禍転じて福と為す


大変な事になった。禍だ。
それが、彩葉が最初に思った素直な感想である。
実は、本丸全体が停電してしまったのだ。直ぐに時の政府へ連絡をすると、こんのすけを通じて発電機に不具合が起きていると伝えられた。
彩葉は直ぐに時間遡行軍の仕業かと心配したが、それとは無関係とわかり安堵した。しかし、直ぐに事の重大さに慌ててしまう。電気が使えないとなると、日常生活に大きな支障が出てくる。
とりあえず非常用電源で頑張っているが、彩葉本丸は大所帯だ。電気が3日持つか怪しい。時の政府からも復旧には1週間はかかると言われてしまったから、さあ大変。刀剣男士達の生活基盤である本丸の設備をどうにかしなくてはいけない。

「1週間耐えれば大丈夫。でも、1週間どうしよう……。どこかに皆で避難するにしても、この大人数じゃあどこの施設にも全員入りきらないだろうし……」
「僕も、思い切り料理出来ないのは辛いな……。あ!主、スマホ鳴ってるよ。はい」
「光忠さん、ありがとう。あ、伯父さんからだ!もしもし、伯父さん!実は本丸が停電していて――」

彩葉の伯父は、かつて時の政府の重鎮だった人物だ。そして、彩葉の育ての親でもある。
伯父は彩葉と本丸の危機を知り、直ぐに行動し始めた。1時間後には、伯父から彩葉に再び連絡が入った。

「もしもし、彩葉です。…………、えっ!?伯父さん、それ本当に?!良かった〜。うん、うん……。わかった、ありがとう、伯父さん。それじゃあ、またね」

通話を終えると、直ぐに近侍の燭台切に話した。

「光忠さん!避難先が見つかったんですよ!良かったー!これで一安心ですね」
「本当に?!良かった……!で、いったいどこに避難出来る事になったんだい?」
「はい、実はですね、家の次期当主になられる方の本丸です。…………え?」
「……?主?」
「え、ええええっ?!家?!」

そう、伯父が見つけてきた避難先とは、華族であり名家の家の次期当主・の本丸だったのである。
















手早く最低限の荷物をまとめた彩葉は、いよいよの本丸へ移動する。ワイワイと刀剣男士達が庭に出てきて、談笑しながらその時を待っていた。
彩葉の初期刀である清光が声を掛けてきた。

「なぁ、主ー。避難先の【】の本丸ってどんな?」
「私も詳しいわけじゃないけれど、【】は時の政府の保護を受けている特権階級の華族の一つです。華族の中でも、特に優秀な審神者を輩出している名家だと聞いています。そのの次期当主の女性が、今回の避難先の本丸の審神者です」
「げっ?!そんなすごい人の本丸にお邪魔して、大丈夫なわけ?」
「うーん……。伯父さんが現役の時に家の人と知り合ったみたいで、口利きをしてくれたみたいなんです。伯父さんは『何も心配しなくても大丈夫』とは言っていたけれど……」

彩葉が不安そうにしていると、燭台切がポンと肩を軽く叩いた。

「大丈夫!主の伯父さんの言う事だから、信じられるよ。それに、もし何かあったら僕が君を護るから安心してね」
「光忠さん……」
「お〜見せつけてくれちゃって」
「そ、そんなんじゃないですからっ!」

彩葉が恥ずかしそうに頬を染めると、燭台切もまんざらではない様子。清光は2人の世界を邪魔しないように退散して行った。

(華族である家の次期当主の女性……。いったいどんな人なんだろう?)

