そこが好き+だから好き


今日は、くの一のちゃんと久しぶりに出かける日。
……一応僕はちゃんと恋仲だったりする。だから、ただの買い物じゃなくて逢引きと考えても良いのかな…?うん、それは悩んだりしないでちゃんと主張したい。
で、今僕は待ち合わせ場所である学園の門の前に立っている。
門の向こう側から小松田さんの声が聞こえてきた。恐らくちゃんが外出届を見せているところだろう。早くちゃんの姿が見たくて僕の胸は高鳴った。けれども門の向こうから出てきたのはちゃんではなく、全くの別人。
艶やかで癖の無い黒髪をキリッと束ね、少し日に焼けた肌の少年だった。切れ長の瞳が印象的で、鼻筋が通っている。こんなにも整った顔立ちの生徒が学園にいただろうか?自分が知っている人に例えるなら、雰囲気は立花先輩に似ているかもしれない。
利発そうな美少年が僕の顔を見るなり嬉しそうに顔を崩す。その笑顔に見覚えがあって、僕は思わず『あ!!』と声を漏らした。

「もしかして、ちゃん?!」
「うん、そうだよ。雷蔵、待たせちゃったかな?」
「全然待ってないよ!待ってないけど……」

一目見ただけではちゃんだと気付けなかった。それくらい今のちゃんは別人のように変わってしまっている。灰色の袴に常盤色の着物を合わせた彼女の姿は、どう見ても女の子ではなく少年だった。しかもとびきりの美少年。

「あれ?もしかして私言ってなかった?今度男装の実習があるから、その前に予行練習しようと思ってたの。って言っても市を見るついでだけどね」

ちゃんはにっこりと微笑んだ。けれども今のちゃんは男なわけで、女の子とはまた別の顔。ちゃんの男装姿は初めて見るけど、かなりの腕前のようだ。

「すごく上手に化けてるね。どう見てもちゃんは男に見えるよ」
「そう?鉢屋くんほどじゃないと思うけど」
「三郎はなんていうか、もう別次元だから」
「だよねー」

三郎の変装技術は別次元というか、男装や女装とは違うものだと思う。

「それじゃ、そろそろ行こう!」
「う、うん」

ちゃんは僕に明るく笑う。その笑顔が、僕にもやもやとした感情を投げつけた。
















「うわぁ……今日はたくさん人がいるね。さすが市って感じ!」

港が近いこの街では、南蛮渡来品が数多く入って来る。珍しい品々を見ようと、人々が多く集まるのが今日の市。ちゃんは押しては返す人の波を興味津津で見ていた。
けれども、この人の波を見ているのは何もちゃんだけじゃない。

「きゃぁ!見て、あの子すごくカッコいい!」
「本当だ!まだ小さいみたいだけど、将来がすごく楽しみな子ね」
「笑顔が可愛いっ」

僕たちと擦れ違う女の人の視線はちゃんに向けられており、頬が赤くなっている。控え目だけど黄色い悲鳴があちこちから聞こえてくる。

「元気が良さそうだけど、凛としている感じがするわね」
「そうねー。ずっと見ていたくなっちゃうわ」

ちゃんは自分が女の人に注目されていることを気づいていないらしい。楽しそうにあちこちを見ている。

「ねぇ雷蔵!あっちに行ってみようよ!……、雷蔵?」
「え?あ、うん、わかった。行こう」

ちゃんは僕の手を取った。その手を僕は握り返しても良いのかわからなくなった。
僕はちゃんと図書室で出会った。ちゃんは良く本を借りに来ていて、貸出カードを見たら難しい本ばかりで驚いた。僕にもちゃんと理解できるかどうかわからない本の題名が、そこには並んでいたのだから。
ちゃんはくの一でもトップの成績で、先生たちも一目置いている。そんなちゃんが、どうして僕みたいな地味で悩み癖のあるヤツに告白したのか、今も正直良くわからない。
もちろん僕は嬉しかった。ちゃんのことをもっと知りたいと思っていたから。
でも……、ちゃんに近づく度に僕は彼女との距離を感じてしまう。ちゃんに近づきたいのに、僕はいつも足が動かない感覚にあった。





僕はちゃんに相応しいのか?





