髪様 後編


の黒髪は毛先の方に向かうと徐々に透明になっていく。四方八方に広がった髪は、まるで生きているかのように伸びると、建物の壁を突き抜けていった。どこからか強い風が吹き、2人の衣服をはためかせている。
光りを帯びた手を、タカ丸の手に乗っている髪束に翳したままじっと見つめている。
タカ丸は見たことのないの様子に驚いて声が出せなかった。は神であるが、宙に浮いているだけで普通の少女と変わりないと思っていたのだから。
口を開けたまま静止してしまっているタカ丸を気遣うようにが言った。しかし、視線は目の前にある捜し人の髪に向けられたままである。

「タカ丸、ぼーっとしていないで良く視なさい」
「え?見るって何を―――」

言いかけた言葉はそのまま飲み込まれてしまった。
タカ丸の視界が忍術学園の廊下ではなく、いきなり夕焼けの空に変わったのだ。突風のような速さでそのままぐんぐん上昇していく。だが、タカ丸の身体に空を飛んでいるような浮遊感は無く、ただ視界だけが勝手に動いているのだ。

「え?えぇ?!何?どうなってるの?」
「私は髪を通じて髪の持ち主を特定することができるの。今はタカ丸の目にそれを映しているわ」
「じゃあ、この髪束を通してちゃんの髪が滝夜叉丸くんたちを追いかけてる……?」
「そういうこと!でも、髪限定だから他のものでは察知できないの」

少し残念そうに笑うにタカ丸は目を輝かせた。

「ううん、ちゃんはすごいよ!これでみんなのいる場所はわかるんだ」

タカ丸の瞳に映し出される景色が変わり、町に下りた。どうやらの黒髪は人間には見えていないらしい。
人々が急ぎ足で家路を急いでいる様子が見えてくる。この町には見覚えがあった。

「この町は裏々山から東にある町だ……」

タカ丸は1度この町に髪結いで訪れたことがあったことを思い出す。もちろんも一緒にいた。
町中を突き抜けるととある城に辿り着いた。堀で囲われた立派な城だが、城門も壁もの半透明な髪は突き抜けて中に侵入していく。当時にタカ丸の視界も立派な城の内部へと変わっていった。
太い柱で支えられた長い廊下を抜け、さらに奥へ進んでいく。とある部屋の掛け軸を突き抜けると、隠し通路に入った。上では無くどんどん下へと降りて行き、薄暗く湿った地下に辿り着いた。

「ここは……」
「賊を捕らえておく地下牢ね」

も同じものが見えているらしく、さらに髪を奥へと伸ばした。空っぽの狭い牢屋が続いたかと思うと、1番奥にある牢屋で人影を見つけた。タカ丸が思わず声を上げる。

「あ!?いた!滝夜叉丸くんたちだ!」

錆びついている鉄格子の中に滝夜叉丸たちは押し込められていた。冷たい石畳の上に倒れている3人は薄汚れ、頬や肘などに痣や出血している。彼らの綺麗だった髪がぼさぼさになって床に広がっていた。

「酷い……。だけど、まだ生きてる!呼吸しているみたいだ」
「気を失っているみたいだけれど、まだ助けられるわ」
ちゃん、みんなに呼びかけることはできないの?」
「……ごめんなさい。そこまでは……」

は髪を司る者として、本来は人間の髪を美しくすることが役割として与えられている。それ以上のことは上手く力を使えないらしい。
俯いてしまっただったが、タカ丸はきゅっと唇を一文字に結んで言った。先ほどよりもずっと強い口調で。

「ありがとう、ちゃん。皆の居場所がわかればもう充分だよ。さっそく学園長先生にお話ししてくる!」

タカ丸は普段とは違う強気な笑みを見せると、再び学園長たちがいる庵へと戻った。その後を当然もついて行く。
再び戻ってきたタカ丸の姿に会議中の学園長たちは驚いた。

「失礼します。学園長先生、捕まっている4人の居場所がわかりました」
「何!?それは本当か?」
「話してみなさい、タカ丸」
「はい」

タカ丸は、敵の城の中にある掛け軸の裏に隠し通路があり、その奥に続く地下室で4人は捕えられていることを告げた。そして4人はまだ生存していることも告げる。
学園長も山田もタカ丸が話し終えるまで黙って耳を傾けていた。

