<秘密のランジェリー>
本丸に朝が来た。
眠りについて静かだった本丸に、足音や話し声が響く。その賑やかな音を聞きながら、本丸の主―――は目覚めた。
が私室で目覚めて最初にする事。それは、胸に晒しを巻く事だ。審神者になったばかりの頃は、この晒しを巻く作業に慣れず、手間取っていた。しかし、今ではすっかり慣れて素早く巻けるようになった。
の性別は女性である。標準よりはやや小さめだが、胸はその存在を主張している。
年頃の女性ならば、レースやフリルのついた可愛らしい下着や、セクシーに着飾った煌びやかな下着を身に付けるだろう。しかし、はある考えから晒しを選び、胸を潰して平にしている。
ある考えとは、刀剣男士と呼ばれる付喪神達を束ねる者としての決意だ。
この本丸には既に50名以上の刀剣男士が暮らしている。歴史修正主義者と呼ばれる者達が操っている時間遡行軍と、皆必死に戦ってくれている。
そんな彼等を労うのは当たり前の事だが、1振りだけに気持ちを傾けてはいけない。誰にでも平等に接しなければならない。
神とは言えど、彼等は男神。女性であるに恋愛感情を抱かないという保証はどこにも無い。もちろん、自身も、美しい刀の神々に心を奪われないという保証も無い。聞いた話では、ある刀剣男士に恋焦がれた審神者が、職務放棄をして罰せられたらしい。
(心が揺れる事があっても、自分が男であると思い込んで戒めなければ)
は、女性である事を彼等に隠し、男性として審神者になると決めたのだ。
例え、何の飾り気も無い晒しをきつく巻き付けなければならなくなったとしても。
(慣れたけれど、面倒な事には変わりないな)
そんな事を思いながら胸に晒しを巻いていると、ドスドスという重い足音がこちらに近づいてきた。この足音には聞き覚えがある。
いけない。まだ胸に晒しを巻き終えていない。
は晒しを巻き途中だったが、急いで着物の上着を羽織る。完全に体が隠れたところで、ガラッと何の挨拶も無く襖が開いた。
振り向かなくても誰が来たのかはわかっている。大包平だ。
「おい!入るぞ!」
「……そういう事は、襖を開ける前に言う事だろう」
背を向けたまま、は平静を装って大包平を咎めた。
「女でもあるまいし、お前はいちいち細かいな」
「…………」
そう言われてしまうと何も反論出来なくなるのだが、どうも腑に落ちない。
いつも部屋にやって来る刀剣男士が、ひと声掛けて部屋に入ってくるわけではない。後数秒対応が遅かったら、の柔らかな曲線が暴かれていた事だろう。じわっと背中に冷や汗が滲んだ。
幸い大包平が怪しむ気配は無く、そのままハキハキと話しかけてきた。
「今日は非番だからな。俺は出掛けるぞ」
「そうか。行ったら良いじゃないか。今日は天気も良い」
「そ、それで……、だな……」
「うん?」
急に大包平の歯切れが悪くなった。その珍しい姿に、は大包平の次の言葉を待った。
「お、お前も……、俺と一緒に出掛けないか?」
「え?」
「勿論2人だけというわけじゃないぞ!鶯丸もいる。アイツが、どうしても新発売された茶を飲みたいと言い出したから……」
語尾になってくると、声が小さくなっていく。いつもは煩いくらいに大きな声で話をしているというのに、今はどうしてこんなにまごまごしているのだろうか?
