紅白の面 前編


唐突だが、私と雷蔵は今ある城に護衛兵として潜入している。……ああ、正確に言えば、昼間は私が雷蔵に変装して夜は雷蔵本人が城に潜入している。その方がアリバイ工作が出来て暗殺しやすいからだ。
そう、これは暗殺忍務。
実は、この城の殿が私の主である殿へ暗殺者を仕向けたのだ。友好関係にあったはずの城からの仕打ちに殿も悩まれたが、民を護る上で止むを得ないとご判断された。
私は廊下に誰もいない事を確認してから庭に下り、池を眺める振りをして矢羽根を使う。

『雷蔵、いるか?』
『いるよ。何か用事?』

気配は感じられるけれど姿は見えない辺り流石だ。松千代先生から隠れ技でも伝授されていたのかもしれない。

『先ほど上から殿が呼んでいるから直ぐに参上するようにと言われたぞ』
『え?本当に?』
『ああ』

普通私のような下っ端の身分の護衛兵が、直接若君に呼び出されるなんていう事、まずありえない話しだ。しかもまだここへは偵察に来て1週間しか経っていない。つまり、現在の私(と雷蔵)は新入りの護衛兵なわけで、特に大した偉業も成し遂げていない。褒められる目的ではないなら……まさか、私たちが他国の忍者だという事が知られてしまったのか?

『お前、何かしたのか?』
『ええ?!そんなわけないでしょ!三郎ならともかく、僕が何か失礼な事をするなんて……』
『だよな―――って、そこはツッコミ待ちなんだよな?そうだよな?』
『は?何が?』
『ですよねー』

ともかく、雷蔵も何か仕出かしたってわけじゃなさそうだ。
だったらいったい何で呼び出されているんだ?

『とにかく行ってきなよ。殿をお待たせると疑われるし、もし僕らの正体がバレてても助けに行くからさ』
『はいはい、わかった』
「そこで何をしておるのだ?」
「若君……」

振り返るとそこには薄水色の羽織を着た若君が立っていた。既に雷蔵の気配は消えて無くなっていた。
城へ潜入したときにチラッと見かけたが、噂以上に美しい出で立ちをしている。立花先輩と張り合えるくらいに女の艶めかしさを兼ね備えた美男子だった。肌は白く、まるで象牙と同じ色をしている。凛と張り詰めたような雰囲気を漂わせる殿は、歳も私とあまり変わりないだろう。
先代である父親が病死し、若干17歳にして殿と成ったとは思えないほど、強い意志を感じさせられる。

「ん?見慣れぬ顔をしている。そなた、もしや不破雷蔵か?」

『左様です』と返事をすると、やや釣り上がった目を細めて控え目に笑う。

「そうであったか。そなたに会いたいと思い、呼び出したのだが、これで手間が省けたな。私がこの城の主である、成明と申す。今後よろしく警護を頼むぞ」
「…………は?」

素で声が出てしまった。
え?何?ただそれだけの挨拶をするために、私を呼び出したと?下っ端の新人護衛兵のために、わざわざ時間を割いてここまで来たという事なのか?

「いや、その……、申し訳ありません。つい……」

私は慌てて頭を下げるが、頭はまだ混乱している。

「殿である私が、たかが一護衛兵に挨拶をするのはおかしい事か?」
「とんでもありません!」
「ならば良いではないか。面を上げよ」

顔を上げつつ殿の顔を見ると、先ほどと同じように笑みを浮かべていた。

「私は城に仕える全ての人間の顔を名を覚えるようにしておるのだ」
「それはまた……何ともすごいですね」
「そうか?我が城では当たり前の事。己に仕えてくれる者の顔を知らずに何が殿だ」
「…………」

