12 君を護る
事は突然、何の前触れも無く起きた。聞いたことも無いような爆音が全員の耳を貫いたのである。上空1万メートルの密室の世界で、ありもしない銃声に生徒たちは悲鳴を上げ、真っ青な顔でたちの方を見ている。
大粒の赤い血がベージュのシートを染め上げていた。額に銃を突きつけられたは、瞬きもしないでそれを呆然と見ていた。
「う……ッ……!」
苦痛の呻き声。
それはの声ではなかった。
窓側に座っていたを身を乗り出して庇った、赤い髪、向日岳人。
焼けつくような痛みで顔を歪める岳人は、それでもを庇うように広げた腕を下ろそうとしなかった。
の喉の奥が震える。
「が、岳人くん!!腕が……!」
は岳人の撃たれた腕に触れようと手を伸ばす。頬をつ……と伝うものに気がついて拭った。掌に赤い岳人の血液が付着している。彼が撃たれたのだと、改めて知った。
生徒たちも岳人が撃たれたとわかってざわつき始める。それでも完全なパニックにならないのは、まだ起きた事を信じられないからだ。
ざわつく生徒たちの中に、忍足や宍戸もいた。2人はたちの先頭席から離れた中央の席に座っていた。
「いったい何が起きてるんだよ……」
「岳人?岳人がどないしたん?!」
岳人は撃った男と対峙したままの姿勢で言った。視線も男から外さない。
「心配すんな……。ちょっと掠っただけだぜ」
「でも、血がそんなに出てるのに……!」
「ちょっと静かにしてもらえますか、お嬢さん」
「!」
男は再び銃を突きつけた。今度はではなく庇う岳人の額に押し付ける。の動きが完全に止まった。下手に動けば今度こそ岳人は殺されてしまうだろう。岳人を人質にしたも同然だ。フライトアテンダントの制服を身に纏っているが、その中身は恐るべき野望を持っているに違いない。
男はが抵抗するのを放棄したのを見届けると、上着のポケットから小さな無線機のようなものを取り出した。小声で連絡をすると、再びポケットの中へそれを仕舞いこんだ。そして業務連絡のように身につけているマイクでこう宣言した。
「この飛行機は私たちが完全に乗っ取らせていただきました」
男の声は1階席にいる生徒たちにも聞こえているようだった。1階席には跡部、滝、ジローがいる。瞬時にユナは3人の顔を思い浮かべた。
信じられない男の一言でさらに生徒たちに動揺が走った。引きつった顔で悲鳴を上げ始める。皆顔色は真っ青だった。だが、その動揺を許さないとして、男は銃を岳人の額から外し、今度は豪華な赤い絨毯の敷かれた廊下を撃つ。実弾がまた大きな音を立てて減り込んだ。焼け焦げた痕が残り、銃口から白い煙が細く伸びている。全員がその瞬間黙った。痛いほどの沈黙だった。
逆らえば殺される。
そう生徒たちは直感した。
「そうです、そうやって黙って我々に従ってくれさえすれば良いのです」
男は満足そうに微笑んだ。表情は氷のように冷たい。
「まぁとりあえず、詳しい話は皆さんが1階席に移動してもらうことからですね」
そう男が言ったのと同時に、同じフライトアテンダントの制服を身につけた2人の男たちが姿を見せる。唯一普通のフライトアテンダントと違うのは、専用ホルダーに銃を携帯しているところだろうか。2人の男は主犯格の男と同じように銃を構え、生徒たちに2階席から1階席へと移動するようにと仕向ける。
(そういえば……先生たちがいない……)
が最後に教師を見たのが空港であることにようやく気がついた。既に教師たちはイギリスの空港で拉致されてしまったのだろう。空港から、いや、あるいはもっと前から計画された犯行だったのかもしれない。
完全に空は支配された。
突然の放送に1階席でも生徒たちがざわつき始めた。信じられない放送だった。この内容を信じたくない気持ちでいっぱいだった。
ジローは隣に座っていた跡部を見た。跡部は首を振る。
「オレ様もこんなことは知らねぇな……」
跡部財閥で雇っている使用人が、この飛行機でフライトアテンダントして働いている。今回の修学旅行もそれ専用の使用人たちばかりが集まっている。放送をしたのも跡部とも顔見知りの使用人だった。
「いったいどうなっていやがる……」
「さっき聞こえたのって、もしかして銃声?」
「2度目か……。さすがにオレが見に行くべきだろうな」
「あ!待って跡部!」
