◆◇ 25 笑顔の理由


長太郎は憂鬱だった。
授業が終わっても、教室の机に頬を押し付けて窓側を見つめる。人が殆どいなくなったこの夕方。バケツをひっくり返したような雨が、地面に音を立てて降り注いでいる。廊下では傘が無いと騒ぐ生徒の声がする。
しかし、長太郎が憂鬱なのは雨のせいだけではない。というか、今の彼にとって雨程度は全く問題無かった。
今日で滝の葬儀から丁度1ヶ月になる。今もは学校に顔を出していない。何人もの教師がを外へ連れ出そうと手を打った。けれどもは結局外の世界を拒んだままだ。
宍戸にそれを相談してみると、『自分の足で外に出てこなくちゃ意味がねぇだろ』と言われた。
確かに最もな答えだったが、長太郎は気になって仕方なかった。
あんなに激しく感情を露わにしたを初めて見たとき、自分にはどうにも出来ないのだと悟った。

「ん……?」

門から誰かが入ってきたのが見えて顔を上げる。帰り道を急ぐ生徒たちとは反対に校舎に近づいてくる人影。傘で顔が良く見えない。長太郎は立ち上がって窓に手を添えてその人物を見た。紺色のスーツに身を包んでいる。その丸みのある身体つきから、女性だということがわかった。

(こんな雨の中に誰なんだろう?)

女性は紺色の傘を傾けて、校舎3階から見下ろしている長太郎に視線を移した。ずっと長太郎が自分を見ていたのを知っていたように。驚いて目を反らしたが、彼女の顔を見てハッとなった。その顔は滝の葬儀のときに出席していた中の1人。滝の姉だったはず。長太郎は教室を飛び出して、それから真っ直ぐに彼女の元へと走った。
姉は昇降口に来ていた。綺麗に傘を畳んで、滝と同じ色の目を長太郎に向けて立っている。シンプルなバレッタでまとめられた髪の先から、雨の雫が点々と地に染みを作っている。息をきらした長太郎に深くお辞儀を静かにした。

「あの……っ滝先輩の……お姉さん、ですよね?」
「ええ」

撫子と名乗った滝の姉は短く返事をすると、スーツのポケットから1枚の折り畳まれた紙を長太郎に差し出した。外が大雨だったせいもあり、少し濡れてしまっているそれを長太郎は受け取ってから質問した。

「これは?」
ちゃんに渡して欲しいの。お願いできないかしら?」
「オレは……」

躊躇った。今、と面会できるような状態では無い。第一、親族である彼女がわざわざ頼んで来るということは、つまり彼女でさえ会えないのだろう。
しかし、撫子は長太郎の背中を押すように言った。

「これは、萩がちゃんへ渡すはずだった誕生日プレゼントなの」
「滝先輩が、先輩に?」
「萩の家族である私たちでは、きっとちゃんは会ってくれないと思うから。あなたなら、きっと……」
「……わかりました。お預かりします」
「ありがとう。ごめんなさい、突然頼んでしまって……」
「いいえ」

長太郎は受け取った紙をポケットにしまう。

「オレも、言いたいことがありますから」




















は部屋の中で膝を抱え、ベッドの上で横になっていた。部屋の中はが暴れたせいでめちゃくちゃに破壊されたまま。皿の破片や割れたガラスが落ちているせいで、床は素足では歩けそうに無い。もし歩いたとしたら、赤い靴のようになってしまうということは簡単に予想出来る。
今着ている服は唯一引き裂かれなかった体操服で、11月末だというのに半袖にハーフパンツという見ているだけで寒くなりそうな姿だ。しかし、本人は鳥肌など立っていない。
殆ど食事を取っていないせいで、腕も足もガリガリに痩せてしまっていた。
雨の音だけが支配する空間。





どうして私は生きているんだろう?





丁度そう思ったときだった。廃墟のようになってしまった自分の部屋に、訪問者を知らせるチャイムが鳴った。は目を動かしただけで起き上がろうとしなかった。
ドアの前にいる相手は、の無反応な様子に今度は控えめのノックをしたの瞳は漆黒のままだった。

「先輩、いるんですよね?」

耳に入ってきたドア越しの声は後輩の長太郎だった。懐かしい。もう何年も聞いていないような、そんな気分だった。ぼさぼさになった髪が寝返りと同時に頬にかかった。
長太郎に会うつもりは無い。返事をするつもりも。それを悟ったのか、長太郎は言葉を続けた。

「会わなくても……、聞いてくれるだけで良いです。少しだけなんで、そのまま聞いていてください」

長太郎は濡れた身体もそのままに言った。

「オレに、オレたちに言いましたよね。自分の何を知っているのかって」

があの日に大声で泣き叫んだ言葉。





私の何を知っているって?!





