俺と、あなたと、始まりの予感


早朝、は焦っていた。
今日は期末テストがある。高校生にとって期末テストは聞きたくないワードであるが、今後の進路に関わる重大なものだ。
そんな日に限って目覚まし時計が壊れてしまい、いつもより大分起床が遅れてしまった。このままでは期末テスト開始時刻に間に合わないかもしれない。遅刻すれば期末テストは受けられなくなってしまう。
急いで制服に袖を通し、は朝食を一気に胃へ流し込んだ。そして、母親の叱る声を聞き流しながら自宅を出た。
いつもの通学路を駆けるが、やはりこのままでは期末テストに間に合わない。

(仕方ない、近道をしよう!)

は来た道を少し引き返し、近道をするため林に入った。上空でカラスが鳴いているのが聞こえてくる。通学路より足元が悪い小道をローファーで踏みしめた。
ここは神社の裏手に続いている。通学路として使用するのは禁じられているが、今は緊急事態だ。仕方ない。神様だって許してくれる。そう言い聞かせて小道を駆け抜ける。
林を抜けて神社の裏手に出た。そこからぐるっと本殿を回って境内に入ったとき、人影が見えた。薄汚れたパーカーを着て、その人物はしゃがみこんでいた。フードを深く被っていて、表情はわからない。
咄嗟には避けようとした。しかし、急ぎ走っていたせいでバランスを崩し、そのままぶつかってしまった。

「わっ?!」
「な、何だ?!」

はよろけてその場に尻餅をついてしまった。同時に聞こえてきたのは、青年と思われる驚きの声。
青年のフードがぶつかった衝撃で捲れた。フードの下には、暴力的に美しい光景があった。

(綺麗なアイスグリーンの目……)

透明度の高い海を思わせる両目が、の視線を奪う。星の煌めきのような金色の髪と、同じ色の睫毛に縁取られ、よりアイスグリーンが際立っていた。
まるで時が止まったかのように、は見惚れてしまった。一瞬だったはずなのに、強烈に焼き付いた。

「綺麗……、神様みたい」
「?!」

の唇から思わず零れた言葉に、少年の表情は青ざめ、ぎょっとして勢い良く目を反らされた。

「きっ、綺麗とか言うな……!」

青年の戸惑いと羞恥の声を聞き、そこでようやくも我に返る。

(な、何言ってるの私?!)

初対面の相手に、しかもぶつかってしまった相手に対してあまりにも不躾だ。恥ずかしさが込み上げ、顔に熱が集まるのを感じる。

(それに、今は立ち止まっている場合じゃない!)

このままでは遅刻確定。最悪な未来が待っている。
は一瞬手を伸ばした少年の気遣いに気がつかず、ガバッと立ち上がって一礼した。

「あの、ぶつかってごめんなさい!それに、綺麗とか……!私、急いでて……っ、それじゃあ!」
「あ、おいっ!」

は野に放たれた猪のように駆け出した。
青年の手はさ迷い、空を掴む事になる。そして、安堵したように息を吐いた。

「『神様みたい』、か……」

良い勘をしている。
青年―――刀剣男士・山姥切国広はそう素直に思った。















期末テストにギリギリ間に合ったは、四苦八苦しながらも回答用紙を全て埋められた。放課後のチャイムを聞いて胸を撫で下ろす。
テストの事で頭がいっぱいだったが、朝の出来事を思い出した。
神秘的な瞳を持つあの青年。

(私よりは年上かな?高校生だよね?どこの学校だろう……?しゃがんでたけど、何をして―――もしかすると……!)