「―――ということですので、一刻も早く4人を救出しに行きましょう!!」
「タカ丸」
「はい?」

山田は太い眉を寄せて問いかけた。

「話はわかった。だが、なぜ4人の捕えられている地下牢を知っているんだ?」
「!」

山田の疑問は最もだ。
タカ丸は編入してから日が浅く、同じ4年生たちと一緒に野外演習など外への訓練はしていない。今回の実習でも学園で留守番をしていたのだ。
忍者に関して素人そのものであるタカ丸が、なぜ隠し通路の場所を暴くことができたのだろう?そもそも、なぜタカ丸は行ったことも無いような城の内部を鮮明に説明できるのだろう?

「タカ丸、その情報に偽りは無いか?」
「ッ?!ありません!!」

珍しく大声でハッキリ返事をしたタカ丸の姿に、学園長も少々驚いている。一瞬タカ丸は侮辱を感じるような表情をしていたのだ。

「タカ丸……」

きゅっと自分の胸元を掴み、は隣に正座しているタカ丸に対して気持ちが熱く高ぶった。
自分が神通力を使ってタカ丸の大切な友人の居場所を突き止めた。タカ丸は自分のことを信じている。認めてくれている。の表情が緩んだ。
しかし、の気持ちとは裏腹に山田も学園長も首を横に振った。その返答にはタカ丸も納得できず前のめりになって詰め寄った。

「な、なぜですか?!」
「タカ丸の言いたいことはわかった。じゃが、その根拠はなんじゃ?」
「それは……」

がくれた情報に偽りなど無い。だが、の姿はタカ丸以外の誰にも視えないのだ。仮に視えたとしても、科学を源とする忍者に神の存在を認めさせることはできるのだろうか?否、できるはずがない。しかし、のことを説明するにはまず彼女が神であることを説明しなければならない。
押し黙り、チラッと隣に浮かんでいるに視線を走らせると、は真剣な顔をしてタカ丸を見つめていた。

「タカ丸、話しなさい」
「でも……ッ」

話して、もしもの存在を否定されるようなことがあったらどうする?タカ丸は何度もが存在否定によって傷ついているところを傍で見てきた。その度には『気にしていないから大丈夫』と笑う。タカ丸はあの表情が大嫌いだった。
はタカ丸の言いたいことが良くわかっていた。けれども引かない。

「この人たちは、タカ丸が信じて教えを得ている人たちでしょう?だったら、同じように相手を信じて私のことを話しなさい」

とタカ丸の外見はそう変わりは無い。しかしこの口調で話すにはどこか圧迫感を感じる。が数百年もの月日を生きているということを、タカ丸は今までずっと忘れていたようだ。
口を閉ざしたままでいるタカ丸に痺れを切らし、はこう切り出した。

「……それとも、私のことを話すのは恥ずかしい?」

カッ!と頭に血が上った。それがわざとだとわかっていても。

「絶対にそんなことないよ!」
「タカ丸……?どうしたんじゃ?1人で大きな声を出しおって……」
「……学園長先生、お話します。僕にこの情報を与えてくれたのは、僕の大切な人です」

タカ丸は、大事に懐に仕舞っていた小さな鼈甲の櫛を差し出した。
















ぼんやりとした意識の中、滝夜叉丸は目を閉じたままでゆっくりと息を吸い込んだ。地下牢の空気はカビが多くて吸うのは不快だったが、今ここで呼吸をしなければ待っているのは死だけである。
しかし、予想していた生臭さや冷たい空気は身体に入ってこなかった。滝夜叉丸の肺を満たしたのは、新鮮な酸素が多い森の青い匂いだった。

「ッ?!」

滝夜叉丸はガバッと起き上がって釣り上った両目を見開いた。辺りを見れば、自分がいる場所は地下牢とは全く別の、どこかの深い森の中だった。星も無い空は真っ暗で、木々がほとんど覆い尽くしている。