ジローが跡部を呼び止めて直ぐ、生徒2階席から生徒たちがぞろぞろと順番に1階席へ降りてきた。皆同じ不安そうな表情をしている。その中にはと、に支えられた岳人の姿があった。岳人の左腕から出血していることに全員が目を大きく見開いた。滝が膝に置いていたタオルを持って岳人の元へ駆け寄る。
「岳人、まさか撃たれたの……!?」
「平気だ、これくらい……ッ……」
懸命に痛みを堪える岳人だったが、焼けるような痛みはどうしても顔に出てしまう。滝は傷口の状態を確認するため岳人の上着を脱がせる。撃たれた箇所はワイシャツも真っ赤に染まっており、手首まで赤い血が伝わっていた。はその様子に血の気が引いていくのを感じる。
後から他の生徒たちと一緒に忍足と宍戸もやって来た。岳人が撃たれたことを知っていた2人はきょろきょろと岳人を探し、見つけるとすぐに駆け寄ってきた。ここがもし一般の飛行機の中なら、廊下がつかえてしまっていただろう。
「岳人!おいおい大丈夫かよ?」
「しっかりせぇや」
「宍戸……侑士……」
「岳人、動かないで。今傷口を縛るから。大丈夫、出血は多いけれど掠っただけだよ」
滝は手際よく岳人の腕を厚手のタオルで覆い、もう1つのタオルを引き裂いて包帯のように巻いて縛った。じわっと水色のタオルが赤く染みになっていく。そして岳人を補助席へと座らせた。
「何がいったいどうなってんだよ……」
ジローも不安そうな顔になる。他の生徒たちは椅子の横に取り付けられている補助席に座ったが、それでも座りきれず立つ生徒が出た。全員が1階席に移動したことを確認すると、主犯の男が2人の部下と思われる男を連れて先頭席に現れた。
「宮島!テメェ、いったいどういうつもりだ?」
主犯の男―――宮島は立ち上がった跡部に怒りをぶつけられても冷ややかな態度を崩さなかった。そして銃を構えるポーズも。
「跡部財閥のお坊ちゃま……。あなた本人には恨みはありませんが、大人しくしていてくださいね。そうじゃないと―――」
宮島の1番近くにいた宍戸に銃口が向けられ、生徒たちが短い悲鳴を上げた。宍戸の表情も引きつっている。この銃が玩具では無いことを知っているからだ。岳人は既にこの銃で撃たれている。益々跡部は眉間に皺を寄せた。
「いったい、何が目的だ?」
「私はずっと今日という日が来るのを待っていたんですよ。何年も跡部財閥の使用人として雇われ、この飛行機専属となることをね」
宮島は跡部の言葉を無視して睨みつける。
「あなたのお祖父様が私の父を左遷させなければ、私たち一家は崩壊しなかった……。私がどんな気持ちだったかわかりますか?」
「貴様の親父……。話には聞いた事がある。あまり。良い噂じゃねぇけどな。今はどうしている?」
「自殺しましたよ。私がまだ中学生の頃にね」
「何……?!」
が口元を押さえて息を呑む。
「父は人一倍プライドが高く―――そう、あなたのようにね、景吾様。左遷などという行為は侮辱以外の何物でもなかったんですよ」
「それはテメェの親父が財閥の金を横領したからだろ!?」
「たかだか数百万じゃないですか。跡部財閥の資産を考えれば、数百万など子供の小遣い程度でしかない。それなのに、長年仕えてきた私の父を、貴方たち跡部家は切ったのです」
吐き捨てるように言う宮島に、跡部は腹の中にマグマの塊が生まれる感覚を覚える。それが噴出さないように抑え込むのがやっとだ。
「わからねぇのか?跡部家は、金を横領された事に腹を立てたわけじゃない。それがわからないなら、貴様も貴様の愚かな親父と同じだ。普通なら左遷なんかで済む話なわけない。貴様の親父が長年仕えていたからこその処分だ」
「ッ!」
「それに、オレたちには関係の無いことだ。大人のくせに、八つ当たりなんかしてんじゃねぇ」
「……本当にこんな状況でそう言えますか?」
「く……!」
勝ち誇ったように宮島は冷笑を浮かべる。これだけの数の生徒たちを人質にしたうえに、こちらは丸腰で逃げることも出来ない。宮島はこのハイジャック計画の勝利を手に入れたも同然だった。
「ですから、金が目的では無いんです。いえ、金などただの紙くずにしか過ぎない。私は純粋に、心の底からあなた方跡部家を恨んでいるのですから」
この位置からでは緊急用の電話は使えない。下手に動けばここにいる生徒たち全員の命が危険に晒される。もどかしい気持ちが跡部を支配した。
忍足が唇を噛み締めている跡部の肩を叩き、視線は主犯に向ける。
