夜踊る狐たち


もう他の兄弟たちは死に絶えて、今はあたしだけになってしまった。こんな美しい満月の夜には、兄弟たちと一緒に遊んだあの日々を思い出す。もう独りでいることは当たり前だけれど。澄んだ冷たい空気があたしの肌を撫でていった。
あたしは薬師として稲荷神社の近くに住んでいる。
夏は暑くて昼間は薬草を摘むことが辛い。だからあたしは夏は夕方や夜に薬草を摘みに出る。特に満月の夜は足元が良く見えて助かる。独り草原に入っているというのに、空に浮かぶ金色の光りが見守ってくれていた。
どこかであたしの兄弟たちも見ていてくれるだろうか?……いや、死者の国になんて、入れない。感傷的になるなんてあたしらしくもない。
あたしは薬草を摘み終えて青草の匂いが染み付いた指を拭う。それからたっぷり薬草の入った籠を背負って、鳥居を潜って稲荷神社の境内へ足を運んだ。
思った通り、誰もいない。静かな境内には、物言わぬ石段と最奥に長い年月を感じさせる社があるだけ。ぶら下がる大きな鈴は、錆ついて振っても音がしないだろう。
社の左右には狐の石像がある。これも古いものだが、どっしりと貫禄がある。あたしは来る度に、この石像へ稲荷寿司を供えている。今夜も持ってきた稲荷寿司を、白い皿に盛っていつもと同じように供えた。
手で拍子を打って捧げると、あたしは背を向けた。

「おい、待てよ」

背後から声が聞こえてきた。そう、ここには誰もいないわけじゃなかった。

「私がいるとわかっていたんだろう?それなのに無視するのかい」

ため息を吐いて振り返ると、そこには銅像にもたれている少年の姿があった。明るい茶色のふさふさの髪を1つに束ねている。まるで狐の尻尾のようだ。服は町人のようなどこにでもありそうなものだった。

「面倒なことは嫌いだから」
「まぁそう言わないで。お前は良くこの神社に通っているようだな?」
「それが?」
「つれないねぇ……」

きっとどこかの木陰にでも隠れていたのだろう。

「人がお参りしているところをジロジロ見ているなんて、怪し過ぎる。怪しいヤツとは話したくない」
「怪しいだなんて心外だな」
「面を被って顔を隠しているのに?」

少年は面を被っていた。真っ白に塗られ、大きく裂けた朱色の口に黒と、金の糸みたいに細長い目がついている。そして先の丸い三角の耳―――狐面だ。純粋に美しいと思った。

「おや、これは失礼」

そう言って少年は狐面をゆっくりと外した。その下にはニヤッと笑うまだ子供があたしを見ている。

「私は鉢屋三郎。この神社の主の狐なんだよ、いつもひとりぼっちのお嬢さん」
「はぁ?」

自分を狐だと言っているのか。バカらしい。

「信じていないな?」
「信じるわけないでしょ」
「ならば信じさせてあげよか?」

そう言って、右手を広げると顔の前に翳す。さっとひと撫ですると、隠れていた顔が少女に変化した。しかも、その顔はあたしのもので。

「狐は変化が得意だと知っているだろう?」
「は、はぁ……、すごいですね」
「棒読みかよ」

つまらない、といった具合で三郎が言った。本当にコイツは何がしたいんだ…。あたしは変化した顔よりも狐面の方が気になった。

「何だ、コレが欲しいのか?」
「……別に」
「そうだな、くれてやっても良い」
「!本当に?」
「但し、今日は無理だ。これからコレが必要だからな。代わりにその薬草を分けてもらえないか?」
「怪我をしているの?」
「少し腹に傷をもらってしまってな……」

