◆◇ 22 その身に裁きを受けよ
滝とが初めて出合ったのは、今から6年前の初夏だった。
東京に引っ越してきたは、母親に手を引かれて滝の家へ挨拶に来た。は、滝家の大きさに臆することなく邸宅の中へ入って行った。純和風の庭。その庭にある、池の前に少女が立っていた。少女はと同じ年頃に見え、その少女にが思い切って声をかけた。
「こんにちは!わたし、っていうの」
は紅葉のような小さい手を差し出す。少女は一瞬ためらって、それからその手を取った。ひんやりとしていて、夏だというのに少女は汗すらかいていなかった。
少女は俯き加減に言った。
「初めまして。滝萩之介です」
大きな目をさらに大きく丸くして、は驚きを隠せない。
「はぎの……すけ、くん?ええー?!女の子じゃないの?!こんなに可愛いのにっ?!」
『うーん』と考え込んでしまうに、滝は同じく目を丸くしたが、ふっと目を細めて笑った。
「よく間違えられるんだ」
「そっか!でも、わたし、もう間違えないからねっ!」
にっこりと微笑んだの笑顔は、空の太陽のように輝いていて、滝を明るく照らしていた。月のように白かった滝は、から輝きを貰った。
くるくると器用にパスタをフォークに巻くと、滝は上品にそれを口に運んだ。そして恥ずかしそうにしているに笑いかける。
「オレの事、最初は『カワイイ女の子』だと思ってたよね」
「それは……小さい頃のことだもの、仕方ないよ。それに、萩之介くん……可愛いって思っちゃったんだもん」
「オレは誰より母さん似だから」
滝には3人の歳の離れた姉がいる。だが、1番母親に似ているとされているのは弟だ。姉たちは歳の離れたこの弟をとても可愛がっている。何せ3人とも女ばかりで男兄弟は珍しい。
は滝の姉たちと面識がある。1番上の姉は12歳も年上なので、【お姉さん】というよりは【お母さん】に近い。というか今は本当のお母さんになる予定でいる。2番目の姉は10歳年上で、滝家流派の華道の師範代だ。和服が1番似合うのも彼女だ。そして3番目の姉は7歳年上で、滝によれば現在実家にいるのは彼女だけだとか。現在は都内の大学に通っている。
「それにしても……」
滝はフォークを持つ手を止める。
「本当に奢ってもらうなんて、悪いよ」
「いいの、気にしないで。滝くんの誕生日……とは言ってもまだだけど。でも、誕生日のお祝いなんだから」
「そう?」
「うん!」
本当は誕生日当日にしようと考えていたのだが、このレストランの予約が今日しか取れなかったのである。残念だったが、滝に何もできないよりずっとマシだと考えたのだ。それにこの店があるビルの35階は、夜になると街の照明が美しいのだ。窓際の席を指定して、本当に良かったと思う。
まだ滝は気にしているのか、困った顔をしている。
は珍しく強気に出た。
「萩之介くん!私がそうしたいと思ったんだから、遠慮なんてしないで。私……そうしたら、萩之介くんにいつまで経ってもお礼ができないよ」
『お礼』という言葉に滝がの目をとらえた。一瞬、彼の目が強張って見えたのは気のせいだろうか。
は睫毛を伏せた。
「滝くんに小さいときからずっとお世話になってばかりじゃ、嫌だもの」
の脳裏に浮かんだ、あの事件。
優しく声をかけてくれる人を失った。
「あなたは……、私を見捨てないでくれた。こんな私を、助けてくれた。すごく感謝してるんだよ」
「どうして……」
「え?」
滝がほんの少し震えているのが見えた。
残念そうな顔。
「どうしてキミは……いつも…………」
「萩之介くん?」
「ごめん、なんでも無い。……さて、噂のデザートをいただくとしようか」
「……うん!」
顔を綻ばせるの姿を、滝は目に焼き付ける。
(久しぶりだね。そんな風に積極的なキミは。あのときからずっと、もう見られないと思っていたよ。キミの、その笑顔は。そして……それが、オレに向けられるなんて)
まるで夢のようだった。
2人が店を出たのは夜の7時丁度だった。は寮長に閉門時間を特別に延ばしてもらった。初めてが閉門時間の延長を頼んだとき、寮長は『珍しいこともあるのね』と一言呟いた。