「ここはいったい―――うぐッ!?」
「あまり動くなよ。傷が開くだろ?」
「七松先輩……!?」

敵の忍者に痛めつけられていたことをすっかり忘れていた滝夜叉丸は、痛みに襲われ背中から倒れそうになった。しかし、それを支えたのは滝夜叉丸の委員会の先輩である小平太だった。小平太は暗闇でも照らしてしまいそうな笑顔で自分を見ていた。

「あの、何がいったいどうなっているんですか?確か私はあの城に捕まって……他の皆はどうなったんです?!」
「そこに寝転んでいるぞ」

小平太は滝夜叉丸の右隣を指示した。くるりと振り向けば、確かに綾部や三木ヱ門が横になっている。自分と同じようにボロボロの姿だったが、胸は上下に動いている。滝夜叉丸は大きな溜め息を吐いて『良かった』と呟いた。
冷静さを取り戻した滝夜叉丸は、恐らく自分たち4年生を6年生が救出しに来たのだろうと思った。

「ありがとうございます、七松先輩。捕まった私たちのことを助けに来てくれたんですね」
「まぁそうだが、礼を言う相手を間違えているぞ」
「え……?どういうことですか?」

ニカッと歯を見せて笑う小平太。

「滝夜叉丸、お前は良い友達を持ったな!!」
「???」

何のことか良くわかっていない滝夜叉丸は首を傾げるばかり。ここで草を掻き分けて近づいてくる足音が聞こえてきた。単独のようだが、追ってかもしれないと滝夜叉丸は一気に緊張した。が、現れたのはしばらくぶりに見る金色。

「あ!滝夜叉丸くん、気付いたんだね!良かった!」
「タカ丸さん?!どうしてタカ丸さんがここに……?!」
「滝夜叉丸!お前はここで待っていろ。私は先生たちに報告があるからな」
「は、はい!!わかりました!!」

益々混乱している滝夜叉丸をタカ丸に任せ、小平太は口元を頭巾で覆い隠して闇の中に消えていった。
未だこの状況がわかっていない滝夜叉丸は首を傾げてしまう。だが、ここで長々と話すわけにもいかない。

「滝夜叉丸くん、とりあえず今は早く逃げることだけを考えようよ。話だったら学園に帰ってからいくらでもできるじゃない?」
「はい、それもそうですね……。でも後からちゃんと聞かせていただきますよ!」
「うん、わかってる」

にこりと笑うタカ丸の隣でがふわりと揺れた。漂う黒髪が風も無いのに靡いている。

「良かったわね、信じて貰えて。皆良い人ばかりで、タカ丸は幸せ者ね」

『幸せ者』と表現しただったが、彼女本人もすごく幸せそうな笑みを浮かべている。それもそもはずだ。にとって、最も慈しんできたタカ丸のことを手助けすることができたのだから。
タカ丸は懐に仕舞っている大切な櫛を服の上からそっと撫でた。

「ッ?!」
「滝夜叉丸くん?」

突然滝夜叉丸がボロボロの身体に鞭打って立ち上がった。瞳を細めて闇の向こうを見つめている。タカ丸とが振り返るよりも先に、闇の中から同じ闇色の装束が突如姿を現した。
忍術学園の教師も同じ色の装束を纏っているが、明らかに違う空気が漂っている。
タカ丸は背筋が氷を滑らすかのように冷たくなるのを感じた。そして、とてつもない恐怖感が襲いかかる。
そう、タカ丸の背後に敵が回り込んだのだ。

「タカ丸さんッ?!」

滝夜叉丸は咄嗟に懐へ手を伸ばした。しかし、捕えられていたときに武器を全て取り上げられていたせいで何も攻撃手段が無い。

「く……ッ」

懐へ突っ込んだ手が喪失感と絶望感で大きく震えた。自慢の千輪の腕も、その千輪が無ければ手が出せない。
タカ丸が振り返ったときには敵の忍者が既に苦無を放った後だった。タカ丸が直ぐに振り返ることを予測されており、真っ直ぐ胸部を狙っている。

(あ……、え……?どうしよう?)

本当に一瞬の出来事で、何が何だかわからなかった。
ただタカ丸の頭に浮かんだのはその一言だった。振り向いたのは良いが、身体が言うことを聞いてくれない。足が地に縫い留められているかのようだ。

(僕……ここで終っちゃうのかな……?)