彩葉は覚悟を決めて、避難先の本丸から送られてきた光沢のある絹の包みを取り出す。包みには、家紋――恐らくの家紋と思われる――が織り込まれている。

「それは?」
「この中に、本丸に入城する為の鍵が入ってるらしいです」

彩葉が掌サイズの包みを開くと、ふわんとした香りが鼻腔を擽る。最初に感じたのは、オレンジやユーカリ、アニスの少しスパイシーな香り。その後にサンダルウッドが混じったムスクの香りを感じた。懐かしさを感じるような温かなお香の香りだ。

「うわ〜、良い香り!」

彩葉は思わず深呼吸をしてしまう。
包みの中から出てきたのは、飾り結びが4つ連なる大きなストラップのようなものだった。錦で出来た御守り袋がぶら下がっていて、そこから先程の良い香りが漂ってくる。

「これは【訶梨勒】だね」
「かりろく?」
「新年や慶事に、柱や壁に飾られる匂い袋――掛香の事だよ。魔除けになると言われていて、飾り結びには1つ1つに意味があるんだ。平安時代には、疫病を避ける為、これを室内に掛けていたみたいだよ」
「なるほど。すごく勉強になりました。光忠さん、お詳しいですね」
「僕より、鶴さんみたいな平安刀の方が詳しいと思うよ。……それにしても、とても落ち着く香りがするね」
「はい、とっても奥深くて良い香りですね。これが鍵……?歌仙さん風に言うなら、すごく雅な鍵ですね」
「確かに雅で素敵だね。どうやら避難先の本丸の主は、とても風流を愛する人みたいだ」

燭台切も感心してうんうんと頷いた。

(さん、すごく良い趣味をしているなぁ。平安の文化なんて、現代人なら知らない人の方が多いだろうし、知識が豊富なんだな。やっぱり、華族っていうだけあって、高貴な感じの人なのかも……)

この鍵から伝わってくる審神者の姿を想像して、彩葉は緊張してしまう。華族と話す事など、滅多に無い。粗相をしてしまわないか心配になってしまった。彩葉の態度は、彩葉の刀剣男士達にも影響が出てくる。彩葉が刀剣男士達の代表なのだから。

「この訶梨勒を持って、入城したいと念じれば良いそうです。では、さっそくやってみます」

彩葉は目を閉じて、の本丸に入城したいと念じた。すると、辺りが柔らかな霧に包まれた。
徐々に霧が晴れると、まるで平安の世を思わせるような立派な邸の門が現れた。周囲は薄っすらと霧に包まれている。朱色の分厚い門が、ゆっくりと客人を招き入れる為に開いた。門の向こうから、スリットの入ったロングスカートを揺らす女性が立っていた。右目が翠、左目が黒曜という色の違う瞳が特徴的な人だ。その隣には、柔らかな微笑みを浮かべている一期一振と極の鳴狐がいた。

「初めまして。ようこそ、うちの本丸へ。うちは、と申します」

柔和な京言葉を話す女性――は、深々と一礼をして完璧な笑みを見せた。その美しい所作に一瞬見惚れてしまい、彩葉は返事が遅れてしまう。慌てて頭を下げた。

「初めまして、さん!私は彩葉です」
「お話は聞いとりますさかい。災難どしたなぁ。彩葉さんの本丸、停電しはったんどすやろ?」
「はい。本当に突然の事で……。非常用電源しか無くて困っていたんです。ここに呼んで頂けて、本当に助かりました。皆と一緒に、停電から復旧するまでお世話になります」
「へえ。こちらこそ、宜しゅうおたの申します。ここからはうちの鳴狐が案内します。鳴狐の後について来ておくれやす」
「こっち。案内する」

鳴狐が手を払う仕草をすると、それに合わせてすうっと霧が晴れていった。すると、今までどこにも姿が見えなかったの本丸が姿を現した。
白の漆喰が美しい巨大な城がそびえ立っているではないか。彩葉は姫路城を思い浮かべた。背の高い城は1つだけで、他は城を取り囲むように日本家屋が建っている。恐らく居住区なのだろう。まるでここは城下町だ。そこへ辿り着く為には、堀で囲まれた分厚い壁の向こうへ行かないといけないようで、橋と砦が見えた。
鳴狐に案内されて、彩葉達はぞろぞろと門の中へ入って行った。
ここまで広い本丸を見るのは初めてで、歩きながら彩葉と燭台切は思わず息を飲んだ。

