あさきゆめみし


忍術学園を卒業した文次郎は、自分の希望していた就職先である城へ辿り着いた。
この城の城主に惚れ込み、ぜひにと希望して就職が決まったときには大変嬉しかった。あの就職試験から1年、ようやく城仕えとしてここで働くことができる。
文次郎は門番に書状を見せ、城の中へと通された。

(以前と雰囲気が違うな……)

初めてこの城へ来たときにはもっと活気づいており、忙しそうに使用人たちが動いていた。けれども案内役の侍女以外誰ともすれ違わない。
不思議に思いながらも文次郎は通された部屋で城主を待った。広い謁見の間はしんと静まり返り、文次郎は正面の上座の前で正座をした。
しばらくするとスッと襖が開いて人影が入って来た。1人は家臣と思われる中年の男。そして、その男に手を引かれて上座にちょこんと座ったのは、煌びやかな衣装を身に纏った少女だった。結い上げられた黒髪には幾つもの高価な簪が飾られている。少女は口元を良い香りのする扇子で覆い、文次郎を見つめている。
文次郎はどういう状況なのかサッパリわかっていないようだ。

「……誰だお前は?城主様はどこにいらっしゃる?」

この少女も着ているものから察するに、とても身分が高い存在なのだろう。けれども文次郎が会いたいと思っているのはこの少女ではなく、髭を立派に蓄えた威圧感を漂わせている城主である。

「無礼者!!」

ピシャリと良く通る少女の声が響いた。少女が扇子を取ると、まだ10歳にもなっていないような子供の顔がそこにはあった。大きな瞳が文次郎をじっと見つめている。子供特有の柔らかそうな頬は滑々していそうだ。

「自らの名も名乗らずに、不躾な物言いをするとは……。それでもこれから城に仕える身だと申すのか?」
「な……?!子供が何を偉そうに……っ!」
「子供じゃと?失敬な、わらわはもう十になる」
「それを子供と言うんだ!」

元々気が長い方では無い文次郎は思わず立ち上がってしまった。すると、隣に控えていた家臣が、腰に提げている刀の柄に手を伸ばして片膝を立てた。その行動には文次郎もぐっと唇を噛んだ。

「何をしておる。止めよ」
「は……」

短く返事をすると家臣は刀を鞘にしっかりと納めてまた正座の体勢へ戻った。
自分よりもずっと年下の言う事を聞いている家臣の姿には唖然とする他にない。
子供はふふ、と無邪気な笑みを浮かべた。

「すまぬ、潮江文次郎」
「は……?」
「少々戯れが過ぎたようじゃ。許せよ。じゃが、わらわはわらわで色々あったのじゃ」

語尾を少し小さくして語る少女の目が真剣なものへと変わった。それはあの城主に良く似た眼差しである。

「わらわの名は。この城の姫じゃ。ひと月ほど前、城主であるわらわの父上が亡くなった」
「な、何?!」
「これからはわらわがこの城の主……、つまりそなたの主でもある。よろしゅう頼むぞ」
「……………は?」

そう呟くだけで精一杯だった。
にんまりと微笑むは、それはそれは楽しそうだった。















そんなやり取りからもう一ヶ月が経った。
城内の見回りを終えた文次郎が広く長い廊下を歩いていると、深紅に染まる空を独りで眺めているがいた。普段は城主として高く結い上げられている髪に簪を挿しているのだが、今日は柔らかな黒髪を風に撫でられるままに下している。空と同じ色に染まる横顔は普段以上に幼く見えた。
先代に惚れ込んでこの城への就職を希望したというのに、まさか幼い姫のお守のようなことをするはめになるとは予想もしていなかった。城主とは名ばかりで、は実際のところ本を読んだり諸国から届けられた文に目を通して返事を書く程度だ。文次郎にワガママを言ってお忍びで街に出かけ、好き勝手に店を回る。
コレが文次郎が求めていた自分の主の姿だと思うと泣けてくる。なぜこのようなことになったのだろうと日々悶々とした想いを抱いていた。

(先代様が病で亡くなったのは本当に計算外だったな。じゃじゃ馬の面倒を見るのも疲れてきた…。さっさと別の城へ転職したいものだ)

