嘘だと言わないで


今日の授業は南蛮のある風習についての講義だった。ちなみに今日のシナ先生は優しいおばあさんの方。
あたしは南蛮に伝わる話に興味が前からあって、南蛮に関する授業は積極的に聞いている。そして、今日の講義は特に興味を引かれるものだった。

「―――というわけで、南蛮には4月1日に嘘をついても良いという風習があります」

他の子たちもこれにはびっくりしているみたいで、それぞれ反応を示していた。そしてあたしも当然驚く。

「そこでね……」

シナ先生はサッと飛び上がり、くるっと回ると怖くて美人なシナ先生に変わった。口元に人差し指を当ててウインクしてみせると、あたしたちにこう言った。

「今日は、忍たま教室の子たちに嘘をついて騙してきてください」

悪戯っぽく微笑みを浮かべているシナ先生の言葉に、くの一教室は大いに盛り上がった。
普段からくの一は話術を勉強していて、嘘もまたその術の一つ。巧みに相手を騙して情報を得るのはくの一が特に得意としていることだ。
けれどもあたしはそれが苦手だったりする。騙すことに罪悪感を覚えるし、例え授業だとしても気が引けてしまう。くの一になるには必要なことだとわかっているけれど、なるべく避けたいことだった。

「上級生を上手く騙せた方が評価を高くしますからね、皆さん頑張ってください。今日中になるべく多くの人を騙して、結果を教えてくださいね」
「「「はーい!」」」

花みたいに可愛い声が響いたが、くのたまたちのそれは悪魔の声と呼ばれている。
あたしは嬉々として教室を出て行くクラスメイトたちを見て溜め息を吐いた。すると、後ろから友達に声をかけられた。

「どうしたの、ちゃん?具合でも悪い?」
「あー、そうじゃないの。あたし嘘をつくのきっと下手だろうなぁって……」

そう言ってまた溜め息を吐くと、友達は『ええ?!』と素っ頓狂な声を上げてあたしを凝視した。

「な、何?」
「私はちゃんほど嘘が上手い人はいないと思うもん」
「えぇ?!」

今度はあたしが素っ頓狂な声を上げてしまった。
友達はくすっと笑う。

ちゃんは真面目だからね。まぁやってみるとわかるよ、きっと」

そう言い残して友達は先に教室を出て行ってしまった。
あたしっていつの間にそんな印象を与えてしまっていたんだろうか…。さすがに凹む。嘘が上手いということは、つまり鉢屋三郎みたいに相手を騙してからかうのが好きってことでしょう?
あたしはなぜか良く三郎にからかわれている。そう、つい最近も―――
















もう直ぐ期末試験だ。あたしは一心不乱に筆を動かして教科書の文章を半紙に写している。もう紙が真っ黒になって書く場所が無くなると、あたしは再び新しい半紙を手に筆を滑らせていく。
額から汗が滲んで頬を伝い落ちる。私はそれを拭いもせず教科書を睨んでいた。
同室の友達は町へ他の友達と買い物に出ている。『休日なんだから少しは遊んだら良いのに』と言われたけれど、そうもいかない。
あたしは両親が戦に巻き込まれて亡くなった。歳の離れた兄が父親の代わりとなってあたしを育ててくれ、この忍術学園に通わせてもらっている。
少しでも兄の助けになりたいとずっと思っていた。だから、良い成績を修め、良い城へ就職し、良い稼ぎを家に入れなければならない。
兄は『そんな風に考えなくても良い。好きなように学べ』とおっしゃっていたけれど、そんなのあたしが嫌だった。