「広いですね……!それに、すごく綺麗な意匠のお城……!」
「本当だね。僕も驚いたよ。こんなに巨大な本丸を、あの霧で隠しているんだね?」
「へえ。そうどす」
「これは特殊な霊力が込められている霧で、主がそのシステムを作られたのです」
「え?!そうなんですか?!」
「一期さん、そないな事言わんでも……」

が慌てていると、一期が首を横に軽く振った。

「いいえ、主。貴女はいつも謙遜し過ぎています。もっと己を誇っても良いではありませんか。本当の事ですし」
「霧であんなに巨大な本丸を隠していて、そのシステムをご自分で作ったんですか?すごいです!一期さんの言うとおり、それは誇るべきですよ」
「そ、そうどすか……?」

彩葉が前のめりになって言えば、は照れたように笑う。が、そこで彩葉はハッとして、居住まいを正した。

(華族の人と喋ったりした事が無いから、もしかするとおかしい態度なのかもしれない……)

彩葉は誰に対しても礼儀正しく接してきた。身分で態度を変えるような事はしない。伯父が時の政府の重鎮だった事もあり、教養もある。しかし、普段華族とあまり接点の無い為、万が一という事も考えられる。彩葉は自分の刀剣男士達の代表だ。それ故に、彼等の名誉を傷つけるような振る舞いは出来ない。

(光忠さんも一緒にいるんだし、気を付けないといけないな)

気合を入れる彩葉とは逆に、燭台切は全くそんな心配をしていなかった。彩葉を信頼し、慕っているからだ。

「着いた」

鳴狐が示す先には、まるで高級旅館のような居住スペースが広がっていた。落ち着いた淡い御香がふわっと鼻腔を擽る。

「皆様!ここから先が、彩葉殿の刀剣男士様の居住スペースになります!わたくしめと鳴狐の後について来てください!」
「彩葉殿には別室を用意していますので、こちらへ。近侍の部屋も隣に用意していますから、燭台切殿もどうぞ」
「ありがとう」
「一期さん、ありがとうございます」

彩葉はにこっと微笑み、己の刀剣男士達に手を振って別れる。
長い渡り廊下が続いていおり、そこから立派な日本庭園が見えた。滝の水飛沫が涼しげで、池には優美な錦鯉が沢山泳いでいる。

(本当にすごいところ……)

彩葉が感心していると、がある部屋の前で足を止めた。金箔で美しい桜が描かれた襖が特徴的だ。ひと際美しく、一目で特別な客間だと彩葉は理解した。一期がすっと襖を開けると、二間続きの部屋があった。
部屋の内装は全体的に落ち着いた印象だが、桜の模様の襖や、小さく彫られた兎の衝立が愛らしい。女性が喜びそうな部屋だ。畳は新品のように整えられていて、イ草の香りが爽やかだ。

「彩葉殿はこちら部屋をお使いください」
「綺麗……!本当にここを使って良いんですか?」
「へえ。どうどす?気に入って貰えたら嬉しいんどすけど……」
「何だか旅館に来たみたいで、とても落ち着きます。嬉しいです」
「そう言って貰えると、うちも嬉しおす」
(ん?さん、嬉しそうというよりは、ホッとしているような気がするな)

の表情は隙の無い完璧な笑顔だが、彩葉は違和感を感じていた。気のせいかもしれないとも思ったが、隣の一期が安堵の表情を浮かべている。
一期と視線が合うと、一期は彩葉に微笑みかけた。それから何事も無かったかのように燭台切へ向き直る。

