
薄暗い森の中で、2人の人間が死闘を繰り広げていた。
タマゴテングダケの忍者は、小柄なに苦無で鋭い突きを繰り出した。は全ての意識を忍者の得物に集中させる。
(大丈夫、避けられる!)
ギリギリのタイミングを見計らって首を逸らした。の耳元で大きく風が吹き荒れた。
「ちッ、外したか!!」
大きく空振りした忍者は、の姿を追う。は小柄な体格を活かし、忍者の懐へと潜り込んだ。
突然真下から姿を現したに対して、一瞬忍者は怯んで動きが鈍る。
「たああっ!!」
は気合の入った声と共に、忍者の腰から肩へ目掛けて拳を振り上げた。忍者は壁の様に大きな身体にも関わらず、器用に素早く後ろへ下がった。足元で木の葉や小枝が悲鳴を上げる。
「そんな遅い拳、当たるはず―――?!」
ふいに男の野太い声が途切れる。見れば、忍者の黒い忍装束がの拳の動きに沿って裂けていたのだ。5本の筋が綺麗に出来ている。斬れたのは衣服のみだったが、男は少々額に汗を滲ませてを睨みつける。
「ふん、猫手か。力の無いくの一共が使う、貧弱な武器だな」
の細い指先全てに鋭い鍵状の刃が取り付けられていた。それはまるで猫の爪のようである。
は全身を低く構えた。決して目標を見失わないように、片時も視線を外さない。
「貧弱かどうかは、後にわかる事よ」
「お前の考えている事は、既にわかっているぞ」
「どういう意味?」
忍者は小馬鹿にしたように笑う。
「お前からは青臭い薬草の匂いがした。つまり、お前は普段薬草を良く取り扱っている。それに加えて猫手とくれば、その猫の爪先に毒薬を仕込んでいる。そうだろ?」
「?!」
既に勝利してしまったかのような、勝ち誇った笑みには唇を噛んで眼光を強くする。
「そんな台詞は、勝ってから言いなさい!!」
はザザッと地面を蹴り、猫手を装着した指をピンと揃えて横に腕を薙ぎ払った。忍者は素早くその手を右に避けて、突き出されたままのの細腕を掴んだ。その瞬間男がさらに強く殺気立ったのを察知し、はゾッとした。
「くッ……!」
「おっ?」
そのまま捻り上げられてしまいそうになるが、掴まれた腕を回して回避する。
思いもしない方へと捻られた忍者は、身体のバランスを崩して足元がふらりと揺れた。それを見逃さず、は左腕を振り上げようとした。
「良いのか?お前の欲しがっている物だろ?」
「あ!?」
男はニヤニヤしながら、いつの間にか外した翡翠の腕輪を宙へ投げていた。思わずの視線が、翡翠の腕輪に向けられてしまう。
忍者は腕輪に手を伸ばすの背中に向かって苦無を的確に打った。
「うぐっ?!」
重い振動が背中から全身に伝わり、続いて熱湯を浴びせられたような痛みがの顔を歪ませた。は倒れまいとして忍者の方へ振り返ろうとしたが、突然身体に異変が起きる。それは、じわじわと身体が侵食されるような痺れだった。
「ふ……あ……っ」
結局横向きのままで倒れてしまう。
(四肢麻痺の毒……!)
