(また視線を感じる……)
このカフェ【Date】でバイトをしている高校生――は今日も視線を感じていた。
Dateは大通りにあるカフェではないが、イケメンの店長とバイトがいるので、それを目当てに大勢の女性客がやって来る。多くの視線が飛び交うカフェなので、が視線を感じてもおかしくない。だが、それでも自分に絡みつくような視線は初めてだ。視線の主をこれまで何度も探したが、見当たらない。週に一度はこの絡みつく視線を感じている。
「どうしたの?大丈夫?手が止まっているけれど」
「あ、店長」
ポンと肩を叩かれて、は我に返った。ツンツンと無造作に跳ねるセットされた黒髪。ビシッと着こなしている黒のベストにネクタイ、カフェエプロン姿の店長――燭台切光忠は、カフェの店長と言うよりもホストの店長のようである。眼帯に隠された右目と恐らくお揃いの金色の左目は穏やかだ。このホストのような見た目で、オシャレな今時の料理が作れるギャップが、女性たちの心を鷲掴みにしている。
「店長、何でも無いです。それより、何か御用ですか?」
「そろそろ時間だろう?お祖母さんのお見舞いの時間」
「あ、はい。そうでした」
はテーブルの上の後片付けをする手を早め、布巾で丁寧にテーブルを拭く。
それからバックヤードに戻って、カフェの制服を脱いだ。
(もしかして、ストーカーかと思ったけど、そんなはずないよね……)
は恐ろしい想像を頭を振って消し去る。
高校の制服に着替えると、夕方と夜の間の外へ出た。赤い車のテールランプが尾を引いていた。
病室ではの祖母がベッドで待っていた。病室に来たのがだとわかると、ゆっくり体を起こして迎え入れた。
「お祖母ちゃん、ごめんね。今日は遅くなっちゃった」
「気にする事無いよ。アンタ、バイトの方は大丈夫なの?」
「平気。店長、良い人だから」
「そうかい。でも、あんまりアタシの事ばかり気に掛けなくても良いよ。アンタの生活に障る」
「それこそ気にしなくて良いよ。障りなんて無いから。お祖母ちゃん、早く良くなってね」
は祖母と2人暮らしだ。が小さい頃は母と祖母と3人暮らしだった。父親の事をは殆ど知らない。1枚の写真でしか父の姿は見た事が無く、母からは芸能関係の仕事をしていたと聞かされているだけだ。父親の事は何となく聞いてはいけないような気がして、は結局殆ど何も知らないのだ。
の母は、が小さな時に亡くなった。交通事故だった。駆け出しの女優だったの母の事故は、小さなニュースになった。それを当時のは病院の待合室で観ていた。アナウンサーの読み上げる無機質な声が耳にこびり付いている。
あの事故から祖母と2人で生きてきた。当然経済的な余裕など無く、毎日かつかつの生活だ。祖母はいくつもの仕事を掛け持ちして無理がたたり、今はこうして病院に入院している。が中学を卒業してようやく高校に入学し、バイトを始めた頃の事だ。
いつもの他愛の無い会話をしていると、ポツポツと話が途切れる。そのタイミングで祖母はワントーン低い声で言った。まるでその時を見計らっていたかのように。
「そろそろアタシもお迎えが来るよ」
「お迎え?」
「そうさ。天からのお迎えだよ」
「そんな事……。そんな弱気な話、聞きたくない」
祖母は厳しくて芯の強い人だ。が知る限り、弱音など吐いた事が無い。倒れた時もそうだった。しかし、今のは弱音とは違う。恐らく祖母が思う真実なのだろう。
祖母は優しく語りかける様に言った。
「、後の事は準備してあるから心配無いよ。そうそう、遺言書もあるからね。それに全部――」
「嫌!」
思わずは祖母の話を遮った。大人びたらしくない態度だった。
「お祖母ちゃん、そんな事言わないで。お金が心配なの?私、今はただのバイトだけど、高校卒業したらちゃんと正社員で働くから。だから、大丈夫よ。そんな事言わないで」
