◆◇ 13 謎の男


テニス部レギュラー合宿。私は跡部さんに呼び止められ、この合宿に参加する事になってしまった。最初は部外者だし邪魔になるだけだから断ろうと思った。しかし、萩之介くんが『息抜きになるよ』と言ってくれたので、ついて行く事にした。もちろん練習の手伝いをするつもりだ。
それにしても、なぜ跡部さんが私を誘ったのかは良くわからない。
宍戸さんはとんでもなく大きな屋敷を見つめ、溜め息を漏らす。宍戸さんは持っていたスポーツバッグを屋敷の玄関ホールに置いた。すると直ぐにメイドさんたちが現れて自分の荷物を丁寧に運んで行く。メイドさんがいると聞いてはいたが……。本物のメイドさんに圧倒されてしまう。

「あ、ありがとうございます」
「いいえ。これが私たちの役割りですから」

完璧な笑顔を見せてくれた。

「全く、いったいどんな悪さをしたらこんだけ稼げるんだよ……」
「だよなぁ」

向日さんも右に同じ意見らしく、あたりをうろうろと散策し始めた。かなり失礼な言葉だったけれど、跡部さんは気にしていない様子だったのでホッとした。
天井には輝くシャンデリアが垂れ下がり、赤い絨毯が高級ホテルのように敷かれている。そして壁には名画の数々。もちろん偽物なんて1つも無いのだろう。
後から跡部さん、榊先生、忍足さん、鳳くん、樺地くん、日吉くん、萩之介くん、そして最後に私が黄色のトートを肩に提げて入った。
萩之介くんの家も華道と茶道の家元であるだけあって、その屋敷は美しく豪華だ。でも、跡部さんの別荘の方が大きい。

「ジローも来れれば良かったのにな」

向日さんは『絶対にアイツつ騒いで物を壊すぜ』と笑った。
芥川さんはこの場にいない。今は都内の病院でリハビリをかねて入院をしている最中だ。2年もの間足を使っていなかったため、うまく歩行出来ないらしい。
病院で目覚めた芥川さんは、まるでいつものように昼寝から目覚めたような様子だったという。そして、本人もそのつもりだったというから驚きだ。寝て起きたら2年後の世界に来てしまった事を、まだ理解しきれていないとか。
芥川さんは私の事を聞かれても、誰だかわからなかったみたい。彼が眠っているときに跡部さんが聞いたという名前は、確かに私の名前だったはず。そして私があの花園で会った芥川さんも、確かに芥川さん本人だったというのに。彼は何も覚えていないと証言した。自分の能力を隠したい私にとっては好都合だ。彼が目を覚まし、跡部さんが安心できたならそれで良い。
跡部さんは芥川さんが眠ってしまってからほとんど笑わなくなったと、萩之介くんは言っていた。宍戸さんを含め、3人で一緒に成長していった分、その関係は同じ身体を共有しているに近かった。だから芥川さんが欠けたときは、手足をもぎ取られたも同然。宍戸さん以上に跡部さんはそれが酷かったという。

「でも直ぐに戻ってくるぜ。アイツはテニスが何より好きだからな。な、樺地?」
「ウス」

跡部さんの自然な笑顔を見て、全員が嬉しそうに笑った。
若いメイドさんが足早にやって来た。

「景吾様、お部屋はあちらで宜しいでしょうか?」
「ああ、かまわん。そうだよな、滝?」
「うん。それにああいう部屋のほうが合宿らしいでしょ」
「ああいう部屋?」
「まぁ見ればわかるよ、

萩之介くんは悪戯っぽく片目を瞑って見せる。他の面々も萩之介くんと跡部さんの会話を理解できていない。

「畏まりました。では皆様、こちらへどうぞ」

メイドさんに案内されて長い廊下を歩いていくと、西洋風の屋敷と雰囲気が違う場所へ入る。襖があって、畳の匂いがする部屋だった。すごく広い。全員が雑魚寝しても十分スペースがある。

「ここで全員寝るん?またえらく広いわ」
「確かに合宿らしいな」
「そうですね」

宍戸さんが畳にどっかりと座っていぐさをを撫でる。ツルツルとしていて、落ち着くような独特の畳の香りがしてくる。鳳くんもさっそく畳に座ってみた。

「ったく、お前の家はなんでもあるな。でも、日吉とか滝の家でもこういうのがあるんだろ?」
「オレは実家が道場ですから」

日吉くんは丁寧に膝を折って正座をする。

「あ!でも先輩は嫌じゃないですか?オレたちと同じ部屋って…」
「そんなこと無い!」

はたっと全員の動きが止まった。ハッと我に返り、私の顔は熱くなる。

「えっと、あのっ!ななななんでもありませんから!!全然平気です!」

私の様子がおかしかったのか、噴出して向日さんと忍足さんが笑った。

「何でそんなに慌てるんだよお前!」
「焦らないでゆっくり喋りや」
「そんなに笑わないでくださいよ……!」
「だって面白れぇもんは面白れぇんだから仕方ねぇだろーが」
「宍戸さんまで……っ」

廊下に別の足音が響いた。そして襖がスッと開く。夏だというのにビシッとスーツを着て、首にはスカーフを巻いている榊先生が入ってきた。

「全員いるな」
「監督、今日は何をしますか?コートもありますし、トレーニング施設もあります」

跡部さんがこのあたりにある施設の説明を一通りする。跡部さんを通じて私の事を話しておいてくれたのか、榊先生は特に私を咎めたりはしなかった。

「まずはこのあたりの散策を行うとする。跡部家の施設は広大だからな。道に迷っては元も子も無い。それぞれに別れて見て回りなさい。以上、行って良し!」

合宿でここを使ったのは初めてじゃないらしい。それでも散策を提案してくれたのは、きっと私のためなんだと思う。私は榊先生の気遣いに感謝した。















私は屋敷の窓から見えた湖へ行くことにした。メンバーは忍足さん、宍戸さん、萩之介くんだ。他は山のほうへ出かけたらしい。湖は青くてとても美しかった。ボート乗り場もある。白いボートがゆらゆらと湖面に揺れていた。ベンチも供えられ、デートスポットになりそうだった。宍戸さんが見事な絶景に口笛を吹く。