城で殿と言えば絶対的な存在。私の主も、威厳があり、常に厳しく立ち回ってきた。尊敬出来る人だが、流石に下位の護衛兵の顔など覚えていないだろう。
この殿は、厳しさも相手に対する尊敬の念も持ち合わせている。こんなに歳若いというのに、既に殿は―――成明は上に立つ者としての風格を身につけているのだ。
なぜ友好国である私の主に暗殺者を送り込んだのか、理解出来なくなった。
私が黙っていると、殿の腰辺りから急に顔が出てきた。出てきたと言うか、後ろにどうやら今まで隠れていたらしい。鮮やかな橙色の着物を纏った小さな子供だった。きゅっと唇を噛んで、丸い好奇心に満ちた目を私に向けてくる。

「殿、そちらは?」
「私の妹のだ。しばらくと遊んでやって欲しい。最近は侍女も手を焼いているほどやんちゃでな」
「初めまして!です!」
「うぐっ!?お……初にお目にかかります。不破雷蔵と申します、姫君」

確かにやんちゃだ。いきなり私の腹に突進してくるとは……。
そう言えば、この城は殿の一族はもう成明とその妹の、それと父方の弟である成明の叔父しかいないんだった。
ここは姫を通して成明と親しくなり、成明を暗殺する絶好の機会を得られるかもしれない。私は姫の手を取って恭しくその場に跪いた。

「姫君、この私とどのように遊びましょうか?」
「剣術ごっこ!!」

……それは女の子が目を輝かせて言うような言葉じゃないと思うんだが。
私が黙ったのが予想通りだったらしく、成明は口を開いて破顔した。その顔はまだ幼さを残している少年だった。

「これ、あまり不破をいじめてやるなよ」
「わかっております、お兄様。さぁ、遊びましょう!」
「了解しました」
「私はこれより会議がある。撫子の事、任せたぞ」
「御意」

成明が奥へと消えてしまった後、残されたはその幼い表情を曇らせた。

「……どうしましたか?」
「だって、お兄様はいつもわたしと遊んでくださらないんだもの」
「姫君は殿が大好きなのですね」
「うん!」

力強く頷いて見せる姫はキラキラと太陽のように眩しかった。

「お兄様はとっても強くて優しいの。特に剣術はとてもお上手で、わたしもいつかあんな風に強い人になりたいっ!」
「そうですか」

このお転婆振りは成明のせいみたいだな……。
確かに噂だと相当の剣の使い手みたいだし、私の背後に立ったときは油断していたとはいえ気配を感じなかった。その上色男ともなれば、姫が憧れてもおかしくはない。
その後私に姫は兄の事を話し、剣術に飽きるまで付き合った。子供の割には立ち筋が良く、ときどき兄に見て貰っていると言っていたのには驚いた。
はこんなにも兄を慕っているというのに、直ぐ別れがやって来るなど思いもしていないだろう。
だが、私の心は揺るがない。忍として生きているのだから。















「雷蔵、今夜決行だ」
「うん……わかった」

そう約束日の真夜中、私と雷蔵はついに殿の暗殺という本来の忍務を果たす事にした。
しばらく成明を観察したが、相当な剣の使い手である故に油断をなかなか見つけられなかった。最初はどちらかがアリバイを証明しつつ、片方が暗殺に向かう手筈だったが、予定を変更せざるを得ないと判断した。結果、私と雷蔵同時にかかる事にした。万が一見つかった場合は、目撃者を消して雲隠れするつもりでいる。強引な方法だったが、他に方法が見つからなかったので最善を尽くしたと言えよう。
護衛兵から闇夜に紛れる忍装束を纏い、いざ廊下に出た。静まり返った廊下では庭の灯篭の明かりだけが頼りである。この時間帯だと人はまず通らない事はもう調査済みだ。足音だけを消しながら私と雷蔵は無言で進む。
成明はもう眠っているらしく、部屋の灯りは消えていた。雷蔵は天井裏へと忍び込み、私は僅かな月明かりに照らされている障子に手をかける。そして、音を立てずに障子を開けると、勢い良く布団が投げつけられた。