疑問に思っただったが、内心では大包平が自分の事を外へ誘ってくれたのは嬉しかった。大っぴらには出来ないが、は大包平に好意を抱いていたからだ。
(しかし……)
はチラッと自分の胸元を見てから答えた。
「悪いが、遠慮しておこう」
「何?!何故だっ?!」
「済まない。今日は私用で出掛けようと思っていたんだ。事は早急に対処しなければならない」
「……そうか。わかった」
背中越しからでも、大包平がしゅんとしている様子が伝わってくる。そのような気持ちにさせようとしたわけではないが、は胸が痛んだ。
「では、俺は行くぞ。お前も早く支度をしてこい。朝餉が冷める」
「ああ、そうしよう。誘ってくれてありがとう」
「!……また機会があれば誘う。次こそは断るなよ!」
「善処するよ」
大包平が再び重い音を立てながら去ると、はふーっと安堵の息を吐いた。ぐっと胸元の晒しを握る。
(今回は間に合ったけれど、もっと簡単に着られるものじゃないとダメだな)
もたもたしていたら、の秘密が今度こそバレてしまうかもしれない。秘密のランジェリーが必要だ。
は晒しの代わりになる下着を探しに、ランジェリーショップへ出掛ける事にした。
大包平は不愉快だった。というか、残念に思っていた。今朝の出来事を思い出すと、普段自信満々の笑みを浮かべる彼でも暗い気分になってしまう。
眉間に深い皺を刻んでいる大包平の隣で、鶯丸は『ははは』と小さく喉を震わせて笑った。自分とは対照的な態度の鶯丸に、大包平は激怒した。
「おい!鶯丸!何をそんなに笑っている?!」
「いや……。大包平も、主の事になるとそのような顔をするのだなと思ってな」
「……別に、したくしてしているわけではないぞ。アイツが俺の誘いを断るからこんな事になるんだ!」
ついにはここにいないに文句を垂れている。鶯丸は必死に笑いを堪えた。
「まぁ、残念だったな。こうして現世で大包平との逢引きを楽しんでいるのは、主ではなく俺なわけだ」
大包平と鶯丸は、現世のファミレスに来ていた。鶯丸が欲しがっていた茶葉を大量に買った後、こうして休憩をしている。
大包平は鶯丸から飛び出した【逢引き】という言葉に面白いくらい反応した。
「逢引き?!何を言っている。主は男だ。断じて、あ、逢引きを望んでいたわけではないぞ!」
「ほう?その割には、主に誘いを断られて眉間に皺を作っているぞ」
「う……!」
鶯丸は抹茶ラテを一口飲み、言葉を続ける。
「素直になれ、大包平。主を好いているのだろう?例え男だったとしても」
「…………」
煩かった大包平が、この話題になると口を閉じる。鶯丸は肯定と捉えて優しく頷いた。
「主は美しいからな。指揮を執る時の凛々しさも、俺達を出迎えてくれる優しい面差しも、男にしておくのが勿体ないくらいに」
「なっ!?鶯丸、お前も主の事を―――はっ?!」
「ふふっ、大包平はバカだなぁ。そのような言い方では、主を好きだと言っているようなものだぞ?」
「…………。認める事は出来ん。主が、困るだけだろう」
「大包平……」
鶯丸は大包平の観察日記を書くくらい、大包平の事を傍で見守ってきた。だから直ぐに見抜いた。大包平が、審神者であるに対する恋情を。の話題になると、自信満々になったり落ち込んだり、色々な表情で語る事を。
同じ古備前派として、大包平を兄弟のように思っている鶯丸は、どうにか大包平の恋を成就させてやりたかった。
「ままならないものだな。時代が違っていれば、武士の嗜みとして衆道も認められたものを。主の時代では、世間の目が痛い。顕現される時代を間違えたな、大包平」
「それ以前に、男である主が、俺に好意を寄せてくれるわけがないだろう。俺が例え池田輝政に見出された、刀剣の美の結晶だったとしてもだ!くそっ!何故主は男なんだ……?!」
今朝に会いに行った時、『女でもあるまいし』とわざわざ口に出したのは、自分を戒める為だった。しかし、自分で言っておきながら傷ついている自分がいると、大包平は思った。
「大包平が主を恋慕うようになったのは、やはりあの時だろうな。大包平が初めて部隊長に選ばれた時、中傷のまま進軍した日か。全くあればバカだったよなぁ」
「俺の真価を主に見せる時だったからな!だが、結局重症になって本丸へ帰還した時、普段は冷静な主が俺の為に涙を流していたな……」
