「―――それで、いったいどうなったんだい?」
伊作の問いに、は首を緩く振った。膝の上に握られている拳が小刻みに震えた。俯いて、喉奥から絞り出すように言った。
「わからない……。その後は、ただ村の人たちに、な、殴られたり……してた。必死に逃げて、逃げて……っ。思い出そうとすると、頭が酷く痛むの。ごめん……。これ以上の事は、あたしもわからない」
「…………」
思い出そうとする事を、脳が拒み、その結果心身に異常を来す。このケースは伊作も知っている。戦場で怪我人を手当した中にも、そのような症状を訴える兵士は多かった。恐ろしい光景を目の当たりにしたり体験すると、思い出さないように脳が働くらしい。無理に思い出そうとすれば、のように頭痛がしたり眠れなくなる。
神妙な顔をして話を聞いていた伊作は、震えているの肩を優しく擦った。ハッとして顔を上げるに、伊作は優しい笑顔を見せた。
「無理させちゃったね。ごめんよ」
「それは違う!伊作に話すって決めたのは、あたしなんだから。でも……、ありがとう。伊作に話をして、少しスッキリした」
の表情は先ほどよりも柔らかくなっていた。自分の中に溜まっていた黒いものを吐き出し、理解してもらえた事は、にとって救いになった。
「……村の人、怖がられたりしたけどね、優しかった。優しかったよ……。だけど……あんな事あって……、もう誰かを信じるのが怖かった。でも今は、伊作と会って、少しずつ前の自分を取り戻せてる気がする。あたし、伊作に会えて良かった」
「そう?僕は力になれている?」
「もちろんよ!あのまま放置されていたら、あたし森の中でのたれ死んでいただろうし」
「つい助けちゃうんだよね。僕、忍者に向いていないって良く言われてるんだ」
「本当ね!」
伊作の冗談っぽい言い方に、は釣られて笑ってしまう。
「」
「え?何?」
「さっきキミは、5分くらいしか時間を操れないって言ってたけど、それならどうしてここに来られたの?」
伊作の疑問は最もだった。5分程度しか魔法を遣う事が出来ないはずなのに、600年もの時を越える事は可能なのか?
「現代には魔法の力を補助する道具があるのよ。それを遣えば、魔法はもっと強い力を出せるようになって、こうして時を越える事も出来るってわけ」
「道具?今それはどこに?」
「それが……、多分村のどこかに落としちゃったみたい」
「って事は……」
「見つからないと、あたしは現代に帰れない……」
はガックリと肩を落とした。
魔法の力を補助する道具―――砂時計は、確かに村にいた昼までは持っていた。だが、あの事件以来砂時計は行方知れずとなったままである。
の能力では道具無しに時を越えるのは不可能だ。仮に見つかったとしても、壊れていれば永遠にこの時代へ留まる事になるだろう。そう考えると急に背筋が冷たくなった。
「村に……もう一度行ければ良いけど、まだ……怖い……」
「無理に行く必要は無いよ。まだ腕も完治していないし、今は安静にしておくべきだ」
「うん、そうさせてもらうね。……あれ?」
「どうしたの?」
にある疑問が浮かんだ。
「伊作、どうして伊作はあたしを拾ったの?」
「それは、キミがあそこに倒れてたからで―――」
「そうじゃなくて、何であそこにいたのかって事よ」
が倒れていた場所は、森の深いところにある。山道でもないところに、たまたま人が通りかかるだろうか?しかもあの日は大雨。偶然にしては出来過ぎているんじゃないだろうか?
