紅白の面 後編


「久しぶりじゃのう、鉢屋三郎。元気にしておったか?」
「はい。学園長先生は相変わらずですね」

飄々としている様は相変わらずだった。というか、この人の若い頃なんてなかなか想像出来ない。

「用件はもうわかっておる。先週不破雷蔵が連れて来た姉弟の事じゃろう?」
「はい」

城の殿に成り済ましていた姉の。姫の姿になる事で身を護ってきた弟の成明。
私たちが手を下さずとも、城主の座を狙う姉弟の叔父が諦めない限り一生安息の地は得られない。そこでこの忍術学園を選んだ。

「2人はどうしていますか?」
「弟の成明には忍たまとして授業に参加させておるよ。今まで女の格好ばかりみたいじゃったから、忍装束がとても動きやすくて気に入っておるようじゃ」
「そうでしょうね。姫の格好で剣術ごっこをしていましたから」
「それは何とも勇ましいお姫様じゃな」

大口を開けて学園長は笑った。私も最初に剣術ごっこの相手をさせられたときは随分驚いたものだ。
私は声のトーンを低くする。

「それで、本物の姫はどのような様子ですか?」

弟の方は跡継ぎだがまだ幼い。その分物事を素直に飲み込み適応力が高い。
しかし、長年城主として完璧に男を演じてきた姉の方は違うだろう。

「姉の方には女の着物を渡したんじゃが、拒否されてしまった」
「……でしょうね。随分とお堅い感じの人でしたし」

思い出されるの顔はどれも美しかったが、とても冷たくてあまり人を寄せ付けない。

「……」
「何です?私の事をじっと見て……」

じろじろと正面から見られて私は身じろぐ。すると学園長はふと思い出したかの様に言った。

「姉とお前は良く似ておると思ってな」
「私と?」
「そうじゃよ。懐かしい。お前がまだ1年生のときを見ているようじゃったわい」















中庭に行くと、1人でぽつんと池を眺めているの姿があった。城を出た今も尚男物である藍色の着物を纏い、纏められた長い黒髪を風に靡かせている。
私との距離が結構あるにも関わらず、私の存在に気づいてこちらを向いた。
常にそうやって警戒している。

「そなたはどちらだ?」
「鉢屋三郎の方だ」
「そうか。ようやくそなたの顔が見られたわけだな」

とは言っても私は当然雷蔵の顔をしている。しかし出会ったときは不破雷蔵として接していたから、の言う事は正しかった。それに暗殺を仕掛けたとき、部屋はとても薄暗かった。
は隣に並んだ私に深く頭を下げた。

「弟をここへ連れて来てくれた事、礼を言うぞ。あんなに伸び伸びとした成明を見たのは初めてだ」
「止めろよそういうのは。どう反応したら良いかわからねぇから。それに、お前たちの処遇は私たちの城にも関係のある事だ。礼なんていらねぇよ」

そう、同盟を結んでいるコイツの城の異変は私たちの城に十分影響がある。
は端正な顔を上げて一瞬キョトンとしが、直ぐに目を細めて笑う。この顔は、城では見なかった女の笑い方だった。

「鉢屋は素直じゃないな。ふふ……、不破の言う通りだ」

不覚にも胸が跳ねる。っつか、何を吹き込んだんだよ雷蔵!

「それより、城の事気になるだろ?」

いるべきはずの城主が今ここにいるのだから。はコクリと頷いた。

「城はどうなっている?」
「今は私と雷蔵で城主に成り済ましている。だからここにがや成明がいる事は誰にも知られていない。それから成明の代わりにくの一教室のくのたまが同じく成り済ましている」
「何……?不破はともかく、そのくの一はまだプロではないのだろう?」

