
季節が巡り、忍術学園に再び春がやって来た。本日は卒業の日に相応しく、真っ青な空が広がっていた。
久々知は卒業式で卒業生代表として挨拶を立派に済ませると、部屋で最後の身支度を整えていた。
同室の卒業生は既に学園を出て、あんなに狭く感じていた自室はすっかり片付けられ、まるで他人の部屋のように感じる。改めてがらんとした周囲を見ると、寂しい気持ちでいっぱいになった。卒業式のときでさえ、そんな事は考えなかったというのに。
「入学した頃は、何て長いんだろうって思ってたのにな……」
「ホントそうよね」
「?!」
久々知の呟きに、賛同の声が部屋に響いた。いつの間にか半分開いている戸の隙間から、ひょっこりと顔がこちらを覗いている。だ。しかし、彼女は赤毛を束ねた桃色の衣姿ではなく、長い髪を下したごく普通の町娘の格好をしている。
久々知はの登場に驚いていたものの、どこか安心したように微笑んだ。
「今来たのか?」
「うん、ごめん。早く出て来たつもりだったんだけど、学園長先生にお土産を買うの忘れたの。町に寄ったら間に合わなくて……」
は申し訳なさそうに笑い、買ってきた手土産の包みを持ち上げて見せる。ちなみに、中身は町で行列の出来るほど人気の饅頭と団子だ。
「いや、別に構わない。道中何も無くて良かった」
「兵助……」
久々知の言葉に隠された意味をは理解していた。とても悲しい記憶が、の脳裏に蘇る。
が暗い表情になってしまった事に気づき、久々知はハッとなって話題を変えた。
「元気にしていたか?文ではやり取りしていたけれど、最後に会ったのはが学園を辞めて出て行った日だから、本当に久しぶりだな」
「そうね。だけど1年くらいしか経っていないわよ?」
「お前は寂しく無かったって言うのか?」
「まさか!寂しかったに決まっているじゃない。会いたかったわ、兵助」
「オレも」
お互い自然と抱き合い、再会の感動を分かち合う。文では感じ取れなかったお互いの匂いや体温を、しっかりと刻みつける。部屋に静かな時が流れた。
あの日、は結局学園を辞める事を撤回しなかった。久々知はを引き止めようと必死で食らいついたが、は首を縦に振らななかった。
実習中に行方不明となった久々知を単独で捜索するのは、学園の意思に反する行為だ。掟に背いた行動には責任が付き纏う。一度退学届を出し、それが受理された事実は簡単に無かった事に出来ない。もし、学園長がの退学を撤回してしまえば示しがつかなくなる。
「神社での生活は慣れたか?」
はそっと久々知から身体を離し、悪戯っぽく笑って彼を見上げる。
「学園での生活より、巫女の方が修行みたいで厳しいのよ」
「っていうか、修行だろ?」
「まぁそうね」
は学園を辞めた後、祖父の神社で巫女修行をしている。実家へ戻るという選択肢もあったのだが、は毛嫌いしていた赤い糸を視る力の元となった血筋を選んだ。昔のであれば有り得ない話しである。
「お祖父ちゃんには迷惑掛けっ放しだったからね。少しはお手伝いしないと……」
「そうだったな」
は学園を去るとき、学園長から手紙を渡された。それは祖父が学園長へ宛てた手紙で、が編入した理由がこっそり示されていた。しかも、が寝る間を惜しんで調べ続けていた赤い糸を視えなくする方法も、一緒に添えられていた。これには流石に驚いた。
赤い糸が視えるのは一時的なものであり、恋が成就されると視えなくなる。
その真実を、神社に戻ってから祖父に聞かされた。ずっと隠し続けてきた事を、祖父はに深く頭を下げて謝罪した。孫の苦悩を知っても隠し続けた祖父は、以上に傷ついていた。それをは理解していたので、怒りは湧いてこなかった。むしろ感謝していたくらいである。自分が道を間違えずに進めたのは、祖父のお陰だったと。
久々知と恋仲になる前のであれば、祖父の気遣いを理解出来なかっただろう。