ちゃんの隣にいても良いのか?





「―――ぅ」
「……僕は……」
「―――ぞう」
「でも…」
「雷蔵っ!!」
「?!」

気が付くとちゃんから随分と離れたところに自分は立っていた。心配そうにちゃんが人の波をかき分けて僕に駆け寄る。

「どうしたの?雷蔵、気づいたらいないんだもの。離れちゃってるから心配したよ」
「いや……大丈夫。ちょっと人の波に酔っただけだから」

ちゃんと僕は笑えているだろうか?ちゃんは『そう…?』と困った表情になる。そんな顔をさせたくないのに、僕はちゃんに心配をかけてしまった。

「そうだ!最近新しい茶屋ができたんだよ。そこで少し休もう」
「……うん、そうだね」

ちゃんに案内されて辿り着いたのは、市から少し離れた場所にある茶屋だった。お茶と和菓子の良い香りがする。
ちゃんと長椅子に座る。するとお店の女の子が暖簾の向こうから出てきた。

「いらっしゃいま―――」

女の子はちゃんの美少年っぷりにびっくりしたのか、目を丸くした。そして頬を染めてお盆を口元に当てる。どうやらちゃんに一目惚れしてしまったようだ。しかし、今のちゃんならば仕方無いと思う。それくらいカッコいいから。
うろたえている女の子にちゃんは良くわかっていないのか、首を傾げたが、女の子に微笑みかけた。

「あの、このお店のお勧めをお願いできますか?」
「はっ、はい!畏まりました!!」

急いでお店の中へ戻って行く女の子見て、彼女はおもしろそうに言った。

「あはは、元気の良い店員さんだなぁ」
「……」

ちゃんには及ばないけど、せめてちゃんを護れるくらいにはなりたいと思っていた。
だけど、今のちゃんを見ていると正直辛い。ちゃんは女の子なのに、男装をすると僕よりずっとカッコいいなんて…完璧すぎる。さっきから路行く女の人の視線は全部ちゃんに向けられているし。

「雷蔵?」

別に僕じゃなくてもちゃんに似合う男はいるんじゃないのか?
例えば三郎は6年生にも忍術は劣らない変装天才だし、兵助も真面目で成績優秀。6年生の課題もこなしてしまうくらいだ。ハチは下級生からも慕われているし、すごく面倒見が良い。僕とは違って悩んだりしないし…。

「雷蔵?ねぇ、雷蔵」

いや、同級生だけじゃなくて6年生だって良いんじゃないか?

「らーいーぞーくーん?」

いやいや、それとも―――



雷蔵っ!!!



