◆◇ 27 滝萩之介
滝家の人間の中には本当に稀にであったが、普通の人間が見えない存在、聞こえない音が聞こえる人間が生まれることがあった。そして、彼もそうだった。
「萩之介」
「はい」
「何をしていたんだ?」
父親に尋ねられて、幼い滝は答えた。
「去年亡くなった叔母さんとお話していました」
誰もいない庭先の方をときどき見て、ぶつぶつと独り言を呟いている滝に、両親は不信感を抱いていた。だが、自分の愛する息子にそのようなことを言うわけにもいかず、両親はただ黙って成長を見守った。他にできることが無かったからだと、そう言い換えてもかまわないだろう。
滝は自分に生まれたときからずっと傍にいる影の存在を、この頃ようやく認識し始めていた。
食事しているときも、遊んでいるときも、寝床に入るそのときも、いつも傍で黙っている影の男。
その男はいつも笑って自分を見ている。
自分が見えるのは滝だけだと、まるで知っているかのように。
「誰?あなたは誰なの?」
それを待っていたとばかりに影の男はゆっくりと滝に近づき、小さな白い右手に、黒い霧が触れた。電流が流れた、と。そう表現すれば良いのかわからないが、とにかくそんな衝撃を受けた。
この瞬間から、滝は人の心を知る能力に芽生えてしまう。知りたいと思っていなくても、まるで壊れたラジオのように、心の声が聞こえてしまうのだ。
街へ出かけるといろんな声が耳に入った。ただ黙って歩いている人々の心の声が、全身に響いてくる。
人々の想いはいろいろあった。
喜び、悲しみ、怒り、憂い、不満、快楽、焦燥、希望、絶望、欲望、悲哀、衝動、激情、殺意、恍惚、嫉妬、歓喜、悲漢、執心……。
あの野郎いつか絶対にぶっ殺してやる!
どうして裏切ったの!?
私のこと騙してたんだ!
絶対に許さない!!
アイツさえいなければ……!
復讐してやる!
嘘つき!!
特に大きく体に響いてきたのは、強い憎しみの念。滝は怖くなったのと同時に、人々の本性を知って呆れた。誰も真実を述べていない。他人を騙して、陥れる。自分さえ良ければ後は何も考えていない。いつも考えているのは、他人の不幸のことばかり。
頭がおかしくなりそうだった。
笑顔を見せていた少年は殆ど笑うことが無くなった。
死者と話すのは楽だった。自分に聞こえるのは生者の心だけだったから。
後は家族。両親。自分を包み込んでくれる、唯一安心できる存在。
だけど、違った。
「萩之介、夕飯の時間よ」
「はい、今行きます」
いつものように庭をただ眺めていると、滝の母親が呼びに来た。エプロン姿からは料理の良い香りが漂ってきた。
「また庭を見ていたの?」
「はい」
「直ぐにいらっしゃい」
気持ち悪い。
聞こえてきた声。
また誰もいないところを見ているわ。
それは耳を疑うような、知った声。
この子、本当に大丈夫なのかしら?
聞き間違えなどではない。
それは、母親の声だった。
はわけがわからなかった。全身に、嫌な汗がじっとりと肌を湿らせる感覚。目の前にいる彼は、自分とは裏腹に淡々と語るのみだった。
「親の本心を知ったんだ」
「そんな……!萩之介くんの事、そんな風に……」
「失望した。自分には、誰1人として信じられる人間が存在しないって知って、本当に、酷く、失望した」
くすっと微笑む滝の顔が、には知らない人のように思えた。
「だけどね、それって仕方ないことなんだよ。わかるだろう?人って汚いんだ。キミの父親は、キミに影を移したことで本性を見せた」
「影を……移した?私に?」
「そう、手渡したんだよ、キミに」
「?!」
「オレと別れの握手をしたときに、ね……」
、ありがとう。
「本当に嬉しかったよ。オレはこれで影から、心の声から開放されるんだから」
「どうして!?どうして……?!」
影が自分に移ったことで、つまりは人の死を予言する力を開花させた。
それが原因で、の家族は全員死んだ。
「憎んでいたんだ、キミを」
「私……の事、を……?」
滝は目を伏せる。
「キミは、オレと同じく死者の存在を見る事が出来た。けれど、キミの両親の心はいつも穏やかで、娘を見守ると……そう聞こえていたんだ」
滝の両親は自分を怖がる。
息子を、気持ち悪いと感じていた。
それなのに、この少女はどうだろう?
