07:6年い組の警告

の耳に自分の声が届かないところまで離れると、伊作は改めてを捕えようとしていた男たちを観察するように見た。
授業後直ぐに外へ飛び出した伊作は、新緑の忍装束に手ぶらという身軽な姿をしている。とは言っても、懐には忍者の卵らしく苦無を忍ばせているが。
一方の男たちは伊作とは対照的に、土で汚れた着物の袷から鎖帷子を覗かせている。手にはそれぞれ鋭利な凶器を持って、目はギラギラと血走っていた。

「お前は忍術学園の者だな?なぜオレたちの邪魔をする?」

髭を口周りにたっぷり生やせた男が威嚇するように言った。他の男たちも不満らしく、目くじらを立てて伊作を睨みつけていた。
伊作は苛立つ男たちを落ち付かせようと静かに言う。

「彼女はこちらで監視しています。今、あなた方に渡すわけにはいきません」
「何を言うか、あの娘は本来オレたちが捕えておくべきなんだ。手を結んでいる以上、オレたちの意見も聞き入れてもらおう」

伊作は首を横に振って髭の男の申し出を拒絶する。
男はさらに強い眼光を強めた。普通の人間であるならば怖気づいて後退りしてしまうだろう。

「ならば、お前を今ここで斬り捨て、娘を捕えるまでだ。お偉いさん方も、あの娘に大変興味があるらしいしな……。差し出せば、相当な金が手に入る」

一瞬だけ伊作は薄茶色の目を見開くが、やがて小さな声で嘲笑う。急に口元を弧にして目を細める姿は不気味だ。まるで、別人のように冷たい空気を纏っている。

「な……ッ、何がおかしい?」

男たちは変貌する伊作の態度に、上擦った声で喉奥を震わせる。掌には汗まで滲んできたではないか。
伊作は二ィっと形の整った歯を見せつけ、先ほどよりも低い声で面白そうに言う。

「僕の事は、まぁ斬り捨てられるかもしれませんね。でも―――」

あくまでも笑っているのに、背筋が凍りつくような顔だった。ざわりと肌が粟立つようである。





「彼女は、非常に恐ろしくおぞましい力を持っています」





「とてもじゃありませんが、あなた方では太刀打ち出来ませんよ」





「その事は、僕よりもわかっているはずじゃないですか?」





伊作の言葉が腹の下に重く圧し掛かるのを感じたのか、男たちは顔面蒼白になった。そして同時に口を硬く閉ざす。
男たちは結局伊作に反論することもなく、伊作に背を向けて去って行った。
伊作は男たちが森の奥へと消えていくのを確認すると、に向かって振り返り駆け寄る。

「いやぁ、帰ってくれて良かったね」

伊作は眉をハノ字にして穏やかな笑みをに見せた。口調もそれと比例して、大分力の抜けたものである。
はまだ緊張感が残っているのか、強張った表情をしている。顔色もかなり悪い。

(早く学園で休ませた方が良い。体力も限界に近いだろうし……)

きっと男たちに追いかけられた事で、暴行された当時を思い出してしまっているに違いない。の精神的ショックを考えれば、夜になる前に学園へ戻らなければならないと伊作は思った。

「大丈夫、だった……?」
「ああ、何ともないよ」
「本当に?」

冷静さを装っているつもりだが、は何度も確認するように聞いてくる。よほど恐ろしかったのだろう。
が安心を得られるのであればと伊作は両手を広げて見せた。

「ほら」

『大丈夫』という言葉がこの後には続くのだろう。ふとの瞳があるい一点を見つめる。

「伊作……、もしかして授業終わった後直ぐに来た?」
「うん。キミはまだ怪我がちゃんと治っていないし、この林は夕方になると早く暗くなってしまうからね」
「そう……」

は返事こそしたものの、なぜだか元気の無い声だった。

(やっぱり疲れているんだな)

は控えめに伊作に尋ねた。

「伊作、さっきの人たちに何を言ったの?」

伊作はの問いかけに焦ったりしなかった。むしろ、先ほどの会話を聞いていなかった本人からすればとても興味のあることだ。質問されて当然と伊作は考えた。
しかし、男たちとの話については立場上話すことは出来ない。

「え?ああ……、あれは人違いだよ。のことを説明したら、人違いだってわかってもらえたんだ」

伊作が何事も無いように告げると、は小さく口を開けたまま静止する。だが、開いた口からは何の音もしない。
自分で言った事に対して口元をぐっと一文字に閉じた。
差し出された伊作の手は土で汚れてしまっていた。『あ』とそれに気づいて伊作は苦笑いを浮かべる。

「実習終わってから手を洗っていなかったんだ。ごめんね」

手を引っ込めようとする伊作の手を、は掴んで握りしめた。驚いて伊作がを見ると、彼女は疲れた様子で呟くように言った。

「帰ろう……伊作」

意外な事には伊作の手を取った。掌から伝わるの体温には驚きつつも嬉しくなった。
夕日が森を包む。と伊作はしっかりと握り合って、鬱蒼と木が茂る小道を歩いた。草や木の葉が風で揺れて2人の行く道を見守っている。





彼女は、非常に恐ろしくおぞましい力を持っています。





(恐ろしいって、誰が?が?)

