◆◇ 01 転校生
私が初めてその存在を認識したのは、4歳のときだと思う。
私は全然覚えていないけど、お母さんは私が4歳のとき、幼稚園からの帰り道にこう言ったらしい。
「あのね、お侍さんがたくさんいたよ」
その幼稚園を卒業して何年も経ってからわかったことだが、あの幼稚園が建つずっと前の戦国時代に、あの場所は武士の処刑場だったという。私が視た侍は、そこで処刑された人だったのかもしれない。
この出来事を境に、私にとっての地獄が始まった。
気がつけばじっと視線を感じるようになり、気がつけば聞こえない声を聞いていた。
気がつけば姿の無い者を見ることが出来て、気がつけばお線香の匂いを感じ取れるようになっていた。
私は1度だけ友達にその事実を話したことがあった。
だけど私はそれからというもの、同級生達から『気持ちが悪い』と言われて無視をされ続けた。
私はそれから黒いフレームのメガネをかけるようになった。目が悪いわけじゃない。だけど、少しでも、アレが視えなくなるように、と。誰も私を見えないように、と。
誰かに知られてしまうのは嫌。
私の心を誰も埋めることは出来ない。
「初めまして、と言います」
新しいクラスメイトたちに挨拶をする。
『よろしくお願いします』とは、言えなかった。
転校した理由の1つのは、この氷帝学園に立派な寮があって、セキュリティーもしっかりとしているからだ。家族が既にこの世にいない私にとって、とても都合の良い条件だったのである。
「本当にあの部屋で良いの?」
「はい、大丈夫です」
寮は5階の1番端の部屋に決めた。少々顔を引きつらせている用務員の中年女性が私にそう言った。
実は、あの部屋では自殺した女子生徒の霊が夜中にうめき声を上げるという噂があるのだ。だから3年間、誰も入寮していないらしい。
しかし、 私にはすぐここの部屋には何もいないと感じ取っていた。この部屋で自殺した人間はいない。少しカビ臭く、端の部屋というだけあって前の廊下は薄暗いところもあるが、気配は感じない。そもそも噂が流れだした3年前、その女子生徒は15年前に自殺したという。もしも事実であるなら、15年前の自殺直後の年から噂になるだろう。
私はその手の噂には慣れていた。だいたいは真実ではない。そして今回もそれが当てはまる。
もし本当の話なのだとしたら、私にはきっと視えるはずだ。視てしまった後はろくに眠れず、時には吐いてしまう。酷い場合にはそのまま動けなくなり、やがて意識を失うこともある。そして、激しい恐怖を体験することになるのだ。
私は先に届いていた生活用品の段ボールを開けて荷物を出して並べた。
「不気味だわこの部屋……。やっぱり止めておいたほうが良いと思うけど」
おどおどしながら女性は部屋のドア前までで足を進めようとしない。
「平気です。この部屋からはとっても良い景色が見えるんですよ」
それは本当の事。だけど、女性は困ったように笑いながら『へぇ、そうなの』と言うだけで入ろうとはしなかった。
私はそれと同じようなことを知っている。窓を開けてベランダへ出た。この端からでしか見えない公園の花時計が視界に入る。
何も知らないくせに。
人は未知というものを嫌う。少しでもおかしなところがあれば近づかない。防衛本能が作動するんだ。噂に縛られたまま耳を貸さず、綺麗な花時計の風景も知らない。
昔を思い出したようで 私は寒気がした。
誰も近づきたくない場所なら、私にとって大歓迎だ。
「私1人でも大丈夫ですよ」
女性はその言葉を待っていたとばかりに『そうなの。じゃあ、荷物整理がんばってね』と言い残して去っていった。
次の日から私は学校で授業を受け始めた。授業は当然全部途中からの内容だったけれど、隣の席の子が親切にも掻い摘んで今やっているところを教えてくれた。
「―――というところまで授業やってるよ」
「教えてくれてありがとう」
これで授業に集中出来る。そう思ったところで、彼女は私が教科書を出していない事に気付いたらしく、目を少し見開いた。
「あ、もしかして教科書まだ無いの?」
「え……、あぁ、うん。数学の教科書だけはまだ……」
「だったら、あたしと一緒に使おう?」
「でも……」
「いいからいいから。先生、さんの教科書まだ無いから、机くっつけて見せてあげても良いですか?」
「、教科書まだ届いていなかったのか。構わないぞ。見せてもらえ」
「はい」
私が返事をすると、『それで宜しい』という笑顔で机をくっつけてきた。私はハッとして小声でお礼を言う。するとノートの箸に可愛らしい文字で『大丈夫!』と書いてくれた。
彼女の優しさに少し胸が温かくなり、私の初授業は無事に終了したのである。
