月夜に乾杯、月見酒


今夜は良い月夜だ、とは思った。昼間も快晴だったので、夜空も晴れ渡っている。ぽっかりと浮かんだ真ん丸の月が風呂上がりのを照らしていた。
濡れた長い髪を手早くまとめながらくのたま長屋の廊下を歩いていると、どこからか視線を感じて身構えた。庭を凝らして見れば、と同じように夜着を纏った三郎の姿がくっきりとしてくる。
視線の主が友人であること知って安心したは庭に下りた。そして小声で話しかける。

「三郎、こんなところで何してるの?他のくのたまに見つかったら顔面穴だらけになるよ?」
「相変わらずえげつないことするな、くのたまは」

そう言いながらも三郎は余裕の笑みを浮かべている。

「で、用件は?」
「実は私と兵助と雷蔵とハチで忍務だったんだけどよ、城の殿様から報酬に酒をたんまり貰ったんだ」
「へぇ、気前の良いお殿様ね」
「それで、お前も来ないか?」
「は……?」
「は?じゃねぇよ、お前も一緒に飲まないかって聞いてるんだ。それともお前、酒は飲めないのか?」
「えっと……、別に飲めないわけじゃないんだけど……でも―――って、三郎?!」

煮え切らない彼女の態度に、三郎はの細い腰に手を回すと手早く横抱きにしてしまった。

「ちょっと?!」
「いいからいいから。落ちないようにちゃんと捕まっていなさい」

上級生が下級生を宥めるかのような言い方で、三郎は戸惑うを抱えたまま走った。こうなってしまっては抵抗しても無駄だとわかっているので、大人しくは長い睫毛を伏せた。

(ん……甘い香りがする……)

三郎はシャボンの香り以外の匂いを感じて目を細めた。優しい花の香りだが、注意深くしないと感じられないくらいほんのりとしている。
三郎は忍たま長屋の空き部屋まで彼女を連れてきた。長屋の使われていない空き部屋の前の廊下には既に集まった人影があった。庭を眺める形での宴会だ。

(なるほど……ここからなら月が良く見える)

三郎が静かに降ろすとは少しむくれた。

「もう、強引なんだから」
「まぁまぁ。良い酒だからも楽しめるはずだし」

廊下に並んで座っているのは、右から久々知、雷蔵、竹谷の順。彼らの背後には上物の酒が入った徳利がいくつか置かれている。
三郎が連れてきたが視界に入るなり3人はなぜか頬を赤くした。雷蔵にいたってはのことを直視できないようで、少し視線を反らしてしまう。は不思議に思いながらも空いている久々知の隣に座った。
久々知は三郎をキッと睨みつけた。

「無理やり連れて来るなよ、が迷惑するだろ」
「役得役得♪」
「三郎は確かに強引だったけど……。そんなに怒らなくても良いよ、兵助」

がそう三郎をフォローすれば、益々眉間に皺を寄せてしまう。三郎はニヤニヤと勝ち誇った笑みを浮かべているが、なぜ2人が睨み合うことになっているのかが彼女には理解できない。
コホン、と小さく咳払いをして改めて挨拶をした。

「皆こんばんは」
「こんばんは……って、お前もしかして風呂上がりか?」
「え?うん、もしかしなくてもそうだけど……」

『何がおかしいのか?』と言わんばかりの態度に、竹谷が自分の丹前を脱いでの肩に羽織らせた。

「湯冷めしちまうだろ」
「皆だってもう夜着じゃない」
「オレたちは鍛えてるから良いの!」
「あたしだって鍛えてるけどなぁ」
(ちっ!せっかくのの夜着姿が……!)
(ハチは幼馴染というよりもお母さんみたいだ)
の隣……良い匂いがする)
(薄着で来るなんて無防備だぞ!!)