伊作はの持った疑問を吹き飛ばすように、当然といった具合で答えた。
「僕らは実習で、良くあの辺りの山を散策するんだ。天候が悪いときでも訓練になるからね。を見つけたときは忍務で行動していたんだよ」
「忍務?」
「ごめんね、忍務の事は話せないんだ」
「あ……、うん。そうだよね、こっちこそごめん」
彼があまりにも優しいので、忍者である事を忘れてしまっていた。
が申し訳無さそうにすると、伊作は『大丈夫だよ』と言ってくれた。
「……寂しくなったりしていないかい?」
「え?あ…………」
伊作に言われて、は改めて家の事を考えた。家族は今頃どうしているだろうか?元の時間に戻れば家族に心配を掛ける事はないが、自分自身の寂しさはどうにもならない。
こちらに来て色々あったため、明日香はそのような事を考える時間が無かった。だから今になってようやく胸の中がぎゅっと絞め付けられた。
の沈んだ表情に伊作は顔を青くして焦った。
「ごっ、ごめん!僕、キミの気持ちも考えないで……!」
「あ、いや、伊作のせいじゃないよ。あたしが勝手にここに来たわけだしさ」
「だとしても、無神経な事を言ってしまった。本当にごめん」
「気にしないでってば!へーきへーき!だって、……伊作が一緒にいてれてる……でしょ?」
「?!」
照れながらそう言うを見て、伊作の頬は僅かに赤くなった。予想していなかったの言葉を聞いて、胸の辺りが急に熱くなってくるのを感じる。
すると伊作は真面目な顔でにこう言った。
「、少し外に出よう」
「えっ?」
急にそう提案されて驚くだったが、伊作の気迫に押されてコクンと頷くしかなかった。
伊作は薬棚の上に乗っている木箱を降ろし、そこから掌サイズの紙袋を取り出した。それを持って、座ったままのに手を差し出す。
「さ、行こう」
「あ、うん……」
伊作がを連れてやって来たのは、忍術学園からそう離れていない丘の上だった。撫でるように風が通り抜けていく。青々とした野原が広がり、その奥には森と街道が見えた。
「特に何もないところね」
「そう。だからここを選んだんだ」
伊作は懐から先ほど保健室から持ち出した紙袋を取り出す。その紙袋から転がり出てきたのは、小さな何かの実だった。
「それって何かの実?」
「うん。これは木の実。ここに埋めようと思うんだ」
伊作はしゃがみ、手探りで柔らかそうな地面を探す。そしてある場所を苦無で掘り始めた。ある程度掘ってから、伊作は素手で土を再度掘っていく。すると、土の中から大漁のミミズが出てきたではないか。
「うわあああ!?」
「だっ、大丈夫?!」
「うぅ……大丈夫……」
出てきたミミズを掴んでしまい、ひんやりぐにゃっとした嫌な感触で青くなった。気を取り直し、ミミズを退けてまた手を動かしていく。
は伊作の意図がわからず、その後ろで伊作の姿を見つめていた。
「どうしてその実を埋めるの?」
「目印になるかと思ってさ」
「えっ?」
埋め終わった伊作が手の土を払い、の方へ振り返った。の背後に見える、立派な森の木に視線を移して。
「が元の世界……、未来へ戻ったら、この実はきっと大きくて立派な木になっているはずだ。何百年経っても、この木だけは変わらない。きっと目印になるよ」
「目印……」
「にとっては……酷い思い出かもしれないけど、僕は、出会うはずがなかったとこうして出会えた事が嬉しいんだ。数百年前の僕と、数百年後のキミが、この場所にいるなんて本当にすごい事だろう?」
もまた伊作と同じように振り返って背後に見える木を眺めた。風で葉を揺らす、大きくて立派な木が隙間なく佇んでいる。
言われてみれば、この景色はが小学生の頃に遊んだ丘にそっくりだ。
森は町に変わってしまったけれど、ここから眺める風景は重なって見えた。
丘の上にある、あの木も。
「もしまたここへ来る事があったら、この木が役に立つよね。にしたら迷惑かもしれないけど、僕は何か残したくて―――」
「いっ、いいい伊作ーーー!?」
「えぇ?!何?!どうしたの?!」
は伊作の怪我していない方の右手で腕を掴んで絶叫した。興奮した様子で伊作に詰め寄る。伊作は突然叫んだに驚いて後退りしてしまうくらいだった。
の瞳は幼い子供のようにキラキラと輝いてる。まるで捜していた最後のピースを嵌めたような気がした。
「伊作!すごいっ!!すごいよ!!」
「いったいどういう事……?」
伊作を揺さぶるは片手だと言うのに、すごい力だった。
「だって、伊作が埋めた種、あたしの世界にある!でーんと大きい木になってるんだから!!」
「ええええ〜〜?!本当に?!」
「うん!あたし、見た事ある。もっと小さい頃、この辺で遊んだんだけど、すっごく大きな木が一本立ってるんだよ!!木登りとかしていたんだけど、あれは伊作が埋めた種だったんだ……!信じられない!」
「僕が埋めた種が……、の時代に繋がってる……」
「そうだよ!あの頃は別に何も考えないで遊んでいたのに……。何か、歴史を肌で感じちゃった気がする!」
過去が今に伝わり、歴史を紡いでいく。過去があるから今がある。その当たり前な事を、はこの瞬間初めて刻み込んだ気がした。
「伊作、あたしたちは偶然じゃなくて、きっと出会う運命にあったんだ」
「確かに、僕がこの木を植えようとしたのはに出会ったからなわけだから……。ははっ、本当だ!本当にすごい!!」
「でしょー?!」
伊作もやっと理解出来たのか、と同じように目を輝かせた。
「、未来に戻ったら……またここへ来てくれないかい?」
「伊作……」
「僕はキミとの出会いをこれっきりにしたくないんだ。本当は、いけない事かもしれないけど……僕はこの目印の下で待ってる。ずっと、待っているよ」
「あたしも、また……伊作に会いたいよ」
「本当に?!」
「うん」
の返事に伊作は頬を真っ赤に染めて照れた。ごく普通の、も知っている現代の少年と同じ表情を彼は見せている。も伊作と同じように頬を染めてはにかんだ。
そして、は伊作の隣に寄り添い、風に揺れている野原を見つめた。
今は何も無いこの土地に、これから先、町や人が大勢集まってくる。そして、伊作が所属する忍術学園はそのとき存在しない。歴史の遺物として跡地が残るだけ。けれどもは知っている。その忍術学園に生きていた人たちの事を。
(あたしは……、いったい誰を見ていたんだろう?)