「ふぅ……」

それにしても、流石にここ1週間ろくに寝ていないので疲れが溜まってきた。筆が一瞬止まってしまう。

「いけないいけない……」

あたしはぎゅっと筆を握ったときである。外でタン、という音が聞こえてきた。あたしは疑問に思い、部屋の外へ顔を出す。すると表札の下に矢が刺さっていた。
矢には文が結ばれていたので、それを取って開く。すると文には『お使いを頼みたいので校庭の1番大きな木の下に来なさい。学園長より』と書かれていた。つまり、学園長先生からの忍務依頼というわけだ。
だけど、どうも怪しい気がしてならない。学園長先生の字に似てはいるが、違うような気もする。
迷ったのはその一瞬だけ。あたしは直ぐに行くと決めて外へ出た。
理由は、本当に学園長先生が呼んでいたら困るから。この場合行かないより行ったほうが良いだろう。
そしてもう1つの理由があるとすれば…、三郎のいたずらかもしれない、ということだ。

「到着っと」

呼び出された校庭の木の下に立ってあたしは呼び出し人が来るまで待つことにした。
午後の温かい日差しが木漏れ日となってあたしに降り注ぐ。そして同じ温かな風があたしの髪を撫でていった。今思い出したが、この場所は昼寝に最適だという話を聞いたことがある。
頼まれる側であるとしても、あたしが待っているのはこの学園で1番偉い人なのだから、座るわけにもいかない。柔らかい風は疲れた身体には拷問のように響くが、あたしは必死で立ったまま待ち続けた。油断をするとふらっとその場に倒れてしまいそうになるのを堪えた。
やがて一刻ほどの時間が経過した。未だに待ち人は現れない。代わりにやって来たのは、

「お前何で座って待たないんだよ」

鉢屋三郎だった。

「な……、木の後ろにいたの?」

ひょっこり後ろから顔を出した三郎は呆れたように頭を掻く。

「座って待つなんて、学園長先生に失礼じゃない」
「お前を呼んだのは私だよ」
「!……なんとなく、そうだと思ってた」
「でも、はここで待っていた。どうして?」
「本当に学園長先生だったら困るから、に、きまっ……て………」

三郎が呼び出したという事実がハッキリとした途端、足に力が入らなくなって膝を地につける。意識が朦朧として頭の中がごちゃごちゃしていく。
三郎はあたしの両肩を掴んで支えた。

「こんなになるまで勉強するなんて、真面目にもほどがあるだろ」
「あたしが……勉強に忙しいってわかってて、こんな悪戯するんだから……酷いわ、ね」

気まぐれで呼び出されて、全くいい迷惑だ。

「勉強勉強って、優等生は大変だな。いや、加減を知らないバカか」

三郎の顔はここからだと見えない。でも、きっと意地悪く笑っているのだろう。
バカにして…。
上半身からも力が抜け、三郎の胸に額を押し付ける形になってしまう。三郎の胸の鼓動が規則正しく動いているのを感じた。この鼓動が益々あたしを夢の中へと誘っていく。
三郎は眠気に拍車をかけるようにあたしの頭を撫でる。ムカつくくらい、優しく。

「いつもそうやって、あたしの…邪魔を、する……。何で、こんな……こと……、するのよ……………………」

最後の力を振り絞って言ったあたしの声は三郎に届いただろうか?



お前のことが心配なんだよ



何か三郎が呟いていた気がしたけれど、あたしにはもう何も聞こえなかった。
















今思い出しても、三郎がいったい何を考えているのかわからない。
あたしは良く人を信じる方だから直ぐに騙されるのが面白いのかもしれない。でも、あたしは割とリアクションが大きいわけじゃないし、むしろ『はいはい』っていう淡白な返事しかしないはず。
あの日は結局いつの間にか自分の部屋の布団で寝かされていたんだ。友達には『三郎くんがお姫様抱っこしてアンタのこと運んできた!』と騒がれて困った。別にあのまま放置しておいてくれても良かったけど。
もしかすると、三郎は疲れているあたしのことを休ませようとしてあの場所に呼んだのかもしれない……と、思った時期もあった。だけど、鏡を見て頬に書かれた渦巻きを見てその考えは吹っ飛んだ。額に書かれた肉という文字はいったいどんな意味があるんだ…?!
ヤツは、あたしに何か恨みを抱いているに違いない。それ以外とにかく想像できない。イタズラだってもっと酷いのをされたこともあるし。夏には水をぶっかけられてずぶ濡れにされ、冬には毛布でぐるぐる巻きにされ…思い出すだけでイライラしてくる。