「燭台切殿は、廊下を挟んだ向いの部屋です。ご自由にお使いください」
「ありがとう。こんなに良くして貰えて助かるよ」
「いえいえ。困った時はお互い様です」

がシックで女性らしいデザインの腕時計を見る。黒と翠の瞳を少し見開いた。どうやら何か用事があるらしい。

「一期さん、もうそろそろ夕食の時間やさかい、彩葉さん達を食堂まで案内しておくれやす」
「承知しました」
「ほなら、うちはこの辺で。仕事がありますさかい、失礼します」
「えっ?さんは、夕食どうされるんですか?」
「うちどすか?うち、なかなか仕事が終わらない事も多いさかい。刀剣男士の皆さんを仰山待たせるのは忍びないどすから」
「そうなんですか……」

彩葉が寂しそうに目を細めたのを見て、は焦って燭台切を見た。燭台切は、形の良い眉をハの字にしながら小さく笑う。

「実は、僕達の本丸では、遠征組以外は全員揃って食事をしているんだよ。それが、僕達の本丸のルールみたいなもので」
「そうなんどすか……」

そう、普段は基本的に刀剣男士達と揃って食事をする事が、彩葉本丸の習慣になっている。
彩葉は、毎日賑やかに食事をしているので、寂しくは無い。しかし、刀剣男士とは、その名のとおり男性だ。彩葉以外は男性しかいない本丸なので、久し振りに女性と食事が出来る事を密かに楽しみにしていたのだ。
自分の幼い気持ちを表に出してしまった事を、彩葉は恥じた。そして、首をブンブン横に振って拳に汗を滲ませた。

「でっ、でも、それはあくまでも私達の本丸の事ですし、どうか気にしないでください。さんはお忙しいでしょうし、私達はお世話になる身なのに、変な事を言ってごめんなさい!」
「……」

少しの間、は感情の読めない顔をしていたが、ぽつりと呟くように言った。

「彩葉さんは、うちと一緒に食事がしたいんどすか?」
「え……?はい、平たく言えばそういう事です……」
「どうしてどすか?」
「え……?」

真顔でにそう尋ねられ、彩葉は一瞬声を詰まらせた。純粋に、何故そのような事をが尋ねたのか、その意図がわからない。
突然の質問だったので、するっと彩葉の口からは飾り付けられていない本音が零れた。

「どうしてって、あなたと食事をしてみたかったからです……けど……」
「!」

は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり、隣の一期は『ぶふっ!』と思わず噴き出して口元を隠した。俯いて顔を隠しているが、肩を小さく震わせているので笑っている事ばバレバレだった。

「えっ?あれ?私、何かおかしな事を言いましたか?!」
「いえいえ、そのような事はございません。そうですよね、主?」
「ふふっ、はい、そうどすね」

おかしな事は無いと言いつつ、も朗らかな微笑みを浮かべている。それは、先程見せた違和感のある笑顔とは違い、本当に心からの笑顔だと彩葉は感じた。
彩葉は、と一期に笑われてしまった意味がわからず、ただ恥ずかしくて頬を赤らめた。頬に触れると、それはもう熱かった。
燭台切は、この場に相応しくないくらい眼光を鋭くした。

さん、一期君。どういう理由かは知らないけれど、僕の大切な主を嗤うようなら……許さないよ」
「光忠さん?!」

静かだが、凄味の効いた声が響き、その場の空気がピリッとした。
彩葉は燭台切を諫めようとあたふたしてしまった。
も一期も首を軽く横に振って、燭台切の言葉を否定した。

「燭台切さん、誤解しないで頂きたい。私達は、貴方の主を嗤ったわけではありません。むしろ、感謝したいくらいです」
「「え?それってどういう――」」
「一期さん、今日のお仕事は全部キャンセルするえ。仕事よりも大切な事が出来たさかい」
「はい、そのようですね」

