◆◇ 05 音
保健室の窓際に、1人の女性が佇んでいた。
ガクトさんと同じ髪の、エプロンをつけた人。
ガクトさんが保健室を出るとき、彼の背を追って、ふ……と消えてしまう。
そして私は、彼女がガクトさんのお母さんだと直感した。
今から約7年前、東京のどこにでもある住宅地で、1つの事件が起きた。
ある一家の主婦が行方不明になったのである。家の中が荒らされたような痕跡は無く、ただクローゼットの中から洋服が数枚、旅行鞄と一部の化粧品が紛失しているのみ。当時は他の凶悪事件が発生した事もあって、新聞の小さな記事にしかならなかった。その事件は、やがて風化し、忘れ去られてた。そして今も、その主婦は見つかっていない。
結局、警察は旅行鞄に洋服や化粧品を主婦が入れていると断定し、家出という処理をして捜査を打ち切ってしまった。
「それが、ガクトさ―――向日さんの探している、お母さんなんですね……」
物理室で忍足と私は向き合って話をしていた。
「そや。写真見せてもろたんやけど、えらいべっぴんさんなオカンやったで」
「きっと向日さんと同じ赤い髪なんでしょうね」
私は少しだけ微笑む。私が視たあの人と、向日さんはとても良く似ている。流石は親子といったところだ。
「それにしても、ホンマにちゃんはごっつい才能の持ち主やな」
「え?才能?何の事ですか……?」
「決まってるやろ?岳人のオカンの事や。直ぐに頼みたい事がわかってもうて、えらいびっくりしたわ。滝が推薦するだけの事はあるわ。勘が鋭いってホンマやんな」
どうやら忍足さんの話だと、私の事は少し知れているみたい……。ただ、私が妙な力を持っている自体は秘密のままのようだ。私はあくまでも『勘が鋭い人』を演じなければならない。
私は口の端を無理やり上げてどうにか笑う。
「えーっと……、萩之介くんに前もって少しお話を聞いていただけですよ。そんなに大した事なんてないです、はい……」
「それでもごっついで。まるで探偵みたいや」
忍足さんとは知り合って間も無いけれど、非科学的な事は信じなさそうだと思う。勘というのはあくまでも勘だって事を、彼も理解しているはずだ。大体勘が鋭くて見つかっているなら、もうとっくに親友の母は見つかっているだろう。
素直に彼の言っている事は間に受けたりしちゃいけない気がする。今は信じてくれているかもしれないけれど、これから先もそうだとは限らないから。
(ホンマに勘が鋭いってだけか……?普通ありえへんやろ、いきなり会ったばかりのヤツの家庭事情なんか。……そやけど、このお譲ちゃんは何も言わないまま言い当てたって岳人は言うてたなぁ。オレが直接見たわけやないけど、岳人のあの様子じゃ嘘吐い取るいわけでもなさそうやし……。偶然で片付くか?)
「忍足さん……?」
黙ったままの忍足さんを心配すると、忍足さんはハッとして顔を上げると、何事も無かったかのようにおっとりと笑った。
「なんでも無いんや。あー、そろそろ鳳と宍戸も来る頃やな」
丁度そう言ったとき、その2人が物理室へ入ってきた。あまり異性と接することが無い私はビクッとする。いつの間にか物理室は作戦会議室になっていた。
鳳くんと宍戸さんはそれぞれ私の隣と忍足の隣へ座った。
「具合は大丈夫ですか?」
鳳くんが昨日のことを言っているのだろう、私を気遣ってくれている。私は彼の顔を見ることもできずに、小さくはにかむように頷いた。その様子に、忍足さんは私とここで出会ったときのことを思い出しているのか、少し笑っている。
「何ニヤニヤしてんだよ」
気味悪そうに宍戸さんがツッコミを入れた。
私は宍戸が苦手だった。本人は怒っているわけでは無いのだが、どうしてもあのつり目が気になる。
「それで、お前は大体の事情を忍足から聞いたのか?」
「え……っ?!あ、はいっ!大体は……、わかりました」
「宍戸さん、先輩が怯えていますよ?」
「そんなこと言われても、別にオレは怖がらせようとはしてねぇよ!」
「……っ!」
「ほら、怖がってます」
「うっ」
忍足さんもそれを見て笑い出し、宍戸さんはムスッとしてしまう。宍戸さんは良い人だとわかるんだけれど、少しばかり目付きが鋭くて……。
「当人である向日先輩はどうしたんですか?」
「岳人ならまた宿題提出できなくて1人残ってるわ」
『アイツらしいな』と宍戸さんが呆れる。クスっと鳳くんは笑って私に言った。
「向日先輩はいつも明るくて、楽しい人なんです。でも……先輩の母親のことを聞かされたときは……、本当に驚きました」
ある日向日さんはテニス部のメンバーに頭を下げて頼んできたらしい。ついに警察の捜査が打ち切られ、母親を探す手立てが無くなったからだ。その必死な様子は、今まで見たことが無いくらいで、全員驚いた、と。
このとき初めて向日さんのの母親について知ったという。
「何とかしてやりてぇって思ったぜ、あのときはよ……」