ガタンと大きな音を立て、は立ち上がった。隣の席に集まっていた友人達が、驚いて声を掛けてきた。

、急に何よ?」
「私、用事を思い出したから先に帰るね」
「えっ?テスト終わったからカラオケ行こうって皆と話してたのに」
「ごめんね、私は今度で良いや。ちょっと用事思い出したから!」

は友人達に手を合わせ、寸前で駆け込んで来たときのように走り出した。

「カラオケ大好きなが、テスト終わりのカラオケを断るなんてね」
「これはひょっとして……」
「春が来たのよ、きっと!」
「え?!」
「ホントに?!」
「「「きゃーっ!!」」」

教室に女子高生特有の華やかな悲鳴が響いた。
は神社に急いで向かった。青年を見たのは早朝だ。普通に考えればもう神社にはいないだろう。
でも、もしかしたらまた神社に戻ってきているかもしれない。には確かめたい事があった。
神社の鳥居を抜けて境内に入ると、山姥切はと出会った時のようにしゃがんでいた。

「良かった!いてくれて……!もういないかと思った」
「お前は、今朝の……」

再び出会えるとは思わず、お互いに驚いてしまう。
山姥切は警戒して立ち上がる。自分が刀の付喪神で、歴史修正主義者から守っているとは絶対に知られてはならない。

(だが、この人間は初対面の俺に『神だ』と言ってきた……!)

正確には『神だ』ではなく『神様みたい』という感想なのだが。

(―――まさか、俺が付喪神……刀剣男士だと気がついて戻って来たのか?!)

他の本丸の話。出陣先で刀剣男士が人間に正体を知られてしまい、歴史の流れに大きく関わった事件が報告されている。何とか大事に至らなかったが、かなり危なかったらしい。

(刀剣男士と気づかれないようにこの時代の服を着て来たのだが、それでも隠しきれなかったのか?やはり、俺が写しだからなのか?!)

山姥切がいつもの自己嫌悪に陥った時、は意外な事を言い出した。

「あなた、もしかして探し物をしているんじゃないですか?」
「?!」

山姥切はアイスグリーンの目を大きく見開いてしまった。

「……どうしてわかったんだ?」

本当なら、何も言わずに立ち去るべきなのだろう。しかし、山姥切は純粋にどうしてわかったのかが知りたくなった。

「最初にぶつかったとき、しゃがんでいましたよね?何かを落としたから、しゃがんで探しているのかなって……。それに、パーカーに葉っぱが付いてましたよ。林の方も探していたみたいに思えました」

山姥切は、の洞察力と勘の良さに驚き、感心さえしてしまう。

「あの、もしまだ見つかっていないなら、私も手伝いますよ……?」

山姥切は迷ったが、勘の良いなら落とした物を見つけてくれるかもしれないと思った。

「俺はこの辺りに来たのは初めてだ。出来れば探すのを手伝って欲しい」
「わかりました!それで、探し物は何ですか?」
「……御守りだ」

山姥切は時間遡行軍を追いかけてこの時代にやって来た。時間遡行軍は倒せたものの、帰還した後で懐に入れていた御守りが無いと気がついた。

「御守りって、神社に売っているやつみたいな?」
「ああ。しかし、見た目は似ているが、俺にとっては特別な物だ。ある人から貰った、大切な……」

御守りは刀剣男士が破壊された時に威力を発揮する。刀剣男士の命を守ってくれる。
何より、主から授かった御守りだ。しかも初めて主が作った物で、強い思い入れがある。

「それなのに、俺は落としてしまって……」

山姥切の想いを察して、は心強い微笑みを見せた。

「大丈夫です!きっと見つかりますよ!1人より2人の方が効率が良いですし、私はこの辺りに詳しいですから」
「だが、お前には得する事は無いだろう?」
「そうですねー……。じゃあ、その綺麗な目を見せてくれたお礼という事で!」
「なっ?!」

山姥切はカッと頬を赤らめ、フードを目深に被った。
今まで綺麗だと誉められても、写しであるが故に卑屈な気持ちにしかならなかった。だが、不思議な事にから誉められると妙にドキドキしてしまう。

(何だコイツ……。出会った時も、俺を綺麗だと言ってきたり……。だが、コイツは俺が山姥切の写しだと知らないはず。……ああ、写しの俺としてではなく、俺自身を綺麗だと言っているのか)

