◆◇ 20 重なった手


ピアノの練習に付き合ってもらってから、1ヶ月以上が過ぎた。私も少しはマシになってきた!……はず。まだまだ鳳くんには追いつけないでいる。
ピアノを静かに閉じた。氷帝は本当に良いピアノばかり使っていると、使うたびに毎回思う。この学園を選んで良かった。
多人数用の部屋を借りているから、この防音室は広い。2人でしか使っていないのがもったいないくらい。でも、榊先生が練習をしたいと言ったら直ぐにこの部屋に案内してくれた。怖い先生かと思ってたけど、音楽に関してはとても融通をきかせてくれる。
鳳くんは置かれている白いテーブルの上にカバンを置いた。

「ごめんね、本当に。いつも付き合わせちゃって……」
「いえ、そんなことありませんよ。オレも楽しいです」
「そう言ってもらえると嬉しいけど……」

鳳くんは誰にでも優しい。だからときどき思う。彼はどういうとき、自分のために動くんだろうって。私にばかり付き合ってたら、テニスの練習だって遅れてしまうはずなのに。
重いカーテンをさっとその筋肉のついた腕ではらうと、鳳くんは窓を開けた。ここは4階だから空ばかりが視界を埋める。もう外は日が沈み始めたところだった。風が吹いて、私たちのいるこの部屋を駆け抜けていった。

「ずっと閉めてばかりだともったいないですよね」
「え?」
「この景色です」
「そうだね」

今日は風がやや強いのか、木の葉がガサガサ揺れている音が聞こえてくる。

「あっ!」

ふわっと吹いた風にすくわれ、ピアノの上の楽譜が宙を舞う。紙吹雪だ。カサカサと鳴りながら目的も無くあちこちへと飛んでしまった。

「すみません!オレが開けたせいで……!」
「私こそごめんね!文鎮乗せておくの忘れちゃったの。とにかく急いで集めなくちゃ!」

部屋に散らばった楽譜は全部で30枚。私はするっとすり抜けてしまう紙をなんとか捕まえていく。彼も急いで拾い始める。ふわふわと窓から開いている風で、紙に逃げられてしまう。窓を閉めるのを彼は忘れていた。こういうところは後輩のような気がして、少し先輩として安心するところではあるけど、今はそれでは困る。

(でも……普段はそんな不注意、鳳くんはしないのに。どうしたんだろう?)

私は顔を上げて彼を見た。そして口を開きかけたとき、ハッとなる。かがんで集める彼の後ろに、開いた窓から楽譜が1枚、今にも外へ出て行こうとしていた。この限られた空間から離れたいと思っているみたいに。
上靴で床を蹴る。ザッと鳳くんの横を通り、腕を楽譜めがけて伸ばす。

(もう少し)

指先が触れた。楽譜はバランスを崩して私の手に納まった。

「……!先輩っ?!」
「!」

バランスを崩したのは私だけじゃなかった。腕と一緒に動いてしまった足。楽譜を掴んだまま前のめりになってしまった。片手は集めた楽譜が納まっていて、一瞬の中でとまどっていまう。
そのまま私の身体は先ほどの楽譜のように外へ腰から投げ出されていく。

「きゃっ?!」
「……っ!」

しかし、そうはならなかった。大きな腕が、私の腰に、肩に、巻きついてこの限られた空間に引き止める。床に両足が降りるのを感じた。安心したように声が背後のすぐ傍で聞こえてくる。

「はあ……、先輩、大丈夫ですか?」
「え、あ、はっはい、大丈夫……、です」
「良かった……。先輩まで外に行かなくても良いんですよ?」

心臓がバクバクしている。私は別に高所恐怖症ではない。でも、4階。ここから落ちていたらと思うと、サーっと青くなる。が、その後、自分が今どういう状況にいるのかを知って赤くなった。

