◆◇ 07 暗示
これで良かったのかな?
本当に……良かったのかな……?
ここ1ヶ月の間、メディアは騒がしくなった。新聞の一面やテレビのニュースはもちろん、インターネットの掲示板でも大きくそれは取り上げられていた。
約7年前に起きた主婦失踪事件が今になって解決されたというもの。
それも、殺人事件として。
犯人はもっと驚くことに主婦が家族ぐるみで付き合いのあった、近所に住む男だった。
遺体は白骨化しており、犯人の自宅の庭に埋められていた。犯人が捜査の目をくらませるためと断定。そしてそれは思惑通り、誰1人として気がつかなかったのである。
主婦の息子を覗いては。
「おじさん」
岳人は夜になって訪ねてきた男に声を掛けた。ぼんやりとした照明の照らす廊下。男は電気もつけずにダイニングにいる岳人に違和感を感じた。
目が慣れてくると、岳人の後ろに何人もの存在を感じた。いや、いる。間違いなく。それは夕方に出会った岳人の友達だった。もう帰ったとばかり思っていた男は首を傾げる。
「岳人くん、どうしたんだい?そんなに辛そうな顔をして……。それに、電気も点けていないじゃないか」
「おじさん」
電気のスイッチを押そうとした手が止まる。岳人は立ち上がった。暗闇の中で、ゆっくりと。
今までと何かが違う。否、これからだ。これから変わってしまう。そんな予感。男の額から汗が出た。
岳人は泣くわけでもなく、喚くわけでもなく、ただ静かに問いかけた。
「どうして母さんを殺したんだよ……?」
男は意外にも少し笑っていた。部屋が暗いからか、笑っているのに悲しそうに見えた。
その場にいる全員が押し黙り、男の返事を待った。
「……キミのお母さんと、私は昔恋人同士だった」
「えっ?!母さんと……?」
初めて知った、と言わんばかりの反応に対して、男は『やっぱりそうか』と呟く。
「大学生の頃だよ……。本当にに随分昔だな。些細な事で別れてしまったが……、それでも私は彼女を忘れる事が出来なかった。結婚をして、近所に彼女が住んでいると知ったときは本当に驚いた。私は運命だと感じて、彼女に近づいた」
昨日の事のように思い出せるのか、男は悠長に話を続ける。
「何度も彼女に自分の気持ちを伝えたよ。抑えられなかった……。だが、彼女は私の言葉に笑ってくれなかった。だから私はあの日、とうとう彼女を―――」
「止めろ!!!」
今まで黙って聞いていた岳人は、大声で弾けるように叫んだ。怒鳴られた男の方は、驚きもせず岳人を見ている。
静かに岳人は言い直した。
「止めろ……。それ以上は、聞きたくねぇ……!」
男は目を細めて岳人を通し、誰かを見ていた。
「……私はいつも笑って接してきたけど、キミを見ているときは本当に辛かった。信じてくれなくても構わないよ」
男はその後自分で警察を呼び、全ての出来事を自白した。
警察が鈍く光る手錠を嵌めるときも、岳人はずっと俯いたままだった。目の前で起きた事を覆い隠してしまいたかったのかもしれない。
傍で様子を見ていた友人たちも、岳人の普段とはかけ離れた様子に、何と声を掛ければ良いかわからなかった。
ドン!
「きゃあッ?!」
私は誰かにぶつかってしまった。身体がバランスを取れなくてフラフラと2歩くらい前進する。でも腕を掴まれ、その人に助けてもらったので転倒することは無かった。
『ごめんなさい』、そう言いかけて私は息を飲んだ。
赤い髪。
「危ねぇな、もっと気をつけろよ」
「向日、さん……」
1ヶ月ぶりだった。廊下を歩く生徒たちがチラチラと私たちを見て歩く。正確には私ではなく、向日さんの方だったのだろうけど。ひとまず私たちは校庭が見渡せる中庭の隅に移動した。
「久しぶりだな。元気か?」
「向日さんこそ…、その、元気でしたか?」
「ああ、見ての通り元気だぜ」
向日さんはそう言って笑った。作り笑いではない感じだったが、それでも私は複雑な気持ちだった。
向日さんは警察による例の事件の詳しい取調べなどで1ヶ月ほど学校を休学していた。そして今はあの家ではなく、私と同じように氷帝の寮に住むことになったらしい。
あの家では辛いだろう。私だってきっと嫌だ。
「寮にしたけどな、でも、またいつかあそこに戻るつもりだ」
「あんな事があったのに……ですか?私なら絶対に無理です……」
「……そうか」
向日さんは芝生に寝転んだ。腕を頭の下にして。私は抱えた膝に顔を埋める。向日さんはそれからスッと目を閉じた。
「正直言うとな、オレも住みたく無いって思ってるぜ。今は」
「今は?」
「そ。今は」
「……」
「どうあってもあそこはオレが住んでいた家だ。辛かった。いろいろ。オレの母さんの事、父さんの事、おじさんの事……」
向日さんのおじさんは今向日さんとは会えない。次会うときは裁きの時。
