女の命


ぽかぽかと温かな日差しが差し込む昼下がり。仕事を終えたは、本丸の縁側でのんびりとお茶を飲んでいた。の腰まである長い髪が風に撫でられる。
すると、ゆっくりとこちらへ向かってくる足音が聞こえて来た。

「ぬしさま、今宜しいですか?」
「ああ、小狐丸か。さっき仕事が終わったところだよ。どうしたの?」

がそう答えると、小狐丸は嬉しそうに懐からつげ櫛を取り出した。椿油をたっぷりと染み込ませたそれは、琥珀色に艶々と輝いていた。

「いつものように、この櫛で私の毛並みを整えてくださいませ」
「うん、良いよ」

は頷いて微笑むと、小狐丸も嬉しそうに笑う。
いそいそとの隣に正座した。そして、背筋をピンと伸ばし、つげ櫛をに手渡した。

「このつげ櫛、気に入ってくれているみたいで嬉しい」
「ええ。ぬしさまから賜った物ですから、当然です。大事に使わせて頂いております」
「プレゼントした甲斐があるなぁ」

小狐丸は自分の毛並みを気にしているらしい。出陣後や手合わせの後で整えている。燭台切のような格好良さに拘っているわけではなく、最愛の主が見ても見苦しくないようにする為、自慢の毛並みを見てもらう為だ。
最近まで小狐丸は別の櫛を使っていたのだが壊れてしまい、万事屋へ買いに行こうとしていた。小狐丸の櫛が壊れてしまった事を知ったは、自ら万事屋へ出向き、使いやすそうな逸品を選んだ。そして小狐丸に日頃のお礼を込めてプレゼントしたのである。
それ以来、こうしてが時々小狐丸の毛並みを整えている。穏やかなひと時を過ごせる事もあり、にとっても癒しの時間だった。

(距離が近くなった感じがして嬉しいんだよね。それに少し可愛い感じ)

小狐丸の体躯は、名前に反して大きく立派だ。でも、正座をしている背中は普段より小さくなっている。いつもは見上げる立場のは、小狐丸との距離が縮まってこそばゆい愛しさが募る。

「丁寧にするつもりだけど、痛かったら言ってよ?」
「わかりました。でも、いつもぬしさまは優しく梳かしてくださっていますよ?」
「それは良かった」

は安心して、くるんと癖のある銀糸を梳かしていく。梳かす度に小狐丸の髪は艶やかさが増す。
小狐丸の髪はふかふかで、いつまでも触っていたくなるような魅力があった。

「う〜ん、実家で飼ってる大型犬をブラッシングしているみたいな……」
「何かおっしゃいましたか?」
「あっ!何でも無いです!」
「?」

絡まった髪を丁寧に解いてから梳かしていく。小狐丸は気持ち良さそうに切れ長の瞳を細めた。

「髪を梳かすのだったら、私じゃなくても良いんじゃないの?」
「おや、ひょっとしてご迷惑でしたか?」
「ううん、そうじゃなくて。むしろ楽しいけど。でも、私より上手に梳かせる人もいるでしょ?他の三条の皆とかさ」
「三日月殿や今剣殿に出来るとでも?」
「……前言撤回!」

三日月は平安貴族の如く世話を焼かれる方。今剣だったら、梳かしている途中で髪で遊び始めるだろう。髪が鳥の巣状態になってしまいそうだ。
同じ三条の石切丸が適任者かと言えば、機動のせいか動作がゆっくりだ。髪の量が多い小狐丸では時間がかかり過ぎてしまうと予想出来る。

「あ!岩融は?今剣の髪を結ってあげてるし」

岩融は豪快な振る舞いが目立つ刀剣男士だが、世話好きな一面を持っている。今剣の長い髪を器用に結っているところを見た事がある。それは家族のようでとても微笑ましい光景だった。
しかし、小狐丸は真逆の意見らしい。短めの眉を寄せてしまう。