先代の城主は数年前から心臓を患い、文次郎の就職が決まってからしばらくして病状が悪化。そのまま回復の兆しも無く亡くなったらしい。
先代のような威厳の欠片も持ち合わせていない、ただ偉そうな子供。先代の人柄を知っている分、今の城主と比べては溜め息と苛立ちが募るばかりだ。

「潮江、何を立ち止まっておる」

くるりと振り返ったに驚く。あまり近いとは言えない距離だというのに、気配を察知したと言うのか。

「来やれ」

文次郎を傍に呼ぶと、言わんとしていることがわかったのか、は意地悪そうに笑う。

「わらわは向けられる険気に敏感なのじゃよ」
「そうかよ。それよりこそ何ぼーっとしているんだよ」
「相変わらず愛想も何もない男じゃのう。無礼は相変わらずというわけか」
「オレはお前の先代に仕えるはずだった。今の城主じゃなくてな」
「その先代の遺志だとしてもか?」
「……何?」

は遠くを見つめるような目で再び燃えるような赤い空へと視線を移した。ここにはいない、誰かを想って。

「父上は亡くなる前にそなたを使うようにと命じ、城主になることを託された。わらわはそれに従うのみじゃ」

先代の遺志はまだ生きている。
文次郎は迷っていた。苛立っていた。良い城に就職して、素晴らしい主と共に昇り詰めることを目標にして今まで努力してきた。
しかし今の自分はどうだろう?自分の考えていた理想とまるで違う。
けれども先代の遺志はまだ生きている。

「……オレは先代に仕えようと思っていた。だからその遺志は継いでやる」
「それは良かった」
「だが、その遺志とやらが終わったと判断すれば、オレはここを出て行く」
「……それでも構わぬ。いや、それが正しい」

は少し寂しそうな表情を浮かべた。それは子供らしからぬ、大人のような感傷に浸る笑み。

「実を言えば、わらわは父上のことをほとんど何も知らぬ」
「何?どういうことだ?」
「父上はこの辺りの国では1番優れた君主と呼ばれておる。じゃが、生まれてくる子は皆脆弱で死してしまった。わらわは9番目の子じゃが、兄上や姉上はいない」

いくら名君だとしても、後継者がいなければ国が成り立たない。

「子があまりにも多く死したせいで暗殺されたとまで言われ、内部で争いが起きた。母上はわらわを生んで世を去り、父上は心労と病を患った。わらわは安全のために別邸で暮らし…、ほとんど入城したことは無い」

文次郎はにかける言葉が無かった。
名君としての部分しか見ていなかったが、先代には様々な苦労があったのである。
そして、この幼い姫にも。

「結局……、お前の兄弟は暗殺されたのか?」

は首を横に振った。

「わからぬ。じゃが、父上もわらわも決して暗殺などというおぞましいことをする者はいなかったと思っておる。わらわは……わらわは、人を信じたいのじゃ」

文次郎は空を見つめているの瞳は涙を流したのかどうか気になった。
兄弟を暗殺されたかもしれないという噂が蔓延り、別邸へと隠された姫。父親にもほとんど会ったことが無いとすれば、湧き上がる悲しみという感情はあったのだろうか?
それ以前に、は混乱する城内を収める立場にある者として早く大人になることを強要されたに違いない。身体と精神が一致しない状況で孤独と共に生活するのは苦しかったはずだ。





それでも、人を信じたいと欲している。





「城主になることを放り出すことは考えなかったのか?」
「何を申すか!これは他でもない、わらわが選ばれたお役目じゃ。父上が築き上げてきたものを受け継ぐことは、至極当然のこと。わらわも誇りに思っておる。城主たるわらわが恥じておっては、民に顔向けできぬ」

キッと形の良い眉を吊り上げてハッキリと言ったは、一瞬先代の雰囲気を纏っていた。
は気づいていないのかもしれない。だが文次郎はの黒い目を見ながら思う。
は、形の無い遺言に父親の温もりを感じているのだ、と。

