綾部のかーちゃん


それぞれの夏休みが終わり、忍術学園にまた生徒たちの賑やかな声が響く。しかし、この食堂ではうんざりするほどの溜め息が溢れていた。
三木ヱ門は半目でぼーっとしながら言う。

「結局……4年生は滝夜叉丸のバカのせいで夏休みは無しだったな……」

『バカ』という部分を強調しながら、斜め向かいに座って同じようにぼーっとしている滝夜叉丸に文句を垂れた。

「私の豊富な知識が仇となってしまっただけじゃないか」
「なぁにが『豊富な知識』だ!自分が博識だってことを言いたいだけだろうが!」
「あはははは!!いやぁそう褒めてくれるなよ」
「褒めてねええええええええッ!!」

そう、学園長の気まぐれな思い付きから始まった夏休み争奪戦に4年生代表として滝夜叉丸が選抜された。しかし滝夜叉丸の余計な知識のせいで他の生徒から遅れを取り、結局4年生は最下位となって夏休みは流れてしまったのである。
三木ヱ門の隣に座ってお茶を啜っていたタカ丸はへらりと笑った。

「まぁまぁもうケンカしないでよ2人とも。もう夏休みは終わっちゃったわけだしさ」
「タカ丸さんはもっと怒るべきです!忍術学園に入学してから初めての夏休みだったのに無駄な時間を学園で過ごすことになったんですよ?!」
「でも、忍術学園にはたくさん忍術の本が置いてあるから色々勉強にはなったよ。ね?」
「……そうですね」

ずずーっとタカ丸と同じように綾部もお茶を啜る。
綾部はタカ丸と一緒に宿題をしつつタカ丸が疑問に思った授業内容について説明をしていた。綾部は口数が少なく説明が足りていないような気もするが、タカ丸はその足りない部分を拾い上げることができた。この2人は割と良いコンビなのかもしれない。
滝夜叉丸が眉を寄せて綾部を見た。

「喜八郎、お前本当は夏休みが潰れて良かったと思っていないか?」
「は?どうしてだよ?夏休みはあった方が良いだろ?実家に帰ったり自由な時間で好きなことをしたりとか……」
「……」

滝夜叉丸の言う事が図星なのか、綾部は返事をしないでお茶を一気に飲み干した。

「最近変だぞ、お前。この前の春休みも、去年の冬休みも実家に戻らなかっただろう?」
「え?もしかして、実家で何かあったの?」
「いくら聞いても喋らないんです、コイツ」
「……」

滝夜叉丸はここ最近の綾部がおかしいことをペラペラと話始めた。
去年の夏休みは支度をして普通に実家へ戻っていたというのに、去年の冬休みから実家へ帰省する様子が見られなくなったと言う。
タカ丸は話を聞いて少々青ざめてしまった。

「綾部くん、実家で何かあったんだったら僕力になるから!」
「……ありがとうございます。でも、そういうのじゃありませんから」
「そういうのじゃなかったら何なんだよ?」

三木ヱ門も綾部に詰め寄るが、綾部からは特に反応が無い。
綾部が何か隠し事をするのは珍しい。しかもこんなに頑なになって隠そうとするのは益々珍しい。
3人の興味が高ぶった頃、食堂に入ってきたおばちゃんが声をかけてきた。

「ああ、ここにいたんだね綾部くん。今綾部くんにお客さんが来ているのよ。ちょっと来てくれるかしら?」
「!……、わかりました」

綾部は湯呑を置いて食堂から出て行く。

「おい、あの顔見たか?」
「微妙にだけど何か驚いた顔してたよな?」
「だよね!僕にもわかった」

僅かな変化だったが、綾部は驚いたように目を見開いたのである。無表情で何を考えているかわからない綾部が、あそこまで感情を人前に出してしまうとは。
3人はお互いの目を見た後、直ぐに席を立った。
