彩葉と燭台切の追及を許さないとばかりに、が言葉を遮った。一期はそんな主に頷く。

「彩葉さん、今日のお仕事はもうあらへんさかい、うちも一緒に夕食を食べるえ。宜しおすか?」
「でも、本当に良いんですか?私達と一緒に食事したら、お仕事が……」
「気にせんといてください」
「私の主は、仕事の鬼ですからね。大丈夫。心配いりませんよ」

一期が自分の胸の辺りをポンと軽く拳で叩いた。その姿が、彩葉には頼もしく見えた。

「ほな、行きまひょか」
「……はい!」

彩葉は花が咲いたみたいに明るい表情を見せた。
燭台切は、彩葉の嬉しそうな姿を横で温かく見つめていた。


















緊張するかと思われた夕食の時間、も一期も他の刀剣男士達も、朗らかな様子で、彩葉は安心して歓談出来た。
しかし、の食べ方の所作は美しく、やはり名家の令嬢であるとわかる。彩葉もマナーには気を付けながら食事をした。肩ひじ張った感じではなくて、彩葉はの所作をお手本にしたいというポジティブな気持ちだった。

「ふー……良いお湯だったな」

彩葉が案内された客間は露天風呂付きだったので、何も気遣う事無くゆっくりと過ごす事が出来た。

「主、起きているかい?」
「はい、大丈夫です」

彩葉が寝巻にロングカーディガンを羽織って、光忠のいる廊下に顔を出す。彩葉の姿を見て、光忠がハッと軽く目を見開いた。それから、少し頬を赤らめて言った。

「主、その恰好、すごく可愛いね。似合っているよ」
「えっ?あ、そうですか……。さんが用意してくれたものなんですけれど……」

彩葉はしっとりとした艶のあるシルクのネグリジェを着ていた。裾に施された繊細なフリルと、胸元にあるレースのリボンが可愛らしい。まるでお姫様のネグリジェだ。

「えっと、それでご用は何でしょうか?」
「ああ、君に見惚れていて忘れてしまっていたよ
(光忠さんって、サラッとそういう事言えるんだよなぁ)
「ほら、夕食の時に一期君が『この本丸にはコンビニがあるんですよ』と言っていただろう?それがちょっと気になってね」
「あっ!それ、私も気になっていました。コンビニがある本丸って、聞いた事無いですもん」
「そうだよね。だから、一緒に行かないかい?僕、お風呂上りでアイスが食べたくなっちゃって……」

少し照れながら言う燭台切が可愛くて、クスッと彩葉が笑う。

「良いですよ。私も今丁度食べたいなと思ったところなんです」
「オーケー!じゃあ、行こう」

さっそく彩葉達は居住区からコンビニのある区域まで移動した。暗闇の中、コンビニの蛍光灯の明るさにはワクワクする。
コンビニに入店すると、軽快な入店のBGMが流れた。パッと見たところ、店員はいなかった。どうやら無人で動いているらしい。代わりにいたのは、一期とだった。

「あ、さん達もここに――」

『来ていたんですね』という言葉を続けようとしたが、それはの興奮したような悲鳴にかき消されてしまった。

「ややーっ?!一期さん、見ておくれやすっ!!こっ、こっ、これっ、うちがずっと欲しかったちみかわちゃんのキラどすー!!ほんまに嬉しいおすー!」
「ついにやりましたね、殿!毎日毎日、まんまる焼きを食べ続けた甲斐がありましたな」
「へえ!どうしてもトレードやのうて自引きしたかったさかい。うち、こんなに気張ったのは仕事を含めて初めてどしたけど、諦めないで良かった……!」

涙目になってはしゃいでいるは、まるでティーンエイジャーだ。は、仕事をバリバリこなし、華族としても立ち振る舞いが美しい令嬢として名高い。だが、今のは全くの別人だった。
の手には、お菓子のおまけに付いてくる正方形のステッカーがあった。丸っこいクマのような可愛らしいキャラの絵が描かれている。ホログラムでキラキラと輝いており、それが所謂レアと呼ばれるものだとわかる。わかるのだが、それが華族令嬢の手にあるのは違和感しかない。