授業が終わっても、彼女は机をくっつけたままで私に明るく話しかけてきた。
「ねえさん、学園を案内をしてあげようか?まだ慣れてないでしょう?」
「……私、ちょっと予定があるんだ。ごめんね……」
「そうなんだ。あ、もしかしてカッコいい男の子に案内の約束してもらったとか?」
「え?!それは無いよ……!」
私が断ってしまったにも関わらず、彼女は嫌な顔ひとつ見せず、逆に私を笑わせようとしてくれる。それだけに今回の申し出を断るのは申し訳なかったと思う。
放課後に用事があるのは本当だけど、大した事じゃない。私にとって危険な場所があるかどうか、視て回るためだ。一緒に学園を回っている最中、アレに出遭ってしまったら面倒な事になってしまう。下手をすると、彼女に迷惑を掛けてしまうかもしれない。せっかく知り合いになれた相手には、そんな思いをさせたくなかった。
彼女はふと『ああ、そうだそうだ』と、何かを思い出したように呟いた。
「あのね、物理室に幽霊が出るって噂があるの!放課後になると、受験に失敗して自殺した男子生徒が出るんだってさ」
「え?」
「七不思議の1つらしいよ。なーんか怖いよねー」
とは言っているけれど、彼女は全然怖そうにしていない。むしろ不可思議な事を楽しんでいるみたいだ。
「つか、受験に失敗したのはわかるけれど、何で物理室で自殺?物理に並々ならぬ想いがあったとか?」
「ど、どうだろうね……」
「ま、あくまで噂だから。それに、あたし幽霊は信じない方だよ。さんは?」
「えっ!?」
「?」
幽霊を信じるかどうか。そんな事を聞かれるとは思わなくて、私の思考は一瞬停止してしまった。
信じるも何も……。
私は曖昧な笑顔を浮かべるしかなく、椅子から立ち上がった。
「その、私……、そろそろ行きます」
「そっか。じゃ、また明日ね」
「うん、今日は色々ありがとうございました」
「気にしなくても良いよー」
私の方が先に行くと言い出したのに、彼女はさっさと鞄に荷物を詰めて教室を出て行く。残された私は、さっき彼女が言っていた噂について思い返した。
物理室の自殺者……。物理室は、私が寮に帰るときに通る場合もある。寮の噂と同じように、ただの人の作り話である方が多い。でも、一応確かめるべき事だ。ちゃんと確かめて、自分の中にある不安を取り除いておきたい。新しい学校に来たばかりなのに、変な噂になんて惑わされたくないし……。
しかし、本当に……、万が一噂が本当だったら……。それを思うと、嫌な汗が出てくる。だけど、どの道物理室は授業で使う場所だ。近い内にどうせそこへ行く事になる。そして、今の私には頼れる人はもういない。
私は覚悟を決めて、噂の真相を確かめるために鞄を持って教室を出た。
氷帝学園は見た目の通りとても大きかった。渡り廊下から見える中庭もすごく手入れがされていて、まるでおとぎの国にでも迷い込んだみたいだ。
音楽の施設が充実していて、部屋を予約すれば個室でピアノが弾けるくらいに。音楽大学くらいの設備があるんじゃないかと思う。
これ以外にも、氷帝学園は生徒のさまざまな能力を引き出すため、すごいお金を掛けているらしい。教育熱心なのはわかるけれど、ここまでするのはすごい事だ。
もう直ぐ物理室前だ。この辺りにはあまり生徒の姿は見えない。やっぱり物理室に纏わる怪しい噂の事を気にしているからなのかも……。そう思ったときだった。
「!」
ふわりと優しく品のある香りがした。この花は、白梅。白梅香である。でも、私以外生徒はいない。ましてや香水を付けている人なんて。
私は立ち止まり、物理室の扉をジッと見つめた。鼻腔をくすぐるこの香りは、この物理室の中からのような気がする。
昼間に同級生が言っていた、大学受験に失敗して自殺した男子生徒の幽霊なのだろうか?それにしたって、男子生徒が香水なんて付けるのはおかしい……。
意識を集中する。もしその男子生徒がいるのなら、もっと何か感じ取れるはずだ。血も凍りつくような、あの感覚を。だけど、今の私には何も感じ取ることができなかった。嫌な感じは一切しない。
だったら、コレはいったい何?
純粋な想いが込み上げてくる。これが何なのか知りたい。周りには誰もいない事を再度確認し、私はそっと物理室の扉に手をかける。鍵はかかっておらず、すっと開いた。
その瞬間、白梅香の香りが消える。代わりに薄っすらと薬品のツンとした匂いが肺に入ってきた。
そして物理室にいたのは、
「珍しいなぁ。こんな時間に人が来るなんて初めてや」
メガネをかけた男子生徒だった。
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