所詮は山姥切の写しの姿を褒められているのだが、それでも胸の内が満たされていくのを感じた。

「あの……、私、調子に乗った事言いましたよね?ごめんなさ―――」
「謝らなくても良い……。気分を害したわけじゃない」

『嬉しかった』とは言えないが、それでもを笑顔にさせるには充分だった。

「じゃあ、さっそく探しましょう!私はです」
「お、俺は…………」

一般人に名前を告げるのは躊躇われた。しかし、は親切で山姥切を手助けしてくれるのだ。名乗らないのは礼儀に欠ける気がする。

「…………俺は、国広だ」
「宜しくお願いします、国広さん」

と山姥切は目を凝らし、小さな御守りを探し始めた。















「見つからない…………」

山姥切は本殿の廊下に1人で座り、ガックリと肩を落として天を仰いだ。シャワシャワ、ミーンミンミンと、蝉の鳴き声が無情に響いていた。
は学校が終わった後、山姥切は暇を見つけて、神社で御守りを探した。暫く経つが、御守りは影も形も見当たらなかった。

「もう、諦めた方が良いのかもしれないな……」
「大丈夫ですか?」
「うわっ?!」

ポツリと呟いたところで、ひょっこりとが後ろから現れた。コンビニで買ったソーダアイスを差し出してくる。

「一緒に食べませんか?疲れたときは格別に美味しいですよ」

は山姥切の憂鬱を吹き飛ばすような笑顔で言った。

「すまない」
「こういう時は『ありがとう』って言うんですよ」
「……そうだな。ありがとう」

山姥切はソーダアイスを受け取った。噛ると、ソーダの弾けるような甘さが口の中に広がった。

「暑くなってきたな」
「もう夏休みに入りますから」

も山姥切の隣でソーダアイスを噛る。
山姥切はをフードの下からチラリと見た。額に汗が滲んで光っていた。暑い中、には関わりの無い御守りを一緒に探してくれている。

(何の得にもならないのにな)
「アイス食べ終わったらまた探しましょう」
「いや、もう良い。何日も探したが、見つからないんだ。御守りは諦めよう」
「え?!でも、国広さんの大切な御守りなんでしょう?」
「たかが御守りだ。また貰えば良い」

『たかが』と言ったが、山姥切の表情はいつにも増して暗かった。

「御守りをくれた人、怒っていなかったですか?」
「いや、全く。少しも怒っていなかった」

実際、主には御守りの件を報告した時も怒ってはいなかった。『また作ってやるから、気にするな』と何でもないように言っていた。
逆に腹が立ったのは山姥切の方だった。

(何故俺が腹を立てているんだ?)

御守りを失くした事を叱られたわけでも悲しまれたわけでもない。軽く笑って許されたというのに。

(人の身体を得て暫く経つのに、人の心は良くわからないな……)

戸惑いが渦巻き、山姥切は目を伏せた。

「怒られなかったのはまぁ良かったけど、それはちょっと残念ですね」
「は……?」

を見ると、寂しそうに眉を下げていた。

「……小さい時に大事にしていたキーホルダーがあったんです。お祖母ちゃんがくれた物。いつも鞄に付けて持ち歩いてたのに、公園で遊んでいたら、キーホルダーをどこかに落として無くしちゃったんです……。私は一生懸命探したけど、やっぱり見つかりませんでした。すごくショックで、探しながらベソかいてたなぁ」
「それで熱心に御守り探しに協力してくれたのか」
「それもありますね。で、お祖母ちゃんに怒られるのを覚悟しながら、失くした事を打ち明けたんです。そしたらお祖母ちゃん、『また買ってあげるから』って……。全然怒ってなかった」

の話に、山姥切は寂しさが込み上げてきた。それは、主に御守りの事を報告した時のようだった。

「別にお祖母ちゃんに怒られたいわけじゃなくて。私がずっと大切にしていた物は、お祖母ちゃんにとって大切な物じゃなかった。それがショックで、悲しかったんです」
(ああ……、だから俺はこんな気持ちになったのか……)

感じた不思議な寂しさの答えがわかり、山姥切は胸に手を当てる。その答えを噛み締めるように。

「だから、国広さんの気持ちすごくわかるんです!寂しさは消えないかもしれないけど、御守りが見つかれば少しは気持ちが晴れますよね!だから、もう少し探してみましょうよ」