「せやな……」
私は正直まだ迷っていた。
自分のこの能力がバレてしまうこと以上に、向日さんへ真実を伝えるほうが怖かった。
私見た向日さんの背にいた女性。あれは向日さんの母であるという確信がある。
つまり……、向日さんのお母さんは……。
既にこの世の人間じゃない。
あまりに残酷な真実。多分、何となくかもしれないけれど、萩之介くんも気がついているんじゃないかな。だから私にこの話を持ちかけてきたんだと思うし……。
私は立ち上がった。
「あの……、向日さんは教室にまだいますか?」
向日さんの傍に、まだお母さんがいらっしゃるかもしれない。あの人からは嫌な感じはしなかった。怖い気持ちは完全に消えてはいない。でも、何かわかるんだったらそうした方が良い。
「そうだな、この時間ならまだいるだろうな」
「私、向日さんと少しお話してきます。皆さんはここで待っていてください」
「……わかりました」
「では、失礼します」
おさげの黒髪を翻し、少し薬品の匂いが漂う物理室から出ようとした瞬間だった。
ふわりと、薬品では無い別の匂い。
また、あの匂い。
梅の優しい香り。
「?!」
バッと弾けた様に振り返る。少しメガネがずれてしまったが、構わず私はそこにいる全員を見回した。突然振り返った私に宍戸さんが『うわ?!』と声を上げ、忍足さんはびっくりした表情で私を見て、鳳くんは目を丸くしていた。
目に視える異変を感じることができず、私は息をゆっくりと吐いた。
またあの香り…………。
忍足さんとここで会ったときと同じ体験。心臓がうるさく鳴り響いた。
「ど、どないしたん?」
「いえ……、ごめんなさい。気のせいでした」
私はその場を逃げるように離れた。
【姿無き者】と同じ気配だった。嫌な感じはしていない。無性に気になってしまう。私らしくないな……。
とても良い香り。
でも、儚く、脆い。
オレは母さんを覚えている。
優しくて明るくて、でも怒ると怖い。そんな、どこにでもいる【お母さん】だった。
当時7歳だったオレにとって、母さんの存在はオレの世界の半分を占めている。オレが小学校に行って、そして帰って来たら、世界の半分は消えていた。父さんも何1つ知らないと言う。
その他覚えているのは、家に警察が何人か出入りしていたことぐらいだ。それさえも無くなって、ついに母さんの捜索は打ち切られた。警察は家出ということで決めてしまったけど、そうじゃない。あの頃の父さんも母さんも、喧嘩はしていたけど、家出なんてしない。ありえない。
母さんは自分の子供を置き去りにあするような……そんな人じゃない。
「―――それから……」
「それから……?」
「気になってる事があるんだよ」
私たち以外に誰もいない教室で、向日さんは宿題をする手を止め考え始める。
「気になる事、ですか?」
「ああ。警察によれば、夕方の内に母さんが出て行ったって。それを思い出してたら……」
「どんなことですか?」
「音、だよ」
「音……?」
向日さんは目を閉じる。
「夜中だ。母さんがいなくなった前の夜中に、オレは音を聞いている」
「どういう音を……?」
私は真剣になって聞いた。
「それが……オレもよくは覚えていないんだ。まだ7歳だったし……」
「そう、ですか……」
大きな手がかりになる予感がしていただけに、私は肩を落とす。
だがすぐに岳人が『あ!』と言って手を叩く。
「確か……そうだ、鈍い音だった。金属が何かに擦れるような……、そんな感じのやつ」
「鈍い……音。鈍くて、金属が擦れる……」
私は口元に手を置き考える。
(金属……これが殺害に使われた凶器?)
あるいはただ向日さんが聞き間違っただけなのかもしれない。
向日さんは『ごめん』と呟いた。
「オレ、たくさん迷惑かけてるよな、ホントに。突然こんな事を頼めるような義理じゃなけど、でも……他にはもう思いつかなかった」
「向日さん……」
「警察も捜査打ち切って、オレも全然心当たりが無い。親戚中を駆け回ったけど、それでも何1つ手がかりが見つからなかった。滝から……お前のこと聞いて、コレだって思った」
「…………」
「頼む!」
向日さんは勢い良く頭を下げた。
本当に何もかもやりつくしたのだろう。
ここまで探しても見つからない母。それを探し続ける子供。
この世に母はもういないことを知らずに……ただずっと、探し続ける。
もう、休ませてあげたい。
「わかりました……。私、そんなにすごいことはできませんけど、あなたの力になりたいです」
向日さんにようやく笑顔が戻った。嬉しそうに『ありがとな!』と言う向日さんに、私は初めて自分から霊との接触をしてみることにした。
嫌だった。
ずっと自分のこの能力が。苦しくて辛いだけの能力。
でも今は、勇気を出して、誰かのために使ってみよう。
私は明日、向日さんの家を訪ねることにした。
04← BACK →06