◆◇ 26 闇の中で


大雨の中を救急車のサイレンが鳴り響いていた。救急車は近くの病院に到着すると、直ぐに救急隊員が担架に乗せられている重傷患者を中へ運んだ。白くて長い廊下には担架の滑車の音と、到着を待っていた医者と看護師たちが忙しく走り回っていた。患者の折れそうに細い右腕は、点滴の針がテーピングで固定されている。血まみれで体温は全く感じられないほどに冷えきっている。左半身が特に負傷が激しい。引きずられたのか、皮膚はほとんど肩から腰にかけて残っていなかった。真っ赤な肉が覗いている。

「これは酷いな……。すぐに輸血の準備を!急ぎたまえ!!」
「はい!!」
「まず出血を止めるんだ!」

手術室に入った担架は、派手な音を立てて閉まった。手術中のランプが灯り、付き添いで来た長太郎は2度と扉が開かないような錯覚を感じた。
殆ど怪我をしていなかった長太郎だったが、自分の身体も運ばれたと同じ色に染まっている。呆然としていると、看護師に呼ばれて自分も処置室へ入った。
たった1つ、肘の傷の手当てだった。この程度で済んだ自分と、自分を助けてくれた人物の怪我の大きさ。長太郎はさっきの光景を思い出して吐き気を催し、洗面所で何度も吐いた。胸のつかえだけは、水と一緒には流れてくれなかった。
それから30分が経ったころ、連絡をしたテニス部のメンバーが走ってくる音が廊下に響いた。全員ラフな普段着で、本当に驚いてそのままやって来たという姿だった。傘は意味が無くなっている。跡部だけは全く濡れていないから、車を飛ばしてここまで来たようだ。

「おい!長太郎!これはいったいどういうことなんだっ?!」

宍戸が濡れたまま長椅子に座ってうな垂れている長太郎に掴みかかり、それを忍足が止めた。忍足も今日ばかりはメガネをかけていない。べったりと黒い髪が首筋や頬についている。制止された宍戸は、ハッとなって長太郎の姿をまじまじと見た。病院から至急された大きなタオルを被っているが、そのタオルの下の衣服は真っ赤になっている。すぐにそれがのものであるとは気がつけず、岳人が引きつった顔をした。顔は真っ青だった。

「鳳?!おまえ怪我してるのか?!」
「岳人、もしそうやったら鳳はもうこの世におらんで?」

ありえないほどの血が染み込んでいるその制服に、忍足が言い放つ。ビクっとこの言葉に長太郎が過剰に反応した。生気の無かった目に、さらに怯えの感情が渦巻く。まずいことを言った、と跡部はすぐにわかった。これは、おそらくの血なのだと。

「おい忍足」

それと同時に、長太郎がガタガタと震えだした。顔はさっきの岳人よりも真っ青である。180を越えるはずの大きな身体が今はずっと小さく見えた。

「―――た」
「長太郎……?」

涙を一生懸命に抑えようとして、声にならない声だった。でも、必死で長太郎は言葉を紡ぎ出す。

「オレ……知らなかった、です……」

部屋をめちゃくちゃに破壊し、洋服を引き裂いて陶器類を粉々に割って、独り暗い部屋で膝を抱えていたの姿。
滝を失ったの姿。

先輩が、どんな、気持ちだったか……ちっともわかっ…ていませんでした……うぅっ……!」

この言葉で、いったい何が長太郎とに起きたのかを全員が理解した。
跡部は少し黙って、それから長太郎のタオルを被った頭に、机を叩くように拳を振り下ろした。

「痛っ!?」

びっくりして両手で押さえる長太郎と、跡部の行動に目を丸くするメンバー。

「バーカ。いつが死んだっていうんだよおまえは」
「!そうだぜ鳳、はまだ死んでねぇし、これからも死なねぇよ!!」
「せや。縁起でも無いこと言うんやないで」

まだは手術室の中にいる。そして、今も死と戦っている。
そう、彼女はまだ生きている。
長太郎はすぐに涙を拭って、深く頷いた。そこには、不安もまだ残っていたが、もう諦めは存在しなかった。
跡部は廊下の奥で赤く光る手術中のランプを見つめた。ときどき古いのか、チカチカと瞬くのを見ては、全員の心がざわついた。
また仲間を失いたくない。同じ思いはしたくない。
誰もがそう思い、そして深く願った。

(お前は今どこにいるんだよ……。なぁ?……)















真っ暗。何も見えない。一筋の光りさえ、私には見えなかった。
気がつくと私は真っ暗な闇の中にいた。本当に何も見えない。この墨を落としたような闇しか、見えない。私が立っているのが地面かどうかも危うい、そんな不思議な空間だった。だけど、なぜだか真っ暗なのは不思議と嫌な気持ちはしなかった。
今思えば、私は昔から黒という色が嫌いだった。
絵の具で黒に色を足しても黒にしかならないところとか。
でも、別に最初から嫌いだったわけじゃない。
切っ掛けはあった。