判断を見誤ったのは大包平だったのだが、は決して大包平を責めず、『審神者である私の責任だ。本当に済まなかった』と泣いていた。凛々しく指揮を執るが、感情を剥き出しにして泣く姿は、不謹慎にも美しいと思った。男にしては華奢な肩を抱き寄せて、全ての害から護りたい気持ちに満ちた。そんな顔をさせてしまったのが、自分だったという事が悔しかった。
「だが、俺も失敗ばかりではないぞ!あの時から俺は一騎当千の力で敵勢を斬り伏せ、数々の武功を挙げてきたんだからな!フッハッハッハッ!」
「その調子だ、大包平。主が男であっても、お前のその胸に抱き寄せてしまえば、きっと主もお前に身を預けてくれるだろう。何せ、お前は刀剣の横綱と呼ばれた刀なんだからな」
「そっ、そうだよな!!……しかし不思議だ。主以外の男を見ても、何も感じないというのに、主にはどうしても触れたくなってみてしまう。何故だ?他の男を目で追いかける事は無いが、気が付くと主の事をじっと見つめている自分がいる。近づくと何やら良い香りがして―――ん?」
「…………」
「なっ、何だ?!その憐みの目は?!言いたい事があるなら、ハッキリと言え!」
ぶっちゃけると、鶯丸は大包平とは違い、が女性だと見抜いている。恐らく他の何振りかも気づいているだろう。
だが、審神者に仕える刀剣男士としては、主の考えを尊重したいと考えている。男装をする理由はわからないが、主がひた隠しにしている事を吹聴するなど出来ない。いくら大包平が相手だったとしても、その真実を告げるわけにはいかない。もし真実を知るなら、それは自分で気が付くか、主自らが告げるかのどちらかが望ましい。そのように鶯丸は考えていた。
(それはそれで歯痒いものだな……)
ヒントはこれまでにいくつか出している。今朝も大包平にの部屋を訪れるように言ったのも、実は鶯丸だ。朝の支度に偶然居合わせれば、何か気づくかもしれない。そう思ったのだ。だが、それは失敗に終わった。
(確かに主は武道にも秀でているし、小柄な男性だと思えなくもないが、持っている雰囲気は女性だ。俺と同じ古備前だというのに、大包平は本当に鈍い)
を疑う事無く完全に男だと思っている大包平が、ここまでくると憐れに思えてならない。
「大包平、まぁ……頑張れ。俺はお前の味方だぞ」
「ん?何を今更?鶯丸が俺の味方など、当たり前だろう」
「何でもない。こちらの話だ。それより、あそこに立っているのは、主ではないか?」
「何っ?!主だと?!」
鶯丸が指さす方を見てみれば、確かにが駅前の広場に立っていた。ストレートのパンツに、落ち着いた色合いのYシャツを身に付けている。普段の審神者としての服装ではない新鮮な姿に、大包平は目を輝かせた。
「あれは確かに主だな……。現世ではああいう服を着ているのか。そういえば、今朝出掛けると言っていたぞ。あれは現世の事だったのか」
「大包平、見惚れていないで行って来たらどうだ?俺はもう用事が済んだから本丸に戻るぞ」
「鶯丸は来ないのか?」
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて地獄に落ちると言う。せっかく2人になれる機会なのだから、野暮な真似はしない。健闘を祈る」
「なるほど。恩に着るぞ、鶯丸!」
ファミレスを出た後、鶯丸とはそのまま別れ、大包平は改めて主に声を掛けようと近づいた。すると、大包平が近づく前に、1人の女性がの元へ走って行く。も彼女の姿を捉えて、朗らかな笑みを見せた。
(誰だあの女は……?!)
大包平は咄嗟にビルの陰に隠れて様子を伺った。
と親し気にいくつか会話を交わした後、彼女はぎゅっと抱擁した。そしてもそれを受け入れ、両手を背中に回している。その瞬間、大包平は雷に打たれたような衝撃を受けた。口を大きく開けて、そのまま固まってしまう。
(なっ、何だとおおおお?!)
声を発せなかったのは、その光景があまりにも衝撃的だったからだ。もし大声を出していたら、と女性に気づかれてしまったかもしれない。不幸中に幸いである。
大包平はガクガクと可哀想なくらい震えた。
(抱擁しただと?!しかも、こんな街中で、人目も憚らずに……!)
はどちらかと言えば大っぴらに感情を表すタイプではない。しかし、大包平の見つめる先のは、とても嬉しそうな表情で抱擁を交わしていた。つまり、相手の女性はそれだけが心を許している相手という事になる。
(おのれ〜〜っ!主と抱擁をするなど、あの女は何者だ?!……まっ、まさか、主の女なのかっ?!)