は伊作の顔を覗き込んでそう思った。
現代の世に裏切り者の烙印を押された伊作と、目の前で自分を気遣ってくれた伊作。
2人が同じでも違っていても、が知る伊作はただ1人だというのに。
「本当に不思議な話だなぁ。僕がさっき埋めた種が、の世界では大きくなっているなんて。僕がした事が、後々にも続いていってるんだね」
「そうね。本当に―――」
言い掛けて、ふとは思った。
(伊作が埋めた種は、大きな木になってる。伊作が起こした行動は、ちゃんと現代に伝わっている。だとしたら……)
既に伊作の今の行動は、未来―――の時代で既に成り立っている。忍術学園を裏切った忍として、世に伝えられている。これもまた、過去から現代へ残った伊作の行動の1つだ。
(全てあたしの時代に成立したものは、必ず、絶対に、間違いなく起きる事象って事よね……?)
現にこうして、伊作の埋めた種が育ち、の時代で立派な木に育っている。これはその証拠となるはずだ。
「……」
「?」
「あっ、何でもない……大丈夫!」
急に黙ってしまったを心配し、伊作が顔を覗き込んできた。は何とか笑って誤魔化すように、次の言葉を探した。
「……えっと、伊作」
「何だい?」
「伊作は……、未来ってどう決まると思う?」
「え?」
「未来という結果に辿り着くまでに、色々な選択肢があって、その選んだ選択肢によって結果も変わってくるとか。もしくは、選んだ時点で選択肢は消えていくから、結局結果も変わらない一本道でしかない……とか」
は高く伸びた雑草を払い除け、地面に石で図を描いた。1つは、たくさんの枝別れをしている図。もう1つは、真っ直ぐに枝別れもせず、真っ直ぐ結果に向かう図だ。
「一本しかない方は、既にどれを選ぶか決まっているって事になるけど……?」
「そうね。選んだつもりで、本当は最初から決まった道を進んでる……ってところかな」
「何だか神様みたいな視点だね」
「うん……」
はまさに第三者の立ち位置に近い。
「伊作はどう思う?」
「僕は……そうだなぁ、このどちらでもないかな」
「え?」
伊作は薄く微笑みを浮かべて、の描いた図の隣に新たな図を描いた。その図は枝別れした先の結果が同じになるという、まるでレモンのような形をした図だった。
「たくさんの選択肢があって、それを一生懸命迷って選んでまた迷ってを繰り返す。色々な道があるけれど、最終的に結果は同じ……という感じ」
「どうして?選んだ選択肢はたくさんあるのに、それに合わせて未来は変わるものじゃないの?」
「そうかな?僕には、絶対に変わらない、変えられないルールみたいなものがあると思うよ」
「!?」
の不安が胸に広がる。けれども伊作はと逆で、しっかりとした口調で言った。
「キミは僕に前、『どうあっても人は死ぬ』って言ったよね」
伊作さん、人はあなたが助けようが助けまいが、殺そうが殺されまいが、いつかは必ず死ぬんだよ。それは間違いない事実だわ。
「う……うん……」
「それと同じなんじゃないかな?僕が助けようと助けまいと、人は遅かれ早かれ死んでしまう。それは、変わらない―――変えられない未来の結果の1つになるよね。変えられない出来事って、世の中にはたくさんあるよ」
「何だかそれって悲しいな……」
伊作の言う通りならば、伊作はこれから結局どんな行動を取ろうとも、殺人鬼と手を結び、忍術学園を裏切ってしまう事になる。それを、伊作の口から聞きたくなかった。
だが、伊作の表情は不思議な事に明るかった。
「は何が悲しいんだい?」
「だって、何をどう選んでも結果が変わらないって事でしょう?それって何をやっても無駄っていうのと同じじゃないの?」
「それじゃあ、キミはどうせいつか死んでしまうからと言って自殺をするのかい?」
「!」
「そうじゃないだろう?。死ぬのがわかっているからって、そう簡単に自殺なんかしない。むしろ、その日まで一生懸命生きている。たくさん悩んでたくさん迷って辿り着く未来だったら、例え決まっている結果だとしても、辿り着いた人にとっては意味が違ってくると思うんだ。僕はそうやって納得したいから、たくさん悩む事にするよ」
「…………」
「どうしたの?」
ポカンとして驚いているに伊作は首を傾げた。
「だって、なんかすごいんだもの。伊作ってそんな風に考えていたのね」
「何驚いてるの?これはが教えてくれた事だよ」
「あたしが?!」
「そうだよ。僕が悩んでいるとき、僕を励ましてくれた。それから僕は色々考えて、今の結果に至ったんだ。だからのおかげだよ。ありがとう」
「そ、そんな事……!」
はそのとき何か深く考えて言葉を発したつもりではなかった。ただ自然に、思った事を口にしただけで。
「あたしの方こそ、伊作に色々教わった感じする。……そうだよね。枝の先に咲く花は同じでも、見ている人が変わればきっと同じじゃないよね」
現代に伝わっている裏切り者としての伊作は、世間から冷たい目で見られている。だけど、伊作と出会ったは、例え伊作が史実通りに裏切り者になったとしても違った見方が出来るはずだ。
(伊作は何を思って裏切るんだろう?伊作がたくさん悩んで生まれた結果には、どんな意味が込められているんだろう……?)