「あ……あぁっ、あの!」
「え?なんですか?」
「そろそろ、大丈夫だから……放してくれないかな……?」

『?』と頭にクエスチョンマークを浮かべた鳳くんは瞬時に真っ赤になって(多分私よりも赤いと思う)、直ぐさま私の腰と肩にある腕をどけてくれた。

「すみませんっ!」
「いいの、気にしないで。鳳くんは私を助けてくれたんだもん。ね?」
「はい……」

それでも彼は照れているらしく、真っ赤になったまま俯いてしまった。私もそういう表情をされると気まずい。また恥ずかしくなって、髪になんとなく触れた。楽譜を片付けながらどうしようかと考えていたら、私の脳裏にタロットカードが浮かんだ。私はカバンの奥にしまっておいたタロットカードを取り出す。そして、照れたままの鳳くんにぎこちなく笑いかけた。

「鳳くん、今日も……タロットしない?」

そう、今日も。私たちはあの宝クジの一件からタロットをするようになった。私の占いがどれくらいの的中率で、どのくらい先の事がわかるのかを知るために。それで何回かやっているうちに、私の占いは今のところ100%の的中率で、1週間後くらいの出来事からがわかるらしい、という結果になった。
鳳くんは頷いて、私とテーブルを挟んで向き合った。私はケースを外して並べる。もう本をあまり使わなくてもわかるようになってきた。ざっとカードを切る。私はいつものように占いを始めた。

「どう、ですか?」

この並び、あまり良くないことを示している。

「ちょっと言いにくいんだけど……」
「別にかまいませんよ」
「じゃぁ……。鳳くんは多分、失恋すると思うの」
「えっ?!」

やっぱりショックみたいで、鳳くんは目を見開いた。この様子だときっと彼には好きな女の子がいるみたい。私は焦った。

「ご、ごめんね!でも……そういうふうに出てるってだけで、当たるとは……」
「先輩の占いは今まで全部的中しています……。これもきっとそうなんだと、オレはそう思います。思いたく無いですけど……」
「そんな―――」
「でも、そういうことじゃなくて、オレは……」

悲しそうな瞳。
それっきり黙ってしまった。私は、こういうときどうしたら良いかちっとも頭が回らない。この場をどうやって凌げば良いんだろう?全然思いつかない。どうやったら、この人は笑顔になってくれるんだろう?

「!」

チラっと様子を見たつもりだったのに、バチっと視線がぶつかった。





鳳くんはゆっくりと俯いて、





「オレは」





膝に置いていた両手を差出し、





「あなたにだけは」




テーブルに乗った私の手に、




「言われたくなかった」





重ねた。





「あなたが好きです。先輩」





鳳んは真っ直ぐ私を見ているだろう。私は言われてから数秒して、ようやく重なった手ではなく、彼を見た。そしてようやく相手の目を見てから、その言葉の意味を理解した。

「わ……わわ、私……私はっ」

頭が混乱して、何をどうすれば良いかわからない。
ぎゅっと重なった大きな手が強くなるのを感じた。
そのときだ。ガチャッと音がして、扉が開く。入ってきたのは私が良く知る人。


「萩之介くん?!」

助かったとばかりに私はバッと長太郎くんの手から離れて、音を立てて椅子から立ち上がった。一瞬椅子が倒れるかと思ったけれど、椅子はなんとかその反動に持ちこたえてくれた。萩之介くんは今から帰宅するところだったらしく、スポーツバッグとカバンを持っていた。その額にはうっすらとした汗。テニスのコートに今までいたようだ。

「どうしたの?私ここにいるって言ってないよね?」
「榊監督が教えてくれたんだ。いいかな?」

そう言って萩之介くんは微笑むと、鳳くんを見た。鳳くんは怒っているのか困っているのか、表情が読み取れない表情で1つ頷いて返事をした。私はそれにホッとしてしまう。鳳くんはカバンを手に持つと、私たちの横を通ってドアに手をかけた。そして一呼吸置いて、私を見る。優しく。





「じゃあ先輩、また今度」





彼はこの空間から出て行った。
『また今度』。その言葉には、次に返事を待つという意味が込められていた。




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