私は今、現世の某遊園地に来ている。今剣ちゃんと一緒に、だ。
今剣ちゃんは前々から遊園地に興味を持っていて、いつか絶対に連れて行ってあげたいと思っていた。そして、今回は今剣ちゃんが誉を沢山取ってきてくれた。その頑張りを労う為に、一緒に来たというわけだ。
「わー!あるじさま、みたことのないのりものがたくさんありますよ!たのしそうです!」
「ふふっ、今日は今剣ちゃんの好きそうな乗り物に一緒に乗ろうね」
「ありがとうございます!うれしいです、あるじさま!」
今剣ちゃんは満面の笑顔を見せてくれて、私としても忙しい審神者業を必死に済ませて時間を作った甲斐がある。
今剣ちゃんが少しもじもじしながら言った。
「あるじさま、おねがいがあります」
「どうしたの?」
「ぼくとてをつないでくれますか……?」
「勿論!さあ、手を出して」
「ありがとうございます!」
頬を染めながら今剣ちゃんが私の手を握ってくる。刀を握る手だからか、その手は以外にも少し硬い。いつも頑張ってくれているんだ。私は感謝の気持ちが湧き上がってきた。
遊園地には様々なエリアが有り、今剣ちゃんと手を繋ぎながら色々なアトラクションを巡った。今剣ちゃんは当然大喜びだったが、私も遊園地は久し振りだったので楽しかった。
少しベンチで休憩をしていると、どこからか甘くて良い匂いがするのを感じた。それはこの遊園地の特製クレープの匂いだった。来場者がクレープを食べ歩いているのが見えた。
「あるじさま、いいにおいがします。これはなんでしょうか?」
「ああ、クレープっていう甘いお菓子だよ。ほら、手に持っている人がいるでしょう?この遊園地の名物クレープなの。今剣ちゃん、御馳走するよ!私、クレープ買いに行ってくるから」
「えっ?ほんとうですか?だったら、ぼくもいっしょにいきますよ」
「今剣ちゃん、一杯アトラクションに乗って疲れているでしょう?直ぐそこだから、私1人でも大丈夫よ」
「わかりました。ここでまっていますね」
「うん」
私はクレープの屋台へ向かった。何人かの列が出来ていたが、これならあまり今剣ちゃんを待たせずに済みそうだ。
前に並んでいるカップルが、仲睦まじく会話をしている。彼氏も彼女も頬を染めて、甘い言葉を掛け合っている。
私はカップルを見ながら、ぼんやりと数週間前の事を思い出した。
私にも彼氏がいた。もう私も彼もいい大人だった事もあり、当時はその彼氏とは結婚も視野に入れたお付き合いをしていた。でも、三十路を目前にして、数週間前に彼氏から別れを告げられたのだ。フラれた原因は私も納得している。私が審神者になって、彼氏との時間をなかなか取れなくなってしまった事だ。お互いに擦れ違う日々が続き、心も次第に離れていった。
審神者は大変な仕事だ。生半可な気持ちで出来る事ではない。多くの刀剣男士を統率し、一緒に命懸けで戦う。戦場には出陣しない私自身も、もしかすると命を落とす場合もある。過酷さ故に、彼氏が理解出来ないのもおかしくない仕事だ。
周囲にはクレープを母親から買ってもらっている幼い子がいた。ニコニコと太陽みたいな笑顔を浮かべて、母親に頭を撫でられている。
あれくらいの年齢の子供がいたっておかしくないかもしれない。私はもうそういう年齢になっていて、覚悟して審神者になったが、多少未練のようなものもある。
いやいや、今日は今剣ちゃんも一緒なんだし、パーっと楽しもうって決めたじゃない。
私は気持ちを切り替えて、スタッフから出来上がったクレープを受け取った。新鮮なフルーツ、こってりとしたカスタードクリームと生クリームが、これでもかと乗っている。本当に美味しそうだ。早く今剣ちゃんに食べさせてあげたい。
「ちょっとー、そこの綺麗な綺麗なお姉さん!」
「はい?」
クレープに気を取られていたが、私の前に日焼けした肌の三十路くらいの男性が立っていた。髪は真っ赤に染めていて、明らかに軽そうな印象を受ける。
「お姉さん、もしかして独りじゃね?」
「え……?」
「やっぱりー。遊園地に独りで来るなんて、ナンパ待ちなんでショ?俺も実は独りなんだよね。独りと独り同士、これも運命って言うかー」
「えっと、どういう……?」