駅のホームはサラリーマンやら帰宅途中のOLなどで混雑していた。滝は電車通いだからこのくらいが普通だったが、は寮に住んでいるため慣れない人の多さに少し戸惑う。なんとか列の1番前に2人で並ぶ事が出来た。
は癖のある髪に触れながら言った。
「私……笑うようになったかな?」
核心を突くような、そんな問いだった。滝は内心焦ったが、なるべくそう見えないように落ち着きを払った声で答える。
「そうだね……。オレと出合ったときに比べると、まだまだって感じだけど」
「そっか」
人見知りなど、彼女は元々しなかった。
いつも笑顔で、人に愛して欲しいと願う、普通の子供だった。
ときおりホームの照明に黒ぶちのメガネが反射する。
「跡部さん、宍戸さん、鳳くん、向日さん、芥川さん、忍足さん、それに萩之介くん。皆に出会えたおかげだよ」
滝は話題を変えたかった。胸が軋む。
「鳳のことはどうするつもり?」
「え。ええっ?!萩之介くん、もしかして聞いてた……?!」
「うん」
「うう〜〜」
恥ずかしそうに頭を押さえる。
突然の告白。滝はタロットを2人が始めたときからすでに練習室前に来ていた。そして、聞いてしまったのである。
は顔を上げた。すでにそこには恥ずかしさや照れくささは消えており、笑顔どころか、悲しみが浮かんでいた。
「どうしてだろうね。私は、誰にも愛されないように、関わらないようにしてたのに……」
「……」
一層悲しみが大きくなる。
「もう誰も、傷つけたくなかったから」
違う!
と、滝が口にしようとしてただならぬ視線を感じた。
「?!」
反対側のホーム。人々が家路を急ぐ中、1人だけ不自然に立ち止まっている人影。いや、それは本当に影だった。全身が腕を振ったら消えてしまいそうな霧の影。人の形をしていること以外は何もわからない。黒い影を誰も見えていないらしく、誰も影に気に留めていない。
ニヤリ、と影が笑った瞬間、滝は隣に立つにバッと向き直った。
「萩之介くん、特急列車が通過するって」
暗闇の向こうで電車のライトが眩しく、夜空の星のように輝いているのが見える。
嫌な汗がだらり、と垂れた。早鐘が全身に鳴り響いた。
彼女の名前を呼ぼうと口を開いたのと同時に、
の身体は、音も無く前に突き出されていた。
全身ががくんと震え、目を見開いたは何が起きたかわからない。そんまま細く小さな身体は線路側へ前のめりに落ちていく。周りにいる人々は、目の前で起きた光景に息が詰まった。
彼を除いて。
「ーーーー!!!!」
血を吐くような、魂からの叫びがホーム中に轟いた。普段の彼からは想像もつかないような血相で腕をめいいっぱい伸ばし、のワンピースの袖ごとボレロを自分の方へ引っ張る。
遠心力により滝はと入れ替わってホームから線路へ落ちた。
人々が叫ぶ声が聞こえるが、2人にはもはや何も聞こえてはいなかった。
ホームで声も出さず、ぽかんと座ったままの。その瞳は滝に全て注がれていた。
はどうすることもなく、じっとただ見つめていた。
いつものあどけない、
どこか危なっかしい、
そして愛しい表情で。
(は、生きている)
その言葉を、口にすることなく噛み締める。
滝は自然と笑顔になった。
(いつか……、こんな日が来ると思っていた)
(オレがを、心から憎んだあの日から)
(ずっとずっと、ずっと)
滝は光と1つになる前に、ずっと言いたかったことを伝えた。
「ごめんね」
(キミを護れて、本当に良かった)
轟音が風と共にホームを駆け抜けていった。
人々の悲鳴が大きく聞こえて、は咽かえる血の臭いを吸う。
何回かやっているうちに、の占いは今のところ100%の的中率で、1週間以内の出来事がわかるらしいという結果に至った。
は、ようやく滝の占いが何度やっても失敗した意味がわかった。
あれは失敗ではない。
滝には、この先の未来が残されていなかったのだ。
特急が通過した後、あの黒い影は跡形も無くホームから消えていた。
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