「そうでしょうか?それは、今剣殿だから醸し出せる微笑ましさなのです。私の毛並みを整えている岩融殿を想像してみてください」

小狐丸に言われ、は岩融が小狐丸の髪を梳かしているところを想像してみた。屈強な男同士で髪を梳いたり梳かれたり……。

「何というか、絵面がヤバい
「でしょう?」

納得の意見である。

「小狐はぬしさまが良いのです。三条の刀でも、他の刀でもなく、ぬしさまが良いのです」
「そ、そう……」
「はい!」

小狐丸が後ろを向いているお陰で、の頬がポッと赤くなっているところを見られずに済んだ。
やがて小狐丸の髪を梳かし終わった。先ほどよりも艶やかさが増している。

「はいっ、終わったよ」
「ありがとうございます、ぬしさま」

小狐丸は満面の笑みでの方を振り返った。急に小狐丸の涼やかで端正な顔が近づき、はドキッと肩を小さく振るわせた。
その時、やや強い風が吹いた。の緑の黒髪が生き物のようにうねり、顔を隠してしまう。視界を突然覆われ、は慌ててしまう。

「わわっ?!」
「ぬしさま、大丈夫ですか?」

小狐丸は咄嗟に大きな手を伸ばした。の額にかかった髪をそっと避ける。

「あ……」

額から感じる小狐丸の指先の感覚は、の心臓を直接撫でるかのようだった。
視界一杯に顔を赤らめるが映り、小狐丸は胸が高鳴るのを感じた。それは以外には感じた事が無い気持ちである。そのまま抱き寄せてしまいそうになるのを、小狐丸はぎゅっと拳を握って堪えた。
刀剣男士と審神者としてならいくらでも甘えられるというのに、小狐丸はあと一歩が踏み出せずにいた。

「咄嗟の事とはいえ、女子の髪に許可も得ず触れるなど、無礼でした。申し訳ございませぬ」
「えっ?別にそんな事気にしなくても良いのに」

ふわふわとまだ風に揺れているの長い髪を見て、小狐丸は『ぬしさま』と場の空気を変えようと言葉を発した。

「偶には趣向を変えて、ぬしさまの御髪を梳かせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
「私の?」
「ええ。とても美しい御髪でございますから。いつも私ばかり梳かして頂いていますし」
「それじゃあ、お願いしようかな」
「はい、ぬしさま!」

はつげ櫛を小狐丸に渡し、くるりと後ろを向いて黒髪を差し出す。
の髪は風で多少乱れてしまっているが、特に梳かさずとも綺麗だ。

(ぬしさまに触れたいという私の我が儘だが)

小狐丸はのサラサラとした髪につげ櫛を当てる。スッと髪が通り、陽の光に当たって輝いた。

「本当に美しい御髪でございますな。まるで絹糸のようです」
「ふふん、でしょ?普段はテキトーな格好をしているけれど、髪の手入れだけはきっちりしているからね!」

が得意げに言うだけの事はある。
はどちらかと言うと、あまりオシャレには無頓着だ。今もTシャツにジーンズという動きやすいラフな格好をしている。メイクもあまりしているところを見た事が無い。でも、髪は見惚れてしまうくらい美しかった。

「ぬしさまのズボラな性格から考えて、腰まである長い髪を手入れするのは大変でしょう」
「おーい!ハッキリ言うね!でもまぁ、シャンプーとか乾かす時とか確かに大変。綺麗に伸ばすのは難しい。刀剣男士の皆みたいに、手入れをすれば『髪も綺麗に元どおり!』ってわけにもいかないから、それは面倒かも」
「せめて御髪を束ねては如何ですか?」
「仕事の時は束ねた方が良いんだろうけれど、それもちょっとね〜。視界に見えないと落ち着かないって言うか」
「何か理由がお有りで?」

の性格を熟知している分、小狐丸は不思議だった。そこまで自分の髪に執着しているのには、きっと理由がある。
は僅かな沈黙の後、少し声のトーンを落として言った。優しい声色だったが、そこには寂しさが滲んでいた。