はそう言って、ポケットから何かを取り出し、山姥切に渡した。それは山姥切と同じ目の色をした御守りだった。縫い目からして、手作りだとわかる。

「コレは?」
「私が作った御守り。国広さんの失くした御守りの代わりじゃないけれど、御守りが見つかるようにと思って作りました。丁寧に作ったつもりだけど、初めて作ったから不恰好でしょう?ごめんなさ―――って、あの……?」
「〜〜〜〜っ!」

山姥切は御守りを握り、フードを被って顔を覆い隠した。きっと耳まで赤く染まっているだろう。必死に緩みきった顔を伏せた。

の気遣いが嬉しくて、つい桜が舞い散りそうだ……!)
「ふふっ、変なの」
「へ、変だと?!」

フードから顔を出せば、は柔らかい微笑みを浮かべていた。毒気が抜けて、山姥切は見惚れてしまった。

(もし、の失くした大切な物が付喪神だったら……。きっと、感謝しているに違いない)

山姥切も心を持つ物として、のキーホルダーは幸せだったとわかる。
もし、が審神者になれたら、きっと刀剣男士達から好かれる良い審神者になれるだろう。
ぎゅっとフードを握りながら、山姥切は貰った御守りに視線を落とす。

「失くした御守りと同じくらい、大切にする……」
「嬉しい。ありがとうございます!」

は夏の太陽にも負けない笑顔の花を咲かせた。

「ここは俺が礼を言うところだろう」
「あはは、そうですね。……時々、失くしたキーホルダーに心があったら良かったなぁって思うんです。そしたら、キーホルダーが『ここにいるよ』って教えてくれたかもしれないですよね。付喪神?みたいな」
「そ、そうだな」
「山姥切さんも、初めて会ったときは神様みたいだと思ったんですよ。普段そんな事思ったりしないのに、変ですよね〜」
「そっ?!……そんなわけないだろう……。、俺は普通の人間だぞ」
「あははっ、ですよね!国広さん、凛としていてカッコいいですし、もし付喪神だったら刀の付喪神かもしれないですね!
「…………」
「あれ?どうかしましたか?」
(コイツ、わざと言っているのか……?)

いちいちは勘が良い気がする。

(もしかして、本当に審神者の才能があるんじゃないか?)

そんな事を考えていた時だ。突然影が勢い良くに迫ってきた。影―――カラスだ。

「え?!何?!」
「く……っ!」

山姥切はの腕を引っ張り、カラスから庇うため背中に隠した。
カラスは、が落としたアイスの棒を鋭利な嘴で挟み取った。そのまま林の方へ飛んで行く。

「行ったか……。大丈夫か?怪我はしていないか?」
「はい、大丈夫です!ありがとうございました。それはそうと、国広さん!!」
「な、何だ?」

勢い良くは身を乗り出し、目を希望に輝かせた。

「国広さんの御守り、どこにあるかわかったかも!」
「何?!……もしかして、あのカラスか?」
「カラスには収集癖があると聞いた事があります。巣に御守りを持って行ったのかもしれません」
「なるほど……。林だな。行ってみよう、
「はいっ!」

山姥切はと一緒に林へ足を運んだ。
どっしりとした高い木の上を見れば、カラスの巣がある。ハンガーやビニール袋など、様々な素材で出来ていた。御守りもカラスが集めている可能性は充分ある。
の提案で神社関係者に事情を話したところ、梯子でカラスの巣を取ってきてくれた。関係者にお礼を言い、カラスの巣を見てみれば、針金、ゴミ袋、プラスチックの欠片……。そして、山姥切が探し求めた御守りがあった。

「こんなところにあるとはな……」

御守りを見つけられて、山姥切の不安な気持ちが一気に吹き飛んだ。

「あ、あったー!!本当にあった!!本当に良かった……!」

は涙ぐんで、自分の事のように喜びを爆発させた。
山姥切の形の良い指は、自然との目元に伸びていた。その指先で、花弁に触れるように優しくの涙を拭った。
はキョトンとして山姥切を見上げた。山姥切は、がこれまで見てきた中で1番優しい笑みを浮かべていた。