「平たく言うと、俺と遊園地デートしようってコト!な?良い提案だと思わねー?」
……何だろう、この軽さは。私と同じくらいの年代なのに、頭はまだ学生みたいな。こんな口説き文句や態度で、女性が喜ぶとでも思うのだろうか。私はこの男の幼稚さに呆れて、首を横に振った。
「あの、大丈夫です。それじゃ、私はこれで――」
「えー?!マジ!?大丈夫って、オッケーってコトじゃん!」
ナンパ男は、私の開いている方の腕をぐっと掴んできた。ぎょっとして私は離れようとしたが、ナンパ男は私を掴んで離さない。盛り盛りのクレープをもう片方の手で持っている事もあり、私はナンパ男から逃げられない。
「違いますっ!結構です、という意味です。ノーです、ノー!それに私、独りじゃなくて――」
『一緒に来ている子がいる』と言いかけて、ハッとした。今日は、今剣ちゃんに楽しんでもらう日だ。今剣ちゃんを巻き込むわけにはいかない。
「何?独りなんでショ?だったら、俺と一緒に遊園地楽しもーよ!」
ナンパ男は、私が押し黙った事をポジティブに捉えてしまったらしく、掴む腕をぐいぐい引っ張ってきた。周囲の人達も、私のこの状況にざわつき始めている。しかし、ナンパ男と関わりたくないのか、何もアクションを起こさない。
流石に恐怖を感じていると、この場に似合わない明るい子供の声が響いた。
「かかさまー!!」
「?!」
今剣ちゃんだ。にっこにこの満面の笑みで私にポーンと駆け寄ってくる。私を執拗に掴んでいるナンパ男の姿など視界に入っていないと言わんばかりに、ぎゅっと私の腰に抱き着いてきた。
「かかさま、くれーぷはまだですか?ぼく、おなかすきましたよー」
母親に甘える子供そのまんまの姿に、周囲もナンパ男も毒気を抜かれてしまった。
「けっ!なんだコブ付きかよ!ガキがいるなら早く言えってんだ!」
「なっ……コブですって?!」
今剣ちゃんに対してあまりに失礼な捨て台詞に、私はナンパ男に抗議しようとする。だが、今剣ちゃんが上目遣いで私を引き止める。構う必要は無い、と。
ナンパ男が去り、周囲も平穏を取り戻した。私は今剣ちゃんに直ぐさま謝罪した。
「ごめんね!あの人、今剣ちゃんにすごく失礼な事――」
「あるじさまがあやまるひつようはありませんよ。あるじさまがごぶじでなによりです」
何も気にしていないと言う今剣ちゃんに救われて、私はホッと胸を撫で下ろした。今日は今剣ちゃんに楽しんでもらう為に現世に来たのだから、不愉快にはさせたくなかった。
「くれーぷもぶじでよかったです」
「あっ、そうだった。はい、クレープ」
「ありがとうございます、あるじさま。……うん、とってもあまくておいしいです!」
「良かった……!」
「それにしても、ぼくがあるじさまのこどもだとしんじていましたね、あのおとこ。ぼくのどこがあるじさまとおやこにみえるというのでしょうか」
不満そうに頬を膨らませた今剣ちゃんに、私も今更だが地味にショックを受けた。
「そういえば、今剣ちゃんの言った事を信じていたよね……。確かに、私は今剣ちゃんくらいの子供がいてもおかしくない年齢だし……。はあああ……婚活でもしようかな」
「こんかつ?って、なんですか?」
「結婚相手、お婿さんを探すって事だよ」
「だっ、だめです!!」
「え?」
今剣ちゃんは明らかに不機嫌そうだった。ぎゅっと私の手を強く掴んできた。
「さっきはほうべんをつかいましたが、ぼくはあるじさまのこどもではありませんからね。おむこさんさがすひつようはありませんよ!ぜったい!」
「???えっと、それはどういう意味かな?」
「もう……。あるじさま、にぶいっていわれませんか?」
「えっ?えっ?」
今剣ちゃんはクレープにパクついて、私は今剣ちゃんの言葉の意味を考え続けた。その意味がわかるまで、後5分。どうやら私は、お婿さんを探す必要が無さそうだ。
<岩融Ver.>
今日は珍しく万事屋ではなく、現世で買出し。刀剣男士の中には、現世の物に興味を持つ刀も多くて、彼等へのお礼も兼ねて買出しに来たというわけだ。
「はっはっはっはっ!ここが現世か。なるほど、珍しき物で溢れているな」
「…………」
「おお!こちらに見えるアレは何だ?」