「それで、結局のところアンタらはどうしたいんや?」
「ふふ、決まっているじゃないですか。私から大切なものを奪った景吾様のお祖父様から、同じように大切なものを奪うんですよ」
(復讐のために、わざわざ飛行機を……?それって、そんな、まさか―――)
が何かに気がついて全身を震わせた。そして膝がガクッと体重を支えられなくなって崩れる。すぐさまジローがそれを支えた。
「ちゃん?!」
「どうやらそこのお嬢さんは気がついたようですね」
「どういうことだ?」
「簡単な事です」
跡部が噛み付くように問いに宮島は特に気にも留めずサラッと言った。
「このまま氷帝学園の上空まで移動して、落としま」
何を落とすのか。あえて宮島は表現しなかったが、全員がいったい何を指しているのか瞬時に想像出来た。
落とすのはこの巨大な飛行機。今彼らが乗っている飛行機のことだ、と。恐怖に引きつった生徒たちは青を通り越して真っ白になってしまった。その瞬間を宮島は待ちかねていたのだ。
「そんなことをすれば……お前たちも死ぬぞッ!!」
「そうですね。自爆です。でも私は、我々はそれで構わないと思っています」
初めてここで冷笑が消える。真剣な、人間を感じさせる目をしていた。
「ここにいる者たちは、跡部家にそれだけの恨みを抱いているという事です」
全ては覚悟の上。この命と共にやってのけようと言うのか。跡部はここまで宮島を追い詰めていたことに驚愕していた。拳を握り締め、視線を足元へ移す。もう真っ直ぐに見てはいられない状態だった。
「…………」
「もう遅いのですよ、景吾様。我々も、あなたも、あなたのお祖父様も」
「本当に、止められないのか?」
「ええ。残念ですがね。私たちもそれなりの覚悟でここまで生きてきましたから」
跡部は宮島を知っている。小さい頃から飛行機を利用するときに必ず供をしてくれていた。跡部が知る限り、優しく礼儀正しい使用人だった。信じたくなった。こんな凶悪なことをするような男ではない、と。この飛行機だけではなく、氷帝学園の生徒たちまで皆殺しにしようとするはずがない、と。
到底受け入れられないという態度の跡部に、畳みかけるごとく宮島は言った。
「景吾様、私の申し上げることがどうやらご理解できていないようですね」
「当たり前だ!!」
これは生徒全員の想いでもあった。
だが、無情にもその想いは引き裂かれる。
「では、景吾様には飛行機を降りてもらいましょう」
「どういう意味だよそれ?!」
いち早く反応したのはジローだった。その瞬間宮島の隣にいた男が発砲した。ジローの足元の絨毯に銃弾がめり込んで黒焦げになる。
「他のお友達は黙ってもらえますか?」
「…………」
苦々しそうにジローが唇を噛んだ。動くことも話すことも許されない。宮島はジローが黙ったのを見届けると、跡部にまた視線を向ける。
「どうしても信じられないというのなら、景吾様には飛行機を降りていただきたい」
もう1度宮島は繰り返す。
ここは上空1万メートルの世界だ。降りられるはずが無い。だが、実際にこの言葉通りならば、跡部はこの空へと放り出されることになる。それが何を意味しているのかはわかる。
「オレに死ねと言うのか?」
「はい」
間も置かずに宮島は答えた。
「最初はまず見せしめにそちらのお嬢さんを殺すつもりだったのですが、思わぬ邪魔が入りましてね」
「私……」
は先ほどの恐怖を思い出して身震いした。殺される、その瞬間を。
「……」
岳人が腕を押さえながらも呟いた。
跡部がを庇うように前に出た。その瞬間跡部へ向けられる銃の握りが強くなったのがわかった。
「跡部、お前……」
「宍戸、お前と後ろに下がれ」
「跡部!?」
「跡部くん……?」
跡部がどういう意図でを下がらせたのかわからず、不安そうな目で跡部を見た。揺れる瞳に映るのは、跡部の広い背中。少しも震えてはいなかった。
「甘んじて……それを受け入れる。その代わり、他の奴らには手を出すな!」
「それには応じられません。ですが、今すぐに殺すのはよしておくことにしましょう」
「けッ……。テメェなんか、雇うんじゃ無かったぜ……」
「最高の褒め言葉です、景吾様」