「、アタシの身体の事はアタシがわかってる。には迷惑を掛けるけれど、心配はいらないよ。アンタなら、きっと大丈夫」
にも何となくわかっていた。祖母が随分弱ってきている事を。2人で暮らしていた時、祖母はふっくらとした体形をしていて、今ほどガリガリに痩せていなかった。腕には点滴がいくつも繋がれていたが、今は血管が弱っていて刺す事が困難になっていた。
実際に本人から話を聞かされると辛いものがある。
「ごめん、お祖母ちゃん。今日は帰るね……。明日はまた元気な私に戻るから」
そう言って、は無言の祖母を残し、病室を後にした。
外はもう大分暗い。車の赤いテールランプが更に濃く光っている。1人になる怖さを慰めるように、は革の鞄を両腕に抱いて早歩きをした。
自宅のボロアパートが見えてきたところで、のスマホが音を奏でた。画面には、先程までいた病院の名前が表示されている。怖いくらいに心臓が高鳴った。口から心臓が飛び出してしまいそうだった。
「もしもし……?」
スマホに耳を当てると、病院のスタッフからが最も聞きたくない事を告げられた。
の祖母はやはり自分の死期が近い事をわかっていたようだ。が心持半分でいても、淡々と葬儀の準備はされていった。祖母が前以て手配してくれていたのだろう。の心が止まったままに対して、葬儀は滞りなく済んだ。参列者はだけの葬儀。小さな小さな家族葬だった。
葬儀を終え、壁の薄いボロアパートに戻ると、ドッと疲れが圧し掛かってきた。は寝室の煎餅布団に制服のまま倒れ込んだ。今まで聞こえた事の無かった壁時計の音がやたらと耳に入ってくる。
「お祖母ちゃん……」
ぽつりと呟いた一言で、はハッとなった。そうだ、祖母の遺言書がある。祖母が最期の日に言っていた遺言書だ。
は直ぐに起き上がって遺言書を探した。祖母の使っていた机や箪笥、母の仏壇の中まで思い当たるところは全部見た。しかし、どこにも遺言書らしき物は見つからなかった。
「どうして?どこにも無い……」
一瞬祖母の勘違いかとも思った。しかし、祖母の頭はしっかりとしていた。遺言書のような大切なものの事を間違えたりしない。
では、どこに?
その後もは祖母の遺言書を探したが、見つからなかった。手掛かりも無いまま四十九日を迎えてしまった。
寺の中にある一室で、僧侶を迎えるのはだけ。僧侶の礼に合わせ、祭壇に手を合わせる。更に一礼すると、部屋の中が線香の煙たい香りに包まれた。
僧侶の低くて別世界のような読経が鼓膜を震わせる。その間、は自分の足元ばかり見ていた。
葬儀の時も独りだった。は独りで行動する事が多かったが、今日ほど独りで心細く感じる時は無い。じわりと目頭が熱を帯びる。
(嫌だ……、葬儀の時だって泣かなかったのに)
今になって祖母の死を実感している。が唇を噛み締めて耐えたその時だった。
「邪魔をするぜ」
若い男の声だった。読経が中断され、が顔を上げて振り向くと、上品な葬儀用のスーツに身を包んだ若い男が立っていた。長いウルフカットは銀髪で驚くほど目立っている。光忠より深い金色の目は、意思の強さと関心の深さが現れていた。儚い印象とは裏腹に、男は堂々との元へ歩いて行く。は慌てて熱くなっていた目頭を拭い、頭を下げた。
「あの……、祖母の――知枝のお知り合いの方でしょうか?」
「ああ、知り合いだ。だが、今日は君にも用があって来た」
「私に?」
「そうだとも」
男は懐にある内ポケットから用紙を取り出した。その用紙には、【養子縁組】と書かれており、養父になる欄に名前が既に書かれてあった。
男はが用紙の内容を読み終わったタイミングで言った。
「初めまして。俺の名前は鶴丸国永。今日から君のパパになるから、宜しくな!」
「……え?」
青天の霹靂。は小さく呟くだけで精一杯だった。