今日は日曜日というか、授業が休みの日だ。
そういうわけで、子供たちは何をして遊ぼうかと相談する声がこの食堂に響く。それは騒がしいものだったけれど、嫌なものではない。むしろ、こっちまでワクワクしてしまいそうな感じ。
温かいお味噌汁を飲み干し、あたしはおばちゃんにお礼を言って廊下に出た。ドタバタと駆け回る今の子供たちは、忍者の格好をしたただの子供に見えた。
「ねえ、そこのキミ!」
「?!」
背後から声を掛けられて、あたしはビクッと肩を震わせた。そっと振り返れば、室町時代に考えられない能天気な金髪頭が視界に入った。ニコニコ……というか、ヘラヘラ笑う少年を前に、どう反応したら良いかわからない。うろたえる様子のあたしを気に留めず、あたしが返事をする前に口を開いた。
「その髪、ちょっと切らせてくれない?前髪とか邪魔でしょー?」
言われてみれば、ここに来てから髪を切っていなかったせいで前髪が目に被さってくる。この時代に来て多分1ヶ月は経っているから、当たり前といえば当たり前なんだけれど。
だけど、この時代の髪を切る道具について不安はあった。変な頭にされたら大変だし、テンションが下がる。
あたしが言わんとしている事がわかったのか、少年は『シャキーン★』とか言いながら櫛と小さな鋏を取り出した。いや、鋏じゃない。お裁縫とかで糸を切るときに家庭科で使ったヤツだ。
「僕は元髪結いなんだよ。だから大丈夫!僕に任せて!絶対に可愛くしてみせるから」
「は、はあ……」
「じゃ、こっち来てねー」
この時代の美容師の腕前がどの程度なのかわからず、不安に思うところはあった。けれど、前髪を切るくらいだったらそれほど技術も必要無いだろう。
そう判断して、あたしは髪結いと名乗る忍たまの後をついて行った。静かな縁側まで来ると、彼はくるりと振り向いてあたしに座るように手を示す。
「ここに座って。それと、切った髪が着物につかないように、この手拭いを肩に掛けようね」
「う、うん……わかった」
背後からふわっと手拭いを巻かれた。使い込まれて生地が薄くなっていたが、干し立ての良い香りがする。大事に使っているものなのだと直ぐにわかった。
どこに隠し持っていたのかわからないけれど、金髪の彼は他の髪結いに使うと思われる道具を出してきた。布の上に並べて、さっき取り出して見せた櫛と小さな鋏を再び手に取る。
「それじゃあ始めるよ。前髪はとりあえず後にして、全体を薄く整えるから。長さは変えなくても良いよね?」
「へッ?あ、ああ……うん。変な風にはしないでね」
「大丈夫大丈夫!」
「そういう風に言われると、何か不安だよ……」
「?」
後ろ髪が浮く。首筋に少し毛先が当たって擽ったい。
『あ』という短い声がして、彼は申し訳なさそうに言った。
「僕、斎藤タカ丸って言うんだ。ちゃん……、だよね?」
「あたしの事知ってるの?」
「他の下級生たちが言ってだよ。ときどき食堂で一緒に食べるからって。それに、保健室行くとき、保健室が今キミの部屋になってるって聞いてたし」
「それで……。ごめん、保健室使えなくしちゃって」
「その腕じゃ仕方ないよ。保健室は仮の部屋に移ってるから平気だよ。良く善法寺先輩と一緒にいるよね?今日は一緒じゃないの?」
「うん……」
そう、今日は伊作を見ていない。というか、ここ最近ずっと伊作の事を見ていない。伊作の顔を最後に見たのは、この前砂時計を探しに町へ出掛けた次の日。あれから、伊作は用事があるから学園を留守にしている。
「……暫く、学園から離れる事になったよ」
「そうなんだ……」
朝早く、あたしの折れた左腕の具合を診に来てくれた。慣れた診察のはずだったけれど、伊作のこの一言でピリッとした緊張が走った。
包帯を巻きながら、あたしに優しくいつも通りに語りかけてくる。