「そうじゃった、言い忘れておったが、近い内に他国へ外遊するぞ。新しい城主として挨拶をせねばならぬでな」
「そういうことは早く言えよな、
「すまんのう」

気分を変えるようにはけらけらと笑う。
10歳の子供がそこにはいた。
















城主が乗った金箔が散りばめられた牛車が参道を行く。外には城主の護衛である文次郎と、刀を提げた侍が3人。合計してもたったの4人というあまりにも少ない警護で移動していた。
文次郎は牛車の中にいるに話しかけた。

「おい、本当にこんなに少ない護衛でも良いのか?」

参道はやがて森の中を通ることになる。こんなにも目立つ牛車に乗っていれば山賊たちを呼び集めかねない。それにも関わらず、はあえて少人数に拘った。

「良い。あまり警戒していては向こうも息苦しかろう?それに、これから行く国はわらわとも血族に当たる者たちじゃ」
「しかし……」

戦国時代では、血が繋がっていることがかえって仇となることもある。何度もその現場を目撃してきた文次郎は嫌な予感がしていた。
はスッと簾を扇子で捲ると、文次郎を見てにこりと微笑んだ。

「何、気にすることはない。―――直ぐ終わるのだから」

山道に入り、緩やかな坂が続いた。牛車は止まることなく進んで行く。その間文次郎とは他愛のない話をしていたが、他の護衛3人はずっと黙ったままだ。文次郎はそのことに気にも留めていない。
に仕え始めた日からずっとの家臣たちは硬い表情をしている。愛らしい姫を見ても顔を常に強張らせて、どう言葉をかければ良いのかがわからないといった具合だ。
文次郎は忍術学園の生徒とそれを見守る大人のことを思った。生徒たちは過酷な忍者の道を目指す者たちだが、年齢相応の無邪気な笑顔は絶えずあった。そしてその様子を見ながら大人たちは笑みを浮かべる。それが文次郎の知る子供と大人の姿である。
けれどもは違う。強張った表情の大人たちに緊張感のある視線を投げつけられるのだ。場所が違えば人間関係も違ってくるだろうと思って文次郎は何も言わなかった。
やがて空が暗くなり、灰色の雲が集まってきた。太陽を覆い隠した雲はどんどん厚くなっていく。風も穏やかだったものが強く吹き付けてくるようになった。
山を半ばまで登った頃、向こうから人影が見えた。旗を持って立つ数名の人影はこれから向かう国の使者たちだった。
牛車を停めると使者たちはその場に跪いてたちを迎えた。

「ようこそいらっしゃいました、様。ここから先は我らがご案内致します」
「うむ。頼むぞ」

が簾から顔を出した時だ。ザッという木々が揺れる音が上から聞こえ、黒い衣を纏った者たちが姿を現した。その数は10を超えると見られる。牛車を取り囲むようにして忍者たちは殺気を放った。
文次郎は懐から苦無を出して構えた。

(気配を全く感じなかった……!)
「何奴……!?」

家臣が刀を抜いて構え問いかけると忍者もまた苦無を懐から取り出した。顔は覆面で半分覆っているためわからない。厚い雲でできた影のせいで視界が悪い。

「我らはこの者たちに雇われた忍」
「な、何?!我々は貴様のような者たちを雇った覚えは―――」
姫……御命、覚悟!!」
「くっ!?」

文次郎に詰め寄ると忍者の1人が正面から襲いかかって来た。他の忍者たちもの家臣へと次々に刃を向けた。

「おのれ……!我々を騙したのだな!!」

しかし、この事態に1番驚いているのは山を越えた先にある国の使者たちである。青い顔をしてうろたえている。

「これはいったいどうなっているのだ……?!」

まるで身に覚えがないといった様子で目の前の戦いに焦るばかり。文次郎はその様子を横目で見ながら何か違和感を感じていた。
すると腹部に強烈な拳を感じた。胃から込み上げてくる苦しさに文次郎は呻いた。

「ぐっ?!」
「余所見をしている場合ではなかろう?」
「くそっ!!」

文次郎はの元へ駆け寄りたいのだが、目の前の相手をするだけで精一杯だ。他の家臣たちも同じ状態でとてもではないが加勢することはできない。
文次郎が手裏剣を投げようとしたところで甲高い悲鳴が響いた。彼の背筋にぞわっとした感覚が宿った。

