ここはどこだろうか?と久々知は思う。
自分が立っていたのは、水の透き通った小川が見える河原だった。さらさらと流れる水の音だけが聞こえ、付近にある森も山もしんと静まり返っている。それが懐かしくて優しい。
久々知はやっとここが自分の故郷付近にある小川であることに気付いた。

(いつの間にオレはここへ帰ってきたんだ……?)

もう長期休暇の時期になったんだろうか?と、疑問に感じながら小川の中を覗き込む。浅瀬で小魚たちが忙しなく動き回っていた。抜ける様な青空と同じ色をした水は、しゃがんで触れるととても冷たい。
ふと背後で人の気配を感じる。立ち上がった久々知は、くるりと方向転換をした。
林に囲まれた小道から人影が現れ、自分に向かって手を振っている。

「兵助!」

自分よりも年上と思われる、落ちついた女の声だ。薄い菫色の小袖を着た女が、自分の名前を呼んでいる。美しい黒髪を風に揺らしてこちらへ歩いて来る。
遠目のせいか、顔が良く見えない。だが、名前を呼んでいるということは、久々知の知り合いなのだろう。久々知もまた彼女に近づいて行った。砂利の音が2つに増える。
ようやく女の顔がハッキリと確認出来るところまで近づいた。

「?!」

久々知は目の前に立つ女を見るなり凍りついた。驚愕のあまり元々大きい目を更に大きく見開いて、息をするのも忘れてしまうくらいに。
女は太陽に晒すのがもったいないくらい白い肌をしていて、薄く紅の引かれた口元を弧にする。

「兵助、どうかしたのですか?」

何もおかしいところなど無いと言わんばかりに、女は優しく久々知に語り掛ける。
しかし、当の久々知はそれどころではない。





何せ目の前で笑うこの女には、顔が無いのだから。





のっぺりと目も鼻も眉も無い。あるのは形の良い赤い唇だけである。他は言葉通り存在していない。人間として必要なものを女は持っていなかった。

(顔が無い……っ?!)

久々知は、今まで感じたことが無い恐怖に全身が支配されていった。
女は、脂汗を滲ませている久々知の強張っている手に触れて、ゆっくりと持ち上げる。白く細い華奢な女の腕には、数珠状の淡い緑色をした翡翠の腕輪があった。シンプルな腕輪だったが、女の腕にとても良く似合っている。
女はその腕輪に久々知の男にしては白い手を押し当てさせ、嬉しそうに言った。

「この腕輪、大切にしますね。ありがとう、兵助」
「腕……輪……って?それに、あなたはいったい―――うっ!?」

久々知の頭に一瞬痛みが走り、女に触れられていない方の手でこめかみを押さえた。この痛みが何かを自分に伝えようとしている。顔の無い女がいったい誰なのか、それを知らせているかのようだ。
女は痛みに耐える久々知にさっきとは打って変わって暗く悲しい言葉を吐いた。

「兵助は……忘れてしまったのですね。私のことも、この腕輪のことも」

静かにそう言うと女の身体に異変が起きた。
突然女の頭部がぺしゃんと潰れて血が噴き出し、生温かい血が久々知の顔面に飛び散る。思わず自分の頬に触れると、べったりと掌に血が付着していた。

「いったい何が―――」
「どうして私を忘れてしまったのですか……?」

女の怨み事が久々知の鼓膜を震わせる。

「どうして、わたし、を」

さらに、女の華奢な腕や身体がべこべこと圧力をかけられたように潰れていき、柔らかい臓器や血が大量に流れ出た。
辺り一面真っ赤な鮮血が海のように広がって、小川が同じ色に染まる。
ズキズキと久々知の心臓が痛む。
何がどうなっているのかわからなくなって、喉が引き攣る。

「うあああああああああああああっ?!?!」

ようやく喉奥から出たのは、恐怖と混乱にまみれた自分の悲鳴だった。




次 ⇒