「しかし、殿も真面目な方ですな。大人買いしてしまえば、あっという間にお目当てのキラも集まったでしょうに」
「それはあきまへんえ、一期さん!お金にモノ言わせて買うてしまうのは、うちの良心が傷みますよって。キラが出るか出ないか、そのスリルを味わいたいんどす!選べるのは、1日に1つまで!まんまる焼きも、その方が美味しゅう食べられますさかい。ほな、頂きますー。……やっぱりもちもちで美味しいわぁ。勝利の味がしはりま――」
「…………えーっと、どうも、お邪魔しています」
「?!」

は彩葉達の存在にようやく気づき、浜辺に打ち上げられた魚のようにビクッと大きく体を震わせた。その後。硬直し、顔を真っ青にしたと思ったら、今度は真っ赤に染めたジェットコースターのように感情が変わっていくのを、彩葉は初めて見た。一方、隣にいる一期は涼しい顔をしている。

「やっ、やや?!彩葉さん、いつからそこにいはったんえ?!」
さんが、そのお菓子のおまけのステッカーを喜んでいる辺りからですけど……」
「うう……、あかんところを見られてしもうた……。うちは次期当主としてもうおしまいや……」
「もしかして、僕達は見てはいけないものを見てしまったのかな……?」
「そのようですね……」

はがっくりと肩を落としてしまい、彩葉はどうしたら良いのかわからず、おろおろしてしまう。見かねた一期が口を開いた。

「驚かせてしまったようで申し訳ありません。私の主は、普段は淑やかな大人の女性なのですが、コンビニスイーツが大好きなのです」
「え?!そうなんですか?!」

彩葉は意外なの好みに驚きを隠せない。

「はい。他にも、ホットスナックなどがお好きなんですよ。コンビニの手頃で美味しいものが売っているるので、ついにコンビニを本丸に導入してしまいました」
「それは確かに筋金入りだね」
「それで、先程のは、コンビニ会社とコラボした国民的人気キャラクター【なんかちみっこくてかわいいやつ】の、ちみかわちゃんのスイーツです。殿はおまけのステッカーにはまってしまいまして、ようやくキラステッカーを手に入れられたのです」
「うう……、一期さん、そないに言わんといて。……幻滅したやろ?彩葉さん。家の次期当主で華族のくせに、こんな子供っぽいところがあって」

が頬を染めて恥ずかしそう顔を隠していると、彩葉は首を横に振った。その表情はの想像とは逆で、とても嬉しそうだ。

「全然そんな事ありませんよ!私も、ちみかわちゃん可愛いと思いますし、コンビニのスイーツも好きです。さんが何を好きでも良いと思いますよ」
「ほんまに……?」
「はい。驚きはしましたけれど、嬉しかったです」
「嬉しい……?何がどすか?」
「華族の人って、もっとこう……浮世離れしているとか、厳しいマナーやルールの中に生きている人達だと思っていたので。だから、さんが、コンビニのスイーツや可愛いキャラクターを好きでいてくれて、親近感が湧きました」
「そうどすか……。それ聞いて安心しおした」

彩葉の反応に、はホッと胸を撫で下ろした。見守っていた一期も燭台切も、安心したように微笑んだ。

「……そうどした。彩葉さんは、さっきも優しいお答えをしてくれはったんや」

思い出したようにぽつりとが呟いたのを、彩葉は聞き逃さなかった。

「優しい答え、ですか?私、何か言いましたっけ?」
「僕も、そんな事聞いていないな」

きょとんとしている2人に、一期とは顔を見合わせて面白そうに笑った。

「ふふっ、そうでしょうね。貴女が何気なく言った事ですから」
「夕食の前、うちのと食事をしたいって、言ってはりましたやろ?」
「ええ、そうですね……。でも、それが何か……?」