『そうかよ』と力なく跡部は微笑んだ。そして、跡部は銃を突きつけられたまま奥にあるハッチへと歩かされた。重い金属の扉。ここが開けば、少しでも背中を押されれば、跡部は空へ落とされるのだ。生徒たちが一斉に泣き出した。だが、また威嚇の発砲をされて生徒たちは涙目になりながら黙るしかない。このまま跡部の運命が終わるその瞬間を見届けるしか……。
このままでは、犠牲は跡部だけじゃ済まされない。腕を撃たれて苦しんでいる岳人も、震えている生徒たちも、全員が殺されてしまう。
例えば、
『死んでも良いと思うのはどんなときですか?』
という質問をされたとして。
その問いに
『自分が死んで世界が滅ぶなら、喜んで死にましょう』
と、私は答えるのです。
「……違う。そうじゃ、ないよ……」
「……?」
は宍戸の腕から離れた。そして一歩前に出る。背中を向ける跡部と、跡部を連れて行く宮島に言った。その表情に恐怖はどこにも無かった。
「待ってください。私が、跡部くんの身代わりになります」
生徒たが息を呑み、そして跡部も目を大きく見開いた。
は、魔法を遣おうとしているのだ。
後ろにいた滝がの肩を掴んだ。
「ちゃん、キミは今……!」
は今魔法が遣えない。2つの事件を通して魔法を遣うことを止めてしまい、そして遣おうとしても遣えるような状態ではなかった。それに、がいくら空を飛べると言っても、ここに箒は無い。箒が無ければ、は魔法で空を飛ぶことは出来ないのだ。
だが……、もし希望を託すならば、魔法遣いであるしかいないのも事実。もそれを承知している。肩に置かれた滝の手をそっと下ろした。
「滝くん、ありがとう」
「……ッ」
それ以上滝は何も言えなくなってしまった。あまりにもの笑顔が普段どおりで、それ以上は何も……。
の発した言葉に、宮島も想定していなかったのか目を見開いていた。しかし、を足から頭のてっぺんまで見ると、ふ……と憐れんだように笑った。
「……良いでしょう。お嬢さんを景吾様の代わりに連れて行きなさい」
命令を受けて2人の共犯者はに銃を突きつけ、ハッチの前まで連れて行く。
跡部はようやく我に返ってへ近づこうとした。だが、行く手を宮島によって遮られてしまう。向けられた銃に跡部が立ち止まる。
は魔法が遣えない。今はごく普通の女の子なのだ。小さな背中に向かって跡部が叫んだ。
「待てよ!お前……、死ぬ気か?!」
がゆっくりと振り返り、跡部は目を離すことが出来なくなった。
は、笑っていたのだ。
「私に出来る事はもう無いかもしれない」
両の目に涙が揺れている。
「それでも……、私は、魔法遣いだから」
もう残された方法はこれしか無い。だったら、精一杯最後まで。
今までのだったら、そんなことは思わなかっただろう。
はにっこりと微笑んだ。視線の先にいるのは跡部、滝、宍戸、岳人、ジロー。
「キミたちが、教えてくれたんだよ?」
瞳を1度閉じれば、日本に残してきた日吉と長太郎の姿が浮かんだ。
重い金属の扉が開かれ、強い突風が機内に吹き荒れた。外は青い空と雲の海。はこの空を1番誰よりも良く知っている。いつも1番近くで感じていたのだ。には空に対しての恐怖は無い。あるのは懐かしさと、小さな寂しさだった。
「私が申し上げることでもありませんが、こんなにもよく落ち着いていられますね……お嬢さんは」
宮島も驚いていた。これから空に放り出されるというのに、幼い少女は取り乱しもせずに地獄の入り口へ立っているのだから。いや、天国への入り口かもしれない。
は祖母のことを思い出した。の両親は魔法遣いでは無い一般人だった。祖母が偉大な魔法遣いであることを誇りに思いながらも、やはり憎悪が強かった。そんな両親の間に生まれたも、魔法遣いでありながら望まれた強い能力は持ち合わせていなかった。
だが、は1度も祖母に魔法のことで責められることは無かった。今まではずっと、自分は無視されているのだとばかり思ってきた。だが、今は違う。
きっと、を、孫娘のことを信じようと思ってくれたのだと。
「……私、皆を信じるんです」
強い風がのショートカットの髪を強く揺さぶる。スカートの裾がはためいて太ももを打つ。は微動だにしなかった。
が振り向けば、そこには大好きな人たちの姿がある。
「キミを護るよ」
そして、こう思いながら飛行機の床を蹴った。
もし、次に生まれ変わっても、私は魔法遣いでありたい。
「「「ーーーーーッ!!!」」」
彼女を想う彼らの絶叫が轟く。
は、何1つ残す事無く空へとあっという間に消えてしまった。