「ボートまであるのかよ」
「跡部はこの近くでホテルも経営してるっちゅー話や」
「なるほど。だからボートもあるんですね」
「このあたりをいろいろ見て回ろうか」
「あれ?萩之介くんはここに来たことあるんじゃないの?」
「あるといえばあるけど、こうやってのんびり湖を見たりはしなかったから」
「合宿で普段は来てるわけやし」
「そっか」

あくまでテニスの合宿目的で訪れていたせいか、彼らも湖は遠くで眺めていただけらしい。忍足さんはボートを引っ張り出し、萩之介くんはベンチに座る。私と宍戸さんはぐるりと歩いて湖を一周することにした。湖の周りは草原になっている。小さな草花が緑の絨毯に花を添えていた。
宍戸さんは足元に何か当たるのを感じ、しゃがみこんだ。

「どうかしましたか?」

問いかけた私に宍戸さんが指をさす。その先には土で汚れた岩のようだった。だがこんなところに岩があるのは、この風景には不自然だった。宍戸さんが土のついた部分を手で擦ると、岩肌が顔を出す。そこには随分前に掘られた文字が記されていた。でも、劣化していて読めない。

「古いものみたいですね。慰霊碑か何かでしょうか?」
「さぁな。とりあえずここまできたんだから、綺麗に磨いておこうぜ」
「そうしましょうか」

宍戸さんと一緒に湖の水をかけてその碑を綺麗に磨き上げた。すっかり汚れが落ち、岩ではなくそれがやはり慰霊碑のような物であることがわかった。

「それにしてもなんでこんなところにあるんだ?」
「わかりません……。でも、何か意味があるのかもしれませんね」
ー!宍戸ー!そろそろ戻るよ!」
「はーい!今行きます!!」

萩之介くんと忍足さんが一緒に立っている。呼びかけに答えて私たちは立ち上がった。
こうして湖の散策は終わった。私はまだこの慰霊碑が何なのかを知らなかった。















豪華な夕食の時間が終わり、私たちは例の畳の部屋へ戻った。ふかふかと太陽の匂いがする布団が敷かれ、小学生の合宿状態となった。備え付けの浴衣を着た向日さんが布団にダイブする。隣にいた日吉くんがそれの巻き添えを喰らい、不機嫌そうな顔になってしまった。
忍足さんは母親が子供を叱るように向日さんを宥める。それを見て鳳くんと萩之介くんが微笑ましそうに見ていた。

「侑士!オレはガキじゃねー!」

頬を膨らませて怒った向日さんが忍足さんに向かって枕を投げる。

「甘いで岳人!!」

しかし忍足さんは難なくそれを避ける。が、それが新たな波紋を呼ぶ結果となる。忍足さんの背後でうるさそうに布団で本を読んでいた跡部さんがいたのだ。後頭部に当たってしまったから大変。ブチ!と何かが切れるような音が聞こえた気がした。

「てめぇら……ここが誰の屋敷かわかってるんだろう、なっ!!」

枕が向日さんに向かって投げられた。しかし、それを向日さんがひらりと華麗なジャンプで避ける。そして、それはそのまま宍戸さんと日吉くんに命中。宍戸さんも日吉くんもあのブチ!という音が聞こえてくるようだった。

「何しやがるんだ跡部!」
「下克上だっ!」

ついに枕投げ決戦が始まってしまった。止めに入った鳳くんや萩之介くんもいつの間にか参戦することになり、忍足さんは枕を補充する始末。樺地くんが少し冷や汗をかきながらそれを見つめていた。こうなると私は隅っこで縮こまっているしかない。でも、そのうちにそれを楽しく観戦するようになり、ついには私も参戦することになっていた。
結局彼らが寝静まったのは夜中になってしまった。
障子を開けると月の光がほのかに部屋を照らし出した。私がそっと目を開けると、そこにはぐっすりと遊び疲れた子供たちが眠っていた。しばしそれを魅入る。寮生活をしている普段では見られない光景だ。
なぜこの部屋を萩之介くんが選んだのか、ようやく分かった。
私はこんなに大勢で寝たことが無い。むしろ誰もいない、自分だけの世界で眠っていることのほうが大半だった。
私はそのままゆっくりと夢の中へ意識を手放した。















全員の寝息が聞こえたのを確認すると、起き上がってオレは障子に手をかけて外を見る。
そして、背後に声をかけた。





「いつまでそこにいるつもりだ?」





全員が眠り、オレとやつの2人しかいない空間。

「いつまでだなんて、つれないこと言うなよ。オレとお前の仲だろう?」

男は不快のある笑いを含んだ声で答えた。
オレはやつを睨みつける。

「オレはお前と馴れ合うつもりは無い」
「あの女のナイト気取りかよ?」
をこれ以上関わるな。オレが許さない」

男はふっと間を開けると、やがて嬉しそうに、そしておかしそうに笑った。

「それはあの女に対しての懺悔か?」
「っ!」
「よく言ったもんだぜ。自分で巻き込んだくせによぉ……。ん?」

汗が出た。
図星。

「まぁ見せてもらうぜ。お前がどこまでやれるのか」







なぁ?





滝萩之介。




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