「私の母親はね、とても綺麗な髪の人だった。長い髪で、母親の髪を梳かしたり結んだりして遊ばせて貰ってた。三つ編みにしたり、お団子にしてみたり。女の子って皆そういうの好きでしょ?私も例外じゃなかったってわけ」

は何でもないように言うが、足をぷらぷらと揺らしている。頑張っては自分の心を落ち着けようとしている。そのいじらしさが小狐丸に伝わってきた。
野生の勘、なのだろうか。小狐丸は本能的に嫌な予感がした。

「もしや、ぬしさまの母君は……」
「……お母さんは、私が10歳の時に亡くなった。事故でアッサリと、ね」

両手を広げて肩を竦めるの表情は見えない。いつの間にか小狐丸の髪を梳く手は止まっていた。

「それから髪を切る気になれなくて、なんとなーく伸ばしているだけ」
(何となくというのは嘘じゃな。もし真であるなら、ここまで美しい御髪になるはずがない)

長い髪を美しく維持するためには、それなりの努力が必要だ。何事もほどほどに生きるが髪に拘る理由。それはやはり特別なものだった。

「ぬしさまの昔の話は初めて聞きました」
「あはは、未練がましいよね〜。ずっと昔の話なのに、うじうじしているっていうか……」
「いいえ。ぬしさまの美しい御髪には、母君との思い出が詰まっているのですね。ぬしさまの思い出を聞く事が出来て、この小狐は嬉しかったですよ」
「……ありがとー、小狐丸」

は鶴丸ほどではないが、飄々としている。審神者としての仕事が大変な時も、へらへらと笑って何でもないかのように振る舞う。周りに心配を掛けまいとしているのだ。も1人の人間で、辛くないはずが無い。だが、あまりに疲れを顔に出さないので、それを忘れてしまう事が多い。

(ぬしさまが私に愁いを吐き出してくれた。ぬしさまのお役に立てた事が、本当に嬉しい。この小狐が傍で、ぬしさまを御守りします)

小狐丸はひと房髪を手に取る。髪に触れた感触に気づき、は振り返った。

「小狐丸?」
「ぬしさま、今度は私があなたに櫛を贈らせてくださいませ。ぬしさまの髪がもっと艶やかになるような、素晴らしい櫛を選んで参ります故」
「本当に?じゃあ、楽しみにしているから」
「では、約束の印に……」
「?!」

小狐丸はそのまま触れたひと房の髪に口付けを落とした。恭しくの髪に誓う小狐丸を前に、は『宜しく……お願いします……』と頬を染めた。
















この日、小狐丸は遠征の帰りに万事屋へ立ち寄った。
お使いに行っていた短刀達が、新商品が色々入荷していたと言っていたからだ。その中につげ櫛も入っていたらしく、小狐丸はとの約束を守るために出向いた。
万事屋の中は他の刀剣男士達や審神者も集まっており、賑わっていた。小狐丸は女性が好きそうな小物が集まっている区画を見つける。近づいてみると、他の刀剣男士が恋仲と思われる審神者と一緒に商品を選んでいた。恋仲特有の甘い雰囲気に当てられてしまう。

(見せつけてくれるのう。……私もぬしさまと共にここへ来たいものだ)

小狐丸はつげ櫛を見つけると、手に取って見る。

(ぬしさまの髪の量は普通だが、腰まである長さだ。荒歯で、木目が細かく丈夫なものが良いじゃろう)

髪に挿す飾り用の櫛にも目がいく。本朱漆と夜光貝の蒔絵が美しい桜の意匠だ。同じもので椿の意匠の櫛もある。女性なら一度は試してみたいと思える商品だ。
がこの煌びやかな飾り櫛を挿しているところを想像する。緑の黒髪に良く映えるだろう。そして、きっと笑顔になるはずだ。

(温かな気持ちにさせてくれる。ぬしさまは私にとって特別な御方じゃ)

それは、刀剣男士と審神者以上の気持ちである。
髪を梳かす用のつげ櫛と一緒に買ってしまおうと思ったが、今は手持ちが無い。

(次に来る時にでも、ぬしさまと選べば良い。楽しみは取っておくもの)