「自分の事みたいに喜んで……。本当にお前は変わった奴だな」
「そ、それって褒めてます……?」
「ああ。ありがとう、

の心臓は、山姥切の笑顔で爆発しそうだった。一生懸命動じないように努めるしかない。

(見つけられて良かった。けど……、国広さんとは、これでお別れなのかな……)

御守りが見つかった今、彼と一緒にいる理由は無くなった。今度は彼と一緒にいられる理由を探したくなる。

「…………」

山姥切も同じ気持ちなのか、無言になってしまう。
何か話さなくては。そう思ってが口を開く。
そして、事件は起きた。

「あ、あのっ、私―――」
「危ないっ!」
「え?!」

山姥切は緊迫した声色で叫び、を抱き寄せて後ろに下がった。影が再び現れ、に襲い掛かってきた。山姥切のお陰で、間一髪攻撃を避ける事が出来た。

(またカラス?)

カラスが巣を取り払ってしまった事に怒っているのか。そう思い、影の姿を目で追った。
しかし、影の正体はカラスとは似ても似つかない、骨が剥き出しの禍々しい化け物だ。魚のように手足は無く、空中をまるで海にいるかのように泳いでいる。深淵の闇色をした霧を纏い、鋭い牙の間にギラギラと不気味に輝く短刀を咥えている。

(何……?コレは、何なの……?!)

怯えたの疑問を、山姥切は知っている。

「時間遡行軍……!!まだこの時代にいたのか?!」
「ジカンソコウグン……?」

この化け物の名前らしいが、何故それを彼が知っているのかわからない。恐怖と混乱で思考停止してしまいそうになる。
がふと足元を見た。山姥切が必死に探し、ようやく見付けた御守り。それが真っ二つになって落ちていた。どうやら先程の攻撃で斬られたらしい。無惨な姿を目の当たりにして、は息が止まりそうになった。

「国広さんの御守りが……っ!」
「今はそんな事を気にしている場合じゃない!前を見ろっ!」
「そんな……、囲まれてる……?!いったい何がどうなっているの?!」

いつの間にか時間遡行軍は増え、山姥切とは囲まれていた。魚のような時間遡行軍だけではなく、打刀や太刀を握る人形の化け物もいる。深淵の闇がジリジリと迫ってきた。
何もわからないが、命の危機が迫っている事だけは確かだ。

「国広さん……」

唯一、この状況を理解しているであろう山姥切。が不安げに名前を呼ぶと、山姥切はただ力強く答えた。

、俺の傍から離れるな。必ず護ってみせる」

その言葉を合図に、山姥切は姿勢を低くして構えた。まるで刀でも持っているかのように。すると、山姥切の前に刀紋が光を帯ながら浮かび上がり、山姥切の手元が輝いた。

(刀……?!)

は光が集まり、山姥切が刀を手にするところを目撃した。
時間遡行軍が黙って見ているはずもなく、を目掛けて襲い掛かってきた。

「いやあっ!!」

振り翳された凶刃を前に、は震えながら咄嗟に頭を抱える。

「参る」

山姥切はの前に躍り出て、敵短刀の得物と頭を破壊した。そのまま振り向き様に刀を払い、敵脇差しを深々と斬る。倒れた時間遡行軍は醜い唸り声を上げ、黒い霧を撒きながら消えていった。

「その目、気に入らないな」

山姥切は高く飛び上がると、敵打刀の頭に刃を突き立てた。返り血が飛び散るが、時間遡行軍の消滅と同時に霧散した。

「強い……!」

鋭く的確に急所を斬っていく山姥切は、まるで戦場を駆け回る武神の様だ。は思わず感嘆の声を漏らした。
残りの時間遡行軍は2体だ。再びに凶刃が向けられる。それを山姥切が刀で薙いだ。一撃喰らわせようと山姥切が刀を掲げる。しかし、木々が邪魔をして上手く狙いが定まらず、避けられてしまった。

