」

ジローはそう言って眉間に皺を寄せた。ジローがこんな顔をするのは珍しい。

「この電話は跡部家の人間しかしらないところに設置されている。本来は使用人の席付近にしか無いんだがな」
「裏切り対策?」
「まぁそういうことだ」
「跡部の家ってやっぱ狙われてんのな」
「うるせー岳人。これおかげでどうにかなりそうなんだから黙ってろ」

少し俯いて考えていた滝が顔を上げる。

「つまり、今氷帝にいる生徒たちは外に連絡すれば、避難させることができるから助かるんだよね?」
「ああ。その電話は衛星で繋がっているからな。どこへでもかけられる」
「せやけど、警察には連絡できんわな」
「どうしてだよ、忍足」

宍戸が首を傾げた。このまま氷帝学園へ連絡を入れるよりも、警察に連絡を入れてどうにか打開策を練ってもらうべきじゃないかと言わんばかりだ。しかし跡部は首を横に振る。忍足が跡部の代わりに説明した。

「相手は跡部財閥の使用人で常に新しい情報に目を光らせているってことや。警察なんかに連絡したら、それこそ気づかれてまうで」
「事は大きく出来ないってことかよ」

跡部財閥の情報網は凄まじい。使用人が裏切ったことはまだ跡部の本家へ伝わっていないだろう。そうなれば跡部家はいくらでも犯人グループへ情報を提供する。もし警察に連絡でもすれば、それこそ一発でバレてしまう。そうなれば事はもっと悪い方向へと進むことは間違いない。今よりも悪いことが起きることは避けたいところだ。
岳人は忍足の言葉に唸って考え込む。

「オレたちだけで慎重に事を運ばねぇとな」

宍戸も目に力が入った。
ふと跡部が動きを止めた。目を丸くして、何かに驚いている。だがその驚き方はとても静かでわかり難い。ジローが真っ先に問いかけた。

「跡部、何ぼさーっとしてんのさ?」
「お前ら……」
「?」

珍しく跡部が言葉を区切った。溜め息に似たような、そんな声だった。

「おまえらオレの事……いや、この状況で何とも思わねぇのか……?」

跡部が心底不思議そうにしている。こんな顔を見たのは彼らも初めてだった。そして、いったい跡部がそこまで何に驚いているのかがわからない。

「いったい何が言いたいんや跡部?ハッキリ言わなわからへんで?」
「オレの家の事情なんだぜ?オレのとこの使用人のせいで、こんなことになっているんだ。オレのことを憎いとか、そんな風には思わないのかって言っているんだよ」

確かにこれは完全に跡部家の事情である。跡部の下で働く者が起こした事件だ。跡部家の問題が、氷帝学園の生徒たち全員を巻き込んでいる。もしこれがニュースに流れるとするなら24時間体勢でリアルタイムに放送されるべき大事件だ。そして、当然跡部の目の前にいる彼らも、巻き込まれている可哀想な被害者である。
跡部の言葉に今度は彼らがポカーンとしてしまった。鳩が豆鉄砲というフレーズがぴったりである。それから滝には少し笑みが浮かんでいた。

「バカかお前は」
「痛っ!」

宍戸が立ち上がって跡部の頭をゴツンと殴った。いきなりの攻撃に跡部は対応できず殴られる。すぐさま宍戸を睨みつけるが跡部は息を呑んだ。宍戸は笑っていたのだ。

「こんな状況で、お前を恨んでも憎んでも事態が変るわけでもねぇだろ。な?」

ジローを見るとジローも同じように微笑んでいた。というよりはニッと悪いことを企んでいるような、そんな顔つきだった。

「それに、跡部は悪くないじゃんか」
「そうだぜ。悪いのはお前の信頼を裏切ったアイツらだろ」
「岳人、たまにはええこと言うな」
「うっせ!」
「跡部、嫌味なら後でいくらでも言ってあげるから、今は今に集中しようよ」

今はするべきことがある。後悔をするなら後からでもできる。亡くしたくない、人たちがいる。そう確認した。
笑っている彼らに、跡部は応えるように頷いた。

「……わかった。外に連絡をするぞ……!」
「「「おう……!」」」

小声で少年たちは行動を開始した。
まず、跡部は宍戸とジローに頼んで1階席と2階席に繋がるドアの前で見張り。その間生徒たちにはこっそりと協力してもらい、妙に静かにすることは避けて小声で話をし続けてもらうことにした。滝は怪我をした岳人の傍についていてもらいながら様子を見る。忍足は跡部と共に後ろへ静かに移動した。
1階席の1番奥にあるシートまで移動すると、跡部はそのシートの下にある隠しボタンを押した。音も無くシートの後ろが開き、黒い小型の壁掛け電話が姿を現した。電話のようで複雑なボタンがついている。