周りの恋人達を見て、自分も同じように睦まじく逢引きが出来たらと強く願った。に、愛しく想い合う者として隣にいて欲しい。小狐丸の想いは色濃くなっていくばかりだ。
梳き櫛としてお勧めと書かれていたつげ櫛を購入する。そして、大事に懐へと仕舞った。
あの日と話す前は、自分の気持ちを伝えるべきか迷っていた。心地良い刀剣男士と審神者としての関係が壊れてしまったらと思うと、告げる事は出来なかった。もしに拒絶されてしまったら、自分はどうなってしまうのかわからなかった。

(それ以上に、ぬしさまが私にお気を遣ってしまうであろうな)

を困らせたくないという気持ちが、これまでは勝っていた。しかし、膨らみ続けた愛しさは、行き場所をもう見つけている。

(このつげ櫛を贈り、ぬしさまに私の想いをお伝えしよう。あの日、ぬしさまが私に心の内をお伝えしてくださったように……)

小狐丸は静かに高鳴る胸の鼓動を感じながら、万事屋を後にした。
通りに出ると、ざわついている事に気づく。他の通りを行き来する審神者達も、何かを察して不安そうに表情を歪めていた。何事かと近くにいた審神者に声を掛けようとしたその時―――

「きゃあああーーっ?!」
「うわああーーっ!!」
「?!」

恐怖と怯えに満ちた悲鳴が上がった。小狐丸が咄嗟に本体の柄に手を掛ける。
そして、背後から異形の者―――時間遡行軍が群を成して現れた。















「小狐丸……!!」

時の政府からの知らせを受け、は本丸に担架で運ばれて来た小狐丸に駆け寄った。三条の刀達も集まって、小狐丸の容態を確認する。
担架に乗せられた身体には、無数の刀傷があった。戦装束も所々破れて血で染まっている。

「傷はどうだ?小狐丸よ。……ふむ、意識は無いようだな」

三日月の声に小狐丸は無反応で、ただ瞳を閉じてぐったりとしている。頬からは血色が失われ、額には汗を滲ませて苦しんでいた。

「みたところ、ちゅうしょうくらいでしょうか?これならていれですぐになおりますよね?あるじさま!」
「…………」
「……あるじさま?」

は今剣に良い返事が出来ず、ただ黙って小狐丸を見つめていた。顔色は優れない。
確かに今剣の言うように、傷の程度は中傷くらいだろう。手入れをすれば治る傷だ。しかし、は感じるのだ。小狐丸から禍々しい瘴気を。
石切丸も瘴気に気づいたようで、時の政府の者に事情を聞く。

「小狐丸さんはどうなっているんだい?強い瘴気を感じるけれど……」
「時間遡行軍が商業エリアに紛れ込んでいたらしいのです。多くの審神者を逃がすため、居合わせた刀剣男士達が奮闘したそうです。彼も戦いましたが、その時に時間遡行軍から特殊な攻撃を受け、瘴気を浴びてしまったのです。瘴気は彼の魂まで蝕んでいます。このままでは、刀剣破壊も時間の問題です」
「何ぃ?!くっ、小狐丸よ……!」

岩融は小狐丸の苦し気な様子を見て悔しそうに拳を握った。

「我々も、今は多くの傷ついた刀剣男士や審神者の対応に追われています。それに、この瘴気は先ほども言ったように魂にまで浸食しているのです。時の政府でも、ここまで浸食していては小狐丸を修復する事は不可能です」

時の政府の者は絶望の言葉を並べていく。このままでは、小狐丸は破壊の時を待つだけだ。
は動揺する三条達の中で、冷静に声を発した。

「どうすれば、小狐丸を助けられますか?」
「考えられる方法は1つです。彼の主であるあなたにしか出来ない事です」
「私にしか、出来ない事」
「それは―――」

告げられた治療方法。聞いていた三条の刀達はざわついた。息が詰まりそうになり、心配そうな視線がに集まる。
瘴気の濃さから考えて、これまでの手入れのようにはいかない事はわかっていた。しかし、審神者にとって、……いや、にとって酷な方法だった。
は、傷つき苦しんでいる小狐丸を見下ろした。小狐丸の懐からは、包みが破れて顔を出す真新しいつげ櫛が見えた。