途端にが顔を曇らせた。

「私が特別に作った面を渡してあるし、1番潜入の得意なくのたまに頼んだ。それに雷蔵も一緒にいる。大丈夫だ、心配無い」

は私の返答にほっと息を吐いたが、直ぐにまた悲しみが宿る。

「鉢屋には頼れる者がたくさんいるのだな。この学園の者たちは、皆鉢屋の事を慕い、誇りに思っている。私には、私の事を話せる重臣は存在しない」
……」
「なぁ、おかしいだろう?私は一国一城の主だというのに、誰も私を知らない」

がんじがらめになっているを見ていると、虚しさと空白感が津波のように押し寄せてくる。
私は昔、誰にも自分を見せず、他人を拒絶する壁で自分を護っていた。護っているつもりだった。
あの頃を思い出す。
いや、目の前にいるこの女は、昔の私なのだ。

「いつになったら私は城へ戻れる?」
「まず髪に簪を挿すようになったらな」

そう答えると、は自虐的な笑みを浮かべて私を睨みつけた。

「くくくっ、皆私を見ると同じ事を言うな」
「もう少し意地張ってないで肩の力を抜けよ」
「知った様に言うなッ!!」

吐き捨てるように首を振り、は敵意むき出しで叫んだ。木で羽を休めていた小鳥たちが散り散りに逃げていく。

「父上亡き今、私にとって成明こそが全てだ!私は弟の将来を護るためなら何だってする!だからこそ女を捨て、今まで刀を握ってきたのだ。これからもそれは変わらぬ。私は……!!」
「何でそれしか方法が無いみたいに言うんだよ」
「他に方法があるかのような言い草だな」
「あるさ」

私は軽く返事をして、腰に差していた刀を差し出した。はハッとなってそれをもぎ取るように受け取る。久しぶりに感じる刀重みに長い睫毛を伏せた。

「方法はある。そのための準備を色々としているんだよ」
「準備、だと……?」
「ああ。言っただろ?同盟国の城主が自分の姪や甥を暗殺するようなヤツじゃ困る。弟を護りたければ、綺麗におめかししてから刀を握れ」
「何をしようとしているのだ……?」

怪訝そうに整った眉を寄せるに、昔雷蔵が私にくれた言葉を口にした。





どんな姿をしていても、お前はお前だよ





それを嫌というほど教えてやれば良い。















全ての段取りを終え、密かにこれからいよいよ作戦決行である。城に私と一緒に戻った姉弟は、お互いをまじまじと見つめ合った。
私がニヤリと笑う横で、成明は興奮したように姉の手を取った。

「姉上!大変お綺麗ですよ!」
「そう騒ぐな……。お前も随分立派な男子に育ったな。直衣、似合っているぞ」
「はい!ありがとうございます!」
「だから騒ぐなと申しているだろう」

そう注意している撫子だったが、言葉とは裏腹に表情はとても穏やかだった。
2人には私が着つけや化粧を施した。殿は姫に、姫は殿へと本来の姿に戻っただけなのだが、驚くほど豹変している。ずっと一緒に育ってきたのにも関わらず、この姉弟は今までずっと偽りの姿を晒していたのだから、当然の反応だ。
唇に紅を引くとき、恥ずかしいことに緊張して手が僅かに震えた。女は心底化けるものだと思う。

「はしゃぐのはまだ早いぞ、成明。これからお前はどんな言葉を姉上が浴びせられても、黙って耐えるんだ。男と男の約束だぞ。良いな?」
「約束します!」

成明は男と男の約束と聞いて眼光を鋭くした。私の手をしっかりと握って頷く。まだ幼くても、上に立つ者としての素質を感じずにはいられない。

―――いや、姫君。あなた様に上手く動いていただけねばなりませんが、出来ますか?」
「無論だ。このような姿に変わっても、私が私である事を証明してみせようぞ。変装名人、鉢屋三郎。お前が教えてくれたんだ」
「そうでしたね」