「だけど、巫女になるって言ったら、いつも以上に厳しくなって大変だよ」
「そんじょそこらの神社じゃないから、しっかり巫女修行して一人前になって欲しいんだろう」
「それはわかるけどね……はぁ〜」
「だったら頑張れ」
久々知がポンと頭を撫で、はこくりと頷くしかなかった。
巫女になると決めた気持ちに嘘は無い。これから縁結びについて悩む人たちの話を聞き、一緒に考えると決めた。赤い糸はもう視えないが、はそれだけでも十分悩める人の力になれると確信している。独りで悩んできた自分の経験から言って、吐き出す場所はやはり必要だと強く感じたからだ。
「文のやり取りって、何かもどかしかった」
「そうだな。姉さんとやり取りしていたときは、そんな風に思わなかった。でもと恋仲になってから、姉さんがどんな気持ちだったのかが良くわかるよ……」
「うん……」
優しくて凛とした美しさを持つ女性。今日は
の事を考えずにはいられない。卒業式後、の墓参りをするつもりでいたのだから。
を失って、が離れたこの1年間は久々知にとって体験した事の無い状況だった。やという存在の大きさを時間し、久々知はそれでもひたすら前を歩き続けた。悲しみを振り払うのではなく、それを背負うと決めた。
隣にいると一緒に。
「そろそろ行こう。姉さんに、と一緒に元気でいる事も報告しなくちゃならないし」
「ええ」
「積る話しは歩きながらしよう」
の実家は学園からだと距離がある。歩いて丸一日はかかるので、積りに積もった話は十分出来るはずだ。
「さんへのお供え物、学園長先生と同じやつで大丈夫かな?」
「ああ、姉さんもあそこの甘味は大好きだったからな」
「そっか。じゃあ、あそこでまた買って行こう」
床に置いた風呂敷を掴む久々知の腕に、あの腕輪が光っていた。淡い緑色のそれは、久々知の大切なお守りとなっている。持主はもういないけれど、持主の優しい気持ちがそこには宿っているだろう。
風呂敷を背負った久々知の手を取ったとき、は、ドタドタという騒がしい足音に気付き振り向いた。忍者の学校で騒がしく廊下を歩いてくるのは、あの人くらいなものだ。
「こんにちは〜、久々知くんまだいる?」
「小松田さん」
やっぱりか、と言いたげには彼の名前を呟いた。忍術3級にしては足音がうるさい。
小松田に久々知は『どうも』と軽く頭を下げた。
「どうかしましたか?忘れ物とかしていないつもりだったんですけれど」
「忘れ物じゃなくて、今久々知くん宛てに文が届いたんだよ。間に合って良かった」
「文……?」
「そう。はい、どうぞ!」
「ありがとうございます」
「それじゃ、僕は仕事に戻るね〜」
忍務をやり遂げたような達成感が滲む笑顔を浮かべ、小松田は立ち去った。
久々知の手の中にある文は、薄っぺらいが上質な和紙が使われている。
「いったい誰だ?」
「ご両親とかは?」
も一緒にその文を覗き込む。
「文なんて一度も寄越してきたことないぞ」
真っ白で何も書かれていない表書きに、久々知は首を傾げる。
「あれ?宛名に久々知の名前が書かれていないのに、どうして小松田さんは久々知に文を持ってきたんだろ……?」
小松田は迷う事無く文を久々知に差し出したが、何を思って小松田は久々知にこの文を手渡したのだろうか?
「オレにもわからないが……」
久々知はそう言ってくるりと文を引っ繰り返した。
「「
?!?!?!」」
2人は目を丸くして凝視した。夢や幻なのではないかと、目の前の現実を疑ってしまうほど衝撃を受けた。
「そんな……バカな……ッ?!」
久々知はそう言うだけでやっとだった。
文の裏に記された差出人の名前。
それは、この世にいないはずの人。
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