「ふんっ!!」

バシッとは両頬を両手で叩き、気合を入れた。そして、力強く澄み切った声で時の政府の者に答えた。

「わかりました。私が必ず小狐丸を助けます」
















小狐丸が目を覚ましたのは明け方だった。
小狐丸は平安貴族風の部屋―――自室に1人寝かされていた。

(本丸……。帰って来たのか)

敵に襲われて斬られた瞬間、妙な不快感があった。通常の傷ではないと直ぐに理解した。しかし、他の審神者達を護るために自分の怪我など気にしている場合ではなかった。
奮闘して時間遡行軍を蹴散らした後、どっと力が抜けて全身に寒気が走った。じわじわと身体の内側から塗り潰されていくような気がして、小狐丸は恐怖を感じた。何より、の元へ帰れなくなるのではないかという事が恐ろしかった。
上半身を起こして、自分のゴツゴツした手を握ったり閉じたりを繰り返した。寒気や脱力感は無くなっており、代わりに清浄な霊気が身体に満ちていた。これは手入れをしてもらった後に感じるの霊力の欠片だ。そして自分の身に何が起きたのかを把握した。
枕元には、大切なつげ櫛の包みが丁重に置かれていた。それを確認して小狐丸はホッとする。

(情けない姿を晒してしまったが、ぬしさまにこのつげ櫛をお贈りせねばな)

小狐丸は大事に大事に懐へと仕舞った。
とすとすと軽い廊下から足音が聞こえてきた。これは何度も耳にしたの足音だ。

「ぬしさま!」
「小狐丸っ!?」

嬉しそうに小狐丸が呼ぶと、襖越しにの驚きの声が聞こえてきた。一瞬襖をガッと掴む音がしたが、は何故か室内には入って来なかった。

「……良かった、気が付いて」
「ぬしさまのお陰で、小狐は健やかでございます。ありがとうございます、ぬしさま」
「もう!無茶しないでよ!時の政府の人が来て、対応とかその他諸々大変だったんだから〜」
「申し訳ありません、ぬしさま。今後はもっと精進して参りますので、お許しください」
「絶対だからねっ!」

普段どおりの声色だったが、は一向に部屋に入って来ない。

「あの……、ぬしさま、何故部屋の外におられるのですか?私に顔を見せて頂けないでしょうか?」
「えっ!?……えーっと……それは、その……」
「ぬしさま?」

言い淀んでしまっているに、小狐丸は痺れを切らして立ち上がった。そして、襖を開けようと手を掛ける。

「ああっ?!開けないで!」
「どういう事です……?」
「……私の事、ちょーっと見ないで欲しいかな〜とか……思ってたり……」
「!」

小狐丸はその一言で、何かわからないがとてつもなく嫌な予感がした。そしての意思に反して襖を一気に開け放った。

「あっ!こ、小狐丸……。ハロー……」
「…………」

はいつものTシャツにジーンズ姿だったが、頭からすっぽりと羽織を被っている。表情は羽織の下に隠れており、小狐丸からは確認出来ない。しかし、視線を逸らし、どう言い訳をしようか悩んでいる子供のような表情が想像出来た。
小狐丸の受けた瘴気は、とても強いものだった。それは自身もわかっていた。通常の手入れでは治せないと、何故直ぐに気づかなかったのだろうと思う。
自分の予想を確信に変える為、小狐丸は言った。

「ぬしさま、羽織を取ってくださいますか?」
「うっ!はぁ〜……」

は深いため息をつく。渋々頭から被っていた羽織をするっと外した。

「?!」





の長い髪は、バッサリと切られていた。





「ぬしさま……!」

小狐丸は無礼な事も忘れ、正面からの後頭部に手を伸ばし、確かめるように触れた。いくら触ってみても、あの日縁側で触れた豊かな髪はどこにも無かった。
短い。今は厚や博多と同じくらいの長さになってしまっている。ぐりぐり頭だ。束ねるどころか、髪を梳かす必要も無いくらいに短かった。
驚愕の顔で硬直してしまった小狐丸を前に、は自分の頭を指差して小首を傾げた。