「僕がいない間も、小魚を多く取るようにしてね。あまり動かしたりしちゃダメだよ。それと、具合が悪くなったら新野先生に言えば大丈夫だから」
「新野先生?」
「保健医の先生だよ。もう学園に戻られたから、僕よりも頼りになるよ」
「あたしは……っ!」
「?」
咄嗟に大きな声が出てしまった。あたしの腕を診ていた伊作が顔を上げたせいで、至近距離から視線がバチっと合う。あたしは一瞬目を逸らしてしまったけれど、ちょろっと視線を伊作の猫目に戻した。
「あたしは、その……、伊作の事……頼りにしてるよ。新野先生って人より……」
恥ずかしかったけれど、助けて貰ったお礼を何一つ出来ない自分には、お礼を言うだけが精一杯だった。
伊作はあたしの態度に少しだけ驚いたけれど、直ぐに優しく笑ってくれた。
「ありがとう、」
「ううん。こっちこそ、いつもありがとう」
「少し時間がかかるかもしれないけれど、心配しないで良いよ」
「わかった」
その顔から想像出来ないくらい傷だらけの手で、伊作はあたしの両手を握った。
普段は温かいはずの伊作の手が、指先まで全て氷みたいに冷えている。血の気が無い、お化けみたいな手になっていた。
伊作も自分の手が異様に冷たいと気付いて、『ごめんね』と申し訳なさそうに手を離す。離れていく冷たい手にハッとして、あたしは伊作の名前を呼んでしまった。
「伊作……」
「ん?何だい?」
伊作は立ち上がって、保健室から出て行こうとしていた。長い猫っ毛の髪が、背中で揺れている。
「気のせいだったらごめん。でも―――」
「悪いけれど、もう時間が無いんだ。帰ってきてから、また話を聞くよ。本当にごめん」
「あ……」
手を伸ばしたけれど、直ぐ廊下に出てしまった伊作には届かなかった。虚しく空を掴んで、あたしはきゅっと拳を握る。
少し時間がかかるかもしれないけれど、心配しないで良いよ。
本当は、本当に心配していたのは、
伊作の方だったんじゃないの……?
「ちゃん!?どうしたの……?顔色が悪いよ?」
「え……、あっ」
ついぼんやりとしてしまったみたい。伊作がいない事には納得しているけれど、何だかつまらない。いつも一緒にいてくれた人がいないと、こうも空虚感を感じるものなのだろうか。
心配をかけてしまったようで、あたしは咄嗟に別の話を切り出す事にした。
「さっき、元髪結いだって言ってたよね?って事は、前は髪結いとして生活していたの?」
「うん。僕の実家は髪結いをしているんだよ。結構評判良くてね。祖父も髪結いをしていたから、代々髪結いの家だと思っていたんだ」
「思っていた?」
「そうそう」
再び鋏の擦れる凛とした音が響いた。どうやら話しは逸らせたみたい。
彼はおかしそうに笑って自分の事を教えてくれた。
「でもね、僕の家は穴丑っていう―――ようするに忍者だったんだよ。潜伏先の町に髪結いとして溶け込む内、髪結いの方が忙しくてすっかり忍者である事を忘れてしまったんだ。父も忘れていたし、僕はその事実さえ知らなかったっていうわけ」
「へぇ、そうだったんだ。でも……別に忍者になろうとしなくたって良かったんじゃない?髪結いの修行もやっぱりしていたんでしょ?」
鋏が入った髪を摘まんで毛先を見ると、綺麗に揃えられている。
「髪結いの父を見て育ったからね。僕も髪結いになるつもりで、つい最近まで修行をしていたよ。だけど、僕は祖父が忍者だったという事も忘れたくないんだ」
「忍者って、過酷じゃない?」
夏休みの宿題程度に調べただけだが、忍者はとにかく過酷だという印象がある。
「大変なのはどんな職業でも同じだよ。色々な経験が出来るのは幸せだし、髪結いも忍者も、両方欲張って名乗っちゃっても良いでしょ?」