私は、私の影が嫌いだったんだ。





背後に突然気配を感じて私は急いで振り返った。闇の中だというのに、その人の姿ははっきりと見える。
女の子みたいに優しい顔立ち、色素の薄いサラサラした髪、綺麗な手。

「ここはどこなの……?」

私の身体は硬直した。





「ここはオレの中だよ、





滝萩之介。
それは、死んだはずの優しい男の姿だった。

「どうしてここに……」

唇が震える。言葉がハッキリと出てこない。それに対して、目の前の彼はしっかりとした声色で再び口を開いた。





「今から話すことは、全て真実だよ」















が手術室から出てきたときには、既に夜中近くになっていた。
手術は成功とまではいかなかった。出来るだけの処置は施された。後は、の体力が持つかどうかに全てがかかっていた。左半身を中心に巻かれた包帯は、血の染みが幾つもついている。頭部にも左目にかけて包帯で覆われていた。点滴が2本も指され、医療器械に繋がれ、モニターには心電図のような心臓の動きが映し出されている。見ている側はショックだったが、それでもここを離れようとするものは誰もいなかった。

「それにしても、良く親族以外が入れたなぁ〜?」

ジローは疑問の声を漏らす。実はここにいるはの親族は誰も来ていないのだ。は寮で生活していたから、親と離れなくてはならない事情があると想像がつく。以外にもその理由を知っていたのは跡部だった。

「アイツ、家族がいねぇんだよ」
「本当か?けど……、どうしてそれを跡部が知ってるんだ?」
「それはニュースで言っていた事件をネットで―――」

言いかけたとき、ヒールがこちらへ向かって走ってくる音が聞こえてきた。それはの眠っているこの部屋で止まり、ドアが開かれた。そこにいたのは、滝と同じ色の目をした20歳前後と思われる美しい女性だった。長太郎は思わず立ち上がった。

「あなたは、撫子さん……?!」

彼女は滝家の三女の撫子だった。この前会ったときにはまとめられていた髪が下ろされており、少し雰囲気が違っているが、それは間違いなく撫子だった。
撫子は真っ直ぐにを見つめ、そして悲しみの表情を浮かべた。まるで全部こうなるとわかっていたような、そんな雰囲気だった。
跡部とジローは前から面識があるのか、立ち上がってお辞儀をする。撫子もそれに答えて丁寧にお辞儀をした。額には薄く汗が滲んでいる。

「さっき担当医から事情は聞いたわ。長太郎くん、大変だったわね」
「いえ……。オレなんかよりもずっと……」

長太郎の視線は、ほぼ全身が真っ白になってしまっているに向けられた。
忍足が撫子に自分の座っていた椅子を勧めたが、撫子は首を横に振って遠慮した。
怒ったように岳人がむくれる。

「なあ!どうして他の親戚の連中は来ないんだよ?がこんなに重傷だっていうのに……!」
「……それはきっと、出来ないと思うよ」
「ジロー……?」
ちゃんは滝を殺したわけじゃないけど……。でも……、ちゃんは、滝が死ぬ切っ掛けを作っちゃったから」

滝は線路の中へ落ちそうになったところを庇って、電車に轢かれて死んだ。どんな理由があったとしても、滝の家族はそれを良い方向には絶対に見て取れるはずが無かった。だが、の事は1度も責めていないという。滝が身をもって護ったというのも、まだ事実だからだ。複雑な気持ちで見舞いになど来れるわけが無い。岳人もそれに気がついて俯いた。
しかし、撫子は違った。

「そんな風に萩之介を庇ってあげる必要なんて、本当は無いのよ」
「それはいったい……どういう……?」
「長太郎くん、あなたは勘違いしているわ。あのとき、ちゃんを萩之介が身を挺して守るのは当然の義務だったのよ……。当然の、ね……」

全員が撫子の言っていることがわからなくなった。
を滝が守るのは当然の義務だったとは、いったいどういう意味になるのか?理解出来ない。
撫子は何か決心をしたのか、1度呼吸を置くとこう言った。





「全部、あの子が……。そう、ちゃんの全てを変えてしまったのは―――」















は震え上がった。何を言われたのかがすぐには理解出来ず、頭がついていかない。信じたく無い。その一心で理解を拒んだ。
だが、残酷にまたさっきと同じ言葉が繰り返された。





「覚えているよね?キミの家族が、キミの目の前でいなくなってしまったあの事件のことを」





全部オレがやったんだ。





オレがキミの全てを奪ったんだよ、




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