「イメチェンしてみた!いえーい!似合うっしょ?」
「……ぬしさま、手入れの霊力を補う為に御髪を使ったのですね」

そう、時の政府が提案した小狐丸の修復方法とは、の髪を対価にする事だった。
古来より女の髪には霊力が宿るとされており、巫女になる者はその為に髪を伸ばす風習がある。今回のような霊力を多く使う手入れには必要な事だった。
小狐丸は、が自分の髪をとても大切にしていた事を知っている。の長く美しい髪には、亡くなった母親との優しい思い出が詰まっている。その髪を、どんな気持ちで切ったのか……。小狐丸は想像するだけで血の気が失せた。
小狐丸は必死におどけたの両肩をガッと掴んだ。

「『髪は女の命』とも言います。ぬしさまの美しい御髪は、母君との大切な思い出ではありませんか!あれほど御髪を手入れされていたのに!それなのに、私のせいで……!ぬしさま、私はこの身が不甲斐ない……!どんなにお辛かった事か……」
「な〜に言ってるの!」
「痛っ?!」

は小狐丸の額にデコピンを食らわせた。

「小狐丸、髪はね、切っても痛く無いよ。血も出ないし。だから、全然辛くありません!それに、また伸びてくるよ。刀剣男士の手入れみたいに、ちゃちゃっと元には戻らないけどさ」

『ちょっとばかりスースーするね』と言葉を続け、はぐりぐり頭を掻いた。





「私の髪と小狐丸を比べるなんて、ましてや髪の方を選ぶなんて、そんなバカみたいな事出来るわけないでしょ!」





ニコニコと微笑みを浮かべているは、何とも頼もしかった。
小狐丸は、の優しさと健気さに目頭が熱くなるのを感じた。そして、の短くなった頭を抱えるようにぎゅっと抱きしめた。

「ぬしさま、その髪型、とても良くお似合いです」
「ふふっ、ありがと!」

も小狐丸の逞しい背中に腕を回した。隙間を埋めるようにぴったりと身体をくっ付けると、小狐丸の鼓動を感じられた。生きている証の音に耳を澄ませた。

「小狐丸、目を覚ましてくれてありがとう。本当に……、本当に良かっ……!」

最後まで言葉に出来ず、は堪えていた涙を溢れさせた。小狐丸の無事を確認出来て、の心は安堵と歓喜に満ちた。
小狐丸は決意を固めたように、更に強くを抱きしめた。その後、そっとから離れて懐からつげ櫛を取り出した。ハッとなっては自分の髪に触れた。そして残念そうな顔をする。

「ぬしさま、約束の櫛でございます。これからは、この櫛でぬしさまの髪を整えさせてください」
「だって私、もうこんな頭だし、残念だけど……必要無いよ?」
「いいえ。私がただぬしさまを愛でたいのです。このも先ずっと、ぬしさまに触れていたい。私は愛しい人として、ぬしさまをお慕いしています」
「ひえっ?!」

はカッと頬を紅色に染めた。愛らしいの反応に、小狐丸はクスっと笑う。返事はもうわかり切っていた。
小狐丸はの手の平につげ櫛を乗せると、そのまま両手で小さな手を包み込んだ。

「御髪が伸びたら、一緒に万事屋へ行きましょう。ぬしさまに似合いそうな飾り櫛が沢山ございましたので」
「……そうだね。また髪が伸びたら、私、小狐丸に選んで欲しい!」

は小狐丸の愛を受け入れ、約束の口付けを交わした。
それから数年後、小狐丸と仲睦まじく飾りぐしを選ぶの姿があった。
それは、他の恋人達も羨む程の光景だったという。


2018.09.21 更新