あたしは黙って懐から巾着を取り出し、紙に小さく包まれた丸薬を手渡した。

「薬草よりもこっちの方が良いでしょ。あたしの煎じた薬よ」
「内服薬?」
「それで良いのよ。飲めばわかるわ」
「そうか……」

外傷に内服薬は変じゃないのか?と言いたげな三郎に、あたしは薬を押しつけた。















あの日を境に、三郎は満月の夜になるとこの神社に姿を現すようになった。丸薬があまりにも良く効いたので驚いたと言っていた。
いったい何が目的なのかはわからなかった。けれども三郎と話しているときは、あたしの孤独は間違いなく消えていた。兄弟たち以外と話したのも本当に久しぶりのことで、いつの間にかあたしは笑うことを思い出した。
そして今日は、狐面を三郎がくれると約束した日。満月の光りを浴びながら、あたしは狐の石像に寄りかかって待っていた。
石段を駆けてくる音が聞こえてきた。相当慌てているのか、足音が騒がしく耳に響く。鳥居の向こうに立っていたのは、狐面を手に持って息を荒く吐いている三郎―――

「あなたが……、薬師さん……ッ、です、か……?」

―――ではない。三郎と同じ顔をしていたけれど、別人だ。三郎の匂いがする。血の、臭いも。

「僕は、不破雷蔵……っと言います」

三郎とは違って、角が無い雰囲気だ。
額に汗を滲ませた彼は、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。

「三郎に、たの……まれて……っ、コレを……預かってきました……」

差し出された白い面には、血が点々と付着していた。誰のものなのか、あたしには直ぐわかった。

「三郎に何か……?」
「……、いいえ何も」
「三郎に、言わないで欲しいと頼まれたんでしょ?そんな顔をして、隠せるはずもない。言え、何があった?」

あたしは雷蔵の手首を強く掴んだ。
















通された室内は薬棚が並び、その前にある布団の中で三郎は苦しげな表情を浮かべていた。

「三郎!連れてきたよ、薬師さん!」
「……雷蔵、なぜ、……そいつを連れて来た?……わ、たしは……、ただ面を、渡して欲しいと…頼んだだけだろう?」

三郎は雷蔵を叱り、そして隣に並んで座るあたしを見て笑顔を作ろうと必死になっていた。

「三郎は忍者だったんだな」
「ああ……、バレてしまったか……」
「狐だなんて、最初から信じていないから」
「それは……っ、手厳しい……な」

三郎は狐などではなかった。三郎は忍者で、変装術の名人だそうだ。
三郎は忍務でしくじり、銃で腕と腹部を貫かれた。雷蔵曰く、もう余命いくばくも無いらしい。真っ赤な血が布団をも汚している。

「あの場所は……、私の気に入っている、ところだ。満月……に、なると、酷く静か……で美しい」
「そうね。良く知っているわ」
「そこに、お前が……いつもいた。独りで……いることを、何とも思っていない……みたいなお前を―――」

『変えたかった』と、三郎は弱々しく呟いて瞳を細めた。
徐々に小さくなっていく息遣いと声に雷蔵は泣き出しそうな顔を俯いて隠した。
あたしは、孤独に慣れ過ぎていた。

「三郎、確かに狐面は受け取ったよ。ありがとう」

狐面を胸に抱きしめ、あたしは嬉しさから一粒の涙を零した。寂しくて、嬉しくて泣いたのが初めてのような気がした。
突然部屋の中に強い風が吹き荒れる。フッと蝋燭の火が消えて暗がりになる。代わりに点いた火は……

「な、んだ……?鬼火か……?」
「何?どうなっているの……?」

蒼い色の炎。

「違うよ三郎。これは狐火」

あたしがそう言うと、強く炎がゆらめいて激しく燃える。三郎には見えるだろうか。このあたしに生える耳と尻尾が。

「?!……お前、狐か?」
「そうよ。あの神社の石像は、先代―――私の兄弟たち。遺されたのはもうあたしだけになってしまって、あたしには強い力は無いけれど……」

茫然としている三郎に、あのとき手渡した丸薬を取り出す。

「あたしは薬を作る事が出来る。そしてこの薬には、生命を育む豊饒の神の使いであるあたしの血が入っている」

あたしはそのまま丸薬を口に入れると、三郎の口にあたその唇を押しつけた。

「これはお礼よ。ありがとう、三郎。元気になったら、またあの場所で会いましょうね」

喉が上下し、三郎が飲み込むのを見届けると、あたしは狐火を全身に纏いながらその場から消失した。
次の満月、三郎がニヤッと笑いながらあたしに手を振って姿を現したことは言うまでも無い。


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