「けどな、それだけじゃない。楽しかったことだってたくさんあった。たくさん、たくさん、な。だからあそこ、はっ!」
反動をつけて向日さんが突然上半身を起こす。
「オレが、帰る場所なんだよ」
はっきりと言った。
「だから、いつか戻る。今は無理でも、あそこが家で、帰るところで、やっぱり……、好きだから」
私はこんなとき、何を言ったら良いかわからない。
ただ黙っていた。
「?」
私にはわからない。知らない。どうしてそこまで向日さんが拘るのか。
家に。
家族に。
私は向日さんにうまく答えられない。
苦笑する。
なんだか、向日さんが羨ましいな……。
「羨ましい……?」
「え?!あっ!今のもしかして、声に出てましたか?」
「バッチリ」
「あ……」
メガネがずるりとずれた。顔が熱くなった。恥ずかしい……。私は赤くなった顔をを伏せて少し間をあけてから視線を誤魔化すように校舎に向けた。
「私、そういう家とか家族を知らないんです」
「は?なんだよそれ?」
【帰りたい家】を、知らない。
そこへ、私たちの前に宍戸さんと鳳さんが渡り廊下にやって来た。とは言っても、私たちには気がついていない。宍戸さんは手に持っているドリンクの缶を開けた。
「!」
「どうかしたのかよ?」
宍戸さんの缶を持っている手……というか肘を見てびくっとした。
彼の肘の部分がぼやけて見えるのである。
私のかけているメガネは伊達だ。私の視力が低下しているわけでもない。ただ宍戸さんの肘の部分だけがぼやけている。
これは、ある未来の暗示である証拠。
「?!」
「私ちょっと用事を思い出したので、先に行きます!!」
「はぁっ?!」
私は走って宍戸さんを追いかけた。渡り廊下で1度革靴を脱いで手に持つと、そのまま校舎へ入る。すぐそこに2人はいた。
「あっ、ああああの!!」
声をかけると2人以外の生徒まで振り返って私を見た。また顔に熱が宿る。
それを気遣ってか、2人は顔を赤くしておどおどしている私の方へやって来てくれた。
「どうしたんだおまえ?」
「先輩、大丈夫ですか?」
さらにおどおどしながら私は言った。
「宍戸さんの、肘」
「肘?」
「いえっ、その……えっと……、次の時間宍戸さんのクラスは体育でしたよね?」
「そうだけど?」
「気をつけてください。特に肘あたり、とか」
「?」
髪をいじりながら私は言葉をなんとか繋げる。
「怪我とか……、しないでくださいね……」
宍戸さんはやっぱり案の定変な顔をした。でも私にはわかる。
私はこれから怪我をしてしまう身体の部分がぼやけたり霞んで見える。これは2〜3日以内に必ず起きると私の経験が言う。
けど、それがわかることは言えないので、注意を促す程度だ。
ふとチャイムが聞こえてきた。
<
「あ!もうこんな時間?!それじゃ、失礼します!!」
私は目立った行動をするのが嫌いだ。どんなことでも、人の目につくことを、私は嫌う。
走って自分のクラスへ急いだ。次は英語で自分が当てられているはず。それに遅刻するとうるさい先生だ。次の角を曲がれば直ぐ!
ドン!
「あっ!?」
本日2回目……。つくずく自分のトロさが嫌になる。
また誰かにぶつかって吹き飛んだ。その場にしりもちをついてしまう。メガネが音を立てて床に落ちた。
「あーん?いったいどこに目ぇつけてんだよ」
声からして男の人だった。とりあえずメガネをかけようと床に座ったまま手を伸ばす。周りからも注目されてしまう。それになんだか怖そうな人だ。私は目を合わせないようにとその人を視界に入れないようにした。
屈んでその人はスッと私の目の前にメガネが差し出された。大きな、手。
「すみません!ありがとうございま――――」
私は次の言葉が出せなかった。
「あ……っ、あぁああ……っあ………!?」
私はそのメガネを受け取ることもできずにガタガタと震えた。震えた。どうしようもなく、震えた。
正面に向き合った人。
私の視界に入ってくるはずのものが……顔が、無い。
首が平たく均されている。
向こう側が、驚いていて振り返る生徒の視線が見える。
無い、のである。
首が、無い。
身体は普通にあるし、声もする。なのに、その人の……人間の首が、存在しない。
綺麗に斬られた?
いや、違う。
初めから存在しなかったように。
「?!跡部……っ?!」
後ろから萩之介くんの声がした。
だけどもう私には、身体を維持するだけの気力が残っていなかった。
全身から汗が流れ出て、心臓がはちきれるほどに血液を流す音がする。
意識を失う前に聞いた萩之介くんの声。
(跡部?)
跡部。
それがその人の名前。
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