お嬢様と元ヤンさん


審神者達は基本的に忙しい。刀剣達への戦の指示や演練、馬当番などの内番、政府主催の定例会などにも参加しなければならない。そう、審神者達は基本的に忙しい。しかし、彼女ほど忙しくしている審神者もいないだろう。
彼女の名前は家は優秀な審神者を数多く輩出している一族で、時の政府からも一目置かれており、特権階級である【華族】の身分を与えられている。
その家の次期当主であるは、とにかく仕事が多かった。審神者はある程度の霊力が無ければ、本丸の運営は難しいのだが、はその霊力が少ない。は時の政府側で働きたいと考えていたのだが、有能な審神者をこれまで生み出してきた家がそれを許さなかった。あくまでも審神者に拘る家に、は従うしかなかった。
確かにはごく普通の一般人であれば優秀な人材だった。学生時代の成績は優秀で、何度も生徒代表挨拶をしている。世界中を巡り、語学やその国の歴史にも詳しい。外交官として働けば、きっと才能は開花されていただろう。だが、どんなに優秀でも、審神者としての能力は一般の審神者以下だ。いくら家の名前を背負っていても、それは変える事の出来ない事実。だから、はその劣った部分を補う為に、人一倍仕事をこなしてきた。

(――そやかて、他人に認めてもらえるなんて、思うてへんけど……)

は審神者の定例会でプレゼンをした後、給湯室でコーヒーを飲んでいた。プレゼンの資料は徹夜で準備したものだ。そして、これまでの疲れが溜まっており、身体はふらふらの状態だった。しかし、なんとかプレゼンを乗り切ってよやく一息ついたところだった。ブラックコーヒーの苦みが眠気に効く。

(1人で来はってほんまによろしおすなぁ。彼等の前では、完璧なうちでおらなあかんし)

彼等――本丸の刀剣男士達は一緒に来ていない。基本的に審神者の外出には、護衛として刀剣男士が1振り以上が共をする。しかし、は人前で弱い姿を見せない。何だかんだ言い訳をして、彼等には留守を頼んだ。
給湯室で休憩をしていると、出て直ぐの老化から若い女性達の話声が聞こえてきた。先ほどの定例会に参加していた審神者達らしい。

様、まだ審神者やってるんですってね」
「ああ、さっきプレゼンしてた人でしょ?刀剣男士の顕現と審神者の霊力的相性について、だっけ?」
「でもさー、様って、あの家の次期当主なのに、霊力は全然無いって聞いたわよ?それであの霊力的なんちゃらっていうプレゼンでしょ?おかしいわよね、あはははっ」
(うー……、知っとったけど、やっぱり他人に言われはるとしんどいわぁ……)

家は華やかさを纏う華族だ。そして、普段は仕事をバリバリ熟すの姿に憧れる審神者も多い。しかし、逆にこうして陰口を叩かれる事もある。
霊力が低いが霊力について語るのは、おかしな気がするのも無理はない。
彼女達の話は更にエスカレートしていった。

家って優秀な審神者ばかりの名門だと思ってたけれど、次期当主は大した事無いわよね。それで大きな顔をしているんだから、本当に迷惑よねー」
(大きゅう顔をした覚えはおへんけど……。というか、大きゅう顔出来るほど霊力あらへんから無理どす!)
「ねえ、もしかするとさー、時の政府の幹部と寝てるんじゃない?」
(?!)

は今度こそ眩暈がした。いくら何でもそれは酷過ぎると思った。

「ああ、そういう事ね。様、見た目だけは良いし」
「でしょでしょ!きっとそうよね」
「あのルックスで幹部連中に迫れば、霊力が無くても審神者にだってしてくれる――」

ガン!という大きな金属音が彼女達の会話を断ち切った。も突然の大きな音に驚き、肩を震わせた。
は何事かと思い、そっと給湯室のドアの隙間から様子を窺った。すると、そこには1人の女性が立っていた。年齢は20代後半くらいで、スクエアのベーシックな眼鏡を掛けている。グレーのビシッとしたパンツスーツに身を包んだスタイルの良いこの女性は、見覚えがある。定例会に最前列にいた女性だ。

(えらい格好ええ女性やったから、印象に残ってはるんや)

大きな音で硬直している彼女達の足元には、凹んだコーヒーの缶が転がっている。女性が審神者達に投げたものだろう。そして、女性の眼鏡の奥にある両目は、怒りに満ちていた。

「あー、手が滑った」
「ちょ、ちょっと!手が滑ったって何言ってるのよ!危ないじゃない!」
「ごめんな、お嬢さん達。でもね、廊下で下品な事を言うのは良く無いと思う。あまりに下品だったから、危なくあたしの耳が腐るところだったよ」
「げっ、下品ですって?!この――」