「うっ?!」
「曲者か」

顔面にへばりついた布団を剥ぎ取れば、夜着の上から羽織を着た成明が部屋の奥に飾られている刀を握り締めていた。普段会っているとき以上の気迫が闇の中で感じられた。
私の危機を察して天井裏から雷蔵が降ってくる。苦無を成明の頭上へと振り下ろすが、成明は天井裏の雷蔵の存在に気づいていたようで難なく避ける。そして業物の刀を抜き、私たちに向けて構えた。僅かに射し込む白い月明かりが刃を鈍く輝かせた。

「どこの城の者か知らぬが、私の命を狙うとあらば容赦せぬぞ」

雷蔵はきっと頭巾の中で汗を流していると思う。最後まで結局成明が暗殺の首謀者だったという現物証拠が見つからなかったからだ。
こういうとき、私は主の命令を最優先にしてきた。忍だから迷ってはいけない。考えるんじゃなく、最初の目的に立ち直る。私は上からの命令を大義名分にして、罪は自分に無いものとして片付けてきた。それが正しいかはわからなくても、私が良いと思ったらそれで良い。
私が前に一歩踏み出そうとしたとき、予想外の出来事が起きた。

「お兄様……、起きてらっしゃいますか?眠れないので一緒に―――?!」
!?来るなッ!!」

この部屋にやって来たのは寝ぼけ顔の姫君だった。成明の意識が乱れたのを切っ掛けに、私は一気に成明との距離を縮めて細く薄い筋肉のついた足を蹴り上げた。

「ぐ……ッ」
「お兄様!!」

何が起きているのかまだ幼い頭では理解しきれていないだろう。けれども兄の危機と判断した姫が成明に駆け寄ろうとしている。けれども、雷蔵がそれを遮り、後ろから腕を回して姫の動きを封じ込める。

「は、離して!」

雷蔵は腕の力を緩めない。ただ辛そうに瞳を細める。
私はそんな顔を雷蔵にして欲しくない。だから、床に倒れている成明に馬乗りになって苦無を喉へ押しつける。

「これ以上騒ぐな。妹の命が惜しくないのか?」
「その声……雷蔵か。には……、手を出さないでくれ」
「?!お兄さ―――むぐッ?!」

これからの事を感じ取った雷蔵が姫の口を塞ぎ、姫の身体ごと私に背を向けた。

「何か言い残す事はあるか?」

私が問いかけると、あの日見たときのように目を細めて笑う。白くて美しい顔。。

「この私に恨み事でも吐けと申すか?たわけが……」

苦無に力を入れようとしたのと同時に、雷蔵の手を噛んで姫の口が解放された。その瞬間、信じられない言葉が悲鳴に混じって耳を打った。





「嫌だ……!!姉上ーーー!!!





何?姉上、だと……?!
一瞬私の研ぎ澄まされた思考が散っていく。雷蔵も同じく、といった状態で、幼子に簡単に逃げられてしまった。私の隙を突いて私の下から這い出た成明の着衣はすっかり乱れていた。襟合わせが肌蹴け、胸元から女特有の丸い2つの膨らみが覗いている。男には絶対に無いものだ。
上半身を起こし、肌蹴た衣服を直す事も無く私を睨みつけている成明。その前に姫が身体に不釣り合いな刀を拾い上げ、震える手で私たちと対峙している。

「姉上は、わたしが護る……!!わたしがっ、絶対に……!!」

良く見れば、姫も女子ではなく男子の気迫を放っていた。殺気立ってはいるが、この状況に酷く動揺し、そして怯えきっている。

「……女だったのか」
「…………」

私の問いかけに、成明は美しい顔を苦虫を噛み潰したように歪ませ、沈黙で肯定した。雷蔵も急な展開についていけていないようで、ポカンとしてしまっている。私は成明と姫を見てピンときた。