門の前で小松田の隣に立つ女は綾部を見るなり乱れる裾も気にせず駆け寄った。

「喜八郎くんっ!」
「どうも……」
「『どうも』じゃないわよ、今年の夏休みも帰って来なかったでしょう?」

女はぎゅっと綾部の両手を握り、綾部に詰め寄った。綾部はされるがままになっている。
木陰に隠れて3人は綾部と綾部に会いに来たと思われる女を交互に見た。女はまだ少女の面影を持つほどに若い。カラスの濡れ羽色をした髪にタカ丸は思わずうっとりと見惚れる。

「あの人の髪すっごく綺麗だなぁ。結いたい〜〜!」
「しっ!タカ丸さん静かに!」
「いったいあの女性は誰なんだろうな?喜八郎の姉上か?」
「それにしては全然似ていないぞ。髪だって目の形も違う」

三木ヱ門は綾部と女を観察するように見比べる。確かに綾部と女は血の繋がりを感じられないほど似ていない。親戚だとしても怪しい。

「だけど綺麗な人だね」
「「それには同感です」」

確かに女は美しかった。初雪のように白い肌は思わず触りたくなってしまうし、ぱっちりと大きな瞳は吸い込まれてしまいそうだ。ほっそりと華奢な身体で良く忍術学園まで辿りつけたと感心してしまう。

「まぁまぁ2人とも、とりあえず中に入ってください」

小松田が『どうぞ』と案内をすれば、『お世話になります』と女は頭を深く下げた。そして客室の方へと歩いて行った。
タカ丸は『あ!』と何か閃いたように目を輝かせた。

「どうしたんですかタカ丸さん?」
「もしかして、綾部くんの許婚かもしれないよ」
「「いいいいい……っ」」
「しっ!黙って!」

タカ丸は大声を出しそうになった2人の口を両手で後ろから覆う。

「許婚?あの喜八郎にですか?」
「うん。だってお姉さんとか血縁者みは見えなかったし、綾部くんとその割には親しそうだったから」
「あれは、親しいというよりも怒られているように見えますが…?」
「く……!あんな美人をこの滝夜叉丸よりも先に見初めているとは……!!」

綾部は中性的で端整な顔立ちをしているため、穴掘り好きという不思議な性格ではあるがくのたまたちから人気がある。しかし本人は恋愛について興味が薄いようで、色恋沙汰の話を聞いたことが無い。けれども綾部に許婚がいるのであれば何もおかしな話ではない。

「やっぱりあの喜八郎に許婚……なのか?」
「きっとそうだよ!綾部くんって恋愛に興味無いのかと思っていたけれど、そういうことだったんだぁ」
「それはそれで気になりますね」
「そうだよね!」

というわけで3人は再び綾部の追跡を開始した。
綾部と許婚は客室へ通された。『お茶をお持ちしますね〜』と言いながら小松田は客室を後にし、その場には綾部と許婚の2人だけが残った。こっそりと天井裏から3人は綾部の様子を覗った。
綾部に向かい合う許婚の女は、怒り顔から悲しみの顔へと変えた。

「やっぱり、私は認めてもらえないのかな?」
「……」
「去年からずっと帰って来なくなったのは、私が実家にいるからでしょう?」
「……」

この会話だけを聞いていると、何やら険悪な雰囲気しか伝わってこない。

「今回の夏休みだって帰って来なかったじゃない……」
「今回は、夏休み無しになったからです」
「えぇ?どういうこと?」
「4年生は、夏休みが無いんです。だから、ずっと学園に残っていました」
「……何だか良く分からないけれど、まぁ今回はそうだとしましょう。でも、去年の休みはどう説明するの?」
「……」

綾部は何も答えない。それがこの状況を悪化させてしまうだけだというのに、綾部は何も答えなかった。重々しい空気が漂う。
許婚の女は、自分が実家にいるせいで綾部が長期休暇中に戻って来ないものだと思っている。綾部の無言が肯定であるならば、2人が不仲であることは明白。
女はぎゅっと両手を握り締め、大きな瞳には涙が光っている。