は大包平から見ても整った面立ちをしている。小柄な男性とはいえ、その美貌ならば異性からもモテるだろうと直ぐに推測出来た。今思えば、そんなに恋人がいない方がおかしいというもの。
(いや、待てよ……。血縁者なら、久しぶりに再会して抱擁する、という事もあるだろう。粟田口の兄弟達が良い例だ)
粟田口の刀達は仲が良い。じゃれ合って抱き合う事も多い。もしかすると、あの女性はの妹や姉で、審神者業に忙しいと再会を果たしただけかもしれない。必ずしもの良い人というわけではない。大包平は、半ば祈る様な気持ちで達の様子を観察した。会話が雑踏のせいで聞こえない事がもどかしい。
「久しぶりね!、元気にしていた?」
「私は元気だぞ。そっちこそ元気だったか?」
この活発そうな美人の名前は。の親友である。当然が女性である事も知っているし、の恋人でもない。
「勿論よ!だって、元気にもなるじゃな〜い?があたしに『下着を選ぶのを手伝ってくれ』、なんて頼むんだから。オシャレとかあんまり興味無いが、下着を選んでくれなんて……!」
「!、そんなに声を上げるな。……恥ずかしいだろう」
「まー!赤くなっちゃって可愛いっ!」
はぎゅっとの頬を両手で挟んだ。挟まれて潰れた顔のまま、はぶすくれた表情になる。しかし直ぐに笑顔に変わった。
「懐かしいな、こんなやり取りも。と高校生だった頃を思い出す」
「そうね。あの頃はふざけ合って楽しかったし」
「スキンシップが好きで、良くこうやって頬をぐにぐにされてたな」
「のほっぺは柔らかいのが悪い!さーて、それじゃ行こうか。あたしのお勧めのお店があるから、そこで選びましょ!」
「宜しく頼むよ」
「ほら〜、手、出して」
「あー、わかったわかった」
が伸ばした手を、は慣れたように繋ぎ、そのまま歩き出した。は審神者になる前から動きやすい服装を好んでいたせいか、男に間違われる事もあった。そんなをは面白がってカップルの振りをしたがるのだ。特にカップル割引が適用されるカフェなどに行く時は、いつもの同伴を務めていた。
つまり、とにとっては驚く事でも何でもない光景なのである。しかし、この仲睦まじい姿を見せ付けられ、鋼色の瞳を涙で滲ませる男がいた。
(あの女!主と軽々しく手を繋ぐとは……!くっ……、いじけてなどいないぞ俺は……!)
大包平は達の後をこっそり追いかけ、の正体を探る事にした。
は審神者としての能力なのか、誰かに見られているような気がした。
(何だ?誰かの視線を感じる……。不審者か?狙いは、恐らくだな。は美人だし、見惚れるのは無理もない)
「、どうかした?」
「いや、何でもない。行こう」
まさか大包平だとは全く気づかず、はの手をしっかりと握った。
大包平は一定の距離を保ちつつ、達を追う。仲良さそうに言葉を交わしている達に、大包平は嫉妬の炎を燃え上がらせていた。
(あの女、主の血縁者だったとしても許せん!確かに美女かもしれんが、俺はあの池田輝政に見いだされたんだぞ!俺の方が美しいに決まっている!あの女はいったい主をどこへ連れて行くつもりだ……?)
達はデパートの中へ入って行き、大包平もそれに続いて入った。
達はある店の前で足を止めた。大包平はその店を見て衝撃を受けた。ショーウィンドウに飾られている女性のマネキンは、繊細なレースやリボンで縁取られたランジェリーを身に付けてポーズを決めている。店の入り口からもわかるこのファンシーな雰囲気は、間違いなく女性用下着の店だ。可愛らしいフォントの【チェリーブロッサム】という看板が掲げられている。
(なっ、何〜〜〜?!)