怒りが沸点に達した審神者の1人が、女性に拳を振り上げた。だが、その拳はアッサリと女性の手に捕まれ、身動きできなくなった。女性はあくまでも笑顔だったが、目は完全に笑っていなかった。

「運が良いね、お嬢さん。もしここに木刀があったら、煩いアンタの頭勝ち割ってるところだよ。これ以上は本当に見苦しいから、さっさとおうちに帰んな」

女性がそう言って睨みつけると、審神者達は蜘蛛の子を散らす様に立ち去った。
残された女性の傍には、長曽祢虎徹がいた。は女性の圧倒的な存在感のせいで、最初から傍にいた長曽祢の存在に気付かなかったのである。

「燎、あまり無茶をするなよ」
「そう言いながら、アンタも止めなかっただろ」
「まぁな」

心配はいらない。それは彼女のいつも傍にいる長曽祢が1番良くわかっていた。
彼女は藤咲燎。審神者ネームは【北斗】。バリバリの元ヤンキーで、現役の頃は木刀一本で大立ち回りをしていた実力者だ(物理的な意味で)。性格は姉御肌で、その気風の良さに女性のファンが多い。彼女自身はファンの存在に気づいていないけれど。しかし、実際には少女漫画のような恋愛にめっぽう弱く、そういうシチュエーションになると慌ててしまう可愛さがあった。

「あ、あの……」

がおずおずとドアを開けて姿を現すと、『やっぱりそこにいたんだね』と女性――燎は缶コーヒーを拾い上げた。は燎に深々と頭を下げた。

「あの、おおきに。でも、どうしてどすか?あんさんには関係の無い話やったのに……」
「ああいう連中はじめじめしていて嫌いだよ。だから散らしてやった。ただそれだけの事さ」
(見た目もやけど、性格もえらい恰好良いお人やな)
「アンタ、さっきプレゼンしていた子だろ?さん、だっけ?」
「へえ。うちの事は好きに呼んでおくれやす」
「じゃあ。プレゼン、すごくわかりやすかったし、為になったよ。あたしもまだ知らない事があるなって思った。良く調べている事がわかるプレゼンだったね。良い仕事したね」
「お、おおきに!」

認めてもらえた嬉しさに、はガバッと頭を下げた。それが良く無かったのか、は視界が徐々に暗くなっていくのを感じた。

(や……、何え……?)

遠くの方で、燎が『大丈夫か?しっかりしろ!』と言っているような気がしたが、は返事も出来ず意識を手放した。
が倒れそうになり、燎はしっかりとを受け止めた。頬を軽く叩いて呼び掛けてみるが、返事は無い。は血の気の無い真っ白な顔をしていた。目の下は隈が薄っすら浮き出ている。直ぐに不味い状態だという事がわかる。
燎はを横抱きにすると、高いヒールのパンプスでカツカツと医務室へ向かう。

「直ぐに医務室へ連れていく。この子を休ませたら、この子の本丸へ送り届けるよ」
「大丈夫か?俺が彼女を持つぞ?」
「いい。あたしが首を突っ込んだ話だからね。あたしがやるのが筋だろう」
「そうか。わかった。お前はそういう奴だったよな」

長曽祢がニッと笑って、燎の後に続く。
医務室で診察を受けると、は過労と貧血だという事がわかった。大事に至らなかったので、燎はホッと一安心した。
は医務室のベッドに横になったまま、全く目を覚まさなかった。余程疲れていたのだろう。
日も落ちてきた。燎は寿珠子を再び横抱きにすると、の転送IDカードを利用し、転送装置を使って寿珠子の本丸へ移動した。ひと際大きな鳥居を抜けると、燭台を手に持った極の鳴狐と一期一振が出迎えてくれた。

「あるじ!」
殿!」
「アンタ達の主は大丈夫だよ。疲れが溜まっていただけだ。診断書もある」

燎がを起こさないようにそっと一期に寿珠子を渡した。一期は静かに眠っているの表情を見て安堵した。長曽祢が鳴狐に診断書を手渡す。

「ありがとう」
「わたくしめからもお礼を申し上げます!」
「いや、俺はただ傍にいただけだ。殆どの事は燎――主がした」
「それより、直ぐに休ませてやりな。過労死なんて言葉もあるんだからね」

燎の言葉に、一期が悲しんでいるような寂しそうな顔を見せた。だが、それは一瞬の事で、一期の真剣な表情に変わる。

(これは何かワケ有りだね。でもまぁ深くは突っ込まないでおこう)
「本当に、お世話になりました。直ぐに本丸で休ませます。ありがとうございました。このお礼は必ずさせていただきます」
「気にするなよ。それじゃあな」