邪な目をしていた三郎を睨みつけると竹谷は自分の席に座った。

「まさか本当に連れてくるとはな」

『止めた方が良いのに……』と竹谷が呟く。

「男だけで飲んでもつまらないだろ?」
「あたしは別に宴会芸ができるわけじゃないんだけど」
「いや、そういう意味じゃないからね。ちゃんも一緒に飲んだら楽しいかと思ったんだ」

腹踊りでも期待されているのかと思ったが眉間に皺を寄せると、雷蔵がすかさずフォローを入れた。するとはにっこりと雷蔵に微笑みかける。

「何だ、良かった。あたしも雷蔵と飲めるなら喜しいよ」
ちゃん……!」

嬉しいの言葉に雷蔵が再び顔を赤らめた。三郎が口を尖らせる。

「私のときと全然態度が違うのな、お前」
「だって三郎と雷蔵じゃ全然違うじゃない」
「何が?」
「人徳、だろ」

久々知がズバッと答えれば、が笑いながらこくりと頷いた。三郎が『ちぇっ』と舌打ちした。

「つまみの豆腐も用意したし、さっさと飲もうぜ」
「兵助はやっぱりおつまみ豆腐なんだね」
「いいだろ、別に。好きなんだから」
「ふふっ」

がふんわりと笑うのを見て久々知が耳まで赤くなった。それを見てムッとした竹谷が1番先に酒を注いでズイっと前に構える。

「それじゃ、飲むぞ!この月夜に乾杯!」
「「「乾杯!」」」

こうして月見をしながらの小さな宴会が始まった。
















3時間後。

「くそぉ〜〜〜ッ!」

三郎が赤い顔をして悔しそうな声を上げる。竹谷もまた赤い顔をして豪快に笑う。

「あははははは!!だから言っただろ、は無理だって!」
「本当にハチの言った通りだね」
「確かに……すごいな……コレは」

笑う赤い頬の雷蔵も、目が据わっている久々知もの様子に驚いた。
だけが彼らの言わんとしていることがわからず首を傾げている。

「何?どうかした?」
「どうかしたって……どうかしてんのはだろ!?何だよその量!!」

三郎が指さした先にあるのは、空っぽになった徳利の山だった。それを全て飲み干したのは、何を隠そうである。しかも現在進行形で飲み続けている。
徳利を振っては残念そうに言った。

「あ、もう無い。兵助、そこのヤツ取って」
「お前、こんなに飲んでも平気なのか?」
「え?うん、大丈夫だけど?」

既に以外は出来上がった状態であり、特に竹谷と兵助はべろんべろんである。しかしだけは普段と全く変わり無いらしく、酒を水のようにどんどん飲んでいくではないか。
竹谷は笑い上戸らしく、ゲラゲラと笑いながら言った。

「三郎、の実家は酒屋だぞ!瓶一杯飲んでも酔ったりしねぇよ!あははははは!!」
「か、瓶一杯?!それって何かもう人間じゃなくね?新種の人類誕生じゃね?」
「それは酷い言いようだね。これでもあたしは普通の人間だよ!」

どうやら三郎は酔うとツッコミに拍車がかかるらしい。

「ちなみにの産湯も酒だ!」
「それは流石に嘘だとわかるぞ、ハチ」
「だよなー!!ぎゃはははははは!!!」

久々知はしゃっくりをしながらの良い飲みっぷりを見ていた。

「ところで、何で三郎はあんなに悔しがってるの?」
「あーそれはな……」
「兵助?」

兵助がへろへろになりながら徳利を片手に飲み続ける。言いかけたは良いが、ちっとも話そうとしないのでは雷蔵に聞いた。

「雷蔵、何であんなに三郎は悔しがっているの?」
「酒を殿様から貰ったから飲もうって話になったとき、三郎が……その、『酔っ払って色っぽくなったが見たい!!』って言いだしてね」
「月夜に酒!酒と言ったら色っぽい女だろ!」
「わぁ?!三郎、いきなり間に入ってこないでよ。そしてその思考回路は何か間違ってる!」

三郎が久々知との間に入り込み、泣きマネをして見せた。

「酒が入ったら酔ってあっはんうっふんがお約束って決まっているのに……、お前は私の期待を裏切った!」
「あっはっは、ごめんね?」
「別にが謝ることじゃねぇだろ!ぎゃはははっははは!!」

