今日はクリスマス。日本中がイルミネーションに彩られ、しんしんと雪が降っていた。所謂、ホワイトクリスマスだ。
恋人同士が過ごすのに、これほどロマンチックなイベントも無いだろう。だが、今、彼――和泉と一緒にコタツでぬくぬくとしているのは、恋人ではない。彼の姉だ。姉――はスマホの着信音が鳴って、待ちわびたとばかりに画面を素早くタップする。そして、並んだ文字を読んでガクッと肩を落とした。
「和泉〜、歌仙、今夜はやっぱり遅くなるから先に始めちゃって良いって」
「あーマジかよ。そりゃ残念だったな」
今日は和泉と、そして歌仙の3人で、ささやかなクリスマスパーティーを催す予定だった。しかし、歌仙は仕事の都合で遅れると連絡があった。
ちなみにここは和泉が大学進学と同時に住んでいるアパートだ。普段は土方歳三グッズでごちゃごちゃな部屋も、が無理やり持ち込んだクリスマス飾りで華やかになっている。お陰で和泉の部屋の面影が一切無い。浮かれた部屋の出来上がりだ。
「歌仙から一応料理預かってきて良かった」
「だな。危なく飢えるところだったぜ」
は歌仙から預かってきた料理をちゃぶ台の上に所狭しと並べる。チキンやケーキもあるが、煮物や焼き魚、茶碗蒸しなど、半数は和風で雅な家庭料理だった。歌仙らしいと言えばらしい。恐らくジャンクフードを食べているであろう、弟の身体を叩き直したい気持ちもあると推測出来る。
「せっかく和泉が二十歳になって初めてのお酒だったのに。残念!お酒だって準備してきたのにさー、ほら」
「って、何だよこの酒?!【最低野郎】って、もっと良い銘柄の酒無かったのかよ?!」
「ほら、最初に飲むお酒って大事じゃない?だから、絶対に忘れない銘柄が良いと思って」
「絶対に忘れねぇけど、良い記憶にはならねぇだろコレ……」
ドンとちゃぶ台に乗った【最低野郎】の迫力といったら凄まじい。
ぽってりとした素朴な焼き物の御猪口をから手渡される。の酌で、御猪口に銘柄とは裏腹に美しい清酒が注がれた。
「へえ、この御猪口、もしかして兄貴の趣味か?」
「そそ。骨董品屋で見つけたらしいよ。一目惚れしたみたい。初めてのお酒を飲む和泉にプレゼントだって」
「俺に?こういう地味〜なヤツより、もっとカッコいいのが趣味なんだけどな」
「歌仙にそれ言ったら、絶対に怒るわ」
「それ以前に、割らねぇ自信がねぇ」
「あはは、否定出来ないわ、それ」
「そこは否定してくれよ!」
は自分の御猪口にも酒を注ぐと、まるでシャンパンのように高く掲げた。
そして、同じく御猪口を掲げた和泉のそれにカチンと軽く当て、『クリスマスに乾杯!』とお互いに笑い合った。
「あっ、クリスマスだから、シャンパンにすれば良かったかな?なんかコレすっごく忘年会っぽいよね?クリスマスなのに」
「今更かよ?」
「あーこのお酒美味しい。和泉は?」
「……うっ」
「あー、もしかしてダメだった?」
「はあ?!んなわけ――げほっごほっ!」
「もうほら、無理しないで」
は和泉の隣に寄ると、自分よりもずっと大きな背中を優しく擦ってやる。
(姉貴の手が、俺の背中を……?!)
