◆◇ 11 そこに眠る者


「?!」

私は飛び起きた。全身にびっしょりと嫌な汗を掻いていた。ベッドにあったはずの毛布が床にだらりと落ちている。
真っ暗闇。時刻は午前3時だった。胃が潰れそうで、すっぱいものが込みあげてきた。口の中に唾が大量に溜まっている。私はベッドをずるりと身体を引きずるように下りた。それから電気も点けずに広いユニットバスに備え付けられている洗面所で異物を吐き出す。不快な味が舌に残った。それでもスッキリしない。

「はぁ……はぁ……っ……ぅう……」

手を洗面台に掴んだままその場に跪いた。目の前がくらくらする。気分が重い。





「兄さん……」





そのまま朝日が昇るのを待った。















寝不足で授業中何度も眠りそうになったが、どうにか起き続けることができた私はようやく食堂に辿り着く。
今日は定食ではなく自分の寮で作った卵のサンドイッチをかぶりついた。卵の匂いがようやく眠りから解放してくれるような気がした。
食べ終わったころ、背後から足音が聞こえてきた。
振り返るとそこには長身のクロスを首に下げた男子が立っていた。

「鳳くん……」
「こんにちは」
「こんにちは……」
「なんだか眠そうですね」
「うん、ちょっと寝不足なだけ」
「隣、座っても良いっスか?」
「どうぞ」

ようやく彼に慣れてきたのか、 私は隣の椅子を引いた。鳳くんが隣に座ると凸凹な図になる。

「今日は宍戸さんと一緒じゃないんだね」

鳳くんは苦笑した。

「宍戸さん、今日宿題を忘れたようで先生に呼び出されてるんです。それなのに『ここでおまえは待ってろ!』って言うんですよ」
「宍戸さんらしいね」

鳳くんはそれを見て黙った。それからほっと息を吐く。

「どうかしましたか?」
「いえ、少し安心したんです」
「?」
「食堂で先輩を見かけたとき、なんだか元気が無さそうだなって思ったので」
「あ……」

私は顔を上げる。そこには優しい笑顔の彼がいた。
鳳くんといるときはなんだか安心できた。従兄弟の萩之介くんとはまた違った意味の安心感が彼にはあった。
それは今までに感じたことが無いような、そんな感じの雰囲気。

「鳳くん……変なこと聞いても良い?」
「なんですか?」

なぜかこのとき私はためらうことなく言うことができた。





「あなたは、幽霊の存在を信じますか?」





しばしの沈黙でやっと頭が冷えたのか、私は今更ながら自分の言った言葉の意味を理解した。そして、大津波のようにやってくる後悔の波に飲まれてしまう。さーっと全身が青くなる。もちろん実際はそんなことになるはずも無いのだが、そう思わずにはいられなかった。
だが、後悔する 私とは対象に鳳くんは落ち着いていた。『そうですね』と間を置くと、私からテーブルへと視線を移した。テーブルには空っぽになった私の水色の弁当箱がある。それは明らかに空で、何も入っていない。

「『オレにはこの中に山盛りのケーキが見えます』」
「えぇ?!」
「……と言ったら、信じますか?」
「あ……」
「多分、幽霊もそういうことなんだと思います」
「…………」
「目で見えないこともすごく大切です。だけど、人は見ることで信じてきた。だから見たことが無いオレは信じていません……というか信じたら、いけないんだと思います。でも変わりに―――」

長太郎は真剣な表情で言った。





「自分で見たものはしっかり信じます」





あっけに取られた。
私はそんな答えを期待していなかったし、そもそも期待なんかしていなかった。

「自分のことさえ疑うのは良くないと……ってあれ?オレ何言ってるんだろ……。変な事言ってすみません」

鳳くんは照れた笑いを浮かべて頭を掻いた。
私は横に首をブンブン振った。

「そんなこと無いです!ただ……そういうふうに言われるとは思っていなかったから……」

向日さんのお母さんは、私に『ありがとう』と言ってくれた。
見えているのに、見えていないと否定しなければいけない毎日。
自分で目にしたものを信じる事。そんな大切な事……どうして私は考えもいなかったんだ。
確かに岳人の母と会えて、 私は嬉しいと感じた。

「先輩?どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないです。ありがとう鳳くん、私なんだか元気が出てきた」

椅子を引いて立ち上がる。手には空っぽの弁当箱。

「それじゃ、私もうそろそろ……」
「喰い終わったのなら丁度良い」
「!」
「跡部先輩!?」

斜め前に泣きぼくろの彼が立っていた。いつものような不敵の笑みを浮かべながらこちらへやって来る。

「鳳、席を外せ」
「え?」
「オレはコイツに用があるんだよ」
「私に……?」
「……わかりました」

長太郎は2人を残し食堂から出て行った。

「あの……私に何の用ですか?」
「この間はオレをつけ回していたくせにその言い方は無いんじゃねぇの、アーン?」

そう言われると痛いのだが、私からすれば不可抗力だった。だがここで言っても信じてはくれないだろうということを、とっくに理解していた。だからどうすることもできず、ただ彼の顔を見ないように、今度は別の意味で下を向いてしまう。

「冗談だ。それより、この前日吉が言っていた事を覚えているか?」
「あの練習室の話ですか?」
「そうだ。どうやら、ここ最近になってあの練習室で気分が悪くなったり倒れたりするヤツがピタリといなくなったそうだ」
「そ、そうですか……」

あれから被害者はいなくなったんだ。良かった。でも、跡部さんにそれを今言われるとどう反応したら良いのかわからなくなる……。

「おかしな事もあるもんだ。お前にそれを話した途端、騒ぎが収まるなんてよ」
「偶然ですよ」
「そうだな。偶然だ。オレがお前に助けられたのも、偶然だ」
「……考えすぎですよ、跡部さん」

跡部さんが何を言いたいのか、わかるようでわからない。何を言いたいの……?

