◆◇ 04 探し人


ぼんやりとした意識の中、私の身体はゆらゆらと船の上にいるような気がした。

(私……どうしちゃったの……?)

すごく気持ちが悪い。吐いてもまだ足りない。お腹の中心で何かが蠢いているような……。ふっと瞳を開けてみれば、誰かの背中。白い制服だった。

(誰……?)

もう1度私の意識は闇の中へと引きずり込まれた。
















私ははまどろみの中、なんとか目を開けることが出来た。白いシーツと白い枕に白いベッドが隣に並んでいる。カーテンが夕方の赤い光を遮って、風ではためいていた。
私はハッとなって一瞬身体を起こしかけたが、それからごろんとまた横になった。緊張感がようやく解けていく。自分は助かったんだと、そう感じた。
こういうことは何度もあった。小学生のときも、アレを視る度に気分が悪くなって、酷いときには意識さえも失ってしまう。周りからは病弱か何かだと思われていたかもしれない。だからここが保健室だと直ぐにわかった。部屋の雰囲気がそんな感じだし。
また倒れてしまったんだ。そう思うと、自分が情けない。転校してまだ2日目だっていうのに、どうしてこうなってしまうのだろう?
ふと、あの女の恨めしい顔が浮かんできた。ピアノの上に滴り落ちてきた真っ赤な血は、色や形だけでなく、その生臭さまで鮮明に伝わってきた。
不安な気持ちを揉み消すように仰向けに寝返りを打つと、自然と天井が視線の先に入ってくる。

(ちょっと汚れてるな……)

点々とこげ茶色の染みが見えた。あまりここは掃除されていないのだろうか。そこへ保健室の扉が開く音がした。複数の声が聞こえる。しかも全員男子のようだ。私の身体が固くなる。

「べヒシュタインの横に倒れているのを見つけて……」
「けど、いったい何でだ?」
「そこまではオレにも良くわからないんですけど……」
「ふーん」

反射的に 私は寝ている振りをした。カーテンの向こうにいる人間の声は明らかに知り合いではない。というか、転校してきて日が浅い今は知り合いと呼べる人間は少なかった。
人数は2人?と予測。
でも、次の人間の声を聞いて飛び起きることになる。





「それで、は大丈夫なの?」





私は驚いてカーテンをシャッと開けた。

「萩之介くん……っ?!」
「起きたね、

そこにいたのは、青い帽子を被った人と、長身でクロスを首に下げている背の高い人。
そして……私の従兄弟の萩之介くんだった。萩之介くんはベッドの横に立つと、ニコっと柔和に微笑んだ。

「久しぶり。元気にしていた?」

電話越しじゃない優しい声は本当に久しぶりで、涙が出そうだった。だが、人前だったのでぐっと我慢して、手を伸ばして萩之介くんのそれを握り締めた。

「もちろん元気だったよ。会いたかった、萩之介くん!」

気落ちしていたけれど、見知った相手、しかも萩之介くんに会えた事で元気が出てきた。背丈はあの頃と比べて随分伸びていたけれど、彼は私の知っている萩之介くんだった。

……」
「……?」

気のせいか、萩之介くんの表情が一瞬だけ曇った気がする。何だろう……?悲しそうな感じがする、そんな顔をしていた。
そこへ帽子の人が不思議そうに見つめてくる。

「なんだ、滝と知り合いなのかお前」

びくっと肩が震えた。別に恐怖というわけではないが、本当に人見知りだった私には当然の反応だった。
視線を低めに返事をする。

「はい……。その、萩之介くんとは、親戚関係で……」
はオレの従姉妹だよ宍戸。連絡は取り合っていたけれど、会うのは久しぶりなんだ。氷帝に転入したって聞いて、今日の放課後に会うつもりでいたけれど……、まさかこんな再会になるとはね。、具合はどう?大丈夫?」
「うん……。少し休めたから、もう平気だよ。心配してくれてありがとう」
「そう、良かった」

萩之介くんも私の手を握り返してくれた。いつも私が不安に思っていると、こうして手を握って安心させてくれていたっけ……。覚えていてくれたんだ。嬉しくて嬉しくて、また涙が込み上げてしまいそうになる。

「オレは宍戸亮。よろしく」

宍戸と名乗ったこの人は、屈託のない笑顔を見せてくれた。焼けた肌がすごく健康的で、今に私分けて欲しいくらいだ。
私もとりあえず何とか笑顔で返した。奥にいる背の高い人は丁寧に自己紹介をしてきた。差し出された彼の手には、私のメガネが乗っている。

「オレは2年の鳳長太郎です。後、このメガネはあなたのですよね?はい、どうぞ」
「ありがとう……。です」
「鳳が倒れていたを助けてくれたんだよ」
「そうだったんですか!ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしました……」

恥ずかしくなって私は俯いてしまった。てっきり同じ3年生か高等部の生徒だと思っていたから、まさか彼が後輩だとは思っていなかった。長太郎は『気にしないでください』と優しく微笑んだ。

「それにしてもなんでお前は倒れてたんだ?」

最も聞かれたくない言葉だった。あの恐ろしい女の姿がパッと浮かんでくる。
私は聞いても仕方ない事を口にした。

「鳳くんは……、あの部屋にいて何ともなかったですか?」
「え?何ともっていうのは……?」
「いえ、その、大丈夫です。私の勘違いだったみたいです。忘れてください」
「?」

