ボクだけのアイドル


ボクの名前は乱藤四郎。藤四郎兄弟の中でも珍しい乱刃だよ。そのせいか、ちょっとだけ見た目が違うんだ。ボクを女の子と間違えちゃったりしてね。
ボクの好きな物。可愛い小物や可愛い服が好き。フリルの付いたスカートだし、真っ赤なリボンも好き。可愛い物を身に付けられる人間の身体になれて、ボクはあるじさんにものすごーく感謝しています!
こんな見た目かもしれないけれど、時間遡行軍との戦いでは乱れちゃうよ★油断大敵!だよね?
それからね、それから……。





ボクは今、恋をしている。





ボクは液晶画面の前で再生ボタンを押す。何百回も耳にした、可愛くてポップでとても元気になれる音楽が流れた。それと同時に、ステージの真ん中に登場した1人の女の子。スポットライトを全身に浴びて、宝石みたいに彼女は輝いている。彼女は、弾けるような笑顔と歌声でファンを元気にしているアイドル―――ちゃん。
ボクが恋をしているのは、この超一流アイドルのちゃんだ。オタク用語で言うと、要するに【ガチ恋】というやつ。

「ああ〜〜!いつ観ても本当にちゃん可愛い〜〜!!すっごく素敵〜〜っ!!」

ボクは初回限定版のプレミアムライブDVDを観て、クッションに顔を埋めながら身悶えた。
このDVDは本当に何百回も観た。元気を出したい時には、やっぱりちゃんのライブが特に良い。
他にも沢山のライブDVDやバックステージ集を観たけれど、この誕生祭のライブが1番のお気に入り。
誕生祭だけあって、すごく衣装も凝っている。ちゃんのイメージカラーである白を基調としていて、レースを何枚も重ねたミニスカートが可愛い。黒のレースロンググローブには赤いリボンが付いている。踊るときにそのリボンがふわっとするところがポイント!頭にはちゃんのトレードマークであるボンネット。誕生祭では真珠の飾りが沢山付いていて、スポットライトを浴びると虹色に輝く。本当に綺麗。
でも、1番綺麗で可愛いのはちゃんなんだよ!

「お、またこのアイドルのライブ観てるのか」

隣で薬を作っている薬研が、半ば呆れ気味笑った。

「確か、籠手切の旦那に借りたのが切っ掛けで好きになったんだったか?」
「うん!ボク、元々歌ったり踊ったりするの大好きだからね。そしたら籠手切さんが、『一緒に歌って踊れる刀剣男士を目指しましょう!』って、お勧めのDVDを貸してくれたんだ〜」
「そんなにすごいアイドルなのか?」
「すごいよっ!見た目が超絶可愛いのは当然なんだけれど、振り付けは自分でプロデュースしていて、大きな事務所に入ってからもずっと振り付けは自分でしているんだって。普通大きな事務所に入っちゃったら、売れるためにもプロの振付師さんがするものなんだけれどね。その振り付けした踊りが可愛くて面白くて、『次はどんな踊りをしてくれるのかな?』ってワクワクするの!そのままでも十分歌上手なのに、観る度に成長していて、ボクも頑張ろうって思うんだ〜!あ!それから、この頃アイドルはグループを組まないと売れないって言われているのに、ピンでアイドルしているんだよ?しかもそれで1番勢いのあるアイドルなんだよ!それってすごくない?!後はね―――」
「あ〜〜〜〜わかったわかった!その辺で良い」
「あ……。あはっ、ごめんね」

ちゃんの事になるとつい熱くなっちゃって、薬研にいっぱい話しちゃった。

「そこまで好きなんてよっぽどだな。でも、アイドルなんて、他にいくらでもいるじゃねぇか」

薬研の言うとおり、アイドルは地下も含めて大勢いる。ちゃんを知ったのもたまたまだ。

「ボク、籠手切さんからちゃんのDVDをお勧めされた時は、そこまで好き!ってわけじゃなかったよ」
「それは意外だな。すごく熱入れてるから、初めて観た時から好きなのかと思ったぜ」

生き生きとした笑顔でファンの声援に応えるちゃんを観た。額の汗がスポットライトで光っている。ハードなスケジュールの中でも、ステージの上では疲れた姿を全く見せない。

「最初はボク踊るの好きだから、踊りの稽古の参考にしようと思ったんだよね。ちゃんとは背格好も近いし、楽しい振り付けだったし」
「乱は時々『歌って踊って欲しい』って大将に頼まれてるよな」
「そうそう。あるじさんもボクの踊りが好きみたいだから」

ボクのあるじさんは40代後半の男の人。ちょっと堅物そうだから、踊りとか歌には興味無いのかと思っていた。でも、時々ボクに『ちょっと見せてくれ』と照れたようにお願いしてくる事がある。やっぱり意外だよね!
そういえば、籠手切さんもちゃんのDVDはあるじさんのだって言ってたなぁ。実はアイドルに興味があるのかな?

