あたしがこの学園に来てからもう1週間が経った。1週間とは言っても、あたしの意識が無い頃を合わせればそれ以上は経っている。相変わらずあたしの住処はこの保健室だ。
具合はもう大分良い。折れている腕は流石にまだ痛むし治っていないけれど、発熱することも夢で魘されることも無くなった。内出血の痣は痛み止めが効いているためほとんど痛みは感じられない。前よりも痕は薄くなっていて、包帯を取って見る時も不快感が減った。そして、包帯を巻く部分もまた減っていた。
あたしは真昼だというのに、ごろりと布団の上で横になっていた。
(暇だなぁ……。伊作も今は授業だからいないし、お昼はさっき食べたし……)
あの日からあたしと伊作はお互いに同学年ということもあって呼び捨て合うことにした。伊作に対する警戒心はまだあるけれど、最初に出会ったときよりも話すようになった。しかし、あたしは早くこの時代から帰るべきだ。安全こそが最優先するべきであると、身を持って体験したのだから。
(でも……、砂時計をどこかに落としてしまった……。今のあたしの魔法では、数百年も時を超えるなんて不可能だ。砂時計を探し出すことが先だな……。でも、どうやって外へ出る?勝手に外出したら変に思われるだろうし、魔法のことは隠しておかないといけないし……)
上手いこと考えがまとまらない。あたしはお茶でも飲みながら考えようと、保健室を出た。
食堂へ行くと誰もいなかった。午後の授業中なのだから生徒がいないのは当然だろう。今はおばちゃんがお皿を洗っているところだった。
「あらちゃん、こんにちは。もしかしてお昼足りなかった?」
「まさか!お茶を飲みに来たんです」
「ちょっと待っていてちょうだいね」
おばちゃんはあたしに熱いお茶を出してくれた。緑茶の良い香りが食堂に広がっていく。
「おばちゃんは今日も忙しいみたいですね。何かお手伝いしましょうか?」
「良いのかい?でも、傷に障るんじゃない?」
「大丈夫です。あまり重い物は持てませんが……」
あたしは自分のことばかり考えていたが、とてもお世話になったのだから何かお手伝いがしたいと思った。怪我をしているせいで出来ることは多くないかもしれないけれど。
するとおばちゃんは『ああ、そうだわ』と手をポンと叩いた。
「ちょっと町までお使いに行ってくれないかい?お味噌の注文をしてきて欲しいんだよ。これなら荷物を持つ必要もないし、どう?」
町までお使いに行くということは、つまり学園の外へ出ることが出来るということだ。砂時計を探すチャンスである。さらにお手伝いも出来るのだから一石二鳥だ。
「わかりました。周辺の地図を描いていただけますか?」
「ちょっと待っててね」
おばちゃんは紙と筆を持ってきて、さらさらと食堂の机の上で地図を描いた。そして注文する味噌の量を別の紙に書き、あたしにお金の入った袋を手渡した。
「町はそんなに遠くないわ。日が沈む前に戻ってきなさいね」
「はい、じゃあ行ってきます」
あたしは慣れない草履を貸してもらい、食堂を後にした。草履を借りたのは、現代の靴だと目立ってしまうからである。
(……見つかると良いな。せめて、その情報だけでも……)
午後の授業が早めに終わり、伊作はの包帯を変えるために保健室へと向かった。
「、入るよ?」
そう声を掛けて保健室に入ったものの、そこにいるはずのの姿はどこにも無い。布団は折りたたまれて部屋の端へ片付けられていた。
(変だな……にはこの時間いつもここにいて欲しいって頼んであるのに)
伊作は首を傾げて入口前に立っていると庭を掃除していた小松田が声を掛けてきた。
「あれぇ、伊作くんどうしたの?」
「あ、小松田さん」
「ああ、さんなら食堂のおばちゃんに頼まれて町へお使いに行ったよ〜」
「お、お使い?!は1人で外へ行ったんですか?!」
すごい剣幕で詰め寄られた小松田は、目を見開いて言葉を詰まらせ、ただ首を縦に大きく振った。小松田の様子に伊作は眉を寄せる。
(おばちゃんは何も聞かされていないからな……。しかし、まずいことになった。今外へ出るのは……)
外出についてわざわざに約束を取りつけていなかった。というのも、が精神的に傷ついており、大勢の人間の前に出たがらなかったからだ。
「小松田さん、はいつここを出ましたか?」
「ええと……一刻くらい前だったよ」
「ありがとうございます。僕も外出しますので失礼します」
「ちょっと待ってよ!外出許可がないと―――」
「今の僕は」
伊作は小松田にくるりと振り返り、再び言葉を続ける。
「今の僕は、彼女を学園長に任されています。だから彼女に関する外出であれば許可は既に受けているのと同じです。では、失礼します」
伊作は小松田に再び背を向けて走り出し、俊敏な動きで塀を乗り越えて学園から姿を消した。あっという間の出来事だったので、小松田は口をあんぐりと開けてその様子をただ見ていた。そしてようやく我に返った小松田は首を傾げる。
「何でそんなに慌ててたんだろう?」
町へお使いに行く。それは普段おばちゃんがしていることだし、特に危険な場所が通りにあるわけでもない。
は確かにまだ怪我が治っていないが、治療は終わっている。
「さんもそこまで子供じゃないのに……」
小松田は箒を握り直し、再び庭掃除を始めた。
一方の伊作は町へ行ったを探しに全力で走っていた。授業後で疲れてはいたが、急がなければならない。日は傾いてきている。
(一刻か……間に合うか?)