「アレは自動車という現世の乗り物です」
「ほうほう、そうか!」
「…………」
現世への買出しには、本当だったら今日は清光に来てもらうはずだった。しかし、荷物が多くなりそうだったので、たまたま通りかかった岩融さんに清光が頼んだのである。
私はてっきり清光が来てくれるのだとばかり思っていたので、少々驚いた。何故なら、私はこの岩融さんが苦手なのだ。それも、かなり。
私は審神者になる前は中高大、全て女子学校で過ごしてきた。同性同士の方が気楽だというのもあったし、たまたま入学したいと思った学校が女子の学校というのもある。そして大学在学中で現在審神者になった。
刀剣男士というだけあって、この職場は男性ばかりで気後れした。いや、今も現在進行形だ。清光のようにオシャレ好きだったり、次郎太刀や乱のように見た目が女性的な刀剣男士とは会話をする事が自然と多い。しかし、岩融さんのように、男らしさ全開で豪快な刀剣男士には、正直どう接したら良いのかわからない。家族や親族にもいなかったタイプだ。
「ふむ、この根付け?のような物は、今剣への土産にしたい。主よ、買っても良いだろうか?」
「あ、このキーホルダーですね。は、はい……。大丈夫です。買いましょう……」
「うむ!助かるぞ!今剣の喜ぶ顔が目に浮かぶな」
岩融さんは今剣に優しい。義経伝説関係で強い絆があるのは勿論だろうが、今剣のように見た目が幼い刀剣男士にも優しい。庭で一緒に短刀達と遊んでいるのを良く見かける。
頭ではわかっている。岩融さんが優しい事も。でも、私が育ってきた環境とは違い過ぎて、なかなかどう接したら失礼ではないのか悩んでしまっている。
現世のお米を食べてみたいという刀剣男士もいたので、お米を買いに専門店へ立ち寄る。
「岩融さん、大丈夫ですか?この量のお米、重くないですか……?!」
「主よ、力仕事は俺の仕事だ!遠慮せずに任されよ!それにこれもまた修業の一貫だと思えば、軽い軽い」
「でも……」
宅配でも送る事は出来るのだが、岩融さんは私の心配を他所に大容量ののお米を次々に軽トラへ運んでしまった。お店の人も私も驚いてしまった。
「すごい!」
「はっはっはっは!これしき、対した事はない」
岩融さんとバチッと目が合ってしまって、私はサッと視線を反らした。興奮で高鳴っていた胸も一気に冷えた。
「すまんすまん、主を驚かせてしまったようだな。さあさあ主、次は八百屋だったな。さあ、行こうぞ!」
「は、はい……」
私の失礼な態度も全く気にせず、岩融さんは豪快に笑い飛ばして次の買出し先へ向かった。私は自分が恥ずかしくなってしまう。でも、何も言えないまま無言で軽トラを走らせた。
商店街に目的の八百屋はあった。私が野菜を選んでいると、岩融さんは何かに気づいたようで野菜を選ぶ手を止めた。
「すまぬ主よ、少し待っていてくれないか」
「どうかしたんですか……?」
「あそこで翁が道を渡れずに困っているようだ。俺が負ぶってくるから、少しここで待っていてくれ」
言われてみれば、確かに信号の無い横断歩道を渡れずに困っているお年寄りの姿が見えた。私が頷くと、岩融さんは急いで駆けて行った。
私は八百屋の店先で岩融さんが戻るのをぼーっと待っていた。すると、ぼーっとしていたのがいけなかったのか、商店街を歩いてきた男性にぶつかってしまった。中年男性が持っていたジュースがその拍子に零れ、男性の上着にかかってしまった。白い上着にオレンジ色のシミが広がる。私はサッと血の気が引くのを感じた。
「あっ!ご、ごめんなさい!」
「どこ見てるんだ、お前!この上着がいくらなのか知っているのか?!」
「あの……、クリーニング代金をお渡しします。それで許して頂けませんか?」
私は頭を下げたが、何やら男性からの強い視線を感じる。私の全身を見るように動く視線に、私は恐怖を感じた。恐る恐る顔を上げると、男性はニヤッと笑って私にこう言った。
「いや、クリーニング代はいらん。なるほど……アンタ、俺のタイプだな。なかなかの別嬪さんじゃねぇか。こりゃあいい」
「えっ……?」
「俺と今日デートしてくれたら、それで許してやるよ」
「……私、今日は予定があるんです。そんな事を言われても困ります……」