「ライブのバックステージ映像があって、アイドルになった切っ掛けをインタビューされてたんだ。ちゃん、前はただの公園で歌ってたんだって」
「公園?それは随分なステージだな」
「でしょ?大きな事務所にスカウトされる前は、アイドル戦国時代せいでライブハウスさえ借りられなくて、公園で歌ってたんだよ。お客さんも全然いなかった。正直、お客さんがいないのに歌い続ける意味があるのかな?って思うよね。でも、ちゃんは違った」

ボクはリモコンを操作して、そのときのインタビュー映像を再生した。
ライブのリハーサルを終えて、汗だくになったちゃんがいた。可愛い笑みを浮かべて、インタビューに答えている。

『初めてのライブは公園だったって聞いたけれど、それって本当?』
『はい!公園でした。お客さんは誰もいなかったですけれど、人前に出る練習も兼ねて歌っていました』
『それって絶望感がすごいですよね。どうしてそれでもアイドルを続けようと思ったの?アイドルになった切っ掛けってある?』
『私には離れて暮らす家族がいるんですけれど、忙しくて全然会えないんです。でも、アイドルになってスターになれば、遠く離れていてもテレビを通じて家族も観てくれるんじゃないかと思って。だから、私は公園で独りで歌っていたわけじゃありません。家族が私を観てくれていると信じていたから、ずっとここまでアイドルでいられたんだと思います。それが、私がアイドルになった切っ掛けです』
『ご家族の反応はどうですか?』
『実はもう5年くらい会っていないですけれど……』
『え?!それってつまり、アイドルになってから1回も会っていないという事じゃないですか?』
『あ、はい。でも、今はファンの人達に支えられていますし、会えなくても家族ですから。だから、私は信じてステージに立つだけです!』

そこから先は、ライブの稽古についてや最近の趣味などの話題に切り替わった。
ちゃんの表情からは、全く悲観の色は見えない。ただニコニコとインタビューに答えている。

「……すごいな、このって奴。笑って話しているから、誰も深く考えたり気を遣ったりしなくて済んでるけどよ。相当辛い状況だな……」
「うん。このインタビューを観た頃、いち兄がまだこの本丸に顕現されていない頃だった。それもあって、余計に胸にグサッと刺さったよ」

いち兄が来たのは、ボクが顕現して2年目の春だった。薬研もボクも、粟田口の兄弟の皆は、ずっといち兄がいない間、寂しい気持ちを抱えていた。もしかしたら、いち兄はこのままずっと本丸に来てくれないんじゃないかと思ってた。ボクは悲しくて悲しくて、絶望した。
でも、このちゃんのインタビューを観て、ボクは変わった。

ちゃんは、ボクよりも長い時間家族に会えなくて辛い思いをしてきた。それなのに、頑張る事を辞めない。ステージの上でキラキラの笑顔を見せてくれるんだよ?それってすごいよね!胸の奥から勇気が出てくるんだよ。ボクも頑張ろうって、信じようって思った」
「そうだったのか。そういえば、あの頃はいち兄がいなくて落ち込んでいる俺達兄弟を、お前は一生懸命励ましてくれたっけな。アレは、このアイドルの影響だったのか」
「うん!だからボク、ちゃんが大好きっ!!」

ちゃんとボクはアイドルとファンだから、いくら恋したって、画面の中には手を出せない。それでも、ちゃんの事になると、ドキドキして、心がすごく乱れちゃう。

「DVDだけじゃなくて、ライブには行かないのか?」
「ボクも行ってみたいんだけれど、ちゃんのライブって、まさにチケット争奪戦なんだよね〜。だから、いつかちゃんのライブに遠征するのがボクの夢」

もしちゃんのライブに行けたら、ボクはそのまま天国に行っちゃうかも!考えただけで鳥肌が立っちゃうよ!