この時代に来て感じた事はたくさんあるけれど、特に肌で感じたのは、自分と同じ年頃の子がとても思慮深いという事だ。それに、とても前向きで明るい。自分が思い描く将来―――未来を、ちゃんと言葉に出来る。あたしの時代には、どれだけの高校生が未来を言葉に出来るんだろうか。
「何か……、皆すごいね」
「え?そうかな?」
「うん」
怖い思いをたくさんしたけれど、あたしはこの時代の人を好きになれそうな気がした。
伊作も、今の段階ではどうなるのかわからない。でも、伊作だってきっと色々考えているはずだ。今は、伊作の帰りを待っていよう。
「よし!これで可愛くなったよ!」
手渡された鏡の向こうで、彼は満足気だ。
長くて目の前を覆い隠していた前髪もサッパリ。世界が広く感じた。明るい太陽が縁側に降り注いでいる。髪を切ると気分も良くなるし、切って貰って良かった。
「ありがとう。気持ちもスッキリしたよ」
「どう致しまして。また伸びたら切ってあげるよ」
「そのときはお願いします。あたし、ちょっと喉乾いてきちゃったから、食堂で何か飲み物貰ってくるね。冷たいのと熱いの、どっちが良い?」
「でも、片腕使えないのは不便じゃない?僕も行くよ?」
「平気よ、これくらい。お盆に乗せてくるから」
「それじゃ、お言葉に甘えてぬるめのお茶をお願いしようかな」
「はーい」
落ちた髪を片付けて、手拭いを外す。慣れた手つきで彼は道具を片付け始めた。あたしは食堂へ向かうため、すっかり歩き慣れた古い板の廊下を歩いた。
伊作に会えないからって、ちょっと考え込んでしまっていたかもしれない。考え込んでいても、もやもやが取れるわけじゃないから、こうして身体を動かしながら忘れてしまおう。
そのときだった。廊下から見える中庭の隅に、一瞬だけ人影が映ったような気がした。ガサっという木の葉が揺れる音がして、その人影が見間違いでない事を教えてくれる。
ふと、同時にある事にも気付く。今日はやけに人が少ないのだ。学園の生徒たちは、午前中ずっと座学だから見かける人は少ないと言えば少ない。しかし、あんなに小さな木の葉の音が響くほど、この学園内は静かじゃないはず。
気付くとあたしはその人物の後を裸足のまま追い掛けていた。あたしが目の端にその影を一瞬捉えると、そのタイミングに合わせるかのように姿を消してしまう。
奥へ更に追い続けると、小さな池とししおどし、そして茅葺の庵が見えた。池の中にいる鮮やかな鯉に視線を落とすと、水面に緑色の制服を着た生徒がほんの少しだけ映った。
あの色の制服を着ているのは、6年生だけと聞いている。何より、他の6年生は一度も見ていない。そう、保健室であたしの世話をしてくれた伊作以外は。
池を通り過ぎた後ろ姿は、やっぱり伊作としか思えない猫っ毛をしている。学園に帰ってきていたのなら、そう言ってくれれば良いのに。それより、あたしに会いに来てくれても良いはずなのに。
伊作の名前を口にしようとして、耳に入った声は学園長のものだ。あたしは、池の近くにある植木の影に思わず隠れてしまった。咄嗟に魔法を遣い、あたし以外の時間を僅かに止めて、音も無くこれで隠れる事が出来たと思う。
再び時間の流れを戻したとき、2人はあたしの事を話始めた。
「―――それで、はどうしておる?」
「斎藤タカ丸が今は引きつけている頃でしょう。監視は続けています」
「そうかそうか」
「学園長先生、もう時間がありませんよ。いつまでこんなおままごとを続けるんです?」
庵の中から聞こえてくる声は、学園長と伊作だった。ここからだと姿が良く見えない。でも、声は確かに学園長と伊作の声だ。
ここにいてはいけない気がする。どうしてなのか、わからないけれど。
でも、足が、動かない。
良く頑張ったね。僕がキミを守るから、もう大丈夫だよ。
「明後日には村人たちがここへ押し掛けてきますよ?どう致しますか?」
、無理しなくても良いんだよ?