勝ち戦に出向くような力強い言葉に、私もつられて笑みを零した。















「殿、お呼びとあって馳せ参じました」

の叔父―――秀成は襖の向こうからしゃがれた声で話しかけた。不破雷蔵―――に変装した鉢屋三郎がすっと襖を開けて招き入れる。
叔父はわざとらしいくらい頭を垂れ、薄くなった白髪交じりの頭を上座へと向けている。

「面を上げられよ」
「?!姫様ではありませぬか?!なぜ姫様が……。いや、それよりもなぜ男子のお召し物を?」

叔父は厳格なる上座にちょこんと正座している姫の存在に唖然とした。普段の姫は可愛らしい花模様の着物を着ている。しかし、今の姫は立派な流水紋の刺繍が施されている直衣を纏い、さらには髷を結っている。その姿はまるで若君だ。

「不破殿、これはいったいどういう事か?!」

叔父が混乱して高ぶる気持ちを三郎にぶつけてくる。三郎は特に驚く事でもないと言わんばかりに澄ましていた。

「伯父上、隠し事をしていて大変申し訳ありませんでした。見ての通り、私は本来女子ではなく男子……。つまり、この城の本当の跡継ぎは私なのです」

一瞬秀成の顔が驚きで強張る。だが、その直後薄気味の悪い笑みを浮かべた。

「そうでしたか。それならそうと早くおっしゃってくだされば、私共もお助け致しましたのに……。まだ成明様はお小さい。僭越ながら、この私が後見人となって―――」
「その必要はありませぬ」

秀成の言葉を凛とした女の声が遮った。秀成が振り返ると、美しい夜空の様な黒髪に鮮やかな紅を引いた姫が立っていた。筋の通った鼻筋は、化粧をしていてもそれが誰なのかを示している。

「まさか……、殿?!」
「左様です、伯父上。今までずっと成明だったのは、全てこの私―――です」

すっと着馴れていないはずの打ち掛けを器用に持って、上座に座る若君の隣へ移動した。優雅な姫の登場に、秀成は目を見開き凝視してしまう。

「伯父上、我が弟の後見人は姉である私が務めます故、伯父上のお手を煩わせる事は何1つありませぬ」

秀成は突然大口を開いて笑い出した。

「ははははは!若君の後見人を、女であるそなたが?」
「少なくても、他の城まで巻き込んで殿の暗殺を企てる方に、城は任せられませんので」
「…………」

秀成は口を噤み、忌々しそうにを見つめている。

「そこに控える不破―――いえ、鉢屋三郎から全て報告を受けています」
「鉢屋三郎……?!あの変装名人のか?」

秀成は自分を偽る事を止めて舌打ちをする。成明はそんな叔父の凶悪な表情に恐怖を感じたが、ぐっと拳を握って自分を奮い立たせた。

「あの城の忍だったとはな……。それで?どうする?私を処刑でもするおつもりですか?姫」
「女である私が後見人になる事を、伯父上は認めてくださらないのでしょうか?」
「私も城や民を重んじる立場にいますから。姫を後見人にするよりも、私が殿をお助けした方が宜しいかと」

国を重んじているようには全く見えない悪い顔をしている。成明はただ悲しみの表情を浮かべていた。

「つまり、伯父上は私よりも優れているという事ですね?それならば―――」

は床の間に飾られていた刀の柄を握り、叔父の前に両手で差し出した。

「……何のつもりですか?」
「私と刀で勝負してください」

は叔父に刀を押し付け、成明の横に置いてある刀を自分も手にした。

「後見人は、殿のお命を護る懐刀でもある事をご存じでしょう?叔父上、私もまた城や民を重んじる立場です。そのためならば、命をいつでも差し出す覚悟があります」
「それならば、私こそ……ッ!」
「ならば!」
「?!」

はすらっと漆塗りの鞘から刀を抜く。

「勝負を受けてください。私はこの国一の剣豪であると自負しております。例え私が女であろうとあなたの姪であろうと、手を抜かず、どうぞ遠慮無くかかってきてください」

刀を構えるはどこからどう見ても麗しい姫君だ。けれども、刀と眼差しから溢れ出る気迫は、一騎当千の侍に他ならない。
秀成は刀の柄を握ってはいるものの、その手は震えている。まるで小さな子供のようだ。