燎が手を軽く振ると、視界が霧に包まれて、気づくと燎と長曽祢は定例会の会場に戻っていた。
















1週間後。は一期を伴って、燎の本丸へやって来た。

「あの時は、ほんまにお世話になりました。これ、つまらないものですが……」
「わざわざ済まない。燎も俺も気にしていないぞ?」

長曽祢は客間で2人にお茶を振舞った。

「いいえ、お世話になったのやから、菓子折りの1つや2つ、当然の事どす。藤咲燎さんはおいではりますか?」
「ああ、もうそろそろ来るな」
「悪い、遅くなった」

燎は定例会の時よりもラフな格好で姿を現した。

「少し仕事が溜まっていてね。待たせて悪かったよ」
「いいえ、大丈夫どす。うちこそ、すんまへん。もっと早うお礼に伺いたかったんやけど、遅うなってしまいました。改めまして、うちはどす。助けてくれはっておおきに」
「あたしは藤咲燎だよ。審神者ネームは北斗だ。宜しく」
「燎、これ、頂いたものだ」
「おー!あそこの饅頭じゃないか!これ、好きなんだよね。ありがとう」
「喜んで頂けて嬉しおす。……ほな、うちらはこれで失礼しますね」
「…………」

早々に帰ろうとするの隣で、一期が何かじっと目で燎に訴えかけている。燎はハッとなって、を呼び止めた。

「まぁまぁ。直ぐに帰らなくても良いじゃないか。少しこの本丸でも見て行ってよ。お客が来るのは久しぶりでね。皆楽しみにしていたんだ」
「でも、お邪魔やないどすか?」
「そんな事無いよ。長曽祢、案内してやってくれるかい?」
「お安い御用だ」
「……じゃあ、お言葉に甘えまひょか。他の方の本丸を見て回る事は殆どおへんので、ええ機会やと思う事にします」

はにこっと微笑むと、長曽祢の後について行った。
が客室から出ていくと、一期はふーっと安心したように息を吐いた。

「察して頂き、ありがとうございます」
「あの子を休ませてやる為だろう?直ぐに帰ったら、仕事をずっとしていそうな子だからね」

プレゼンをしている時に見たきびきびしたの姿からは、想像するに難しくない。

「そうなんです。殿は――主は、とにかくずっと働きっ放しなのです」

一期は暗い表情になる。

「倒れてからもずっと仕事をしているのかい?」
「そうです。私や鳴狐が倒れた日もお止めしたのですが、『どうしてもやらなければならへんプレゼンがあるので』と出て行かれたのです。せめて共をすると申しましたが、それも受け入れてくださらなかった」
「甘えられないタイプなんだね」
「ええ。まさにそのとおりです。特に私には甘えてくれませんね」
「ガツンと言ってやらないの?話せばわかるんじゃないかい?」
「……それは、難しいですね。私は主に嫌われているようなので」
「嫌われている?」
「はい」

嫌っているなら、今日一緒に来る事も無かったはずだ。だが、と一期は一緒にここへ来た。燎が思う以上に何か複雑な事情があるのだろう。
ハッとなって一期が慌てて頭を下げた。

「申し訳ありません。まだ知り合ったばかりの方に、このような事を申し上げて」
「いや、大丈夫だよ。相談されるのは慣れているからね」
「そうなのですか。確かに、貴女のような方を【姉御肌】と呼ぶのでしょうね。とても相談しやすい雰囲気をお持ちだ」

一期はにこりと微笑みを浮かべる。どうやら誉め言葉のようだ。

「……実は、もう1つお願いしたい事があるのです」
「何だい?」
「一期さん!」

長曽祢と戻ってきたが一期を止める様に名前を呼んだ。しかし、一期は止まらなかった。

「実は、先日倒れた時に、主の翡翠のピアスが片方無くなってしまったのです。何かご存知ありませんか?」
「ピアスが?」

燎がを見ると、確かに今翡翠のピアスは片方しか着けていない。深緑の透明感のある翡翠のピアスだ。腕には同じ翡翠のバングルを着けている。相当高価なものだろうと燎は思った。
は観念したように言った。

「……そのピアスは、家の当主が代々受け継いできてはるピアスで、肌身離さず身に着ける様に言われてるんどす。目が覚めた時には無くなってしもうて……。どこかに落としてしもうたんどす」
「そんな大事な話、どうしてしてくれなかったんだい?」
「お手数をおかけするわけにはいかへんと思うて」
(とことん甘える事が出来ない子だね……)

