伊作は、今目の前にいる少女がなのかを疑ってしまった。
初めて出会ったときもは伊作を鋭い視線で睨み、伊作を拒絶していた。だが、あのときは瞳に恐怖や不安、戸惑いを滲ませており、怯えきった様子が伝わってきた。けれども今のは、それが一切ない。ただ純粋な怒りだけだった。鬼神のごとき気迫を静かに伊作へ真っ直ぐぶつけてきている。伊作がこれまで出会ってきたどんな敵よりも恐ろしい。
伊作はその場から一歩も動けなかった。問いかけるだけが精一杯で。
「……、いったいどうしたんだ?何を……そんなに怒っているんだい……?嘘って、何の事を……?」
「まだ誤魔化すつもりなの?伊作……。あたしを、騙しておいてまだそんな風にしらばっくれるつもり?」
「……?ッ?!」
は伊作へ向けて掌を翳すと、瞬時に淡く輝きを放った。同じ輝きが伊作を包み込んで、伊作の身体は金縛りにあったかのように動かせなくなる。指先一つ自由に出来ず、視線と口元、そして呼吸だけが自由だった。
それは一度だけ間近に見たの魔法。伊作はに魔法をかけられるなど夢にも思っていなかった。
「……どうして……っ!?」
は手を翳したまま、俯き伊作を見ようとせず、怒りに震える声を喉から絞り出した。
「『どうして?』だなんて、あたしが聞きたい。あたしをいったいどうするつもり?いったい何が目的でこんな事をするの?」
「……!」
「あたしは、伊作の言葉を信じていたのに……。伊作は、あたしを最初から殺すつもりだったのね……!魔法の事は秘密だって言ったのに、その事も話した……。あたしを伊作は売ったのよ……ッ!伊作は、あたしを裏切った!!」
村での仕打ちを思い出しただけで足がすくむ。完治していない左腕が脈と同じリズムで痛み出す。再び自分の身が危険に晒され、一度深く傷つけられたには耐えられなかった。信じると心に決めた伊作相手だったからこそ、その反動はすさまじいものになったのだろう。
伊作は目を充血させて訴えるを直ぐに抱き締めたかった。足で前に踏み出し、腕を伸ばしてに近づきたい。だが、の魔法がそれを拒む。伊作の身体は自分の意思ではどうにも出来ない。だから、まだ自由に動かせる唇で、精一杯優しくに呼びかけた。
「落ち着いてくれ、。誤解だ……。キミを殺すつもりなんて無い。僕がそんな事をするわけがない」
「嘘よ!あたしは、この耳で確かに聞いたんだから……!あたしは……、死にたくない!」
生かしておくより、殺した方が安全です。
「僕は、を裏切ったりなんかしないよ」
「伊作も、村の人たちと同じよ!優しくして、あたしを騙して……。絶対に許さない!!」
「違う。、僕は―――」
「もう黙って!!!」
の悲鳴のような声が部屋に響いて、魔法がさらに強まった。伊作は目も動かせず、声も出せなくなってしまう。ただ目の前で、疲れ切ったように肩で息をするを見るしかなかった。痛々しいほどの目元は腫れ上がり、怒りから悲しみへと感情の波が移り変わっていく。
「―――ったよ」
小さく呟くは顔を上げて、涙を零しながら弱々しく心根を吐き出した。
「信じたかったよ……伊作……。伊作……っ、どうして……どうして…………!?」
は徐々に翳した手を握り拳に変えていく。伊作はその動きと同時に、自分の身体が凍りつくような感じがした。表面上だけでなく、内臓から骨、血液までもが時を止めていくのだ。伊作の中から、音が消えていく。何も聞こえなくなっていく。
が何をしようとしているのかを、伊作はわかっていた。
だからこそ、伊作は声の出ない強張った口を精一杯動かす。
「僕は……、キミを信じている……!」
驚きが目を大きく見開いたその刹那、
「いッ……あああああああ……ッ!!」
は左腕を強い力で掴まれてうつ伏せに倒された。胸を床に打ちつけてしまい、一瞬呼吸が出来なくなる。怪我をしたままの左腕は掴まれたまま背後で固定され、の顔の真横に忍び足袋が見えた。
痛みのあまり、は脂汗を滲ませてぎゅっと目を閉じて喰いしばった。
の集中力が乱れたせいで魔法が解けた。伊作は、自分の身体よりもを心配して乱入してきた第三者に叫ぶ。
「よせ!文次郎!!」
だが、伊作の声を無視して文次郎はの左腕を離さない。天井が開いて仙蔵が長い髪を靡かせて着地する。
「全く……。だから忠告しただろう?」
立ち上がり、痛みに苦しむを見降ろしてから伊作に呆れながら言った。
「お前はどこまでバカなんだ。この娘はお前を殺そうとしたんだぞ?」
「だけど、彼女は―――」
「他人を優先させるのはお前の良いところだ。しかし、だからと言って、私に友が殺されるのを黙って見ていろと言うのか?」
「……ッ」
伊作は2人の立場を思うと、何も言い返せず俯いてしまう。