やっぱり視えなかったんだ。あんなに私には血の色も臭いも全部鮮明に視えていたのに。
私にしか視えないなんて、私にしかわからないなんて……。
やっぱり自分が普通じゃないと言われているみたい思えて辛い。
何かに気がついた萩之介くんがが宍戸さんに代わりに説明してくれた。

「体調が悪かったんだよ、きっと。まだ転校してきて日も浅いからね」

萩之介くんの意図のある視線に、ハッとなって私はこくんと頷いた。

「そっか。あまり無理するなよ?」
「はい……気をつけます」

私は内心胸を撫で下ろしていた。誰かにこんな自分を知られてしまうのは嫌で仕方がない。
話題を反らした方が良さそう。『ところで』と話を切り出す。

「鳳くんはどうして私があそこにいたことがわかったんですか?」

音楽に力を入れている氷帝の防音設備は完璧だったはず。ちょっとした事じゃ気づけないと思う。
鳳くんは少し恥ずかしそうに言った。

「実はオレもべヒシュタインが弾きたかったんですよ。それでようやく個室が空いたのは良かったんですけど、部屋を間違えてしまって…」

私のいた個室には鍵をかけていなかった。そこへ間違って長太郎が入ってきたというわけだった。

(鳳くんはやっぱり何も感じていないんだね……)

それ以外は何も気にしていないような鳳くん。
萩之介くんはそんな私をちらりと見た。

、助けてくれた鳳に何かお礼をしなくちゃ」
「滝先輩?!そんなの全然いりませんよ!」

と、そこまで言って鳳くんはどこかにいきついてハッとする。萩之介くんの何か企みがある顔を見て頷いた。その様子に私はただ?を浮かべて見ていた。でも、お礼をしなくてはならないのは確かだ。

「萩之介くんの言うとおりだったね。私、鳳くんに何かお礼したいです」





彼は、命の恩人に等しい存在。





鳳くんは、宍戸さんと萩之介くんの顔を見てから私に向き直った。

「手伝って欲しい事があるんです」
「手伝う……?」





「ある人を探すために」





『それって誰を?』と私が問う前に廊下でバタバタと忙しく走る音がして、止まったと思ったら保健室のドアが思いっきり開けられた。

「いててて!先生、指切った!!」

驚いて見てみると、赤いオカッパ頭の男子が人差し指を押えて駆け込んできた。その押えている指の間から血が滲み出ている。

「?!」
「ん?何だ?お前が手当てしてくれんの?」

私は真っ青になって、ベッドから転げるように降りると、彼をイスに座らせて手際よく手当てをした。止血して消毒して、キッチリと包帯を巻き終えると、見ている周囲が私の予想外の行動に驚いている。

「めちゃくちゃ手際良くないか……?」
「ですよね……」
は血が苦手なんだよ」

萩之介くんは『相変わらずだなぁ』と私とおかっぱの彼を見た。

「おー、お前手当てするの上手だな。サンキュー」
「あ……大した事ないです」

怪我をしていたからといって、いきなり初対面の相手にこんなに近づくなんて……。自分で自分の行動にびっくりだ。私はサッと彼から離れて視線を泳がせた。血はさっき散々嫌というほど味わったっていうのに、この人の血とあの女の血はやっぱり全然違う。生きている人の血と亡くなった人の血だからなのかもしれない。

「岳人、何してんだよ」

宍戸さんが彼の名前を呼ぶ。この人はガクトって言うみたいだ。

「美術が今日あるからさ、ちょっと彫刻刀弄ってたらスパッと…」
「危ないですよ!」
「デカい声出すなよ鳳〜」

長太郎も私と同様で血を見るのは苦手らしい。というか、お医者さんじゃあるまいし、血が得意な人ってなかなかいないと思う。

「それより、もしかしてお前が ?」
「えっ?!何で私の事―――」
「手際が良いな〜、助かったぜ!!」
「それほどでも………」

さっきもお礼言って貰ったのに、恥ずかしい。私はふっとガクトさんから目を何気なく反らした。
どうして私の名前を知っているんだろう?誰から聞いたんだろう?そう思ったときだ。





何気なく視線を窓際に向けると、





その窓際に……。





萩之介くんがガクトさんの肩を軽く叩いた。

「ほら、忍足が心配してるでしょ。早く行ってあげなよ」
「はいよ。それじゃーな」
「おう」
「気を付けてくださいね。テニスをするための手なんですから」
「わかってるよー。もうこんなヘマしねぇし!」

ガクトさんは足早に去って行った。私はただ動かず、ガクトさんが去ったドアをじっと見つめていた。

「おい、……?」
先輩……?」

動かない私を心配そうに2人が声をかけた。私は従兄弟に視線を向けず、ただ口を開いた。

「萩之介くん」

萩之介くんはすでに私の言いたいことがわかっていた。





「あの人のお母さん……、どうしたの?」





萩之介くんは、ポンと私の頭に手を載せる。





にはもう、誰を探しているのか言わなくて大丈夫だね」





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