ちらりと燎が一期を見れば、一期も『そうでしょう?』と言わんばかりに苦笑している。

「燎、ピアス探しを手伝ってやらないか?」
「言われなくてもわかってるよ。あたしも一緒にピアスを探すよ。一緒に倒れた場所に行こう」
「や?!そんな、申し訳あらへん。燎さんもお仕事ありますやろ?」
「そんなの後でいくらでもなんとかなる。それより、のピアスの方が大事だ」
「そうだ。燎もこう言っている事だし、俺も探すの手伝う」
「もう一通り探したので、無駄足になるかもしれませんよ?」
「構わないよ。あたしがそうしたいんだ」
「……すんまへん、おおきに」

ここで初めての営業スマイルが崩れた。翡翠のような色と黒曜石のような瞳から、涙をぽろっと零した。一期がにハンカチを手渡すと、おずおずとはそれを受け取り、涙を拭った。

「それじゃ、定例会をやった会場に行くよ。長曽祢、ゲートの開放準備を」
「わかった」

こうして4人は定例会の会場へ向かう事になった。















定例会会場に到着すると、さっそく4人は手分けしてのピアスを探し始めた。特にがいたプレゼンをした多目的室と、給湯室、医務室を見て回った。だが、ピアスはどこにも見当たらない。

「落とし物として届けられているって事はないかい?」
「いいえ。そのようなものは届いていなかったそうです」
「なるほどね。まぁ、目立つ物だから、届けられていたら直ぐに見つかっているだろうし」

翡翠のピアスなのだから、その価値は相当なものだ。もしかすると、誰かが自分のものにしてしまっていてもおかしくはない。そう言いかけて、長曽祢は止めた。この場で口にするのは憚られる。だが、それはもわかっていたようで、あえて口にした。

「どなたかが持って行っても仕方ないものどす。落としたうちが悪いんやから」
殿……」
「とにかく、もう少し探すよ。も泣くのは後で、な?」
「へえ……!」
「俺も探す。まだ諦めるな」
「私も、主の大切なものですから、一生懸命探します」
「2振り共、おおきに……」

4人は再びピアスを探し続けたが、ピアスは夕方になっても見つからなかった。流石に全員が諦めかけた時だった。燎が、長曽祢の鎧にふと視線を移した時。何かがキラッと夕日に反射して輝いた気がした。燎はずいっと長曽祢との距離を詰めた。

「長曽祢、動くな」
「なっ……?!りょ、燎……何故そんなに近づくんだ。人前だぞ」

長曽祢は何故か戸惑っているような、喜んでいるような、複雑な表情をしている。燎はきょとんとしてしまったが、ハッとなって長曽祢の背中をバン!と叩いた。

「は?!な、な、な、何を言ってる?!勘違いをするな!」

長曽祢が赤くなったのに釣られ、燎も頬を赤く染めた。背中からは変な汗が流れる。

「か、勘違い?」
「そうだ、勘違い。お前の鎧のところ、何かが光っているからな。少し屈んでくれ」
「!ああ、わかった」

燎に頼まれ、長曽祢が屈んで見やすいようにしいてやる。すると、キラッと何かが確かに小さなものが光っている。それは、美しい翡翠のピアスだった。燎の顔がパッと明るくなった。

「長曽祢!でかしたぞ!!のピアスだ!!」
「え?!何だと?!本当だ……」
!一期!ピアス、あったよ!」
「ほんまどすか?!」
殿、良かったですな」

が駆け付けて、燎がそのピアスを手渡す。確かにの探していたピアスに間違いない。は涙目になってぎゅっとピアスを握り締めた。

「どこにあったんどすか?」
「それがさ、長曽祢の鎧に引っかかってたんだ」
「ほんまにっ?!」
「ああ」
「多分、が倒れた時に飛んでそのまま引っかかったんだろう。全く、こんなところあるなんてな……!あはは!」
「ふふっ、灯台下暗しどしたね」
「!」

が笑い泣きに変わり、一期の心臓がドキッと跳ねた。そして、心からの笑顔を見られた事が嬉しくなる。

「一期さん?」
「あ、いえ……。ピアスが無事に見つかって、安心致しました。やはり殿には、笑顔が1番だと思いまして」
「や……!一期さん、おおきに……」

なかなかは一期の顔をハッキリと見る事は無いが、この時ばかりは面と向かってお礼をいう事が出来た。そんな2人の様子を見て、燎はホッと胸を撫で下ろす。

、一期、あたしの本丸で夕飯でも食べていってよ」
「でも、ご迷惑やないどすか?」
「そんな事あるけないよ。こんなめでたい時に。長曽祢も良いよな?」
「ああ、勿論だ。歓迎する」
「嬉しおす。お言葉に甘えます。一期さんもええやろ?」
「はい。喜んでお供致します」

名家のお嬢様のと、元ヤンキーの燎。2人の審神者は特に接点が無かったが、この日を境に交流が始まった。身分も立場も超えて、2人は良い友達になる事が出来た。周囲はきっと驚くに違いない。


2022.05.11 更新