和泉は、ブワッと背中から熱くなるような感覚に襲われて、サッと身を捩る。
「どうしたの?顔が真っ赤だよ?大丈夫?」
「いっ、いや……、赤くねぇ!何でもねぇよ!」
「そんなに顔を赤くして、説得力無いよ。きっとお酒のせいね。和泉はお酒弱いみたい」
「別に弱くねぇしっ!」
ムキになり、再び御猪口に手を伸ばした和泉の手を、が掴んで制する。真剣な表情のに、和泉の心臓が大きく跳ねた。
「ダメよ、和泉。お酒は、体質が大きく関係しているの。アルコールの分解酵素が少ない人が飲むと、身体を壊すだけよ。自分の体調管理は大事なんだからね。きちんと向き合いなさい」
「……わかったよ、姉貴」
「良し!」
満足そうに微笑んだは、そっと和泉の手を離す。離れたの左手には、薬指に結婚指輪が煌めいていた。
一瞬、和泉はギクッとしてしまう。
「さーて、歌仙の料理を頂きますか。……あー、やっぱり美味しい!でも、ちょっと上品過ぎかも。クリスマスなんだから、少しはジャンキーなものとか食べたい」
「…………」
はお酒と一緒にパクパクと歌仙の料理を摘まんでいたが、和泉の視線を感じて箸を止めた。
「ん?なあに?」
「その指輪」
「ああ、コレ?綺麗でしょう?すごく悩んだんだけれど、気に入ったデザインが無かったから、結局オーダーメイドになっちゃったんだよね」
「おーおー、お熱い事で」
「ふふ、だってまだ歌仙と結婚して2年目だもの。でも、歌仙となら、倦怠期なんて来なさそう」
「……さぁて、どうだろうな。兄貴は母親みたいなところがあるから、姉貴の事も娘みたいに世話焼きになっちまうなんて事もあるかもな」
「何それ、意地悪ね!でも、あながち間違いじゃないわ」
は歌仙と対の結婚指輪に触れる。幸せが滲む表情のに、和泉は視線を奪われた。
「綺麗だな……」
「そうでしょ?綺麗なデザインよね」
「あっ、ああ、指輪がな。綺麗だよな!」
和泉は誤魔化す様に真っ白なケーキにフォークを突き立て、噛り付いた。口の中に苺の甘酸っぱさと、クリームのドロッとした甘さが広がる。
は、和泉の姉だが、実の姉ではない。血の繋がりは一切無い、義理の姉。和泉の実の兄である歌仙の、妻だ。
(初めて会った時から、姉貴は綺麗だったよな)
和泉が初めてに出会ったのは、和泉が13歳の時だった。年の離れた兄である歌仙が、歌仙と同じ年齢のを連れて来たのだ。当時勉強が苦手だった和泉の為に、大学時代に家庭教師のアルバイトをしていた経験があるが、彼の家庭教師をする為だった。
(なんの予告もしないで連れてくるんだから、あの時は本当に驚いたよなあ。しかも、兄貴の彼女ときたもんだ)
和泉は、人付き合いが難しい歌仙の彼女と紹介され、更に驚いた。
小言は多いけれど、和泉にとって自慢の兄だった。だから、に歌仙を取られたようで苛立った。毛を逆立てた猫みたいに、彼女に反抗的な態度を示していた。
(けど、ツンケンしていた俺に、姉貴はずっと向き合ってくれて、沢山応援してくれたよな。気づいたら『姉貴』って呼んでて……。俺に姉がいたらこんな感じなのかと思った。……思ってた)
への気持ちが、親愛によるものではない事に気づいたのは、出会って5年後。歌仙とが婚約をした日だった。
(姉貴と兄貴、そして俺の3人でつるむ時が楽し過ぎたんだ。居心地が良過ぎて、ずっとあのままの関係でいられるんだと思ってた。婚約指輪を付けた姉貴が、嬉しそうに笑って、兄貴に肩を抱かれているところは……マジでキツかった)
足元から崩れていくような、強烈な感情を抱いた。今思い出しても辛い記憶だった。
(普通、自分の彼女を、弟とはいえ、家庭教師の名目で2人きりにするか?そもそも、兄貴は俺が姉貴とどうこうなると思わなかったんだろうな……。そりゃ歳の差もあるし、ガキだった俺じゃ全然話にならなかったんだろうけどよ……!)