「どうだ、痛むか?ん?」
「がはっ!?」
腹部を蹴られ、胃から酸っぱいものが込み上げて吐き出す。背中辺りが熱くて湿っていくのを感じ、は必死で痛みに耐えた。だが、容赦なく忍者はに追い打ちをかけるため、腹部を何度も蹴りかかってくる。まるでゴミでも見ているかのような顔で、醜く高らかに笑った。
「はははは!バカめ、毒を使うのが自分たちだけだと思うなよ?」
「ぐあ!あぁっ!!う……っ!」
身体を動かそうとすると激しい痛みに襲われ、男に蹴られて身動きが取れない。目の奥がチカチカするようだった。
男はの反応が思ったよりも小さい事に飽きたらしく、蹴るのを止めて鈍く光る苦無を構えた。転がっているを見下ろす。男は熟れたように赤い口腔を晒した。
「ははっ!終わりだ、ガキ!!」
「
そうでもないんだよね、これが」
「何……?!」
は地面に倒れたまま、僅かな木漏れ日に反射して輝いているある物を掴んでいた。それは、ものすごく細い絹糸。糸の出所を追えば、忍者の懐の中だった。ハッと忍者が目を見開いたところで、は不敵に笑うと、隠し持っていた紙縒りに火を点け、細い糸点火した。油が染み込ませてあるらしく、あっという間に糸は炎を忍者の懐まで運んだ。
「うわあああああーーー!?!?!」
忍者が完全に固まっている間には、下半身に力を入れて転がる様にその場から離れた。全身が毒薬によって痛み、特に苦無が突き刺さった背中は涙が出そうなほどだった。唇を噛みしめ、頭巾で口元を完全に覆い隠す。同時に小規模な爆発が起き、森全体に響き渡った。
灰色の煙が周囲を包み込み、は振り返る。上半身に衣服は吹き飛び、袖のみが無残な姿を晒しているのみだ。腹部が焦げ付いて赤黒くなった忍者が、辛うじて立っている。流石はプロの忍者といったところである。しかし、突然ガタガタと震え出してその場に蹲ってしまった。
「ぐは……っ!これは、この煙は……、痺れ薬か……っ!いつの間にこんな……事を……!?」
は近くに生えている木に身体を寄り掛からせ、こう言った。
「猫手に毒が塗ってあると警戒して、他への注意は散漫だったみたいね……」
「くそ……!!猫手で斬り裂いた時に、懐へ爆薬を忍ばせたのかッ!!」
「そういう事。あたしは薬草だけじゃなくて、爆薬……薬と名の付くものは一通り扱えるのよ。爆薬の中に毒薬を仕込んで、ね。爆発は小規模だし、殺傷力控え目だから安心して寝てて良いわよ」
はズルズルとしゃがみ込み、傍に落ちていた翡翠の腕輪を拾い上げた。少し土で汚れているが、割れたり傷はついていない。安堵してそっと優しく手で包み込み、懐へと仕舞い込んだ。
「ふッ、それで、オレに勝てたとでも……思っているのか?お前は、夜明けと共に死ぬ……オレの毒で、な…………」
それっきり忍者は喋らなくなった。
心臓がバクバクと激しく動き出し、今まで堪えていた汗がドッと溢れるのを感じる。授業での格闘は、忍たまかくのたまのどちらかだった。プロの忍者と戦った経験は無いにとって、この勝利は奇跡に近いものである。
脈拍が多少穏やかになってきた頃、は喉元を押さえて俯いた。
(息が苦しい……。呼吸器も、やられてる…………)
久々知と繋がっている赤い糸が、きちんと結ばれているのを見てホッとする。これを見ているだけで苦しさが紛れた。
(久々知も毒にやられてるかもしれない。急がないと!早く……、早く久々知に会いたい……っ)
は背負っていた携帯救急セットを取り出し、背中の傷を止血すると包帯を巻いた。
蹴られた腹部はきっと内出血で真っ青になっているに違いないが、今は治療する手立てが無いため無視する。
遅効性の毒なのだろう。徐々に自分の身体が痺れと刺す様な痛みを訴えてくる。
ふと、救急セットの中を探るの手が止まった。しばし黙った後、転がっている物言わぬ忍者にこう言った。
「アンタの言う通り、あたしは時期に毒が回って死ぬでしょうね。だけど、少なくても今ここでは死なない。久々知を助けて忍術学園に戻るまでは、絶対にね……」
救急セットを風呂敷に手早く包み直す。上着を羽織り、風呂敷で傷を隠すと、重たい足を引きずるようにして森を再び歩き始めた。
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