伊作の胸の内に、自分の発した言葉が波紋を生んでいる。





テンケイであるのであれば、取る行動は1つだけじゃ。





、キミは)





わかっておろうな?





(キミは―――)





キミは、いったい何者なんだ?














「昨日はごめんなさい」

そう言ったきり、は口数が学園に来た当時ほどにまで減ってしまった。元々あまり多くを話さなかったが、それでもを助けた伊作には多少なりと心を開いていると思われた。だが、昨日の出来事が原因らしく、は伊作に声を掛けられても溜め息ばかり吐くようになった。おばちゃんの料理も半分ほど残してしまい、伊作がその分を多めに食べておばちゃんの怒りを鎮めた。

(食事もまた保健室で食べる様になってしまったし……。どうしようか……)

伊作はその日食堂当番で、の使った食器を含めてたくさんの食器をまとめて洗っている。桶の中に沈んでいる皿を1つ1つ掬い上げて、綺麗に油や野菜屑をシャボンの泡に包んで落としていく。本来の姿に戻って行く食器を見つめる視線はどこか違う方へと向いていた。

(外出時には僕に声を掛ける様に言ってさえいれば良かったんだ)

が保健室に塞ぎ込んでしまっている原因の半分は、自分自身にあると伊作は悩んだ。学園長からも任されていたというのに、うっかりしてしまっていたせいでを傷つける結果になってしまった。悔やんでも悔やみきれない。

(心の傷の回復は遅いっていうのに……)

の顔を思い浮かべであれこれ考えている内に、手元が滑ってしまった。咄嗟に手を伸ばす。しかし指先を掠めただけで掴み取ることは出来なかった。逃した白い器は重力のままに床に落下し、派手な音を立てながら粉々に割れてしまう。

「やっちゃったなぁ……」

しかし、不幸はそれだけにとどまらなかった。
伊作が割れた器の破片を拾おうと屈んだとき、腰が洗い場にぶつかる。その振動に耐えきれず、洗い終えて積み上げておいた食器の山が崩落。断続的に陶器の割れる音が食堂に響き渡り、その音がが伊作の心をも粉々にしていった。

「あああああああもう何で僕はこんなに不運なんだ……。まぁ、今に始まったことじゃないけどね」
「いったい何の音だ?!……って、伊作先輩じゃないですか」
「やあ、伊賀崎……」

孫兵は酷い音を聞きつけてきたらしい。既に風呂に入った後らしく、濡れた髪に夜着姿だった。白い肌がお湯で温められて赤く火照っている。
この時間に風呂に入ったということは、きっとまた毒虫が逃げ出してしまったのだろう。もしくは最愛の毒蛇であるジュンコか。
ぎこちなく笑った伊作と、台所の惨状を見て全てを悟ったのか、『僕も手伝います』と言って屈んだ。

「本当にありがとう、助かるよ」
「困ったときは助け合わないと。僕も良くジュンコがいなくなった時に探してもらってますから」
「6年生にはそういう考えの人間は少ないから」
「あはは……苦労されているんですね」
「ん……?」

伊作は孫兵をじっと見つめて動かなくなる。その視線に気づいて孫兵が顔を上げると、『ああ?!』と何か閃いたようにパっと明るく笑った。
そうだ、その手があった、と。
孫兵は伊作の行動が良くわからず首を傾げた。

「伊賀崎、ちょっと聞きたいことがあるんだけれど」
「何ですか?」

伊作は、自分がにしてやりたいと思うことを伊賀崎に伝えた。すると伊賀崎は、『もちろん良いですよ』と二つ返事で了承をするのだった。
















は伊作に今朝も朝食を持ってきてもらい、やはりこの時も半分しか食べる事が出来なかった。しかしからすれば、あれでも食べた方である。本当なら何も食べたくない気分だ。

(でも、これ以上伊作を困らせるのはダメだ。それに……怪しまれたらまずい)

自分を捕えようと追いかけて来た男たちは、今町で噂になっている凶悪犯である可能性が高い。あの男たちはただの盗賊ではないという確信がの中にあった。

(【裏切り者の伊作】には必ず共謀する殺人犯が出てくる。歴史的資料にも、この近辺の村で大量殺人事件があったって書いてあった。何より、伊作は殺意剥き出しの男たちをすんなり帰してみせた…!)