「いけない……こんなこと考えている場合じゃなかった」

あたしは直ぐに自分の使命を思い出して行動に移すことにした。
廊下を歩いていると、標的になりそうな人がこっちに向かって歩いてくる。それは三郎と同じろ組の竹谷だった。向こうもあたしに気がついて手を振ってくる。もう片方の手には虫取り網を持っている。

「よぉ、くのたまがこっちにいるのって珍しいな」
「竹谷、えっと……その……」
「?」

さっそく嘘をつこうとしたのだが、三郎のように上手い言葉が出てこない。どうすれば人を騙せる?でも、このまま何も言わないでいるわけにもいかないので、あたしは咄嗟にこう言った。

「実はね、さっき毒虫が集団で散歩に行くところを見かけたんだ」

しかし、言った途端あたしはハッとなった。虫取り網を持っている竹谷の髪には木の葉がついている。それはついさっきまで飼育小屋にいたということだ。毒虫を回収し終えたという証拠である。
嘘だとバレる…!!
けれども竹谷はあたしの予想とは全く違うことを言い出した。

「げっ?!マジ?!さっきも捕まえてきたばっかりだっつーのに!」
「へ?」

竹谷はすっかりあたしの言う事を信じてしまったようで、慌て始めた。

「竹谷、あたしの言うこと信じるの?」

こんなことを聞くあたしもあたしだけど、竹谷も竹谷だ。

「は?が嘘を言うはずないだろ。それより毒虫を捕まえてこなきゃな!教えてくれてありがとう!!」
「あ、あぁ……うん、頑張ってね」
「じゃあなー!!」
「……行っちゃった」

あたしはようやく友達が言っていた意味を理解した。
あたしの普段から真面目な行いが他の人にも浸透しているらしく、あたしが嘘をつくという風には思っていないようだ。
……確かに人を騙すのにはもってこいだけれど、やっぱり複雑。後で嘘だとわかったとき、竹谷は許してくれるだろうか?
その後、あたしは次々に忍たまたちに嘘をついた。善法寺先輩には乱太郎が穴に落ちたと、滝夜叉丸にはくのたまが『滝夜叉丸が1番カッコいい』と言っていたと、さらには立花先輩にはしめりけコンビが探していたと伝えた。あたしが嘘をついた人たちは面白いくらい簡単に信じてくれた。課題は順調に進んでいき、最初は不安だったけれどホッした。
ここであたしはあることを思いついた。普段あたしに散々ちょっかいを出してくる三郎に、この機会を利用して騙すことはできないだろうか?と。
三郎はいつも人をからかっているし、嘘も得意のようだ。もし三郎を騙すことができれば、あたしの話術も鍛えられるはず。何より、1度あの漂々としている三郎の困った顔を見てみたい。かなり個人的な理由になってしまうけれど、考えるとなんだか面白い。
けれど、三郎が言われて困る嘘とはいったい何だろう?縁側に座って考え込む。しばらく考えると、あたしの脳裏に名案が浮かんできた。
三郎はあたしのことを嫌っている。もしくは恨んでいる。だったら、その相手に『好き』と言われたらどうだろう?好きでもない相手、しかも嫌っている人に言われればものすごく困るんじゃないか?
あたしは三郎が自分に好きだと言われて怒っているところを想像してみた。





はぁ?何言ってんだよ、気持ち悪いな。





…………?
三郎がそう苦々しく言うところを想像してみただけだというのに、あたしの胸は酷く痛んだ。火傷をしてしまったときに似た痛みに思わず顔をしかめた。
ただ、想像してみただけじゃないか。それなのに、何でこんなにも辛いのだろう…。
目の周りが熱くなってきて、視界が歪んで目の前の庭が海の中みたいに見える。
変だな。これじゃあまるで、あたしが三郎のことを―――