「それからオレ考えたんです。オレは……、何も先輩の事知らなかったんだって。実際にあんな風に叫んだ先輩のことは本当に驚きましたし……」

血走って涙を流したの姿は、まさに本能の塊のような、獣に近い姿だった。傷だらけの腕や足を見て、長太郎は少なからず恐怖を覚えた。

「深く、深く、考えました」

ドアにまだ幼さを残した額を押し付けて、精一杯の言葉を搾り出す。





「好きです、先輩」





先輩がオレたちに今まで見せた姿は、先輩の全てじゃないけれど」





「それでも……それが全てじゃないように」





「今までの先輩が全て偽物だとは思いません」





「思えないから」





ふっと額をドアから離すと、長太郎はポケットから撫子から預かった紙を小さな郵便受けに入れた。

「滝先輩のお姉さんから預かったものです。滝先輩からの誕生日プレゼントだそうです」
「!?」
「どうか、受け取ってください。お願いします」

長太郎が立ち去る足音が聞こえて、はゆっくりと身を起こした。ふらふらしながら、郵便受けの紙を見た。小さく折りたたまれたそれは、開くと滝の綺麗な字でこう綴られていた。





【11月29日 文化放送 5時55分】





はバッと振り返って時計を見た。時間は5時55分だった。すぐさまラジオをつけると文化放送に合わせる。長太郎に言われるまで、今日が自分の誕生日である事を忘れていた。の誕生日は滝と1ヶ月違い。今日は滝の葬儀から1ヶ月後。
ノイズ雑じりの壊れかかったラジオのスピーカーから流れる。男のパーソナリティがバースデーメッセージのコーナーを読んでいる最中だった。だった5分の小さなコーナーだった。

「今日お誕生日のみんなおめでとう!ここで1通のバースデーメッセージを紹介します。ラジオネーム萩之介くんから、小さな幼馴染さんへ」

DJの声と、滝の声が重なった。





誕生日おめでとう。今日で15歳だね。





小さいときに、キミと一緒にケーキを食べたりしたよね。覚えてるかな?





人見知りになってしまったけれど、オレは知っているよ。





本当はキミがすっごく素敵な笑顔を持っていることを。





もう1度見たいんだ。キミの笑顔。





どんなことがあっても、オレはキミを護る。





だから、そのときは笑顔でいてほしい。





本当の笑顔で。





は気がつくと部屋を飛び出して走り出していた。
寝癖のついた髪が雨でびっしょり肩や頬に張り付くこともかまわず、裸足で小石に傷ついても気にせず走った。





私はずっと、あの日から自分を隠し続けていた。





死者を感じ取る能力を持った私。





それが私という存在。





死を予言できる本当の私は隠さなければならない。





独りでいなくちゃいけないんだって思ってた。





怖かった。また、誰かを失ってしまうことが。





だけど、もっと怖いことがあるって、わかったの。





長太郎は真っ直ぐに横断歩道を渡っていた。雨はますます激しくなって、傘を差していても肩がブレザーごと濡れていく。水分の多い空気はいろんな匂いを含んでいて、それが苦手だった。湿気を帯びた片方の手で鼻を擦った。
とても大きなタイヤが擦れる音がした。ハッとなって顔を上げると、雨でスリップした1台のダンプカーが突っ込んでくる。スリップした瞬間、外れたワイヤーと共に積荷の木材が崩れ落ちる瞬間を見た。
足が動かない。部活で鍛えた反射神経はいったいどこにいったのだろうか。こんなときにばっかり身体はいうことをきかない。
そのまま突っ込んでくるダンプカーの地響きが伝わる中、背中に暖かい衝撃を感じた。両手で背中を押されたという、そんな感触だった。
気がつくと、長太郎は交差点の中で倒れていた。少し肘を打った程度で、後はなんとも無い。びっしょりと水溜りの中に落ちてしまったため、全身ずぶ濡れの泥だらけではあったが。
道行く人々が足を止めて叫んでいる。顔はみんな真っ青だ。振り返ると、落ちた木材と同じようにダンプカーは横倒しになっており、地面には赤い液体が流れている。血だ。それを辿って順に見て行くと、何本か重なった木材の近くできた赤い水溜りの中に見慣れた少女が仰向けに倒れている。

「そんな……、先輩…っ!?!」

少女は先ほどまで部屋にいただった。そして、長太郎の背中を押したのも。
彼女の素足の裏には、ここまで走ってきた際にできたと思われる細かい傷ができていた。半袖の体操服もハーフパンツも真っ赤だった。左半身がぐちゃぐちゃという表現がぴったりな状態。特に肩から腰にかけてが酷い。
駆け寄って抱き起こした両腕が同じ色に染まる。額からも血が流れでている。長太郎には、今起きていることがなんなのかわからず、ただの名前を呼び続けた。出したくも無いのに、涙が邪魔なほど両目から零れ落ちる。触れた冷たい身体からは全く熱を感じない。

「先輩!!先輩!!目を開けて……くださ……っ先輩!!」

同じように泥にまみれた傷だらけの頬に触れる。すると、真っ黒な目がほんの少しだけ開いた。口が小さく動く。やっと一言呟く。

「怪我……して、ない……?」

ぶわっとさらに涙が零れ落ちて、の頬に雨と同じく落ちた。長太郎は大きく頷いた。そして、眉を寄せて言葉を絞り出す。

「どうしてこんな……!どうして、笑っていられるんですか……っ?!」

は目を大きく見開いた。
言われて初めて気がつく。
は知らない間に微笑んでいたのだ。
全身に電撃が走ったような感覚。
思い出される情景。
2人の顔。





嗚呼、そうか。





だから、兄さんも萩之介くんも……





笑っていたんだ。





はかろうじて動く右手を伸ばす。長太郎の涙が伝う頬に触れて、優しく言った。





「生きてね」





するりと冷たい小さな手は長太郎から離れていった。
雨は、まだ止まない。






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