大包平が再び雷に打たれていると、は少し恥ずかしそうにしているの手を引っ張った。
「さ、入ろう!ここのお店が1番可愛いし、種類も豊富なのよ。が探している下着もきっとあると思うわ」
「こういう店には入った事が無いが……。やはり恥ずかしいものだな。私のような者でも、きちんと選べるだろうか?」
「問題ないよ〜。お店の人が色々教えてくれるから」
に言われてはランジェリーショップの中へ入って行く。大包平は物陰でその様子を伺いながら、様々な激しい感情に襲われていた。
(あそこは、女物の肌着を売る店だ!あの女が血縁者だったとしても、普通は異性の兄弟とは一緒になど入らないだろう?!むしろ一緒に入店するなど、絶対に避けるはずだ!……やはり、あの女は主の……)
そこまで考えて、燃え上がっていたはずの嫉妬の炎が急に消え、冷や水を浴びせられたような気分になった。
男女がランジェリーショップへ一緒に行く間柄など、答えは1つだ。恋人関係で、しかもかなり親密だと言って良い。との接し方は、まるで何年も付き合っている熟年カップルのようだった。大包平はこの現実に打ちのめされ、膝から崩れ落ちた。通り過ぎる人々の視線など気にせず、ただ無意味に床を見つめた。
しかし、ここでただ惨めにいじけているだけではないのが大包平だ。大包平は再び感情の炎を燃え上がらせる。それは嫉妬ではなく、怒り。そう、大包平は怒っていた。
(主をこんな破廉恥な場所へ連れ込むなど……!例え恋仲同士だったとしても、女の肌着にまみれた場所へ行くのは苦痛なはずだ!主は恥ずかしい思いをしているに違いないっ!主は優しいからな、本当は嫌だと言い出せないだけだろう。俺だって主と同じ男だ。気持ちは十分わかっている!!そう、あの女よりもな!!)
すくっと立ち上がり、大包平は思わず勝ち誇ったような笑い声を上げた。周囲の人は大包平に奇異の視線を向け、子供は指をさしている。大包平にはまるで周りが見えていないようだった。
「あのような破廉恥な振る舞いをする色魔女は、主から引き離さなければならない!色魔女に渡すくらいなら、男であっても構うものか!主は俺が奪い取るまでの事!!」
ついに大包平が心に抑え込んでいた言葉を口に出し始め、いよいよデパート内がざわつき始めた頃、とはランジェリーを選んでいた。
(今、外で聞き覚えのあるような声が……。気のせいか?)
「はどんな下着が良いの?あ、このブラ可愛い!」
「そうだな……。手早く着替えられて、胸を潰せるものが良い。なるべく平らに見えるようにしたい」
「えっ?!胸は盛ってこそでしょー?!」
「色々事情があって。それに、私は盛るほど胸は無い」
「そういう胸こそ盛り甲斐があるのに!小さなおっぱいには、大きな夢が詰まっているのよ!」
「そうなのか?初めて聞くぞ……?」
「そうなんです!うーん、そうねー、平らにしたいなら、和装ブラとかどうよ?ここって、着物のお店じゃないけれど、下着だから和装用のブラも置いてあるのよ。ほら、和装って胸を平らにしないと不格好になるでしょ?可愛い模様のやつもあるみたいだし、にお勧め!」
「なるほど、そういうものがあるのか」
「あ!でも、その前に、はこっちの着てよね」
はそう言って、に下着の上下セットを差し出した。ヨーロピアンな装飾を思わせるレースに、愛らしい小花の刺繍が散りばめられている。脇から胸を寄せ集めてくれるタイプで、小さな胸でも魅惑の谷間が出来るものだ。淡いすみれ色が乙女心をくすぐる。
はぎょっとして目を見張った。
「私がこれを?」
「そうよ!だって全然こういう可愛いやつ身に着けないでしょ?本当はこういうのに憧れてるって、知ってるんだからね」
「う……」
は中性的な外見だ。それを周りから指摘された時から、は女性らしいものを避けるようになってしまった。だからと言って、男性になりたいわけではない。ただ、自分に似合わないと思っているだけだ。
「って自分の可愛さには全然気が付いてないわよね〜」
「でも、私は―――」
「下着選ぶの手伝ってあげてるんだから、これくらいの役得はありでしょ!滅多に見られないの女の子っぽいところ見たいの!さ、着てちょーだい」
「わ、わかった……」
ここには刀剣男士達もいないし、自分の事を男性だと思っている人もいない。
は店員に案内されて試着室へ入った。
ブラジャーを着けるのは、審神者になってから初めての事だった。は乙女心の塊とも言える可愛いブラジャーを前に、自然と笑みが零れた。
着けてみると、自分にピッタリのサイズで、着け心地も悪くない。ストラップを調節して、脇に流れた胸の肉を集めて納めれば、自然な谷間が出来た。晒しを巻いていた頃には出来ていなかった谷間の出現に、はブラジャーの機能性の高さを実感する。淡いすみれ色は、の白い肌に映えた。
(胸が解放されたような気分だ。着け心地も良いし、作りもしっかりしているな)
和装ブラだけを買うつもりだったが、こういうブラジャーも良いかもしれない。
そう思った時だった。突然、男の声が耳に飛び込んできた。試着室にいるせいで良く聞き取れないが、何か怒っているような声色だった。
(男?何故この店に?)