「さぁ伯父上、女である私を認められないとおっしゃるのなら、その刀を抜いてください」

姫を後見人にするわけにはいかない。
でも、あることを本能が告げている。

「う……っ」
「さあ!!伯父上!!」

刀を取るように勧めてくるの前で、秀成が取れる行動はただ1つだけであった。
















「あははははは!!」

は凛々しかった顔をくちゃくちゃにして笑っていた。澄んだ秋空の様に、とても良い顔をしている。年齢よりも遥かに幼く見える無邪気な笑顔だった。

「本当に胸がすっとしたぞ、鉢屋」
「みたいだな。私までスッキリした気分だ」
「あの伯父上が、女である私を認めてくださったのだからな。一時はあの策で大丈夫か迷ったが……、お前を信じて良かった。礼を言うぞ、鉢屋。本当に助かった」

私の両手をしっかりと握り、とびきりの笑顔を向けてくる。かつての頑なだった態度は綺麗サッパリ消えていた。

「何だ?顔が赤いぞ?風邪でも引いているのか?」
「な、何でもないからそんなに近づくなよ!」
「?」

あまり近づかれると目の毒だ。

「お前、他の男にそういう事するなよ?今までは男みたいな態度でも良かったかもしれないが、これからは女として生きていくんだからな」
「良くわからないが……、気をつける」
「そうしとけ」
「ところで鉢屋」
「何だよ?」
「お前はなぜ私たち姉弟を助けてくれたんだ?こんなに手間のかかるような事をして……」

どうしてコイツは私の突いて欲しくないところばかり突いてくるんだ?!

「言っただろ?私の城にも重要な事だからだ」

そう、そうだ。それ以外何があるって言うんだ。すごく無難な模範解答が出来たはずだ。それなのに、は寂しげに見える。『そうか』と呟いて、無理に笑っている。こんな顔をさせたくないのに、そうさせているのはこの私。

「私は、鉢屋が私のために協力してくれていたのかと思って……。勝手に喜んでいた」
「へ?」

今、何て言った?

「何でもない。忘れてくれ」

するりと私から離れて行こうとするの白くて細い指。私はそれを許さずにきつく握り締めると、は振り返って私を見上げた。
髪と同じ、黒曜石のような目。この目に私が映るなら、姫とか忍という立場も忘れられる。

「一度しか言わないぞ」
「鉢屋?」

忍務以上の緊張で段々と体温が上がってくる。
意を決して口を開いたとき―――

「私は、の事が……!!」
「三郎!さん!」
「お、不破じゃないか」
「ら、雷蔵?!」

ひょっこりと部屋に顔を出したのは何と雷蔵だった。もちろん私が今雷蔵という事になっているので、勝手に城に忍び込んできたわけなのだが……。どうしてこんなに間が悪いんだよ!
はパッと私の手から離れ、雷蔵の傍へ。嗚呼……近くて遠いぞ。

「不破!元気にしていたか?」
「はい。三郎から作戦の話は聞いていましたが、気になったので……。迷惑でしたか?」
「そんな事は無い!客人として話しておくから、少し待っていてくれ。鉢屋、それじゃまた」
「あ……、うん」

嬉しそうに部屋を出て行くに、私はガックリと肩を落とした。

「三郎、どうしたんだよ?そんなにガッカリしちゃって」
「雷蔵のバカ野郎!!」
「何で泣いてるんだよ……?」

こうして、の国に平和が訪れた。私の城とも同盟国として交流が続き、私も忍び込む必要性が無くなった。
もう私もも、仮面は必要無いのだから。
そして、今度は誰にも邪魔されぬように気をつけてに私の想いを伝えようと思う。


2010.11.27 更新