ッ?!」

牛車の中から1人の忍者が飛び出して行く。その忍者の襟合わせ部分には真っ赤な鮮血が張り付いているではないか。目的を果たしたかのように忍者たちは森の中へ消えていく。使者たちもどうすれば良いのかわからず一目散に元来た道を走って行ってしまった。
文次郎は自分の心臓がいやに早く鳴り響いているのを聞きながら牛車の中へ飛び込んだ。

!!」

最初に感じたのは強い鉄の臭い。そして赤黒く見える血の色と牛車の壁に寄り掛かっているの姿だった。美しかった衣装は同じ色に汚れている。文次郎は頭に血が昇るのを感じて目を見開いた。拳に自然と力が入った。
怒りを感じたままに直ぐ逃げた忍者たちを追いかけようと背を向けたとき、その背に声がぶつけられた。

「追うな!」
「?!」

良く通る声の主はの他にいない。振り返るとが瞳を重そうに開いて刺された腹部に手を当てている。小さな手では血を止めることはできず、指の間から体温と一緒に血が流れ出ていた。

「お前、生きていたのか……!」

文次郎はの傍へ寄ると小さな肩を抱いた。の全身から血の嫌な臭いが漂い、文次郎は胸がざわついた。
は文次郎の忍装束を掴むと、荒い息を吐きながらも薄く笑った。

「追うな、潮江……。あれ……は、わらわの家臣である、忍たちじゃ……」
「な……?!どういうことだ?ちゃんと説明しろ!」

文次郎は自分の頭巾を取っての傷口を圧迫するように押し当てた。けれども血は止まらない。頭巾を黒く汚していくのみ。この様子に文次郎は奥歯を噛みしめて耐えた。

「わらわ……とあの、国は……昔から争いを……、起こしておった……。同じ血族であるにも……関わらず、な。お互い……に、手詰まり、たったのじゃよ……」

は、戦うための機会を自ら買って出たのだ。

「父上が亡くなり、もう……戦うしか、なくなった……。民は他へと避難させておる……。向こうは……、挨拶するついで、に……わらわの国を……乗っ取る……計画を……立てておったはずじゃ」
「では、がずっと文をやり取りしていたのは……」
「友好国へ民を……、逃すため……ぞ。醜い、争いを……行うは……わらわたちで、十分じゃ」

痛みで珠のような汗を滲ませているは、苦しさを見せないように精いっぱい笑ってみせる。
文次郎は真実を知って全身が震えた。ぎゅっと眉を寄せての肩を強く強く抱いた。

「知っていたのだな、他の者たちは!だからお前をあんな目で……ッ!!」
「家臣たちには……潮江にも、苦労……させたな……。さ、早う……ここを去れ。お前は……自由、じゃ」
「こ、れが……遺言だと言うのか……!!」

はあの人同じように遠くを見るような目を向ける。瞳に映る文次郎は見えていないのかもしれない。もう光りを失ってしまっているのかもしれない。

「父上が……、おっしゃっていた。お前は、名君……というものに、強い……憧れ、を感じている……と」
「!」
「けれども……現実を知れ、潮江」

いくら名君と呼ばれようとも、血を血で洗う争いをしている。
止めることもできない。
幼い手を護ることもできない。

「たった10年……。わらわはまるで、夢の……中に……生きて、いたかのよう……じゃ」

ずっと独りで、兄弟も親も死に、ついには自分のためではなく国のために死ぬ。ただそれだけの人生。
文次郎はの肩に置いていた手で頭を触れた。さらりと柔らかな感触が指をすり抜ける。
その瞬間は驚いたように目を見開いた。

―――様、あなたは夢の中になどおりませぬ。ここに、この潮江文次郎の腕の中に、現世に生きておられました」
「……しお、え」

ぎゅっと閉じた幼い瞳から大粒の涙が頬を伝っていく。幾重にも伝い落ちていく涙の滴が、傷口を押さえる文次郎の手の甲を濡らした。涙腺が壊れてしまたかのようには泣き続けた。

「しおえ……」

は頷く文次郎に最期の力で唇を動かした。




そなたのては、あたたかいな。





文次郎は離れてしまった小さな子供の手を、日が昇るまで握り続けた。
強い雨が空から降り注ぎ、まるでのようだと思いを馳せた。


更新日時不明