天井や戸が一斉に大きな音を立てて開き、5年生から6年生までの生徒が続々と部屋に入ってくる。それぞれが手に苦無や手裏剣などの得物を持ち、とても険しい表情をしていた。敵を見る目でを睨みつける。は敵意に満ちた視線を浴びせられて青ざめた。
の強い恐れと不安を感じ取り、伊作はと生徒たちの間に立つと、両腕を広げてを庇った。
「そこを退くのじゃ、善法寺伊作」
「学園長先生……」
1番後から学園長が姿を現した。構えを崩さない生徒たちの中央に立ち、しゃがれた声を響かせる。それでも、伊作は広げた両腕を下さない。
「伊作よ」
「嫌です……。退きません」
「お前が抵抗すれば、益々不利になるだけじゃ」
「…………」
伊作は唇を噛み締め、ようやくその腕を下す。遮るものが無くなり、学園長はを拘束している文次郎に目線を送った。すると文次郎はの左腕から手を離し、今度は右腕を掴んで上半身を起こす。膝立ちとなったは、学園長を鬼のような目で睨んだ。
「アンタたち、いったい何を企んでいるの?あたしをどうするつもりよ?!」
「わしは学園長として、生徒たちを危険から護る義務がある。伊作を手に掛けようとしたお主を、このまま野放しにすることは出来ぬ。特にテンケイ―――天恵は、その力故に強行手段もや止むを得ないのじゃ」
「天恵……?な……何よそれ……。そっちが先に仕掛けてきたくせに!あたしは自分の身を護ろうとしただけ―――」
「だから言ったじゃないですか。天恵にはろくなのがいないから、早めに処断してしまった方が良いと」
突如として学園長の背後から現れた人物は、ニヤニヤと笑いながら言った。武器こそ持っていないようだったが、の警戒心は溶けない。
「面倒な事を先延ばしにしていては、何も解決しませんよ。結局こうやって暴れ出して、私たち全員が危険に晒されてしまったじゃないですか。村の事も、きっとコイツの仕業ですよ」
厳しい言葉とは裏腹に、その表情は笑顔のままだった。不気味な笑顔に、に悪寒が走った。けれど、ここで引くわけにもいかない。何も言えずにいれば、好きなように事が運んでしまう。それはつまり、自分の身が白刃の元に晒される可能性を示している。
「何の事……?あたしは何もしていない。あたしは、何もしてない……!もし、あたしに何かしようって言うなら……容赦しない」
「それはこっちの台詞だ、女」
「?!」
藍色の装束を着た男は、の目の前で自分の顔の皮を剥いで見せた。紙のようバリッと音がして破れたその下には、信じられない顔があった。それは、善法寺伊作の顔である。
「そんな……、伊作が、2人……?!」
この場にいる伊作と瓜二つの姿に、は驚愕して目を大きく見開いたまま凝視ししてしまう。その表情を待っていたと言わんばかりに、伊作とは全く違ういやらしい笑みを浮かべた。
「忍者に心を許す方がいけないんだよ」
そう告げるのは、現代で変装名人として世に知られている鉢屋三郎、その人だった。
「まさか、鉢屋三郎……?!」
「私を知っているのか。未来とやらで、私は名を残しているんだな。光栄な事だ」
しかし、未来から来たという話を信じているようには思えない態度だった。
「鉢屋、お前があのときの話を学園長に報告したんだな……?!」
伊作が責める様に言うが、三郎にはどこ吹く風のように笑うだけ。
「先輩が夢中でこの女と話をしていたおかげで、隠れて聞いていたのがバレなかったようですね」
「嘘……。だったら、今日……昼間に学園長と話をしていたのは……っ」
「私だ」
の全身の力が抜け、文次郎に掴まれているお陰で倒れずに済んだ。けれど、あまりに衝撃的な真実により、完全に抵抗する気力は失われてしまった。
「鉢屋……!お前、を嵌めるためにこんな事を!!」
「善法寺先輩、怒らないでくださいよ。この女が先輩の命を狙い、殺そうとしたのは怒っても変わらない事実です。そうですよね?学園長先生」
「……その通りじゃ」
「学園長先生!?」
「天恵は、その身に常人とは違う大きな力を持つ。故にそれの力を人に向けて使ってはならないのじゃ。例外は……認めぬ」
「待ってください!学園長先生!」
「伊作、お前は部屋に戻りなさい。文次郎と仙蔵は、娘を別室へ連れて行くのじゃ」
「「御意」」
文次郎はぐったりとしているを立たせ、両腕を後ろで縛った。その間も、は何の抵抗も見せなかった。ただぼんやりと空虚を見つめているだけ。その姿に、伊作は胸を強く打たれた。
「……!」
部屋を2人に引きずられるようにして出ていくの背中に向かって、伊作は名前を呼んだ。
首だけを動かし、は伊作の方へと振り向く。しかし、は虚ろだった瞳を冷たく研ぎ澄ませて、伊作を睨みつけていた。その瞳は、裏切り者としてしか、伊作を映していなかった。
「何も信じたくない」
ぽつりと呟かれたはずのの声が、伊作の耳にしっかりと刻まれた。
伸ばし掛けた手を、伊作はだらりと下げる。の笑顔がもう見られないのかもしれないと思うと、自分の無力さを呪った。