私は俯いて首を横に振った。だが、男性の気持ちは治まらないようで、ぐいぐいと迫ってきた。
「人様の服を汚しておいて、それは無いんじゃねぇの?ちょっと俺とお茶するだけで許してやるって言ってるんだからよ、素直に受けろよ」
「そんな……っ」
私はいよいよ泣き出してしまいそうになった。男性に更なる恐怖を感じていると、ぬっと大きな影が足元の視界に入って来た。
「主、何やら揉めているようだな」
「岩融さん……!」
お年寄りを助け終えた岩融さんが私と中年男性の間に入ってくれた。だが、私は安心出来なかった。刀剣男士というのは、主人である審神者を強く庇護したいと考えている場合が殆どだ。もしかすると岩融さんも、私を護る為に何か大事へ発展しそうな事をしてしまうかもしれない。それこそ激怒してしまう可能性がある。
私がハラハラしていると、岩融さんは静かに私と男性を見た。
「何があったのか、説明してくれないか?」
「え?あ、はい……」
「あ、ああ、わかった」
大きな身体の岩融さんが少し屈んで私達の話を聞いてくれた。男性に私が不注意でぶつかってしまった事、怒った男性にクリーニング代金を渡そうと提案したが拒否された事、男性が私を強引にデートに誘った事。
不安になりながら岩融さんの意見を待った。すると、岩融さんは男性に向かって大きな身体を綺麗に折り曲げて頭を下げた。
「事情はわかった。俺の連れの不注意で、不愉快な思いをさせたな。謝罪する」
「おお……?あ、ああ。分かれば良いんだよ」
毒気を抜かれた男性は、岩融さんの謝罪を受け入れた。それから岩融さんは、私に視線を向けた。それは諭すような穏やかでありながらも真剣な目だった。
「主よ、謝罪をする時は、相手の目をしっかりと見て謝罪をするものだぞ。恐れを抱く気持ちはわかるが、それでは謝罪の気持ちが伝わらぬ。それから、直ぐに金で解決するような事を言ってはならんぞ。まずは心からの謝罪をしっかりとするのだ」
「!」
男性にぶつかってしまった事に混乱してしまったけれど、確かに私はずっと男性から視線を反らしてしまっていた。それに謝罪も早々にお金の話をしてしまった。
私は岩融さんに習って改めて謝罪をした。今度は男性の目をしっかりと見つめて。
「ぶつかってしまった事、大切な服を汚してしまった事、本当に申し訳ありませんでした」
「……ははっ。もう良いって事よ。クリーニング代もいらねぇからな。じゃあな、おふたりさん!」
男性はどこかスッキリとした表情で去って行った。
私は直ぐに岩融さんにも謝罪をした。背の高い岩融さんの目を見上げて。
「岩融さん、ありがとうございました。私は男性が苦手で、あの人に失礼な態度を取ってしまっていました。岩融さんのお陰で気づく事が出来ました。ありがとうございました」
「俺に謝罪は不要だ。ただ思った事を言ったまでの事。それより、主の気持ちが伝わって良かったな」
ポンポンと大きな手で頭を撫でられた。
私は気恥ずかしさと照れが混じり、頬が少し蒸気するのを感じた。
この日を境に、岩融さんの事を苦手だと感じなくなった。そして、心に宿った淡い気持ちが何ななのか、この時はまだ気づけなかった。
<石切丸Ver.>
私は今、とある神社に来ている。オフの日になったら行きたいと思っていた神社だ。
この神社の御利益は、ズバリ、縁結び。とっても強力なパワースポットで、参拝後に結ばれるカップルが沢山いるんだとか。それなのに、あまり知られていない穴場の神社らしい。
この情報をくれたのは石切丸さんだ。石切丸さんは神社と深い縁のある刀剣男士だから、神社の御利益やお勧めの参拝神社を良く知っている。
私が結ばれたい相手は、石切丸さん。石切丸さんが神社に詳しいので、想い人本人に尋ねる事になってしまった。
正直なところ、私が恋をしている事は秘密にしておきたかった。だって、詮索されたりしたらどう接したら良いのかわからないから。でも、神社の事なら石切丸さんで間違いないだろうし、仕方ないとも思う。
それにしても、石切丸さんは私が恋愛成就の御利益がある神社を教えて欲しいと言ったら、すごく焦った顔をしていたな。どうしてだろう?