風を切って走る伊作には、小松田が想像もできないような別の心配事を抱えていたのである。
は町に辿り着いて辺りを物珍しそうに見つめた。町は活気に溢れてたくさんの店が通りの客を呼びこんでいる。行きかう人々の波に混ざり込んでは町をぐるっと回ってみた。
(活気がある町だな。でも……)
良く人々の顔を見れば、何だか表情が暗い。何か心配事でもあるのか、青い顔をしている。そして買い物途中の主婦たちに視線を移すと、何やらひそひそと噂話を神妙な顔でしているではないか。
(何か……あったとか……?)
は、とりあえず頼まれた味噌を注文しに行くことにした。目的の店の近くまで来ると、大豆を発酵させた独特の香りが漂ってくるのがわかる。
(ああ、ここかな?)
「いらっしゃいませー!」
味噌屋のマークが入った前掛けを付けた主人らしき中年男が声を張り上げて挨拶をしてきた。
は注文する味噌の量が書かれたメモを取り出して店主に差し出した。
「あの、忍術学園からの使いですけれど……」
「ああ、いつもありがとうございます。今日はお嬢さんがお使いですか」
「まあ、そうです。今日は注文をしに来ました」
の差し出したメモを、店主は『わかりました』と言って受け取った。懐に仕舞い、代金を支払うと領収書を書いてに手渡した。
(これでお使いは終わり……。後はこの辺の地理を調べて―――)
「お嬢さん、帰り道には十分気をつけてくださいね」
「え……?ああ、この腕はもう大丈夫なんですよ」
は添え木で固定されている左腕を右手で軽く叩いて見せた。しかし、店主は首を振って『お嬢さんはご存じじゃないようだ』と、他の町人たちと同じように青い顔になった。
「実は最近山の向こうの村で、たくさんの村人が無差別に殺されたそうですよ」
(あ……れ……?)
「しかも殺人犯は逃走中らしくて、まだ捕まっていないんです。もしかするとこの辺に隠れているかもしれないって、町で噂になっているんですよ」
(この話……!)
は店主の話をどこかで聞いたことがあった。
村人たちを次々に殺したという大量殺人犯。それは後に裏切り者となる善法寺伊作と手を組む人物である。
ざわり、とは鳥肌が立った。
(伊作のことばかり気にしていたけれど、この時代なら手を組んだ殺人犯も当然いるんだ……!)
は頭をフル回転させて【裏切り者の伊作】の内容を思い出す。犯人は真夜中にある村で村人たちを無慈悲に殺して回り、村人のほとんどが死んだという。村人を殺した理由についてはさまざまな説が現代で存在しているが、にとって理由などどうでも良いものだ。どんな理由があろうと、大量殺人犯は大量殺人犯だ。そしてその殺人鬼は、これから伊作と手を組むことになる。
(いや、もしかしてもう手を組んでいるのかしれない……)
「お嬢さん、どうしました?顔色が悪いですよ?」
「へ?ああ……何でもありません。大丈夫です」
「気をつけてくださいね。本当に物騒ですから」
「はい……。じゃあ、あたしはこれで……」
は店を急ぎ足で離れた。店主の話はの頭に重くのしかかる。足取りまでもが重く鉛のようだ。
(村人を皆殺しにした殺人鬼もこの時代にいた……。まだ捕まっていないなら、それは伊作と合流するためなの?)