「くそ……っ!、走るぞ!」
「はいっ!」

山姥切はの華奢な手を掴み、走り出した。は山姥切の自分より大きな手を握り返して応える。

「……もしかして、私が狙われていませんか?」
「…………」

の言うとおりだ。何故か執拗に時間遡行軍はを狙って来る。

は、歴史の大きな流れに関わらない一般人のはずだ。それなのに、奴等はどうして―――)
「国広さん?!」

の悲鳴の様な呼び声に、山姥切はハッとした。次の瞬間、山姥切は草むらから飛び出してきた敵短刀に脇腹を斬り付けられた。血が飛び散り、草木を赤く染める。

「それで殺そうと……?はあっ!!」

山姥切は地面を思い切り蹴り、敵短刀目掛けて刀を振り下ろした。敵短刀は咥えていた刀を破壊され、霧散した。
着地と同時にが駆け寄ってきた。涙を滲ませ、山姥切を気遣う。

「国広さん!今斬られて……っ」
「心配するな。軽傷だ」
「でも……!」
、大丈夫だ。簡単にはやられたりしない」
「国広さん……」

傷口を覆うように掌を当てる。ドクリドクリと脈動が感じられた。斬られたのがだったらと思うと、山姥切は気が気ではない。

(御守りは斬られて無くなった。これで大太刀が出てきたらマズいな……)

御守りは刀剣男士にとって命綱だ。しかし、今はもうその命綱は失われた。山姥切1人でを護りながら戦うのは難しい。
ドスンドスンという重い足音が聞こえてくる。山姥切は嫌な予感がして、を背後に隠した。刀を構える。黒い霧を纏う闘牛の如し体躯をした時間遡行軍―――大太刀だ。

「何だか……さっきの奴より強そう……っ」

も敵大太刀の脅威が伝わってきたのか、喉が震えている。しかし、は拳を作って敵大太刀を睨み付けた。





「国広さんは、あなたになんか負けない!私を護るって言ってくれたもの!」





「!」

山姥切がの言葉で両目を見開いた。そして、アイスグリーンが輝きを取り戻し、山姥切は柄を握る手に力を込めた。

「はあああっ!」

気迫の籠った声が林に響き渡り、山姥切は敵大太刀を相手に立ち向かった。
敵大太刀も大地を揺らしながら山姥切に斬りかかる。山姥切は重い一撃を刃で受け止めた。火花が散り、剣戟が何度も鳴り響いた。

(脇腹を斬られたせいか、思うように力が入らない……!)

持久戦になれば不利だ。そう判断して、山姥切は急所を狙って敵大太刀の懐へ飛び込む。
しかし、その手は読まれていた。敵大太刀は山姥切の襟元を掴んで、軽々と投げ飛ばした。

「ぐはっ?!」

木の幹に強く叩きつけられ、息が出来なくなる。直ぐごぷりと喉奥から熱いものが込み上げて、山姥切が吐き出すとそれは鮮血だった。

「ごほっ!げほっ!……くっ……」
「国広さん!!……あっ……?!」

が山姥切の傍へ駆け出そうとしたが、敵大太刀が壁のように迫ってきた。
は身を引いたが、その大きな体躯からは想像も出来ないくらい素早さで腕を掴まれてしまう。恐怖で凍り付いたは、最早息も出来なかった。

「グオオオアアア!!」

敵大太刀は雄叫びを上げる。を串刺しにする為、禍々しい得物を振るった。
は覚悟してギュッと目を瞑る。
しかし、いつまで経っても衝撃は来ない。
恐る恐る目を開けると、大太刀ではなく、山姥切の背中が見えた。

(国広さん、無事だったん―――?!)