まあ、とにかくしっかりとお参りをして帰ろう。
私は神聖な境内に入り、神前でガラガラと鈴を鳴らし、拝礼した。目を瞑り、合掌をしたまま祈りを捧げる。
どうか、どうか、石切丸さんとの恋が実りますように。石切丸さんが私を異性として意識してくれますように。
「ほうほう、そなたの想い人は石切丸というのか」
「え?!」
突然、天から声が振ってきた。私はびっくりして顔を上げる。すると、ふわふわと宙に浮いている半透明の人がいた。
いや、人じゃない。平安時代を思わせる優美であり派手さもある着物に、烏帽子を被った男神だ。目元から頬にかけて、傾いた隈取がある。平安時代にチャラ男が存在するとしたら、多分こんな感じになるのだろう。
「あなたはこの神社の神様ですか?」
「いかにも。我がこの神社の神ぞ。我が見える人の子は久しい。そなた、清らかな気に満ちているのう」
「あ、ありがとうございます……」
突然現れた神様に、私はどう反応したら良いのかわからなくて、お礼を言うので精一杯だった。
「そなたの清らかな気は心地が良い。まるで清流の傍に佇んでいるかのようだ。……良し!そなたを我が妻にしてやろうぞ」
「は……?」
男神の突然の言葉に、私は頭がついていかなかった。しかし、男神はニコニコと満面の笑みを浮かべて、私の傍に降りて来る。
「そなたの清らかな気を傍で感じていたいのだ。人間でここまでの清浄さはなかなかおらぬ。そなたをこのまま手放すのは惜しい」
「えっ?えっ?あの、私、ダメですよ。好きな人がいるんです!あなたの妻にはなれません!」
いくら相手が神様だろうと、私には石切丸さんという心に決めた人がいるのだ。石切丸さん以外の人と結婚するなんて、あり得ない事。私は首をブンブンと振って拒否した。
すると、男神の目が鋭くなった。あくまでも優美な所作で、私の顎をくいっと持ち上げた。しかし、正面から見る男神は迫力があった。
「そなた、我の命を無視するつもりか?」
「でも……、私には心に決めた人がいるんです。妻にはなれません」
恐怖で視線を反らしてしまいそうになるが、私は負けじと鋭く見つめ返した。
「ほほう、神に逆らうか」
「……無理ですから」
「益々気に入った!その気の強さ、心意気、愛でるに相応しい」
「ちょっと待ってください!私は、あなたの妻になれないんです!」
男神の唇が私に迫ってきて、拒否しようと腕を突き出す。だが、半透明の体に私の腕は突き抜けてしまい、離れる事が出来ない。
「悪いけれど、この女性は渡せない」
男神の唇が重なる寸前、背後から抱き締められるように引き寄せられた。そして、男神は現れた人物のもう片方の腕に肩を掴まれた。声の主は、振り返らずともわかった。
「石切丸さん……!」
「主、大丈夫かい?」
「はい!」
張りつめていた私の身体は、ふっと力が抜けてしまった。
石切丸さんに掴まれた肩を振りほどき、男神は怒りに震えた。でも、私はもう怖くなかった。
「お前、付喪神だな?出しゃばるな!その娘は我の妻になるのだ」
「神聖なる神であれば、そのような乱暴な振る舞いは止めて欲しい。清らかな彼女の気が濁ってしまう」
「何を?!我を侮辱する気か?!神の末席の分際で!!」
「確かに、私は神の末席の付喪神。けれども、私の大切な彼女を護る為なら、御神刀としてあなたを斬り伏せます」
「っ……?!」
痛いほどに伝わってくる石切丸さんの本気。神様もまさか言い返されるとは思っていなかったのか、ゾッとした青い顔になった。周囲の空気が冷えるのを感じる。そのまま神様は逃げるように消えてしまった。
「石切丸さん、助かりました。本当にありがとうございます……!」
私は石切丸さんに解放されて直ぐに振り返り、お礼を言った。そこにはいつもの穏やかな石切丸さんがいた。
「ははっ、これくらい当然の事だよ。主が無事で本当に良かった」
私は胸が熱くなるのを感じた。やっぱり、私は石切丸さんが好きだ。
やがて頬も熱くなってきてしまい、私は誤魔化すように話を振る。
「そっ、そういうえば、どうして石切丸さんはここに?……あっ」
聞いた後、気づいて後悔する。だって、ここは縁結びの神社。そして、この神社を教えてくれたのは石切丸さんだ。もしかすると、石切丸さんも他に好きな誰かと結ばれたくてここに来たのかもしれないのだから。