「大丈夫か?」
「OK。こっちは異常無しだぜ」
「そうか。よし、氷帝学園へ電話する―――ん?」
「どうしたんや、跡部?」

跡部のボタンを押そうとした手が止まった。何事かと忍足の顔が青くなる。

「やっべぇ……、氷帝学園の電話番号がわからない」
「アホ!こんなときにそんなこと言ってられへんで……?!」

すかさず忍足がツッコミを入れた。2人の様子が違うことに気がついて見張りの宍戸とジローがやってくる。

「どうしたんだよ?」
「氷帝の連絡先がわからへんのや」
「マジかよ!?」
「ちょっと待って」

ジローがそうだと思い出して、制服のポケットから白いメモ用紙を取り出した。広げるとそれには電話番号らしき番号が並んでいる。

「ジロー、これは?」

跡部が尋ねるとにししとジローが歯を見せて笑った。

「これ、日吉の番号。前に携帯忘れたときに登録しようと思って教えてもらったんだよね。ずっと入れっぱなしだったの、さっき気がついたんだー」
「ジロー、おまえは天才や!」

忍足も宍戸も涙目になる。きっと2人とも今日ほどジローに感謝したことは無いだろう。
さっそく跡部はそのメモを元にして電話をかけた。すぐに日吉は電話に出た。跡部は日吉に今の状況は話さずに指示を出した。日吉は緊迫した様子の跡部に対して理由も聞かずに氷帝学園の全ての責任者に連絡を入れ、学園内にいる生徒たち全てと近隣に住まう住人たちを非難させることになった。かかった時間は30分あまり。跡部の指示の通りの良さには驚くしか無い。これで地上への被害は確実に軽減された。
すんなりと指示に従った日吉が、ここでようやく核心を突いた。

『跡部さん、いったいどういうことなんですか?』

説明は出来ない。するべきではない。何も知らないでいて欲しい。日吉には今跡部たちがどのくらい危険な状態でいるかは知らされていない。だが、日吉の声は緊張していた。

「残念だが、時間がねぇ。質問には答えられない」
『なぜです?』
「良いからおまえはオレ様の指示に従って、おまえも住民たちと同じところへ移動しろ。わかったな」
『…納得できません』

それも当然だった。
忍足が周りを確認して、それから跡部と電話を交代した。

「日吉、わかってやりや。オレたちもう時間無いねんて」
『それがどういう意味だか聞いているんじゃないですか』
「…………」

長い沈黙だった。忍足はなるべく普通を装うようにして話したつもりだった。それがどこまで通じているかはわからない。

『先輩、オレたちできるだけのことはします。力になります。だから、教えてください』
「……ダメや」
『先輩!!』

隣にいたのだろう、長太郎に相手が代わった。声を荒げる長太郎の声もまた日吉と同じで不安に満ちている。

「長太郎」
『宍戸さん……?!』

いつの間にか宍戸以外にも岳人、滝、ジローも集まってきていた。生徒たちは震えるようにして涙を流し、声を上げるのを必死で耐えていた。
最期になる。それがわかっているから。

「おまえ、テニスは好きか?」
『も、もちろんです!』
「なら、おまえと日吉、樺地の誰かの中で話し合って次期部長を決めろ。オレたちは、おまえら3人なら誰がなっても構わねぇって思っている」

先輩として、最期にできること。遺していきたいもの。

「前から考えてたことだからよ……。それに、今伝えなくちゃ、もう………言えねぇ、から」

岳人の声も震えているようだった。腕の痛みがうずく。

「こっちはオレたちが何とかする。絶対に……食い止めてみせる」
『滝先輩……』
「ああそれと、オレたちの家族に、愛してるって、伝えてくれよな」
『ジロー先輩……ッ……』

ジローの声は妙に明るかった。明るくしているのだ。

「よろしゅう頼むで」
『忍足先輩!!』

長太郎の叫び声で忍足の肩が揺れた。言葉を遮られ、黙り込む。




『何を……何を言っているんですか?』




声が震える。




『これじゃあまるで……ッ……先輩たちが』




搾り出す。




『これから、死ぬみたいじゃないですか……ッ!』




長太郎の言葉に日吉も樺地も目を見開いて反応した。
自然と涙が出そうになる。不安で仕方が無い。
何も状況が読めてこないのに、そのことだけははっきりとわかっていて―――
跡部に声が代わった。
それは、笑っているかのように。重さなど無い、いつもどおりの声で。