ランジェリーショップは確かに男性も入れるが、女性客に比べて圧倒的に少ない。カップルかもしれないと思ったが、男の大きな声が響いている。客やカップルというわけではなさそうだ。
「ちょっと、アンタ誰?」
「!」
試着室の近くにいるであろうの困惑した声が聞こえた。
(そういえば、と一緒にいる時に感じた視線……。まさか、のストーカー?!ここまで追って来たのか?!)
粘着質なストーカーが、を狙っているのではないか?緊迫感がに襲い掛かる。
重たい足音が試着室の方へ近づいてきた。いよいよ狙われているのはだと察知して、はブラジャー姿のまま、試着室のカーテンを素早く開けた。
「きゃっ?!?!」
「!ここに隠れていろ!!」
は半ば強引にの手首を掴んで試着室へ放り込んだ。そして、は試着室の前に立ちはだかった。誰もここへは通さないと両手を広げた瞬間、ストーカーがの前に姿を現した。
「ここにいるのはわかっているぞ!主にとり憑く色魔女め!主は俺が―――」
「大包平?!」
ストーカーはの見知った人物―――大包平だった。想い人であるをランジェリーショップから救い出す為、勇敢にも女の花園へ乗り込んで来たのだ。勿論を男だと勘違いしたままで。
大包平はを見て一瞬表情が無になり、そこから彼の髪の色のように真っ赤になった。耳の裏まで全て赤い。今まで見せた大包平のどの表情よりも面白い顔をしている。
「あ、主?!本当に、主なのか……?!」
「大包平、いったいどうしてこんなところに―――あっ?!」
は大包平が何に凝視しているのか気づき、『しまった』と思った。だが、もう遅い。今の自分は、女性の象徴を、肌を、大包平の前に晒しているのだ。
「主?!その身体は……?!あ、ああああああ?!お、お、おん、なっ……?!主が、女だと……?!」
「大包平、こ、これは……その……」
「主に、男の主に、胸が……っ?!どうなっているんだ?!」
「いや、だから……」
珍しくが歯切れ悪くなっていると、が試着室のカーテンをシャッと開けた。そして、よりも頭1つ分以上大きな大包平に渾身の腹パンを決めた。
「うぐぅっ?!」
「?!」
「、下がってて!コイツ変態よ変態!あれ?!イケメン!!でも変態!店員さん!この人、痴漢ですっ!!」
「誰が変態だ?!お前の方が変態だろう?!男の主をこんなところに連れ込んで、何をするつもりだ?!」
「はぁ?!男?!何言ってるのよ、アンタ。この子のどこをどう見たら男に見えるわけ?は立派な可愛い女の子でしょー?!ほらっ!」
「うっ?!鼻血が……」
「きゃーっ?!何見てるのよ!やっぱり変態だわ!」
「貴様が主を見るように促してきたんだろうが……!」
「はは……もう収拾がつかない」
店員が警察に連絡を入れそうになったところで、ようやく3人は我に返り、慌てて店員を止めに入った。が大包平と知り合いである事や変質者ではない事を告げて、ようやく事態は収まった。3人以外の客がいなかった事が不幸中の幸いである。結局この騒動があったせいで、新しい下着は買えなかった。
迷惑を掛けてしまったに謝罪しつつ、駅まで送り届けた。残された2人は、茜色の空の元、ぎくしゃくした雰囲気の中で本丸へと歩き出した。
沈黙を破ったのは大包平だった。
「主は、女だったんだな。全く気が付かなかった」
「……隠していたからな。本丸の中には、気づいている刀剣もいるだろうけれど」
「何故女である事を隠していたんだ?!俺はそのせいでどれだけ悩んで―――いや、責めるつもりで言っているわけではないぞ」
(悩んで……?)