石切丸さんは頬を薄っすら赤らめて、意を決したように言った。
「……実は、主が縁を結びたい人が誰なのか気になってしまったんだ」
「え?それって……」
「私は主にとって、ただの付喪神かもしれないけれど、私は……あなたが愛しい。愛しくて仕方ないんだ」
私は石切丸さんの告白に、今度こそ頬が赤くなるのを隠せなかった。
「わ、私の縁結びをしたい相手は、石切丸さんですっ!」
「!」
神聖な境内だというのに、石切丸さんは私の身体を包み込むように抱き締めてくれた。そして、私はこの温もりを強く感じたくて瞳を閉じた。
<小狐丸Ver.>
忙しい審神者業に励んでいたが、ようやく得た休日。私は現世で友達とカフェで会っていた。刀剣男士という男性ばかりの本丸と比べて、同性の友達とはまた違った楽しさがある。
友達は私の長い髪を指さして言った。
「前よりずっと髪が伸びたね〜。すごく綺麗。羨ましい」
「本当?ありがとう!」
「前はショートだったよね?伸ばす事にしたんだ」
「うん。手入れが大変だけれど、ちょっとロングも良いかなと思って」
私は昔は髪をショートにしていた。でも、今は面倒でも髪の手入れを頑張っていて、綺麗なロングヘアを保っている。
友達はにんまりと笑って言った。
「わかっちゃった!好きな人が出来たんでしょう?」
「えっ?!」
「だって、面倒くさがりのあなたが髪のお手入れをきちんとしているなんて、好きな人が出来た以外にあり得ないもの」
「う……!な、内緒だからね!!絶対に!!」
「はいはい。ようやくあなたにも春が来たね〜」
友達は私の事を良くわかっている。
そう、私には好きな人がいる。それは小狐丸の事だ。
彼は髪の手入れをしっかりとしていて、もふもふをキープしている。私も彼に少しでも近づきたくて、髪を伸ばし始めたのだ。我ながら単純で笑ってしまう。でも、小狐丸の事が大好きなのだ。
私はカフェを出て友達と別れた後、新しいヘアトリートメントを買う為にドラッグストアを探していた。良い香りのするヘアトリートメントを使って、小狐丸に褒めてもらえたら嬉しい。
私がうきうきした気持ちで歩いていると、突然見知らぬ男性が声を掛けてきた。
「あ、そこのおねえさんおねえさん。ちょっと良いですかー?」
「はい?」
その男性は目が覚めるような蛍光グリーンの無造作ヘアで、手にはチラシを持っている。チラシには、この近くの美容室の宣伝文句が書かれていた。
「とても綺麗な髪だね、おねえさん。こんなに綺麗に伸ばすの、大変だったでしょう?」
「え?あ、どうも……」
「俺、ここの美容室で働いてて、今丁度カットモデルを探しているところだったんですよねー。お姉さん、その長い髪の手入れは大変でしょう?俺に切らせてくれません?」
「えっ?いや、私はこの髪が気に入っていますから、大丈夫です」
確かに長く伸ばした髪の手入れは大変だ。綺麗にしておくのは手間もかかるし時間もかかる。でも、小狐丸がこの髪を好きだと言ってくれる。私本人の事じゃないかもしれないけれど、好きだと言ってくれるのが嬉しい。だから、私は今切るつもりは一切無い。
丁寧に断ったつもりだが、この美容師は全く引く気は無いらしい。ぐいぐいと詰めてくる。
「いや〜でもね、今はメンズカットが女性の間でも流行っているんですよ。後ろをぐっと刈り上げて、クールなスタイルに」
「流行に乗ろうとは思わないです」
「え?でも、これから夏になっていくわけですから、暑くて大変になりますよ」
「髪をまとめれば良いだけです」
メンズカットなんて、冗談じゃない。ここまで手入れをして伸ばしてきたのだから。
これ以上話をしていても無駄だ。私は足早に去ろうとしたが、美容師は私の腕を掴んできた。ここまでするとは思っていなかったので、私はぎょっとした。
「ちょ……何するんですか?離してください」
「本当に本当にお願いしますよ!このとおりです!おねえさんの綺麗な髪、素敵だから触ってみたいと思ってしまったんですよ。おねえさんもすごく美人ですし。カットモデルをしてくれるなら、俺とデート出来る特典も付いてきますよ!!」
「…………」