「……だけど、今はそんな事してる場合じゃないよね」
「ああ、そうだな……」

少し苦しそうな顔で、薬研は止まっていた手を動かす。
今薬研が作っている薬は、あるじさんにあげるものだ。
ボク達のあるじさんは、最近ずっと具合が悪い。朝布団から出られなくなる事も少しずつ増えてきた。
審神者のお仕事は大変だ。あるじさんのような戦の無い世の中から駆り出された審神者は、戦の采配を考えるのは難しい。ちょっとしたミスが、ボク達刀剣男士の命を左右する事もある。あるじさんは優しいから、ボク達が折れたり怪我をしないようにするために頑張ってくれている。
審神者のお仕事を切っ掛けに、病気になって寝込む事も珍しくないらしい。

「あるじさん、早く元気になって欲しいよね……」
「ああ……。ほら、薬が出来たぞ。コレを大将に持って行ってやってくれ。笑った乱の顔を見れば、きっと大将も元気になるだろ」
「うん。ありがとう、薬研。ボク、あるじさんの様子見てくる!」

ボクはちゃんを見習って笑顔を作ると、薬研から受け取った薬を持って、あるじさんの部屋に向かった。今日の近侍はボクだからね。多分今は政府からの通達を整理しているはずだ。
あるじさんの部屋の前でボクは声を掛けた。

「あるじさーん、いる?乱だよ。入っても良い?」

声を掛けても、返事は聞こえてこなかった。
おかしいな?

「あるじさん……?入るよ?」

ボクは返事を待たずに襖を開けると―――

「あっ、あるじさんっ?!」

あるじさんがうつ伏せになって倒れていた。















あるじさんの容態は持ち直したけれど、これ以上審神者を続けるのは難しかった。これまでずっと体調が悪いのを我慢していたみたい。
時の政府の指示で、あるじさんは審神者を辞める事になった。近侍としてそう本丸の皆に伝えると、全員が悲しそうな顔をした。でも、あるじさんの体調がずっと悪かった事は皆も知っていたので納得してくれた。あるじさんにこれ以上無理をさせちゃいけない。あるじさんは十分役目を果たしてくれた。心配の言葉と感謝の言葉しか聞こえてこなかった。

「はぁ〜〜……」

あるじさんのいない本丸は今日で10日目。ボクは心も身体も疲れ切ってしまった。あるじさんがいない本丸はこれからどうなるんだろう?先の事を考えると不安で息苦しくなっちゃうよ。
だらんと横ソファに横になって、応接室で何となくテレビを観ていた。トレンドニュースで美味しいスイーツ特集とか、動員数第一位の映画とか、そんな人間社会の他愛も無い話題が右から左へ流れていった。ボクはぼんやりとそれを見つめている。
お天気お姉さんのコーナーを観ていた時だ。速報を知らせる音が鳴って、突然画面の上の方に一文が出た。その一文が、ボクに衝撃を与えた。





【人気急上昇中のアイドル、が卒業を緊急発表】、と書いてあった。





「え……?嘘っ?!ちゃんが、アイドルを卒業?!」

ボクはソファから転げるように下りて、テレビに噛り付いた。お天気お姉さんも、速報に驚いている様子だった。コメンテーターもびっくりしていて、ボクは今か今かとちゃんの情報を待った。
この日の夜、ちゃんが緊急記者会見を開いた。ちゃんがカメラの前に出てくると、沢山のフラッシュを浴びせた。ちゃんはメジャーデビューした時のステージ衣装で現れた。丁寧に一礼をして顔を上げたちゃん。そこにはいつもの笑顔は見られなかった。口を一文字に結んで、何か大きな決断をしたような、そんな顔をしていた。
ボクはごくりと唾を飲み込み、ちゃんの言葉を待った。

です。突然ですが、私はアイドルを本日で辞めようと思います。これまで支えてくださったファンの皆さん、関係者の皆さん、今日まで応援してくださってありがとうございました』

ちゃんは椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。ずっと頭を下げていた。容赦無くカメラのフラッシュがちゃんに浴びせられた。

『人気絶好調ですよね?どうしてそんな時にアイドルを突然辞めようと決めたんですか?!』

それは、この記者会見を観ている全員が思っている事だと思う。
ちゃんは、これまでスキャンダルは無かった。順調にアイドル活動をしてきたし、ライブも成功してきた。ファンだってもちろん全国に沢山いる。順調中の順調。そんな感じだったのに、どうして……?
再び顔を上げたちゃんは、質問をした記者の方を向いて答えた。