何か嫌な事を思い出すかのように、の睫がすっと伏せられた。それは、彼女の持つ暗がりのように彩葉には見えた。

「うちと食事をしたいって言わはる方は、色々な思惑を持っている方が多いんどす。華族である家と繋がりを持ちたいとか、うちの弱みを知りたいとか……」
「そんな……!」
「やはり、華族というのは難しい立場なんだね」
「好意的な場合もあるのです。でも、殿が先程のように華族らしくない振る舞いをすると、幻滅したと言って激怒したり、号泣されたりしてしまうのです」
「それは……辛いですね……」

華族の存在は、審神者界隈の憧れの的でもあり、嫉妬や憎悪を抱く者もいる。家は、優秀な審神者を輩出し続けている名家だ。その為、家の次期当主であるは、実に様々な感情をぶつけられてきた。
は食事に誘われる機会も多い。家の次期当主としてのものや、個人のものである事も。
は様々な思惑の人物が集まる場所で育ってきた。その為、他人の感情には敏感だ。特に悪意などは直ぐに感じ取る事が出来た。だからこそ、食事に誘ってくる相手がどんな目的なのか、大体は察していた。
彩葉は、の境遇を思うと、胸が苦しくなった。の完璧なもてなしも、完璧な立ち振る舞いも、完璧な受け答えも、周囲から求められてきたせいだろう。

(部屋に案内してくれた時、さんがホッとしたように見えたのは、華族としてやり遂げられたという事だったんだ……)

は彩葉をスッと見つめた。その眼差しは優しく温かなものだった。

「彩葉さんがうちと一緒に食事をしたいと言わはった時、そこには何の悪意も謀り事も感じへんどした。うちと純粋な気持ちで、食事を楽しみたいいうのがわかりましたさかい、嬉しゅうて」
「!」
「そう!僕の主は、本当に心優しくて真っ直ぐな女の子なんだよ!僕の自慢の主なんだ!」
「みっ、光忠さん……!」

燭台切は彩葉の温かな人柄を理解して貰えた事が嬉しいようで、つい声を張り上げてしまった。
2人のやり取りが面白くて、と一期は再び顔を見合わせてクスクスと声を漏らした。

「ええ、そのようですね。彩葉殿は、私の主にも心を寄せてくださる」
「そないに謙遜しはる事無いえ」
「で、でも……!」
「顔、赤うしてかいらしいなあ」
「そこまで言われると、困ります……!」
「ふふっ。堪忍え、彩葉さん」

ふと、が『ちゃいますなあ』と呟いた。それから、ふんわりと微笑んで彩葉を見る。

「彩葉さん、もし良かったらなんやけど、『彩葉ちゃん』って呼んでも宜しおすか?」
「はい!勿論です、さん」
「彩葉ちゃんも、うちの事は名前で呼んでおくれやす」
「良いんですか?」
「ええよ。審神者のは仰山おるさかい、名前で呼ばな、どのかわからしまへん。それに、うちが彩葉ちゃんに呼んで欲しいんどす」
「それじゃ……、さん、と呼ばせて頂きますね」
「嬉しおす。おおきに」

はにかむ彩葉が可愛らしくて、ほわっとの胸の中が温かくなった。
女子2人で盛り上がっている横で、一期が無言での事を凝視している。

「…………」
「一期さん、顔顔」
「――は……っ?!これは失礼しました」
「まあ、気持ちはわかるけれどね」

燭台切がそう言うと、一期は思わず頷いてしまった。
と彩葉は、その後1週間楽しく歓談をしながら過ごした。は華族としての自分を演じる事無く、自分らしく振舞えた事が嬉しかった。そして、彩葉はの気遣いともてなしの心に感謝した。
一期と燭台切は、仲良くなった2人にほんの少し妬いてしまったけれど、この関係がいつまでも続く事を願わずにはいられない。
降りかかった禍は、幸福へと変化したのだった。



2022.08.21 更新