「鳳」
『……は、い』

力の無い後輩の声。
この後、確実に今の状況はどんな形であれ向こうにも伝わっていくだろう。彼らは、日本で待っている彼らはどんな顔をするだろうか。どれだけの生徒の家族や関係者が残念に思うのだろうか。
面倒なことになってしまった事に、跡部は心から悔やんでいた。今言えるのなら、出てくる言葉はこれしかない。




「迷惑を、かけたな。すまない」




らしくない、と、瞬時に口に出ていた言葉だった。

『跡部先輩、本当にどうしたんですか……?!』

ここで、長太郎の息を呑む音が聞こえてきた。何かに気がついた。

『先輩は……、先輩はどうしたんですか?!』

今度は跡部たちが息を呑む番だった。岳人の肩が震え、宍戸の顔が青くなり、忍足は黙って、ジローは俯き、滝は唇を噛んだ。
一緒にいた、はもういない。跡部の身代わりになって死んだ、と。空へ身を投げたのだ、と。




何て説明すれば良い?何て言葉をかければ良い?




沈黙の後、覚悟を決めて跡部は息をもう1度吸い込んだ。




は、もう―――」




その続きを言う瞬間、ザワッとした音を感じてジローが振り返り、宍戸も振り返った。
恐怖に震える生徒たち。その前には銃を跡部に向けている男。

((見つかった……!?))

咄嗟に腕が動いて、ジローは跡部の受話器を握る腕を引っ張った。そして、ほぼ同時に宍戸が倒れ掛かった跡部の頭を掴み、床へ伏せさせながら自分も伏せた。銃声が聞こえたのはその刹那であった。
爆発するような音が聞こえて、跡部が使っていた電話は破壊されて木っ端微塵になった。破片が床に散って滝が顔を腕で覆った。忍足は岳人を庇うようにシートの奥へ押し込む。
生徒たちの悲鳴が轟き、そして静かになる。目をぎゅっと硬く瞑っていた生徒たちが目を開けると、そこにはまさに地獄一歩手前の光景が広がっていた。

「跡部!?」

一緒に伏せた宍戸がガバッと上半身を起こした。見れば跡部に赤い液体が付着していた。ジローが驚いて目を見開く。跡部も直ぐに起き上がった。跡部の手の甲が飛び散った電話の破片で切っていたが、軽いもので済んだ。

「掠っただけだ……」

跡部の視線は近づいてくる男に向けられる。どうやら見張りから外へ連絡している様子を伺っていたようだ。

「跡部のお坊ちゃま。いけませんね、そんなことをしたら―――」

使用人ではあるが、宮島とは違ったタイプで全く声に敬いの心を感じられない。ふざけたように笑っている。銃を突きつけられた。




「死にますよ?」




上空1万メートルの世界。逃げる場所も隠れる場所も無い。
その瞬間が訪れる。
見ていられない。シートに押し込められた岳人が窓の方へ跡部から背けるように伏せた。

(……あ……れ……?)

だが、その瞬間に岳人は何かを見た。チラッと顔を上げて、窓の外を見た。
どこまでも青い空に、真っ白く綿菓子のような雲の海。白い太陽の光。白銀の翼が見える。
別にそこまでは今まで見てきた景色でしかなかった。
しかし、岳人の視界に入ってきたのはそれだけではなかった。




心臓が耳の奥で脈打つ。




その異変には銃を突きつける男も、忍足も、跡部も、滝も、宍戸も、ジローも、他の生徒たちも、順に視線が向いていった。




全員が同じ顔で、信じられないという目でそれを見つめる。




どこまでも青い空に、真っ白く綿菓子のような雲の海。




白い太陽の光。白銀の飛行機の翼。




その翼の中間付近にしゃがんでいる、小さな身体。




ゆっくりと立ち上がって、ふわりと風に煽られている髪。




しっかりと前を見据える瞳。




天界から舞い降りた天使ではない。




でも、ただの人間でもない。




彼らは知っている。少女が何者かを。




彼女は、




彼女こそ、




たったひとりの、魔法遣い。




少女の指には、クローバーの指輪がきらりと輝いていた。