『申し訳ありませんが、アイドルを辞める理由について明確に答える事は出来ません。言えるとすれば、これ以上アイドル活動を続ける事が困難な出来事に直面してしまいました。私にとって、とても大切な事です』

そこを何とか!と、アイドルを辞める理由を聞き出そうとする記者が騒ぎ出した。マネージャーや事務所の関係者が騒ぎ立てる記者達を宥めた。

『本当に申し訳ありません。アイドルを辞める理由については答えられないんです』
『では、アイドルを辞めた後はどうするつもりなんですか?』
『芸能界からも引退するつもりです』

1つ1つ答えられる範囲でちゃんは質問に応じた。ハッキリとした受け答えをしていたちゃんだったが、この質問には一瞬黙ってしまった。

『アイドルを卒業されるなら、卒業ライブなどは行うつもりなのでしょうか?』
『……卒業ライブ。卒業ライブは……恐らく出来ません。ファンの皆さんには申し訳無く思っています。残念で仕方ないです……』

この時のちゃんは涙を目に溜めていた。卒業ライブは、アイドルにとって1番重要なライブだ。これまでの感謝の気持ちをファンに伝えるお別れの挨拶だから。
直ぐにハンカチで零れ落ちそうだった涙を拭い、ちゃんは必死に前を向いた。

『これまで支えてくれたファンの皆さん、関係者の皆さん、私をアイドルにしてくれた全ての方に感謝しています!アイドルとしてファンの皆さんを元気にさせる事が目標でしたが、私の方がファンの皆さんのお陰で元気になれました。辛い事も苦しい事も、ファンと一緒に乗り越えられました。本当に、これまで応援してくださってありがとうございました!!』

20分くらいの短い時間でちゃんの会見は終了した。ボクはリモコンでテレビの電源を切る。真っ黒な画面。ゴロっとそのまま横になった。
ボクは色々な事が起き過ぎて、呆然としてしまう。
今日、この時からちゃんはアイドルじゃない。普通の女の子だ。でも、とても信じられない気持ちでいっぱいだ。
どうしてアイドルを辞めたのか。その理由もわからない。
でも、ちゃんは何か強い思いでこの記者会見に挑んだと思う。それだけは間違い無い。
あるじさんのいなくなった本丸。
テレビからいなくなったちゃん。
ボクが心の支えにしていたものが、いっぺんに無くなってしまった。

「ボク、寂しいよ……!」

ボクの中にぽっかりと開いた穴を埋めるように、ぎゅっとクッションを抱き締めた。















あれから更に1週間。ボクは朝ご飯を食べ終えて手合わせをしようと薬研に声を掛けに行った。手合わせをすれば、少しは憂鬱なこの気分も晴れると思ったから。
ボクが声を掛ける前に、薬研がボクの方に走ってきた。血相を変えて珍しく焦っているような、そんな感じ。

「乱!」
「どうしたの?そんなに慌てちゃってさ」
「乱、今時の政府から審神者が遣わされた。新しい審神者がこの本丸に就任するぞ。その新しい主が今ここに来ている」
「えっ?!」

本丸に審神者が不在になった場合は、色々な選択肢があるけれど、新しい審神者が引き継ぐ事もある。時の政府はそれを選択したみたい。でも、それって薬研がこんなに慌てる事かな?

「乱は近侍だったからな。新しい審神者に挨拶してくれ」
「うん、わかったよ」

新しい審神者。新しいあるじさん。そう思うと前のあるじさんの事が思い浮かんじゃう。ボク達刀剣男士にとって、審神者はパートナーなんだから、こうもアッサリ交代するって言われても……。
だけど、立ち止まってはいられない。ボク達は時間遡行軍を倒して歴史を護らないといけないんだから!
ボクは内番衣装から急いで正装に着替えて、新しい審神者が待つ客間へ薬研と一緒に急いだ。ボクは客間の前に立つと、近侍らしく振る舞う為に背筋を伸ばした。

「乱、お前は覚悟した方が良いぞ」
「えっ?どういう事?」

戸惑うボクに、薬研はニヤリと笑うだけ。
えっと、もしかしてすごく怖い感じのあるじさんなのかな……?それともすごく偉い立ち場の人?ボク、そんなあるじさんだったらちょっと嫌だなぁ……。
ドキドキしながら襖を開けて中へ入った。