これはもしかして、カットモデルにかこつけたナンパなのではないだろうか。
それに気づいた時はもう遅くて、私はがっちりと腕を掴まれてしまっている。
「俺、おねえさんにはメンズカットが似合うと思うんですよね!白い項が見えたら、最高にそそるだろうし」
「?!」
美容師は気持ち悪い目で私を見て、私の長い髪をかき上げて項を晒そうとしている。
小狐丸以外の人に、私の髪が触れるのは嫌だ。でも、怖い。恐怖で硬直してしまって、声が出ない。
手が髪に触れる直前で、美容師の腕がガッチリと掴まれた。ふわりと視界に見慣れや銀糸の髪が揺れる。
「ぬしさま、ご無事ですか?」
「こ、小狐丸……」
「うおっ?!」
小狐丸は、バッと美容師の腕を振って解放し、私を背中に隠す様に立ち塞がった。そして、小狐丸は底冷えするような声で美容師に警告する。
「ぬしさまの美しい御髪に触れても良いのは、私だけじゃ。これ以上ぬしさまに付き纏うなら、その汚らわしい手を斬り落としてくれようぞ」
「ひっ、ひいいいっ!!」
余程小狐丸が恐ろしかったのか、美容師はチラシも全部ばら撒いて逃げてしまった。
「助けてくれてありがとう。でも小狐丸、やり過ぎ……!」
「はて?ぬしさま、私は何もしておりませぬよ。ただ、あの男に話をしただけです」
「それはそうだけれど……」
今の小狐丸なら、視線だけで人を殺せそうだったから。
その言葉は飲み込んだところで、小狐丸がそっと私の髪を撫でた。驚きと嬉しさと、とにかく色々な感情が一気に押し寄せて、私は全身が熱くなった。
「急に御髪に触れて、申し訳ありませぬ。けれども、ぬしさまの絹糸の髪には、この小狐だけが触れたいのです。あの男が、ぬしさまに触れるなど、どうしても嫌でした」
金色の小狐丸の瞳が、悲し気に細められる。そんな目をさせたくなくて、私は人目も気にせず背伸びをして小狐丸の頬に触れた。小狐丸も屈んでくれて、私達の距離は一気に縮まる。
「この髪は、小狐丸だけが触れても良いんだよ」
「私だけ、でございますか?」
「もちろん。だって、この髪はあなたの為だけに伸ばしているんだからね……!」
恥ずかしさも全部放り出してそう告げると、小狐丸はパッと花が咲いたみたいに笑顔に変わった。
「ぬしさま……!私は幸せ者です!」
「わっ?!小狐丸、苦しいよ……!」
ぎゅーっと大きな身体に抱き締められて、私は恥ずかしかったけれど、そのまま小狐丸を抱き締め返した。心が本当に満たされて、私こそ幸せ者だと強く感じた。
<三日月Ver.>
私は大の甘党だ。某珈琲チェーン店のフラペチーノがずっと気になっていたので、貴重なオフの日に出掛ける事にした。
本丸の廊下でばったり会った三日月に、これから現世へ出掛けると話すと、自分も連れて行けというので一緒に行く事になった。
現世に行くのが久し振りで、すっかり忘れていた事がある。それは、刀剣男士達が全員イケメンだという事だ。
「ねえねえ、あの人イケメンじゃない?!」
「イケメンっていうか、めちゃくちゃ美形〜!!」
店内に入ると、そこかしこから女性の熱い視線と黄色い悲鳴が聞こえてくる。女性達の視線の先にいるのは、勿論三日月だ。
「はっはっはっ。何やら、注目を浴びてしまっているな」
「ちょっと三日月、手を振っている場合じゃないってば!」
三日月レベルのイケメンなんて滅多にいないものだから、軽く手を振るだけで女性達はきゃーっと湧き立つ。自分の価値がわかっていないのか、三日月は少し不思議そうにしていた。
ここに長居は出来ないかもしれない。私は突き刺す私への嫉妬の視線がしんどかった。
三日月と私の順番になり、カウンターでメニューを見ながら店員さんへ注文を伝えた。
「いらっしゃいませ。お決まりですか?」
「私はこの季節限定のフラペチーノをお願いします」
「かしこまりました。そちらのお客様は――ひっ?!イ、イケメン過ぎる……!!」
店員さんは、まるで神様でも見たかのように拝んでしまった。いや、神様で間違っていないけれど。
三日月は愛想の良い笑みを浮かべ、益々店員さんは目を輝かせた。
「主よ、俺は詳しい事はわからぬから、主と同じものを頼みたい」
「あ、うん。わかった。店員さん、彼にも同じものをお願いします」
「はい!!かしこまりましたー!!」