力で捻じ伏せたわけではない。ただほんの少し話をしただけで、鬼の形相をしていた男たちは帰ってしまった。ただ1人の少年によって。
こんなにもあっさりと手を引いたのはなぜか?
伊作が言うように、ただの人違いだったのだろうか?

(違う)

もはやの中にはただ1つの答えしか浮かばなかった。
はため息を吐いて布団の上に仰向けに倒れる。これからの事を考えると頭が痛い。

(殺人犯と伊作が接触した……というか、既にしていた。もうそろそろ学園を伊作が裏切って、ここはとんでもなく混乱するだろうし、きっと戦いが起きる。あたしはそれに巻き込まれたくない!でも……)

どうして今もここに自分は留まる事を選ぶのかがわからない。
確かに外へ出るのは危険な時代だ。けれども確実に争いが起きるという場所にいるよりはましだろう。今の内に魔法で時を止めて逃げ出してしまえば良い。

(魔法は……少しだけなら体力も前より戻ってるし、左腕もあまり痛くなくなった。これなら遣えそう。それなのにどうしてあたしは……)

天井の木目をぼんやり見ていただったが、ふとある事を思い出した。

(そういえば、午前の授業が終わったら中庭に来て欲しいって伊作が言ってたっけ)

だるい身体に鞭を打って上半身を起こすと、丁度午前の授業終了の鐘が鳴った。この寺の鐘のような音にももう慣れた。
は1人で小袖を着れないため、とりあえず夜着に藍色の丹前を羽織って保健室を出た。
が中庭に続く廊下を進むと、伊作の背中が見えてきた。

「伊作」

が名前を廊下から呼ぶと、伊作はさっと振り向いてパッと表情を笑顔にした。そのままの傍に歩み寄る。

「来てくれたんだね、良かった。はい、コレ履物」
「ありがとう」

自分の履物を持っていないのために、伊作はわざわざ草履を用意していた。伊作の手を借りて骨折している左腕の分のバランスを整えながら草履を履く。
庭を眺めた事はあったが、廊下から下りて庭に立つのは初めてだった。良く手入れのされている庭には雑草が見当たらない。良く手入れがされていると感心した。

「どうしてあたしをここに呼んだの?」
「ちょっと待っててね」

伊作はその場にしゃがむと、両手を軽く広げて『こっちへおいで』と何かを呼んだ。すると、葉の茂る植木の間がガサガサと揺れて、灰色の毛に覆われた猫ほどの大きさをした生物が姿を見せた。尖った三角の耳をピクピク動かし、金色のくりっとした丸い目をしている。ふさふさの尻尾を左右に激しく振って喜びを表しているその生物は、まるで犬。しかし、どこか違うような気がしては伊作に尋ねた。

「伊作、コレは……犬?」
「いや、狼の子供だよ」
「おっ、狼?!」

のいた現代世界では、狼を見かける事は動物園じゃない限りまずありえない。が驚いてもう一度狼の子供を見ると、首を傾げてきょとんとしている。
伊作の手は真新しい引っ掻き傷や噛みつかれた痕が無数にあった。

「伊作!その手、あの狼にやられたの?!」
「僕の場合不運だから……」
「?」
「ええっと、つまり僕以外の人間なら噛みついたりしないよ。近づいて撫でても大丈夫だから、この子の遊び相手になってくれないかな?本来なら竹谷八左ヱ門っていう生物委員がしている事なんだけど、今は学園にいないから。あ、ちなみに名前はミヨコって言うんだよ」
「だけど……っていうかミヨコって名前―――ひゃあっ?!」

がどうすれば良いのか迷っていると、子狼がの元へ尻尾を振りながら駆けて来た。そのままの足元に纏わりついて遊んで欲しそうに見上げてくる。
はしゃがむと、恐る恐る手を伸ばし、子狼にの額をそっと撫でた。子狼は嫌がらずに金色の目を細めた。そしての頬に顔を近付けてくる。一瞬恐怖がの心に湧き上がったが、子狼はペロペロとの頬を舐めた。

「わわっ?!ちょっと、くすぐったいよ!」

そう言いながらもは子狼の背中を撫でてやった。強張っていた表情も緩み、は自然と口元を上げて笑っていた。
伊作はそんなの事を見たまま、鳩が豆鉄砲で食らったようにポカンとしている。不自然な視線に気づいては子狼と戯れながら伊作の態度に首を傾げた。