「失礼します!ボクはこの本丸の近侍をしている、乱藤四郎だよ!新しいあるじさん、これから宜しくお願いしま―――!?」

時の政府の人と一緒に座っていたのは、1人のすごく可愛い女の子。
昨日、記者会見で気丈に振る舞っていた、元一流アイドル。





ボクの好きな人。





「ええっ?!嘘っ?!ちゃん?!なっ、何でここにいるの……!?」

ボクはつい大声を出してしまった。近侍として振る舞うとか、そういう事も全部吹き飛んだ。ず〜っと会いたかったちゃんを目の前にして、冷静でいられるわけがないよっ!興奮で身体が熱くなってどうしようもない。緊張もあって、無意識に拳を握ってしまった。

「いきなりこんなの、や……、やだっ、恥ずかしいよ……!」

近侍としておかしい恰好はしていなかったけれど、ちゃんに姿を見られるのが恥ずかしくて、隣の薬研の後ろにサッと隠れた。薬研はただ慌てるボクの様子を見てニヤニヤしているだけ。薬研……、ちゃんがここにいるって知ってたな?!
ボクは恐る恐る薬研の後ろから出て、ちゃんと向き合った。

「ボク、ボクは、ちゃんの大ファンなんですっ!!ライブのDVDとかCDも全部持ってます!!今までずっと応援してました!!」
「そうなの?嬉しい!ありがとう」
「わ〜〜っ!ずっと言いたかった事、言えちゃった!」
「でも、アイドルを辞めちゃって、ごめんなさい……」

ちゃんは悲しそうにボクに笑いかけた。
そんなちゃんの様子に、ボクの胸がズキンと痛んだ。

「会えて本当にすっごく嬉しいけれど、どうしてちゃんがいるの?」

もう2度とちゃんの姿は見られないと思っていたのに。今、目の前に座ってボクを見ているなんて……!信じられなくて眩暈がしてきた。

「近侍殿、こちらをご覧ください。この本丸に新しく就任する審神者の正式な任命書です」

ちゃんの隣に座っている時の政府の人が資料を差し出した。そこには、この本丸に新しく就任する審神者の名前が書かれていた。その名前は、。初めて知る彼女の本名。ボクは奪い取るようにその資料を手に取った。

ちゃんが、審神者……?この本丸の、新しい審神者なの?」

ちゃんは立ち上がって、ボクの前まで来た。ボクは緊張で震えてしまう身体を懸命に抑え込んだ。

です。今日からこの本丸を引き継ぐ事になりました。宜しくお願いします」

ちゃんが手を差し出し、ボクに握手を求めている。アイドルを辞めたからとは言っても、ほんのちょっと前はテレビでしか見られない存在だったんだから、手が震えた。

「ボクは、乱……!乱藤四郎ですっ!」

ボクがちゃんの手を握ると、ちゃんはしっかり握り返してくれる。柔らかくて、女の子なんだと思わせる綺麗な手だった。
時の政府の人と引き継ぎの儀式を済ませた後、ボクはちゃんに本丸内を案内する事になった。大好きな人が傍にいて、夢みたい。ボクは一生懸命本丸の説明をした。
一通りの案内の最後、ボクはちゃんに庭が見える縁側に連れて来た。

「ここに座って。休憩しようよ」
「えっ?でも、まだ審神者としての心構えとか……」
「審神者としての心構えその1!無理をしない。ちゃん、目の下にクマが出来ちゃってるよ。可愛い顔が台無し!前のあるじさんみたいに倒れちゃうよ!」

ボクは自分の目の下を指差した。
するとちゃんはハッとしたような顔をして、それから小さく笑った。とても弱々しいものだった。そしてボクの隣に座った。

「そうだよね……。私のお父さんみたいに倒れちゃったらダメですよね」
「お父さん……?もしかして、前のあるじさんの娘さんなの?!」
「はい。私の父はこの本丸の前任だった審神者です。忙しくて、私とはずっと会えていなかったけれど、この前倒れたって聞いて……。」