あっけらかんと謝るに竹谷がバシバシと背中を叩くので、痛みに顔をしかめた。

「痛い!だってザルなんだもの、仕方ないでしょ。あっはんうっふんなんて無理だし。あたし全然色っぽくないからさー」
「そんなことないっ!!」
「ひゃッ?!ら、雷蔵……?」
ちゃんは、可愛いよ!すごく可愛い!」

後ろで飲んでいた雷蔵がいきなりの肩を掴んだので、は驚いて振り返る。そこには普段と違って押しの強い雷蔵がいた。

「か……可愛いとか、気を遣わなくても良いし」

雷蔵は真面目な性格だ。そんな彼がの容姿を可愛いと褒めている。本心なのではないかと期待してしまった自分が恥ずかしくなり、は視線を逸らした。

「ハチ、お前飲み過ぎだぞ?」

久々知が竹谷から酒を取り上げようとすると、竹谷は首を横に振って抵抗した。

「いやいやいや、もっと飲めるって〜〜!あはははははは!!」
「はっちゃんはもう止めておいた方が良いって。ねぇ?はっちゃ……、寝てるし」
「ぐー……」

……先ほどまで確かに笑っていたはずの竹谷は、いつの間か雷蔵の隣で眠ってしまっている。夜着が捲れてフンチラしているのにも関わらず大の字になっているではないか。ボサボサの髪が床に広がっている。
は溜め息を吐いて竹谷のボサボサ頭をそっと撫でた。

「全く、人の世話ばかりで自分のことは後回しなんだから……って、ちょ、へーすけーーーっ?!?!」
「ん?何だ?」
「何だじゃないよ!何脱ごうとしてる?!」
「夜着」
「冷静な返事だけど行動は全然冷静じゃないからっ!」

久々知はいつの間にか夜着を脱ごうと帯に手をかけていた。当然夜着の下は褌のみの裸だ。こんなところで全裸にでもなったら明日とんでもない噂が飛び交うだろう。はギュッと久々知の夜着の袖を掴んで阻止する。これには雷蔵も慌てた。

「兵助!?何してるんだよ、女の子もいるんだからこんなところで脱ぐなって!」
「熱いんだよ、だから脱ぐ」

ぐいぐいと着物を引っ張って久々知は抵抗した。

目が怖いくらいに据わっている。は必死になって久々知を説得しようとする。

「兵助、顔が真っ赤だよ。それにすごくお酒臭い……!もう、止めてってば!」
「離せよ脱げないだろ」
「誰が離すかボケ!」

冷静だがどうやら完全に頭が酔いどれ状態になっているようだ。は助けを求めるため隣に座っている三郎の方を向き直る。

「三郎!三郎も助けてよ!兵助が―――」
「おえええ〜〜〜ッ」
「わあああああーーーー!?!?」

三郎が庭に突然降りたと思えば前屈みになって吐き出したではないか。は久々知を気にしながら三郎に駆け寄って背中を擦る。三郎は青い顔をして振り返った。

「三郎、大丈夫?!加減して飲んでよ、心配するじゃない!」
「うぅ……悪い、今日の酒は一段と美味く感じてな。きっと、と一緒に飲んだからだ……」
「そんな軽口が叩けるなら大丈夫ね、まったく……」

後片づけもしないでぐっすり眠っている竹谷、服を脱ぎだす久々知、飲み過ぎで吐く三郎。
は酒に酔わないため、毎度このようなとき後片付け担当になってしまう。そして今夜この地獄絵図をどうにかしなくてはならないらしい。

「はぁ……やっぱりこうなるか」

うんざりした様子ではあるが、は笑みを浮かべていた。

「雷蔵も大変だね。毎回こうなんでしょ?」
「まぁだいたい、ね……」

唯一酔いがこまで回っていない雷蔵が苦笑した。
雷蔵は元々酒も強いが、自分のペースをわかっているので飲みすぎたりしない。他の3人もこれくらい注意力があれば良いとは思う。
今日はもうここでお開きにするしかなかった。

「さてと、どうしようかな……」




⇒ 酔い覚ましに水を持ってくる。


⇒ とりあえず片付ける。


⇒ 良い香りのするお酒がある。


⇒ 何か上に掛けるものを持ってこよう。


⇒ 面倒だから放置で良いよね。


2009.04.13 更新