気がつくと、伊作の手が自分の手を握り締めていた。よりも一回り大きく温かい手に包まれて、の心まで温かくなっていった。
「、心配しなくても大丈夫だよ。僕を信じて欲しい。この先も不安な事はあるだろうけど、僕を頼って。僕はキミの味方で有り続ける。が苦しいとき、悲しいときには、必ず傍にいるからね」
は込み上げてくる熱い感情に、喉が詰まって声が出なかった。瞳にたくさんの涙を溜めて、伊作の手を黙って握り返した。
何度も頷く度に、の目からたくさんの涙が頬を伝うところを、伊作は優しい顔で見守った。
「帰って来て直ぐに呼び出してすまんが、状況を報告してくれ」
「はい」
村の調査から戻った小平太と長次は、文次郎、仙蔵、食満と同じ下座で村の状況を説明し始めた。
「村は……とにかく酷いです」
「村人の大半はダメでした。畑も土砂で埋まっています。とてもじゃないですが、人間に出来るような事じゃありません」
「……学園長先生はどう思われますか?」
土井が視線を学園長に移せば、難しい表情を浮かべている。静寂の部屋に、ちりっと蝋燭の炎が揺れる音が響いた。
「あの村は、前にも一度被害に遭っておる。慎重になるのもわかる」
「村人たちの話だけが……頼りと言ってもおかしくないです……」
壊滅的被害を受けた村。そこから出てくるのは土砂や壊れた村の家屋ばかりで、有力な物的証拠は何も見つかっていない。
長次が懐から手拭いに包まれたものを差し出した。
「それは何じゃ?」
「村で見つけました!でも良くわかりません!あはは!」
「小平太、それは自信満々で言うことじゃねぇぞ」
食満がビシッとツッコミを入れるが、小平太は大口を開けて笑っている。
包みを開けて、学園長はじっとその物体を見た。ガラスの小さな瓶のようなものの中に、とても細かい砂が入っている。しかもその砂の全体が淡い光を放っているのだ。
「これはいったい……」
土井もまじまじとその物体を凝視する。
「確か南蛮の書に、そのような物が書いてありました。確か、【砂時計】という時間を計る道具だったと思います。それにしても……、私が読んだ砂時計とは形がほとんど違って見えます」
仙蔵はそう言って学園長から砂時計を受け取る。
「しかし、砂時計とやらは光るものなのか?」
「そんな事は知らん」
疑問を投げかける文次郎に仙蔵はぴしゃりと言った。ムッとする文次郎だったが、直ぐに学園長に向き直った。
「それはそうと、強引にでも動くべきではないでしょうか?」
「一刻も早く手を打たなくてはならん事はわかっておる。じゃが、やはりまだ証拠が足らぬ」
「証拠ならありますよ」
その声と同時に、スッと戸が開いた。緑の装束を身に纏う彼は、中へ入って学園長の傍へ膝を折った。
「証拠、とは?」
学園長の言葉を待っていたとばかりに彼は答えた。
「この目でしかと見ました。それでは証拠になりませんか?」
「…………」
「あの女は、テンケイで間違いありません。力を遣って見せていました。十分我々は待ったと思います。それに、向こうも待たされてイライラしている頃ですよ」
彼はニヤリと笑い、学園長の口が動くのを待った。
「……良かろう。他でもないお前が言うことなれば」
「それは光栄ですね」
学園長は険しい表情で静かにこう言った。
「テンケイのを、重要参考人として引き続き監視せよ。何か行動を起こしたときには、速やかに捕縛するのじゃ」
「「「御意!!」」」
学園長の言葉に、彼―――善法寺伊作は薄笑いを浮かべた。