前のあるじさんは、堅物そうな男の人だ。家族の事は聞き覚えが無いけれど、まさかちゃんが娘さんだったなんて……。

「それじゃ、アイドルを辞めた理由は……」
「倒れたお父さんの後を継ぐ為です。本丸の引継ぎには霊力の相性があるみたいで、私はお父さんの娘だから相性が良かったみたいです。審神者のお仕事は、時間遡行軍との戦争。政府が内密にしている事だから、アイドルを辞める理由はどうしても言えませんでした」

確かに審神者とアイドルを両方やっていくのは難しいよね。特にトップアイドルだったちゃんはすごく忙しかった。中途半端にしない事をモットーにしているちゃんらしい決断だ。
審神者や時間遡行軍の事は、時の政府が厳しく管理している。どの道、ちゃんはファンにアイドルを卒業する本当の理由は話せなかったと思う。

「ファンの皆さんには、本当に申し訳ない事をしてしまったと思う。理由も言えなくて、優しい嘘も……つけなかった」
「わかっているよ。ボク、ちゃんのファンだから。『忙しくて体調を崩した』とか『新しい事に挑戦してみたくなった』とか、色々無難な理由を付けられたと思う。でも、ファンに嘘をつきたくなかったって気持ち、わかってたよ。だから、アイドルを辞める理由が言えなかったんだよね」
「どうして……、わかるの……?」
「ボク、ちゃんの大ファンだから!」

ちゃんは顔を覆って今度こそ涙を流した。それは悲しみの涙じゃなくて、嬉しくて胸が一杯になった時の涙だ。

「ありがとう……!私、ファンの皆さんと離れたくなかった……。だけど、どうしても、お父さんの事が心配で……。お父さんの事を知りたいと思って……。だから……っ!」

審神者を引き継げば、前任者の事も見えてくる。ちゃんはすごくお父さんの事を大切に想っていたんだね。

「これは、ただの愚痴だけれど……」

ちゃんはぎゅっと両手を握り、何かに耐えているみたいだった。

「入院したお父さんのお見舞いに行ったら、『ここは、アイドルなんてつまらない事をやっている奴が来るところじゃない。出て行け』って言われたんです。アイドルになったのは、離れていても、お父さんに私を見て欲しかったから。寂しくても、ずっとその気持ちを胸に頑張ってこられた。だけど、お父さんは私の事を見ていてくれてない。きっと私なんかいらない―――」
「そんな事、あるわけないっ!あるわけないよ!!」

ボクは首をブンブン振って、思わず大声を出してしまった。ちゃんは泣き出しそうだった目を見開いて、びっくりした顔になった。

「どうして?だって私、出て行けって言われたのに……」
「…………」

ボクは椅子から立ち上がって、くるっとちゃんに背中を向けた。それから大きく息を吸って、歌を歌った。辛い事や苦しい事があった人を応援する歌詞をなぞる。それは、ちゃんが1番良く知っている歌だ。

「その歌、私のデビュー曲……」

ボクは歌いながらちゃんの前で踊って見せた。ステップを踏んで、手や足を大きく振り、笑顔で楽しそうに踊った。くるくるっと回ってウインクをする。
本人を前にデビュー曲を歌って踊るのは緊張してしまうけれど、ボクは心を込めて歌って踊った。
歌い終わってポーズをバシッと決めると、ちゃんは弾ける様な満面の笑顔で拍手をくれた。1人分しか聞こえてこない拍手の音だけれど、ボクにとっては拍手喝采だった。

「すごく上手!びっくりしちゃった!私の歌なのに、まるで乱君の歌みたいに聞こえたよ。それくらい、乱君に馴染んでた!」
「ふ〜……、き、緊張しちゃった!」

ボクは改めてちゃんに向き合う。

「この歌はね、前のあるじさん―――つまり、ちゃんのお父さんが特にリクエストしてくれたやつなんだよ」
「えっ?お父さんがリクエスト……?」
「ボク、踊るのが好きなんだって話したら、あるじさんに踊って見せて欲しいって時々頼まれてたんだ。それが今の歌だよ。他のちゃんの歌も歌った事ある」
「お父さんが、私の歌を……?」
「審神者のお仕事ってすごく忙しいのに、空いた時間があると、あるじさんはリクエストしていたよ」
「本当に……?!私、知らなかった……!」
「お父さんは、きっとちゃんに自分のせいでアイドルを辞めて欲しく無かっただけだと思うよ!ちゃんがステージで頑張っていたのを見ていたから」
「そうだったんだ……」