「お前の周りで事件が解決している。3度目の正直とも言うし、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだが、構わねぇよな?」
「え……?」
「確かに約束したぞ」
「ええ?!」

そしてその日の放課後、私は跡部さんの後をついて行く事になってしまった。















私は丁度1週間前、あの事件の後で、工事現場の偉い人と警察の人に事情を説明するために跡部さんと交番へ行った。
突風で鉄筋が振り子のように跡部さんへ向かってきた事、そしてそれを私が突き飛ばして庇った事、そしてなぜか不思議なことにロープが外れて無傷だった事を話した。もちろん私の能力と向日さんのお母さんの事は話さなかった。
それを話してしまえばことはスムーズに進んで、私も跡部さんも家に帰ることが出来た。
だけど、1つ気になることがあった。
跡部さんはずっと私を見ていた。
私が警察に話しているときも、私に視線を向けていた。
何を見ていたの?私の能力に感ずいた?
いずれにしても私からは話しかけることもできなくて、結局そのまま何も言わずに帰ったけれど。
今私は彼と歩いている。
放課後部活が終わってから跡部さんと約束した(というか一方的にだったけど)校門前で合流した。
その前に花園の彼に会いに言って、少し話をした。やっぱり予想通りそこで寝ていたので笑ってしまった。夕方の花園は違う綺麗さを持っていて印象的だった。

「ついて来い」

私は断る事も断る理由を見つけることもできず、彼の速い足取りの後を追いかけた。
街に出て、たくさんのビルが並んでいるところを通る。そこは昨日の工事現場も見えるところだった。
もしかして跡部さん、この間は家に帰る前にどこか寄るつもりだったのかな?
私はスタスタ先へ進んでしまう跡部さんに一言精一杯尋ねてみた。

「どこへ……?」

跡部さんは振り返りもしなかった。

「会わせたいやつがいる」

それは質問の答えにもなっているようでなっていない気がした。
学校から歩いて15分上が経過したころ、ようやく跡部さんの足は止まった。

「ここだ」

顔を上げた。
真っ白で綺麗な建物。
だけど私が1番苦手とする場所の1つ。





病院。





「私に会わせたい人がここに……って、跡部さん!?ま、待ってください!」

さっさとフロントへ入って行く跡部さんの後を追いかけた。中はまだ新しく、さすが病院だけあって清楚な感じがした。そして、同時に病院特有のポマードのような匂いも鼻腔をくすぐる。
無言でエレベーターのパネルをタッチして中に乗り込んだ。私も乗り込む。

「…………」

ここまで来るとき、あまり跡部さんは喋らなかったけれど、病院に入ってますます喋らなくなった。それに彼を取り巻く雰囲気がずっと重いように思えた。
赤いランプが灯って、目的の5階に到着する。ここは入院患者の部屋が主になる階だった。

(私に会わせたい人って……入院してるの……?)

私は病院とは相性が悪い。病院は生と死が入り混じる空間だからだ。アレに遭遇する機会も必然的に増える。

「あら、また来ていたのね」

30代半ばくらいの看護婦さんに呼び止められた。実際には私ではなく跡部さんだ。跡部さんは会釈だけするとまた歩き出してしまう。
看護婦さんはふぅと息を1つ。

「どうかしたんですか?」
「あなた、彼の彼女さん?」
「なっ?!ちちちち違いますっ!」

思いっきり否定すると看護婦さんはおもしろそうに笑って、私は真っ赤になった。けどすぐに看護婦さんは心配そうな顔になる。

「毎週来ているのよ、あの子は。よほど大切なのね」
「え……?」

誰に言うのでもなく、ただ寂しそうに呟くのが聞こえた。





「2年前から、ずっと……目覚めていないんですもの」





くるっと振り返った跡部さんが目で『早く来い』と訴えている。私は看護婦さんに一礼してそれから歩き出した。

(どういうことなんだろう?)

ますますわからなくなってきた。私は質問したいことで頭が一杯になったが、とりあえずその『会わせたい人』に会ってからにしようと思った。
跡部さんの足が止まった。部屋の番号は505号室。個室のようだった。
跡部さんが白いドアが横にスライドする。
中では薄い緑色のカーテンでベッドの周りが囲まれているので患者の姿は見えない。機械の電子音が一定感覚で鳴るのが聞こえる。ベッドの横に設置されているようだ。
跡部さんがカーテンに手をかける。
その手が、スッと横に動いた。

「お前に会わせたいヤツは……」

カーテンがシャッと音を立てて横に流れる。

「コイツだ」


医療に使われていると思われる機械に繋がれ、点滴をしている人。口元に酸素マスクをつけている。シューシューと音が聞こえてきた。
すごい姿だった。
だけど本人は穏やかに眠っている。
そう、とても穏やかに。





けれども、私が驚いているのはそんなことじゃない。





私は声が出なかった。この事実を受け入れることができずにいる。ただ凝視してしまう。
ここへ来る前、彼は確かに私の目の前にいたのに……。
何でここにいるの?
あなたがどうしてここにいるの?!






花園で眠っていた……





金髪の、天使みたいな男の子。





芥川慈郎」





嘘……だよね?





「それが、コイツの名前だ」





誰か……っ、嘘だと言って……!!





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