ッ!!」



突然声をかけられて、あたしが隣を見れば廊下に人が立っている。ドタドタと忍者らしくない足音が響いたと思うと、その人はあたしの直ぐそばまでやって来ていた。
三郎だ。すごくびっくりした顔をしている。

「何泣いてるんだよ。我慢強いお前が泣くなんて……」

余裕を失くした三郎があたしの頬に触れてくる。温かい熱は、あのときと同じ感触がして、あたしの瞳からぽろっと涙零れ出た。

「いったいどうしたんだ?」
「どうも…してないよ。何でもないから」

あたしはきっと眉をハの字にして笑っているんだと思う。声が震えて喉が詰まってしまう感じがした。
嗚呼、最後に泣いたのはいつだっただろう…。
三郎はあたしの言うことを納得していないらしく、肩を掴まれて三郎の正面を向かされた。さらに近づいた三郎を前に、あたしの涙腺は壊れてしまったみたいにまた新しい涙が生まれる。

「何でもないわけないだろ?!それとも、私には言えないことなのか?」

三郎が寂しそうな顔をしている。そうさせているのはあたし…?
あたしのため、動いてくれていたと思いたい。都合良く考えてしまいたい。
唐突に思いだした、エイプリールフールの言葉。
嘘をついても良い日。
だけど、あたしがこれから言う言葉は嘘なんかじゃない。
でも、嘘にしてしまいとも思う。
拒絶されるのは、怖い。
だけど。
だけど。
あたしは笑って触れている三郎の手に頬を擦り寄せる。
目を見ることは、できなかった。





「三郎、大好きだよ」





しばらくしても三郎の反応はなかった。喋り出す気配さえない。触れている大きな手も全く動かさない。
拒絶されてしまった。
あたしはそう思い、もう1度笑顔を作ろうと試みる。難しいけれど、笑って言わなくちゃ。
『これは嘘なんだよ』って。三郎を困らせたりしないように、無かったことにしなくちゃいけないんだから。
さっきよりも胸が痛くて逃げ出したい気持ちを塞いで、あたしは顔を上げた。

「え……?」

目の前にいる三郎はてっきり怒っているんだとばかり思っていたのに、もしくはすっごく嫌そうな顔をしているんだと思ってたのに。
三郎の顔は真っ赤だった。もう耳どころか首まで真っ赤で、目が点になっている。蒸気が見えるかもしれないと思うくらいに真っ赤。

「あの……?」

あたしの声が聞こえていないようで、完全に固まっている。
一方、あたしもわけがわなからなかった。ただ三郎が真っ赤になっていることだけしかわからない。何もわらない…!
三郎はようやく我に返ったみたいで、あたしのことを自分の腕の中に閉じ込めた。あまりに強い力で引っ張るので、あたしは三郎の肩に額をぶつけてしまった。
背中に回された腕があたしと三郎の距離を消してしまう。

「さ―――」
「本当か?」

絞り出すような声が耳を擽る。熱いと息がくすぐったい。でも、今は三郎の声だけに集中して目を閉じた。

「今言ったこと、本当なのか?」

いつもまじめで、嘘を言ったことがないあたし。嘘をつく日にはもってこいの性格。
でも、アンタはそう簡単には騙されてくれないみたいだね。
三郎の腕が僅かに震えていることが伝わってきたので、あたしも静かに三郎の背中に手を回した。触れると三郎がまたぎゅっと抱きしめる力を強くする。
あたしが今言ったことは本当で、でも授業としては嘘なわけで…。

「三郎」

抱きついたまま顔を少し離して三郎を見ると、何とも言えない張りつめた表情であたしを見ていた。頬が真っ赤で別人みたいな三郎に愛しさが込み上げる。
だからあたしは口を開く。





「三郎、大好きだよ」





アンタに嘘はつけない、と。


更新日時不明