これから史実通りのことが起きるとなれば、が世話になっている忍術学園は大変な混乱に陥るだろう。伊作と殺人犯、そして学園側とで大きな争いが起きるのだ。
(そんなことになったら、あたしは……どうなる?生きて現代に戻れるの?だいたい今忍術学園に帰って大丈夫?もう殺人犯はそこまで来ているんじゃ…?!)
ぐるぐると不安ばかりが頭の中に渦巻く。落ちついて考えをまとめようとしても、殴られて傷つけられた心が震えて止まらない。周りの足音が気になって仕方がない。
は人混みから離れたくて逃げるように町を出た。どんどん町を背にして走り続ける。着物で走るのは初めてのことだが、裾が乱れても気にしている場合じゃない。ただ一心不乱に走り続けた。
「はぁっはぁっ……」
林へ入り、更に人気の無い奥へと進んで行く。息が乱れて酸素を吸いこもうと肺を膨らませる。ここでようやくは足を止めるのだが、ガサガサという遠くから自分以外の足音に気付いた。ビクッと肩を震わせて後ろを勢い良く振り返ると、やはり気のせいではなかった。複数の足音が真っ直ぐ自分に向かって近づいてきている。
頭のてっぺんから足の指先まで強い恐怖が一気に駆け巡った。掌が冷たく凍り、汗がじわじわと滲んでくる。
「はぁっ……!はぁっ……!!」
背後からは男たちの野太い声が聞こえてきた。『追いついたぞ!』だの『早く捕まえろ!』だの、叫び声が冷たい空気の林に響いた。
(殺人犯……?!嫌!!死にたくない……っ、死にたくない……!!)
この近辺に潜伏しているという噂の殺人犯なのだろうか?は痛む肺を自由の利く右手で押さえながら再び地を蹴った。しかし途中でバランスを崩し、右肩から地面へ転倒してしまう。
「うっ!」
衝撃で呻き声を上げて、は土と草の匂いに包まれた。折って来る男たちは『倒れたぞ!』と怒声を上げてとの距離を確実に縮めてきた。
(は、やく…逃げなくちゃ…!!)
ガタガタと本格的に手が震え始め、は恐怖を押し込んで上半身を起こす。直ぐそこまで迫った覆面の男が5人、を追って走って来る姿が見える。顔は良くわからないが、殺気立った視線でを睨みつけている。ごつごつとした手にはそれぞれギラリと光る刃物が握られていた。の顔が引きつって身体が硬くなる。
(魔法を……っ!!)
身体の内側にある魔力を高めようとするが、この切羽詰まった状況では集中することが出来ない。何より精神状態がとても不安定だ。これでは魔法を発動させることはできない。
「大人しくしろ!!」
そうこうしている内にの肩に日に焼けて真っ黒になった男の腕が伸びる。悲鳴を上げる暇も無い。はもうダメだと顔を背けてぎゅっと目を瞑った。
(こんなところで死ぬなんて……!)
ところが、男の腕はの肩に届かなかった。
「間に合って良かった」
なぜなら彼によってガッチリと腕を掴まれたのだから。
「伊作……っ!?」
伊作は男の手を掴んだまま鋭い目で相手を睨みつける。男はバッと捕まえられた腕を振り払うと後ろへ下がった。後ろから追いついた男たちも得物を手に構えている。伊作は座り込むを庇いながら一緒に立ち上がった。
「伊作……何でここにいるの……?それにあの人たちは……っ」
「、ここで待っていてくれ」
「だけど……」
「平気だ。少し話をしてくるだけだよ」
「話……?」
刃物を持って迫る男たちに、話など通じるのだろうか?が心配する中、伊作は男たちの方へと歩いて行く。
「い、伊作!?」
このままでは、伊作が斬られてしまうかもしれない。焦ったは腕を伸ばそうとするが、不思議なことに男たちは不満はありそうだが大人しく得物を下ろしたのである。そして伊作が近づくことを許した。
(どうして……?伊作と、知り合い……?!)