悔しさが胸を支配し始めたところで、の舌ったらずな声が耳に入って来た。
「も〜、和泉ってば!なんで最近全然連絡してくれないの〜?昔はもっと姉貴姉貴って、私に付いて回ってたくせにぃ……」
「何でって、姉貴はもう自分の家庭があるだろうが。それに、俺だって大学生活で色々忙しいんだよ――って、酒臭っ!さっきの酒、殆ど無くなってるじゃねぇか?!」
「だってぇ、美味しくってつい〜ふふっ」
「大体その酒、俺にくれたもんだろ?俺より飲んでてどうすんだよ?」
「別に良いでしょ〜?減るもんじゃあるまいしぃ」
「いやいやっ、明らかに減ってるだろ!」
気づくとが直ぐ横に移動していて、和泉の大きな肩に甘えるように寄り掛かってきた。女性特有の甘い香りが、アルコールと一緒に鼻腔をくすぐる。Vネックのカシミヤセーターから見えるデコルテがあまりに白くて、柔らかそうで、和泉はくらくらとした。酒はもう抜けているはずなのに、まるで酔っているかのようだった。
は和泉よりもずっと年上なのだが、酒の力もあっていつもよりずっと幼い印象だ。赤くなった頬と潤んだ瞳が、和泉を見上げている。
「私、どーしても納得出来ないの!」
「は?」
「だって〜、こんなに可愛い可愛い私の弟に、彼女が出来ない事が!」
「な……?!そ、そんなの、余計なお世話だっつーの!つか、何で俺に彼女がいねぇとか思うんだよ!俺だってな――」
「いないでしょー?そうじゃなかったら、クリスマスに私達夫婦と過ごすわけないでしょー?」
「……ハイ」
和泉は項垂れたように頷いた。は『やっぱりね〜』と何故か得意げだ。
(彼女なんか、作るわけねぇだろ。俺は……、姉貴に惚れてるんだからよ……)
和泉はモテる。美丈夫で背も高くて、運動神経も良い。ぶっきらぼうでやたらと恰好良さに拘る子供っぽいところもあるが、リーダーシップや正義感もある。こんな男を、周囲の女達が放っておくはずがない。
実際、クリスマスも誘いがあった。だが、『家族と過ごすから』と言って全て断っている。家族というのは勿論建前で、本当はと一緒に過ごしたかったからだ。
(この気持ちと決別出来ないなら、俺は誰かと付き合うなんてしたらいけねぇんだ。それこそ、姉貴に叱られちまうからな)
人妻に惚れている。よりにもよって、兄の妻に。コレを禁断の恋と言わずに何と呼ぶのだろう。ドロドロの昼ドラだけの世界かと思っていたが、まさか自分がこんな状態になるとは。考えるだけで笑えてくる。
(それでも、姉貴以上に好きになれた奴なんて、いないんだよな……)
自分の気持ちに気づかないままでいられたら、どんなに良かっただろう。にはとても見せられないような内面に、和泉は何度も苦悩した。このままではいけないとわかっているのに、への恋心は消えない。それどころか、どんどん燃え上っていった。
(本当に、兄貴が羨ましいぜ)
ここでのスマホが短く鳴る。がよろよろとスマホを操作する。
「……歌仙、今日は仕事の都合が付けられなくて来られなくなったって」
唇を尖らせて、が呟くように言った。明らかに沈んだ声色だった。
「今日は、来られない……?」
「そそ。せっかくのクリスマスなのに、歌仙がいないなんてつまんないよね〜」
(兄貴が来られねぇって、つまりそれって……?!?!)
と、好きな人と、今夜はずっと2人きり。
和泉は、自分の身体が茹で上がる様な気がした。沸騰して、今にも爆発してしまいそうになるのを、必死抑え込む。
「姉貴、これからタクシー呼ぶから、それに乗って帰れ」
「ええ?何でよー?聖なる夜は、これから楽しいんじゃないの〜」
「だだだ、ダメだっ!やっぱり、夫婦は一緒に過ごすべきだぞ。特にクリスマスみたいな大切な日はな!なっ?!」
「いやだって、歌仙今日は帰って来ないし。何よ〜、和泉は私と一緒にいるのが嫌なわけ〜?」
(嫌じゃねぇから困ってるんだろうがよーっ!!)