ちゃんの瞳から、星みたいに綺麗な涙が零れ落ちた。それから、ごしごしと涙を拭って、柔らかい笑顔を見せてくれた。

「私、またお父さんのお見舞いに行く。お父さんに早く良くなって貰えるように」
「絶対にそうしてあげて!ボク達も、元気になったあるじさんにまた会いたいから」
「うん。ありがとう、乱君!」

ちゃんの笑顔に釣られてボクもニコニコ顔になっちゃう。好きな人の役に立てるって、こんなに嬉しい事なんだ。
ボクは1つ聞きたい事があった。

「アイドルを辞めた事、後悔してない?」
「していないよ。私はいつも全力でステージに立っていたつもりだから。……でも、急な話だったから、卒業ライブが出来なかった事が心残りかな……。もうステージも無いし、卒業ライブは出来ないってわかっているけれど……」

『今更こんな事言っても遅いんだけどね』と、ちゃんは言う。でも、ボクはそれじゃ納得出来ない!
ボクはビシッとちゃんに人差し指を立てて宣言した。

「あるよ!卒業ライブのステージ!」
「えっ?!」

ボクは庭に降りて走る。そしてちゃんの方へ振り返って、両手を大きく広げた。

「ここだよ、ステージ!」
「この庭が、私のステージ……?」
「キラキラした照明も無いし、音響も無いけれど、ちゃんが歌って踊ってくれれば、どこでもステージになるんだよ。お客さんは刀剣男士の皆!新しい審神者のお披露目会を兼ねた卒業ライブ、ここでやってみない?あるじさんが退院したら、ここで見せてあげて欲しい!」

ちゃんはトップアイドルだったんだ。ボクの提案が受け入れられるかはわからない。ドキドキしながら返事を待った。返事は、直ぐだった。

「私、やるよ!ここで卒業ライブしたいな。誰もいない公園で歌って踊って、それでも楽しかった日々の事を思い出したよ。ありがとう、乱君!私、最後にもう1度アイドルになりたいっ!この最高のステージで!」
「……よ、良かったー!!ボク、ちゃんが笑顔になってくれて、本当に嬉しい……!」

腰砕けになってその場にしゃがみ込んでしまった。ちゃんはボクの傍に来て、手を差し伸ばしてくれた。

「卒業ライブ、乱君と一緒に歌いたいです。私と一緒に、ステージに立ってくれませんか?」

ボクはその手をぎゅっと握り締めて、こう返事をした。

「もちろんっ!ボクもちゃんとステージに立ちたい!」

こうして、ボクとちゃんは手作りの卒業ライブをする事になった。
これまでただテレビで観ていただけのちゃんが、ボクと同じ場所に立っている。それが奇跡のように思えて、ボクは泣きそうになった。
あるじさんが退院した後、刀剣男士全員を集めて卒業ライブをした。もちろんライブは大成功。ボクとちゃんは大きな拍手を貰う事が出来た。ちゃんは、今までのライブの中で1番最高の笑顔を見せてくれた。間近でそれを見られたボクは、本当に幸せ者だと思う。
その様子はいつの間にかカメラを回していた陸奥守さんによって編集されて、動画投稿サイトに投稿された。このお陰でちゃんの卒業ライブが全国配信されて、大勢のファンがそれを楽しめた。結果的に、ちゃんはアイドルの命とも言える卒業ライブを成功させる事が出来た。
ボクもステージに立ったせいか、『の隣で踊る謎の美少女!』ってネットで騒がれちゃった。ボクの正体を探る書き込みがネットにわんさか溢れたみたい。
そしてボクは今、審神者となったちゃんの傍にいる。

「アイドル卒業しちゃったね、ちゃん」
「卒業ライブが出来たのも、乱君のお陰だよ。本当に嬉しかった」

ニコニコ顔のちゃんに、ボクはこっそり耳打ちする。

「アイドルを卒業したって事は、恋愛禁止も卒業だよね?」
「えっ?!」

ちゃんが顔を赤らめて、至近距離のボクを見た。ボクはくすくす笑ってウインクをして見せる。

「ボクにとってちゃんは、アイドルを辞めてもやっぱりアイドルだよ。元気と勇気と、恋する気持ちをくれる存在。だからこれからは、ボクだけのアイドルになってね!」
「ええええっ?!」

真っ赤な顔をして慌てるちゃんは、アイドルの時よりも可愛くて、ボクの大好きな女の子だった。


2018.09.25 更新