「………」
「伊作?どうしたのよ?」
「……はッ?!〜〜〜〜〜〜っ!!!」

伊作はの声で我に返ると、なんとも言えない表情に変わり、茹で上がったタコのように顔全体を真っ赤に染めた。耳の先や首まで真っ赤である。

「い、伊作???」

伊作は伊作は顔を紅潮させたままで誤魔化すように言った。

「何でもないよ!どっ動物とか好き?」
「あー、うん。小さい頃に結構色々を飼ってた」

は子狼の喉を撫でてやりながら『可愛い』と言って花が咲くように微笑んだ。伊作はより一層自分の頬に熱が集まるのを感じて立ち上がった。

「あの、僕はこれから用事があるから……はそこでミヨコと遊んでいてくれ」
「えっ?」
「直ぐに戻るから!!」

が伊作に疑問を投げかける前に、くるりと背を向けて走り去ってしまった。残されたは遊ぼうと訴えているらしい子狼の前足を右手で持ち上げながら

「いったいなんだろうね?」

と、呟いた。















中庭から忍たま長屋近くにある井戸までやって来た伊作は、井戸の中を覗き込んだ。井戸の遥か下に見える水面には、青い空と白い雲、そして赤くなった伊作の羞恥にまみれた顔が映っていた。

「わああぁ〜〜……、赤いなぁ」

伊作は自分の頬に触れる。
が少しでも気分転換出来る方法は無いかと一晩中考えていた伊作。生物委員会で狼が保護されている事を思い出し、と触れ合う時間を作ってみとうと考えた。
狼といえどまだ子供で見た目の愛らしい。が動物嫌いだったらどうしようと思っていたが、杞憂に終わって良かった。それどころか、は子狼に触れて笑ったのである。とても楽しそうに、笑ったのである。

が笑ったのはこの学園に来て初めての事だ…!)

は大勢の人間から酷い仕打ちを受け、腕を折られ、夥しい数の殴打痕を作った。心にはそれ以上の傷を負い、自分を助けた伊作にも拒絶を示した。理性を取り戻し、伊作と普通に会話出来るようになるまで回復したが、それでもは笑う事など一度も無かった。
治療する時に見せる痛みに耐える顔、苦い薬を飲んで吐きそうになる顔、おばちゃんの料理の美味しさに驚く顔、時折遠くを見るように考え込む顔、今までも様々なの表情を見てきた。伊作は笑顔を見たいと思っていたわけではない。そこまでの期待はしていなかったからである。

(本当に驚いた……)

陽だまりのように穏やかに、けれども楽しそうに笑うの顔。それが再び脳裏に浮かんで、伊作の身体は熱くなる。どんどん体温は上昇する一方だ。

(あんな風に笑うんだなぁ……。すごく可愛くて、こっちまで楽しくなるような笑顔だった)

伊作が井戸から離れて胸に手を当てると、掌にドクンドクンと鼓動が伝わってくる。この鼓動はがもたらしたものだと気づき、伊作はじわりとそこが熱くなるのがわかる。とても心地良い音だ。
伊作は背後に人の気配を感じた。その瞬間、聞き覚えのある声が耳を打つ。

「伊作、お前は何がしたいんだ?」

振り返らずともわかる。一気に伊作の胸が冷えていった。

「帰っていたのか、仙蔵、文次郎」
「ああ、ついさっき例の村から戻ったところだ」

文次郎は仙蔵の隣で長屋の廊下から話しかける。
2人から不穏な空気を感じる。

「あの娘は監視対象だろう。子狼と遊ばせてどうする?あれで情を売り、口を割らせるつもりなのか?」
「別に他意は無いよ」
「だったらアレはどういう事だ?」

仙蔵に続いて文次郎が畳みかける。伊作は口を閉ざして2人の方へ振り返る。伊作の薄い色素の目は、迷いや不安を持っていなかった。これは伊作が怪我人を前にした時の目に似ている。今の方が眼光が強い。
文次郎は『バカタレ』と吐き捨てた。

「これ以上あの女と深く関わるのは止めろ。そんなだから忍者に向いてねぇって言われるんだよ。今に寝首をかかれるぞ?」

仙蔵も同じ意見らしい。

「伊作、これは忠告ではない。警告だ。5年生も後少しでここへ戻るだろう。そうなればまた多くの事がわかってくる。己の立場を良く考えるんだな」

そう言い残し、2人は長屋の廊下を教室の方へ向かって歩いて行った。

(警告、か……)

2人が去った後、伊作は再び井戸の中を覗き込んだ。
先ほどまでの紅潮した伊作は既に無く、今水面に映っているのは暗く口元を噛み締めた顔だった。




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