噎せかえるような鉄錆の臭いではハッとした。
山姥切の背中から、刀が突き出ている。花のように血が広がり、滴り落ちていた。足元には血の水溜まりが出来ている。
時間遡行軍の腹部には山姥切の刀が突き立てられ、黒い霧となり消えていく。それを見届けた山姥切は、燃え尽きた様に崩れ落ちた。

「嫌っ!国広さん!国広さん!目を開けて……!」

が必死に呼び掛けると、山姥切は瞼を震わせて開いた。透き通った海を思わせるアイスグリーンの目は、濁って光を失っていた。

……、怪我は……ないか……?」
「国広さんが護ってくれたから、大丈夫……!それより、あなたの方が……っ」
「血で汚れて……いる、くらいで……、丁度良い……」
「そんな事言わないでください!」

ポタポタと山姥切の頬に熱い雫が落ちてくる。何度も、何度も。それがの涙だと直ぐにわかった。

(泣かせてしまったな……)

山姥切は最後の力を振り絞り、の頬に触れた。そして一緒にソーダアイスを食べた時のように、優しく指で涙を拭った。

「ごめんなさい、ごめんなさい……!私のせいでっ、国広さんが……!」





こういう時は『ありがとう』って言うんですよ。





「こういう……とき、は……、『ありがとう』……と、……言うんだ……ろ……う……?……………………」





パキン。





と、山姥切国広の刀身が砕ける絶望の音がした。





刀身と同じ様に山姥切は身体が砕け、光の粒子となる。儚くも美しい光に包まれたは、泣き崩れるしかなかった。

「く、国広さん……!!嫌っ!こんなのってないよ……!どうして?!どうして?!どうして……?!」

は同じ言葉を繰り返し吐露した。

「消えてしまうなんて……、どこにいるの?国広さん……!探さないと……!」

山姥切がいた場所を見れば、小さな御守りだけが残されていた。

「コレ、私が作った御守り……?」

が贈った手作りの御守り。山姥切が大切に懐へ仕舞っていた物だ。
山姥切の照れた笑顔を思い出し、の心が震える。涙をごしごしと拭うと、は徐にそれへ手を伸ばした。





の指先が触れたその時、御守りから閃光が放たれた。





「え?!今度はいったい何……?!」

は立ち上がって手を翳し、必死に目を凝らす。だが、確認したくても360°眩しくて何も見えない。
その光の中に影が現れた。
より一回りは大きな影は、人の形に変化していく。

(まさか―――)

は徐々に消えていく光の中、目を見張った。





最初に飛び込んで来たのは、薄汚れた布のマント。





その下に隠されているのは、星屑を塗した様な金色の髪。





そして、神秘に満ちたアイスグリーンの双眸。





……?」





そう囁くのは、が望んでいた彼―――山姥切国広の声だった。






「……っ、国広さんっ!!良かった……!」

は、再び現れた山姥切を掻き抱いた。強く、強く。

「ど、どうなっているんだ……?俺は確かに破壊されたはず……?御守りも無いのに、どうやって復活出来た……?」

何故自分は復活出来たのかわからず、山姥切は呆然とした。だが、自分で言った『御守り』という言葉に反応して、の両肩をガッと掴んだ。驚いたは涙が引っ込む。

!」
「は、はいっ?!
「お前がくれた御守りはどうした?」
「え……?!えっと、国広さんが消えてしまった後、出てきて……ピカ―!っと光ったら、国広さんがまた出てきて……」
「?!」

の証言は、まさに刀剣男士が復活出来る霊力が込められた御守りだ。

「は〜〜〜〜〜っ」
「国広さん?!」

バターン!と山姥切は脱力して仰向けに倒れ込んだ。
夏の抜けるような青空が、山姥切の瞳に映り込む。それがバカみたいに綺麗で、山姥切は喉奥を振るわせて笑い出した。本当に笑わずにはいられない。

「ふっ、はははは……っ」
「どうしたんですか?」

訝しんで自分の顔を覗き込む。山姥切はたまらなくおかしいと破顔した。

、お前はやっぱりすごい奴だったんだな」
「???」

山姥切はアイスグリーンの目を細める。そして夏空の下、桜の花弁を舞い降らせた。
桜の花弁を髪に塗したには、状況が良くわからなかった。

(でも……、まぁ良いか)

わからない事だらけだが、山姥切が笑ってくれるなら、何でも良いと思えた。
これから先、長い付き合いになる。山姥切もも、そんな予感がした。


2018.07.13 更新