「私が嫌なんて、い〜〜や〜〜っ!こうなったら、とことん飲んでやるー!!」
「おいっ!そんな事言ってねぇ!それ以上飲むのは止めとけって――」
「わわっ!?」
が次の酒を取りに台所へ向かおうと立ち上がった時、足元に転がっていたの鞄に躓いてしまった。
「危ねえっ!」
瞬時に身体が動き、の頭を抱えたような状態でカーペットの上に倒れ込んだ。腕に衝撃が走ったが、それ以上にが怪我をしていないかの方が勝った。和泉は直ぐに自分の下にいるに声を掛けた。
「姉貴!大丈夫か?!どこか怪我してねぇか?」
「だいじょーぶ。ありがと、和泉」
「そりゃ良かっ――は」
和泉は思わず息を飲んだ。
不可抗力だとはいえ、まるでを押し倒すような形になっている。の吐息が、和泉の髪を揺らす。のカーペットに散らばった髪が、艶やかに輝ている。酔って頬を赤く染めたが、微睡んだ瞳でじっと和泉の事を見つめていた。
(兄貴は……、今夜ここに来ない)
邪魔するものは、誰もいない。2人きりのクリスマス。
の結婚指輪が嵌められた左手を、ぐっとカーペットに押し付けるように自分の手で覆う。
甘ったるいの匂いに、酔いしれる。くらくらと頭の中が痺れて、理性が飛んでしまいそうだ。
(姉貴が、今、俺の腕の中にいる……)
和泉がずっと、何度も夢に見た光景だった。
大切な、兄の妻。大切な、義姉。大切な、女性。
想えば想う程、切なくて、苦しくて、嫉妬して、それでも――
(惚れずにはいられなかった)
もう2度と訪れない機会だろう。和泉はの魅力に抗えなくなってしまう。
「姉貴……、……」
自然な流れで、自分の唇をのそれに近づけた。
「私、ね」
「!」
唇が触れそうになった時、がぽつりと呟いた。ハッとなって和泉はから身を僅かに離し、見下ろす。は、自分が和泉に何をされているのかはわかっていない様子だったが、瞳はしっかりとしていた。
「歌仙にプロポーズしてもらった時、すごく嬉しかったけれど、正直不安だった。歌仙は、本当に素敵で、素晴らしい魅力を持っている人で、私みたいな女と結婚したら後悔するのかもって思った」
「そんな事ねぇよ!」
「ううん。私は、歌仙に本当は相応しくない。そう思ってた。返事をどうするか、迷った」
『でも』と言葉を続けるは、キラキラと瞳に輝きを宿していた。
「和泉がいてくれた」
「俺……?」
は頷き、和泉の頬に手を伸ばした。愛しそうに、義姉の慈愛に満ちた視線を感じて、和泉は胸が温かくなった。
「歌仙と結婚したら、和泉が、私の弟になるんだって思ったら……すごく嬉しかった。和泉が、『兄貴と本当にお似合いだよな』って、いつも言ってくれていたのを思い出したんだよ。だから、私、歌仙のプロポーズに、勇気を出して応えられた」
「姉貴……」
じわっと和泉の目頭が熱くなった。
「ありがとう、和泉。私の大切な弟。これからも、ずっと……宜しくね…………」
はそのまま目を閉じて眠ってしまった。すやすやという、安らかな寝息が聞こえてくる。
和泉はそっと身を起こして、幸せそうに眠るの頬を撫でた。和泉はに囁くように語りかける。
「俺、姉貴に惚れてる。男として、惚れちまってるんだ。だから、兄貴と結婚するって知って、すっげえ悔しくて苦しくて……。でも、それだけじゃなかった」
との義姉と義弟の関係は、居心地が良い、宝物の様な時間だったと思い出す。
和泉はの額に軽く口付けをした。初めて唇で触れたところが、熱くなる。むにゃむにゃと笑うに、和泉は思わず笑ってしまった。
和泉の心は穏やかな気持ちで満ちていく。
ベッドに運ぶ為、の身体を横抱きにして立ち上がった。軽くて華奢な身体は、安心したように和泉の胸に寄り掛かってくる。
和泉が外を見ると、しんしんと雪が振り続けていた。和泉の胸にも、しんしんと優しさが降り積もっていく。
「姉貴、今夜で2人きりで過ごすクリスマスは最後だ。だから、もう少しだけ、惚れたままでいさせてくれよ……」
和泉は寝室にを運ぶと、そっと自分のベッドに寝かせた。
「ったく、人の気も知らねーで、無防備な奴」
ふにゃふにゃと寝言を呟くが面白くて、和泉は彼女の頬を軽く突く。それで和泉は満足そうに笑った。