その疑問対して、返事が聞こえてきた。





「大丈夫だよ、タカ丸」





優しい声色。タカ丸が惚れ込んだ、星空のように煌めく黒髪。





「タカ丸は、私が守るから」





パキンという音がして、弾かれた苦無が地に突き刺さる。同時に敵の忍者が低い呻き声を上げて倒れた。
倒れた忍者の後ろから姿を見せたのは、偵察に行っていた土井。苦無に付いた血を振り払う。

「タカ丸、大丈夫か?!今こっちへ敵が走って行ったのを追いかけて―――タカ丸?」
「…………」

タカ丸は土井の声に答えない。目を大きく見開いて、完全に呆けている。

「櫛にぶつかって苦無が弾かれるなんて、すごい幸運ですね!無事で良かったです!
「…………」
「タカ丸さん……?大丈夫ですか?どこか怪我でもされたんですか?!」
「…………」

滝夜叉丸も心配そうに声をかけたが、それでもタカ丸は返事をしようとしない。
タカ丸はゆっくりと自分の足元を見た。足元で、タカ丸の胸元から飛び出した飴色の櫛が真っ二つに、無残な姿を晒していた。

ちゃ……っ」

砕けた櫛の破片は、まるで今は無い空の星屑のようであった。力無くしゃがみ込み、タカ丸は指先でそっと破片に触れた。
どこにも感じられない、の気配。

「ど……して?どうして……ッどう、して……?!」

タカ丸は、それ以上何も言えなかった。
















あの事件後、タカ丸は砕けてしまった櫛の細かい破片を丁寧に全て集めた。
一生懸命破片を組み合わせて元通りに復元しようとしたが、完全に割れた古い鼈甲は上手く戻すことなど不可能だった。
タカ丸はそれでも壊れてしまった大切な櫛を手放そうとはしなかった。細かく欠片を砕いて小さな小瓶に詰めていつも持ち歩いた。砂になった櫛は、タカ丸にとっての遺灰と同じだった。
5年生に無事進級したタカ丸は、縁側に座って中庭を眺めていた。ぽかぽかとした陽気で、お茶を飲むのには最適な天気である。
タカ丸は太陽に透かすように小瓶を持ち上げる。

ちゃん、キミはいつも人間の……僕の役に立ちたいって言っていたよね」

キラキラと光る蜜色の砂が眩しくて目を細めた。

「でも、僕は……キミが傍にいてくれさえすれば……それで良かったんだよ?例えちゃんが人間じゃなくても、神様でも、何でも良かったんだからね?」

タカ丸は微笑み、その小瓶をくるくると回転させる。鼈甲がその度に光りを受けて輝いた。目に刺激を受けてか、タカ丸はじわりと涙を浮かべた。

「いつかね……、いつの日かキミに触れられたら、この櫛を使って髪を結ってあげたいと思っていたんだよ」

髪を司るの美しい絹糸のような髪に、いつも触れたいと願っていた。
抱きしめて、彼女の存在を自分に刻みつけてしまいたかった。

「本当にキミの髪は綺麗だったから……」

ふと、ここで不自然に小瓶に影が落ちる。まるで夜になったかのような、艶めいた黒髪がタカ丸の視界に現れた。





今のそれ、本当?





タカ丸は掲げていた小瓶を落としそうになった。猫のような瞳を大きく見開いて、目の前に立つ小袖の少女を凝視してしまう。ほっそりとした足は、地にちゃんと付いている。美しい黒髪は、穏やかな風の中で揺れている。
タカ丸は滲んでしまった瞳を1度擦ると、くしゃくしゃになった笑顔で笑いかけた。

「もちろん本当だよ。だからその綺麗な髪、僕に結わせてくれないかな?」

少女は―――は太陽みたいに明るく笑ってタカ丸に勢い良く抱きついた。

「いいよ!その代わり、この髪に似合う新しい櫛を買ってね?」

触れたところから生まれる熱を感じて、再びタカ丸は涙を流した。そして、強く強くの華奢な身体を抱き締めた。
春の庭で色とりどりの花が散っていく。まるで2人を祝福しているかのように。


2009.07.26 更新