女性店員さんの感極まった声が店内に響く。……もうこの店には来られないかもしれない。そんな事を思いながら、私は三日月とフラペチーノが出来上がるまで待つことにした。
「三日月、私と同じもので良かったの?」
「ああ。主と同じものを食してみたかったからな」
「ふーん……」
そう言ってくれると私もちょっと嬉しい。
「ところで主」
「何?」
「ふらぺちーの、とは何だ?」
「えっ?!何もわかってなかったの?!」
「実はな。だが、主の好きな食べ物なのだろう?俺もふらぺちーのとやらを体験してみたくてな」
「そうなんだ……」
三日月の言葉にふいをつかれ、私は少し照れてしまう。三日月は普段ぼんやりとしている事が多いから、誰かに執着したりするイメージが無い。だから、私を知ろうとしているみたいで嬉しかった。
「三日月は、自分がすっごくカッコいい事を自覚した方が良いよ。すっごくきゃーきゃー言われているじゃない?下手をすると取り囲まれたりして、大変な事になっちゃうよ」
「そうか?」
「そうだよ!本当にそう!」
「お待たせしましたー!」
女性店員さんが、うきうきした満面の笑顔で三日月にフラペチーノを手渡してきた。それは見本と比べて、明らかに盛り盛りのクリームが追加されている。
「ほう、これはまたすごいな」
「はい!こちらのクリームはサービスです!」
「なるほど、さーびすか。すまないな。はっはっはっ」
「…………」
流石は国宝。流石は天下五剣。コンプライアンスを無視した過度なサービスをもさせてしまうとは。
「お客様のフラペチーノはこちらです」
「ありがとうございます……」
男性店員さんから私も同じフラペチーノを受け取る。私のフラペチーノは、きっちり見本どおりのフラペチーノだ。すごく美味しそうだが、三日月の盛り盛りフラペチーノと比べると、甘党としては残念な気持ちになる。
私と三日月は席に座って、さっそくフラペチーノを堪能する。三日月は一口飲んで、ぱあっと目を輝かせた。
「これは美味だなあ。このくりーむが特に良いぞ」
「三日月が羨ましい〜!」
「はて?何がそんなに羨ましいのだ?」
「だって、三日月イケメンじゃん?美形じゃん?あ、間違えた。超超超絶美形だった。で、それで得する事もめちゃくちゃあるでしょうに」
「美形?そなたも美しいと俺は思うがな」
「いやいやいや、全然そんな事無いし」
「照れるな照れるな」
「本当に照れてないから!何度も言うようだけれど、三日月は、もっと自分がどう他人から見られているか自覚した方が良いよ?」
「と言うと?」
「女の子達は全員、絶対に三日月を好きになるって事!」
「ふむ……」
三日月は納得していないようで、読めない表情をしている。何故だか私を見て、私のフラペチーノを見て、再度私を見た。
「そなたの方こそ、自分の事を何もわかっていない様子だな」
「どういう意味?」
すると、私のフラペチーノを指さした。私が不思議に思ってフラペチーノのカップをくるっと回し、側面を見た。すりと、そこには黒ペンで男性の名前と電話番号が記されていた。
一瞬固まり、バッとカウンターを見る。すると、先程私のフラペチーノを作ってくれた男性店員さんが、片目を瞑って微笑んだ。私はその意味がわかり、耳が熱を帯びるのを感じた。
「主は自己評価が低いな。愛らしい主こそ、男が放っておかないというのに」
「あっ、あいらしい……なんて……。三日月と比べたら、私なんて、月とすっぽんだよ」
「ふっ」
「何がおかしいの?」
三日月は正面の席から立ち上がり、私の隣に座る。何だ何だと見ていたら、あっという間に唇を奪われてしまった。こんな、大勢の人がいる中で、私は唇を奪われた。周囲からは、『ぎゃー!?』とか『きゃー!!』とか、色々な悲鳴があちこちから聞こえてくる。私には今の状況を理解するだけで精一杯だった。
きっと、連絡先を書いてきた男性店員さんにも見えていただろう。見せつけるような行為に、私はくらくらしてしまう。
「主は知らないかもしれないが、月はすっぽんが好きだぞ」
離れていく瞳の中に揺らめく三日月が、私を捉えて離さない。
私はフラペチーノよりも、ずっと甘いものがあると知った。
2024.05.25 更新