良くわからないが、は覚悟を決めて話をする事にした。
「刀剣達を騙そうと思っていたわけじゃない。私が弱いのがいけないんだ」
「弱い?主の何が弱いんだ?」
「最初は自分の気持ちを引き締めるためにと男装を始めた。だが、皆平等に接するべき立場にいるというのに、私にはそれが難しいと気づいてしまったんだ。……大包平、君に出会ってしまったから」
「俺が?何だと言うんだ?……?!」
大包平は何の事を言っているのか理解出来ず、の方を見た。すると、熱っぽい視線を向けてくるがそこにはいた。が女性だとわかってから、余計に感じるその熱に、大包平はくらっとした。
「私は、君に恋をしてしまったんだ。君の事を目で追いかけてしまうし、君の姿が見えないと寂しい」
『俺だってそうだ!同じ気持ちだ!』と大包平は叫んでしまいそうになった。しかし、の薄暗い表情を見て顔を強張らせ、言葉が喉に張り付く。
「こんな気持ちは、抱いてはいけないと思った。私は審神者で、君は刀剣男士。私が君だけを見つめ続ければ、きっと本丸は上手く機能しなくなる。……自分が男に生まれた事にすれば、自制出来ると思った。刀剣達に迷惑を掛ける事も無いだろうと」
は『ふはっ』と噴き出して、はにかんだ笑顔になった。
「しかし、バレてしまったな!」
隠し続けてきた事から解放されて、は清々しく感じていた。
目を細めて、女性の笑顔を見せるに、大包平は込み上げてくる気持ちを抑えられなかった。グイっと乱暴に腕を引き、人目も憚らずを抱き締めた。初めて触れたの感触はとても柔らかく、本当に華奢だった。が女性である事や、護らなければならない存在だと主張してくる。
「大包平……?!どうした?」
「さっきの、主の友と一緒にいる姿を見て、俺は頭に血が上った」
「え?」
「お前の友に嫉妬した。主を男だと思っていて、主には想い人がいるのだと思った時、狂おしいほどに嫉妬した。主が女だとわかって、これから先は主に接する本丸の奴らにも嫉妬しなければならなくなった。どうしてくれる?!」
「ええっ?!そんな事を言われても……」
「秘密を知ってしまったわけだが、その責任は主にもある。だから……」
「だから?」
「だから、責任を取って、俺の女になれ!!主!!」
「?!」
返事をする前に、の両頬は大包平の硬い手に包まれ、勢い良く口付けられた。押し付けられた唇は、思っていたよりも柔らかく、とても熱かった。離れる瞬間に見えた鋼色の瞳が、とても美しいと感じて、は目を細める。
「良くやったぞー!大包平!」
「鶯丸?!どうしてここにいるんだ?!」
「え?!鶯丸だって?」
突然背後から気配がしたと思ったら、それはとっくに本丸へ帰ったと思っていた鶯丸だった。その手には、分厚い大包平観察日記があった。
「大包平の恋路を記録しておかねばなるまいと思ってな、つい後を追いかけてしまった。全て見ていたぞ。本当に良くやったな、大包平!主が女性であると気づき、見事に想いを成就させるとは、やるじゃないか」
「う、鶯丸ーっ!お前、場の空気というものを考えろおおお!!というか、お前は主が女だと知っていたのか?!何故俺に教えなかった?!」
「その方が面白―――いや、主の隠している事を俺が暴露するわけにはいかないからな」
「今本音を言いかけただろう?!」
大包平はぎゃいぎゃいと鶯丸に怒り、鶯丸は満足げに微笑んでいた。
(私の悩んでいた事は、この程度のつまらないものだったのかもしれないな)
がホッと胸を撫で下ろし、大包平を見ると、大きな手を差し出された。
「大包平……?」
「ほら、帰るぞ。友とは手を繋げて、俺とは繋げないなど言わないだろうな?」
「……そうだな。私は、君の女、なのだから」
その返事を聞いて、大包平はパアッと明るい表情になり、『そうだろう!そうだろう!』との華奢な手を握る。
秘密のランジェリーを買うのは、また後日になるだろう。もう隠す必要は無いので、次に現世へ行く時は、大包平を誘おうと思うだった。