「喜八郎くんのバカ!どうして……、どうして祝言挙げる前に言ってくれなかったの?!」

泣きながら客室を飛び出した女を追いかけようと立ち上がったのだが、

「「「祝言っ?!」」」

天井板が外れて落下してきた3人によって下敷きにされてしまった。

「喜八郎!お前既に祝言を挙げていたのか?!」
「喜八郎はもう妻子持ちなのか?!」
「三木ヱ門くん、まだ子供がいるとは限らないよっ!」

ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる3人に、流石の綾部もこのときばかりは形の良い眉を吊り上げた。

「何してるの?」
「え?いやぁ、その、喜八郎にどんな許婚ができたのかと思ってなぁ、あはははは!」
「許婚……?誰?」
「えっ?さっきの女の人、綾部くんの許婚じゃないの?」

タカ丸がそう問いただせば、ふるふると綾部は首を振って否定した。

「しかし、それではあの祝言の話は何だったんだ?」

三木ヱ門が首を傾げると綾部はしれっとこう言った。

「あの人は―――」















さん」
「……」
さん」
「……」

綾部が上から呼びかけるが、女―――は返事をせずにそっぽを向いている。ここからだと表情は見えないが、恐らく涙で目元を濡らしているのだろう。

「おやまぁ、穴に落ちてしまったんですね」
「忍術学園っていうのは、こんなに落とし穴があるものなの?」
「コレは私が掘った穴です」
「わかってるわ。あなた、良く庭で穴を掘っていたじゃない」

は土で汚れた着物を気にすることなく、体育座りで落とし穴の中に居座った。どうやら出る気は無いらしい。
しばらくお互いが無言になったが、綾部はいきなりの落ちた穴の中へ飛び込んだ。予想もしていなかったことには目を白黒させた。綾部の重さで身体が土に押しつけられ、息苦しくなってくる。

「お、重い!喜八郎くん、重いっ!っていうか苦しいんですけど!!」
「すみません」

悪びれる様子の無い謝罪をしながら綾部はの上から退いた。けれども狭い穴の中ではこれ以上離れることができず、結局とは密着する形で納まった。上を見上げれば陽気な午後の日差しと空が広がっている。
は諦めたような溜め息を吐きだしてポツリポツリと言った。

「あなたは兄弟たちの中でも無口で何を考えているのかわからない子だった。正直に言えば、あなたが私にとって1番の悩みだったわ。でも、特に反対されたわけじゃないから……って思ったの」

去年の秋に祝言を挙げたを、綾部は迎え入れたものだと思っていた。

「だけど、それは私の勘違いだったのよね。あなたは無言で私に抗議していた。私のこと……認めないって」
「……僕は」

綾部は特に表情も変えずに、けれども普段より低い声で言った。

「僕は、気の利かない人間です」
「え?」
「僕は、何を言ったら良いのかが良くわかりません。だから……」

『僕がいない方が良いと思ったんです』と綾部は続ける。
思いもしなかったことを言い出す綾部に、はただただ唖然とした。自分のことを考えてくれていたことが、何よりも衝撃的に感じられた。
何も言えないでいるをよそに綾部は再び口を開いた。

「それに……、新しい兄弟の顔も早く見たいです」
「〜〜〜っ?!?!」

は今度こそ何も言う事が出来なくなった。顔から火が出てしまいそうなほどに赤くし、湯気が出そうなくらい身体を熱くさせる。脳髄がくらくらしてしまいそうだった。

(飄々としながらそんなことを考えていたのかこの子は……っ!!)

死ぬほど恥ずかしい気持ちになったは口をパクパクさせて硬直する。

「僕に会ったとき、最初に言ったことを覚えていますか?」
「え……?」

隣で綾部はほんの少しだけ微笑みを浮かべていた。





私はあなたの母親にはなれないけれど、それに近づけるように頑張るからね!





「とても嬉しかったです、母上」


2012.5.12 更新