両親からその特異な能力を受け入れられ、愛されているではないか。
どうして自分ばかりが……。
どうして……?
どうして愛されない?
壊してやりたい。
を、壊してやりたい。
「だから、壊したんだよ。この手で、を。の幸せをね」
は声が出なかった。呆然自失で、目の前の幼馴染を見た。優しく微笑んでいるのはいつもと変らないのに、全然違うような気がしてならなかった。
滝は手を差し伸べた。闇の中に、その手は白く輝いている。
「ねぇ、こっちへおいでよ」
「え……?」
何を言われたのかわからなかった。差し出された、その手の意味も。
滝は穏やかな口調で尚も続ける。
「もう疲れただろう?辛かったよね?休んでも良いんだよ?」
瞳が細められ、をじっと見つめる。優しい顔立ちで優しい声でを呼んだ。
「この手を取れば、嫌なことなんかもう無くなる。キミの望んだように、独りになれるんだ。もう苦しい思いをしなくて済むよ。これまで沢山苦しんだじゃないか。楽になろうよ」
この手を取れば、誰も傷つかない。
この世から離れる事が出来て、裏切る人もいない。
「私……」
は目を閉じて、決意したように呟いた。
「私は―――」
撫子の話を聞き終った彼らは愕然とした。今も信じられないという顔で、痛々しい姿で眠り続けるを見つめる。
「ちゃんとあの子は、そういう能力を持って生まれてしまった。普通の人の何十倍も辛かったと思うわ」
「せやけど信じられへん。そんな力があったとしても、滝がちゃんにそないな事……」
「オレはそれより霊能力とか、そんなオカルト話信じられねぇよ」
跡部も宍戸も同じ意見らしく、難しい顔をしてしまう。
撫子は『そうでしょうね』と頷く。
の過去が暗く、ここまで悲惨なものだったとは誰も想像していなかった。
「だけど、何か身に覚えは無い?」
「身に覚えだと?」
「そう。ちゃんと一緒にいて、何か違和感を感じたことは本当に無いのかしら?」
岳人の母親。
跡部と眠ったままだったジロー。
宍戸が森で長太郎の偽者に追いかけられたこと。
忍足の祖母。
長太郎の宝クジ当選の予言。
「確かに……おかしい」
最初に声を上げたのは岳人だった。
思い出せば、岳人の母親を見つけたのもだった。ほとんど手がかりも無しに、彼女は庭に埋められていた岳人の母親を見つけた。
他全員ももはや頷くことしかできなかった。
「オレはよく覚えてないけどさ〜」
「ジロー先輩は寝ていましたし」
と、そのときだった。突然医療器械が警告音を発した。全員驚いてモニターを見てみれば、心音の波がどんどん弱まっていくではないか。の包帯を巻かれた顔も、青白く変色していく。慌てて宍戸は医者を呼んだ。
撫子はハッとなる。
「アイツだわ……」
「どういうことなん?」
「アイツ……が、アイツがちゃんを呼んでいるの」
撫子は険しい顔で医者たちが治療するのを見つめる。
「なぁ!アイツって誰だよ?!」
岳人が青い顔をした撫子に食いついた。
撫子には、眠るの周りに黒い霧がハッキリと見えていた。どんどんそれがを飲み込もうとしている。
は治療されていく中で、ぴくりとも動かなくなり、心音を示すモニターの線が地平線になった。
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