「そっちのちっこい姫が本当の殿―――成明で、殿が本当の姫―――か」
「?!」

核心を疲れて殿―――は今度こそ大きく目を見開いた。

「本当に?!でもどうしてそんな事を……?」

雷蔵が首を傾けていると、はぐっと白過ぎる手を拳に変え、俯き加減で静かに言った。

「…………頼む。私はどうなっても良い。だから、弟は……、成明は助けてやってくれ」
「姉上!?」

思わず成明が驚き振り返る。はただ柔らかく微笑んでいた。そして私たちに向き直り、真剣な顔に変わる。それは凛とした美しい女だった。なるほど、男にはない艶やかさはこれだったのか。

「私は父である先代は跡継ぎである男児に恵まれなかった。私は女でありながら、男として育てられたのだ。そしてようやく生まれた成明はまだ幼く、家督を継げるような状態ではないと父が亡くなった後に叔父上が申されてな……」
「それで結局がずっと成明として生きてきたってわけか」
「ああ。恐らく伯父上は城主になりたいのであろう」
「そんな……」

雷蔵はショックを受けた様でそれ以上は何も口にしなかった。
は弟を自分に引き寄せ、刀を取り上げると床に投げた。弟の女子のように長い髪を優しく撫でる。

「父上が亡き今、この事実を知っているのは私と弟の成明だけだ。私は殺されても構わない。しかし、この子だけは助けてやって欲しい」

私は苦無を握って再び構えた。今度は、本物の成明に向かって。が咄嗟に私から成明を隠すように腕の中へ抱え込んだ。

「私たちの忍務は、この城の主である成明の暗殺だ」
「三郎?!」

雷蔵が私の肩を強く掴んだ。私の視線はそれでも成明に向けられたまま。プロの忍者に睨まれ、成明は恐怖で顔が引き攣っている。

「もし貴様らが弟を殺すと言うなら、私は闘う。例え首だけになっても、絶対に護ってみせようぞ……!」

は震えている弟を背後に回して丸腰のまま構えた。武器を持った2人の忍者に対して、弟を庇いながら丸腰で闘うつもりらしい。雪のように白く美しいは、女を捨てた者の顔だった。
私は苦無を懐に仕舞って背を向けた。

「いったい何のつもりだ?」

は構えを解かない。

「確かに私たちの忍務は城主の暗殺。しかし、それはお前が―――成明が我が殿を暗殺しようとしていたからだ」
「暗殺しようとした……?いったい何の話だ?」
「恐らくお前の叔父上とやらが仕組んだ事だったんだろう」
「三郎……、つまり叔父さんが撫子さんの暗殺を仕向けるためのものだったって事か」
「だろうな」

全ては仕組まれた事。私たちや他国の城にまでちょっかいを出してきた意味がようやくわかった。

「そういう事で、私たちはお前を殺さないで済みそうだ」
「は……?」
「だが、お前たち姉弟は今後も同じように暗殺者に狙われる事になるだろう。お前の伯父上が諦めてくれない限り、な」
「……今回の事、やはり伯父上が関わっていたのだな」

を包むその空気は悲愴感に満ちていた。

「ここで過ごしていても、弟は護れないぞ」
「そんな事……わかっている……!だが私にはここにしか居場所がない。私が成明を護ってやらねばならぬ」

成明の小さな手を握り締めては言う。まるで自分に言い聞かせてりるようだった。

「この城内に、の味方はいないだろう?」
「それは……!」

今まで自分が女である事を隠してきたのだから、当然味方になれる人間もいない。たくさんの人間がいる中で、は1人で闘うしかないのだ。

「三郎、何とかしてあげようよ。彼女はもう僕らの暗殺対象じゃないんだし……」
「わかっている。、私たちについて来ないか?」
「何を突然……。私をいったいどこへ行くつもりだ?」

私は姉弟に片目を瞑って見せる。





「たくさん味方になってくれる人がいるところ、だよ」





真夜中、虫たちの声だけが部屋に響いていた。


2010.10.24 更新