「最初から、斬り捨ててしまう方が良いと申し上げたではないですか」
僕はキミの味方で有り続ける。 が苦しいとき、悲しいときには、必ず傍にいるからね。
「テンケイは、恐ろしい存在です。奇妙な力を使って害を成す。野放しに出来るような存在ではありません」
また着物が着れなかったら、僕を呼んでね。他の誰かじゃなくて、僕を。
「生かしておくより、殺した方が安全です」
魔法で、あたし以外の時間を止めた。
庵の中に入って、あたしは話している人物の顔を確認した。
静止していても、その手は温かかった。
あたしを信じると、傍にいると言ってくれた―――
善法寺伊作の手、だった。
ナニカガコワレルオトガシタ。
忍者を目指す者として、あるまじき足音だ。しかし、一刻も早くの元へ伊作は帰りたかった。
(こんなに保健室というのは遠かったかな……?)
保健室の前まで来ると、伊作は中にいるに声をかけた。
「、僕だよ。入っても大丈夫かい?」
「あ、伊作?うん、大丈夫よ」
の返事を聞いて、伊作は保健室の戸を少し乱暴に開けた。は保健室で行儀良く足を揃えて座っている。
「お帰り。遅かったね」
「うん、まぁね……。だけど、今日中に帰れて良かったよ」
もう直ぐ夕日が沈むという時間になってしまったが、夜になる前に学園に戻れてホッとしている。の顔を見られない日々が続き、伊作も胸にもやもやとしたものを抱えていた。
伊作は首に巻いていた頭巾を外すと、ににこっと笑い掛ける。
「に早く会いたくて、ここまで走って来たんだ」
は伊作の笑顔に対して、こちらも笑顔で返答した。
「そうなんだ。あたしも、伊作に早く会いたかったよ」
立ち上がり、伊作の緩んだ顔を覗き込む。
「伊作、お願いがあるんだ」
「え?」
「そろそろ学園から出て行こうと思ってるの。だから、正門を開けて欲しいんだけど」
「……え、ええ?!」
伊作が驚くのは無理も無い。は、学園に保護されてから一度も出て行きたいと言い出した事は無かった。怪我が治っていないというのもあるが、彼女が未来人であり、の時代へ戻る術が無いためである。
「急にどうしたの?」
「そんなに急でもないでしょ?だって、あたしがここに来てもう1ヶ月は経つし……。そろそろここから出てもおかしくないよ」
「はまだ怪我が治っていないだろう?それに、まだ帰る方法も無いわけだし……っ」
「外が危険だから?」
「!」
核心を突かれた、という顔をしている伊作。そして、それを素早く察知したは更に言葉を放つ。
「あたしがいた時代と違って、外は確かに危ないのかもしれない。でもね……」
は硬直したままの伊作に手を伸ばした。そっと触れられる手は、凍りつくように冷たい。
「ここだって危ないんじゃないかな」
静かなはずのの声が、伊作の耳を強く打つ。
咄嗟にの手を握ろうと伸ばした。だが、は伊作の手から逃れ、背中を向けて距離を取る。
じとっと、嫌な汗が伊作の背中に滲む。
予感ではない。
何かが、確実に起きている。
「伊作」
「…………」
「伊作に、1つ、質問したい事があるの」
「……何だい?」
暫くの沈黙の後、明日香はこう言った。
「伊作は、いつ忍務から帰ってきたの?」
想像していたよりも簡単な質問だった。答えられないような質問だったらどうするかと、若干思っていたので、この質問には迷わず返事をした。
「ついさっきだよ。この夕日が沈む前だ」
「嘘つき」
振り向いたは、もう笑っていなかった。