から5メートルほど離れた木陰で、伊作はに背を向けたまま男たちと少し話をしていた。その会話内容はわからないが、男たちが苛立っていることは伝わってくる。どうやら揉めているようだ。ハラハラしながらは様子を覗うことしかできない。
会話が止み、少しの間静寂が林に訪れた。には自分の心臓と風のそよぐ音だけが聞こえた。
この沈黙を破ったのは伊作だった。彼が何かを言った瞬間に男たちはうろたえるような仕草を見せ、頷くと元来た道を引き返していく。伊作の表情は全く見えなかった。だが男たちの顔色はわかる。男たちは伊作に何かを言われた瞬間、サーっと青白い顔に変わったのだ。この2つの目で確かにそれを見たのである。
(何?どういうこと?伊作は何を言ったの?!)
嫌な汗が再び肌に浮かび上がる。
男たちを見送った伊作がくるりと振り向いた瞬間、心臓が跳ね上がった。
だが、振り返った伊作は
「いやぁ、帰ってくれて良かったね」
に普段見せているふにゃっとした笑顔だった。は直ぐに彼へ駆け寄る。
「大丈夫、だった……?」
他に言いたいことがたくさんあった。けれどもはとりあえず彼の無事を確認することにした。
「ああ、何ともないよ」
「本当に……?!」
「ほら」
そう言って、伊作は自分の無事見せつけるように両手を広げた。確かにどこも怪我をしていないようだ。しかし、緑の忍び装束には所々土や埃がついている。
「伊作……、もしかして授業終わった後直ぐに来た?」
「うん。キミはまだ怪我がちゃんと治っていないし、この林は夕方になると早く暗くなってしまうからね」
「そう……」
伊作の言う通り、いくらお使いとは言っても怪我をしたままの状態で動き回るのは危険だろう。それに林の中は夕方になると暗くて転びやすい。もしも転倒してしまえば、新しい怪我をするのと同時に治療中の怪我も開いてしまうかもしれない。大袈裟な心配に思えるが、彼は保健委員長として見過ごせないらしい。
(何も知らなかったら、何の疑問にも思わなかった)
しかし、は500年後からやって来た未来人だ。これから起きる未来―――歴史を知識として植えつけられている女子高生だ。善法寺伊作という人物が誰と手を組んだのかも、学園を裏切って犯罪者の手助けをすることも、全てわかっている。
つまり……、
伊作の完璧な言い分に疑問を投げかけることが出来る、ということだ。
「伊作、さっきの人たちに何を言ったの?」
「え?ああ……、あれは人違いだよ。のことを説明したら、人違いだってわかってもらえたんだ」
伊作は特に何でもないように言ってのける。僅かに笑みを湛える顔立ちは穏やかそのもので、嘘をついているようにも見えない。
(でも…、それはあたしが伊作を良く知らないからじゃない?本当は……別のことを言ったと思ってもおかしくないよね?)
の言う別のこととは―――殺人犯との密会である。
頭が混乱してきてしまった。
確かめたい。不安を今直ぐに消し去って楽になりたい。
だが、伊作に今問い詰め、もしもの思う事が現実に起きているとしたら?確実に殺されるだろう。良くて拘束だ。そうなれば未来へ帰るなど不可能になってしまう。
(落ちつけ……、しっかりしろ)
ここで伊作から逃げたとしても行く宛が無い。
「さぁ、帰ろうか」
差し出された伊作の手は土で汚れてしまっていた。『あ』とそれに気づいて伊作は苦笑いを浮かべる。
「実習終わってから手を洗っていなかったんだ。ごめんね」
手を引っ込めようとする伊作の手を、は掴んで握りしめた。驚いて伊作がを見ると、は疲れた様子で呟くように言った。
「帰ろう……伊作」
の言葉にパッと明るい笑顔を見せると、伊作もまたの手を握り返して『うん、帰ろう』と言った。
(伊作が裏切り者で、これから殺人犯と手を組むとしても……あたしのためにここまで駆けつけてくれた。もし伊作が来てくれなかったら、あたしは今頃あの場で殺されていた……)
伊作はこれで2度の危機を救った。
伊作はがこんなことを考えているとは思ってもみないだろう。
しかし、それはも同じこと。
(伊作……、本当に知らないのはどっちなんだろうね?)
まだ子供の面影がある背中を見つめながらは繋いだ手を見つめる。そこから生まれてくる温もりは、の不安を溶かそうとしているのかもしれない。