「うわっ?!」

ちゃんの顔が視界いっぱいに広がっていて、僕は椅子から転げ落ちてしまった。ちゃんは『あ!?』と驚いて転げ落ちた僕に手を差し伸べてくる。

「ごめんね、大丈夫?でも雷蔵が全然私の話を聞いていないみたいだったから……」
「あ……、また僕は話を聞いていたなかったんだね」

何度も治そうとしているのに、僕の悩み癖は治らない。せめてちゃんの前で悩んだりしないようにしたいのに、いつも悩むのはちゃんのことばかり…。

「あはは……、情けないや」

ちゃんの隣に座り直して僕は笑った。本当に情けなくて。
ちゃんは人混みを見つめながら言った。

「雷蔵、本当は今日……一緒に出かけたくなかった?」
「えっ?」

一瞬何を言われたのかわからなくて、僕はポカンと口を開けた。でも意味を直ぐに理解すると首を大きく横に振った。

「そんなことないよ!ちゃんが誘ってくれたとき、すごく嬉しかった」
「本当に?」
「うん、本当だよ」
「……そっか、良かった」

ちゃんは照れたように微笑んで僕を見た。束ねられた黒髪が風で揺れている。

「あのね、雷蔵を誘うのにちょっと緊張してたから、男装のこと言い忘れちゃってたんだ」
「緊張……?」
「だって、私は雷蔵のこと好きだから…断られたら凹むよ」

意外だった。ちゃんがこんな風に僕のことを想ってくれているなんて。

「最近くの一は実習が立て続けに入ってるから、いつ一緒に出られるのかわからなかったの。でも授業はちゃんとしなきゃでしょ?だから練習も兼ねて一緒に出かければ一石二鳥!…って思ったんだけど、やっぱりこれじゃ逢引きっぽくないよね」
「あああ、逢引きっ?!」
「え?あれ?もしかして、逢引きじゃないと思ってた…?」
「え、あ、いやぁ……その」

ちゃんは『やっぱりそうか』と苦笑した。その顔に僕は酷く胸が痛んだ。

「……僕、ずっと考えていたんだ」
「何を?」
ちゃんに相応しい男は僕じゃなくて、もっと他にいるんじゃないかって」
「雷蔵……」

みっともないけれどこれが僕の気持ちだから、話を続ける。

ちゃんは成績優秀で、男装すると男の僕よりずっとカッコいいし」
「ええ?!私、カッコいい?」

心底驚いたみたいにちゃんは大きな目をさらに大きく見開く。

「だって、さっきからちゃんのことを女の人が見てるよ」
「嘘!?え〜〜そうだったの?うわぁ、知らなかったよ」

ちゃんは恥ずかしそうに顔を隠した。すると益々周りの女の人たちは顔を赤くして黄色い悲鳴を上げた。

「告白してくれたのはちゃんの方だったけど、僕の周りの友達の方がずっとすごい人ばかりじゃない?三郎は変装名人の天才、兵助は真面目で優秀、ハチは僕みたいに迷ったりしないし下級生からの信頼もある…」

何だか自分で言っていて悲しくなってきた。僕にはまるで自慢できるようなことが見つからない。

「男になったちゃんにも敵わないんだからさ……」
「なーんだ、そんなことだったの?」
「!」

ちゃんはあっけらかんとして言った。そして僕にずいっと近づく。途端、男の顔だとわかっているのに僕の頬は熱くなった。

「雷蔵はすごいよ」
「僕がすごい?どうして?」
「だって、天才の鉢屋くんも優秀な兵助くんも信頼のある竹谷くんも、みんなあなたのことが好きだから」
「僕を…好き?」
「そうだよ。あなたがすごいと思っている人は、みんなあなたの友達じゃない!雷蔵のことを認めている」

ちゃんに言われて改めて思う。僕の周りにいるすごい人たちは、みんな僕を好いてくれている。仲間だと思ってくれている。

「成績優秀で男装するとカッコいい私も、あなたを選んだ。私があなたを好きでいるのは不満なこと?」
「そんなことない!嬉しいよ、すごく嬉しい。僕も……キミが好きだから…」

ちゃんの笑顔で不安が全部消えていく。心の中が満たされていくのがわかった。僕は本当に今笑えているはずだ。
ちゃんの手をぎゅっと握りしめると、ちゃんも笑顔で握り返してくれる。それが何よりも嬉しい。

「雷蔵は自分のことを謙遜する必要は無いよ。私がたくさん良いところを知っているもの。さっきだって私のことでいろいろ悩んでくれたんでしょう?私はそういう雷蔵だから好きになったのよ」
ちゃん……ありがとう」

幸せに満ちた時間に僕は心から感動していた。けれど…

「きゃあああーー!?」

丁度お団子を運んできた店の女の子が、手を握り合っている僕たちに驚いた。お団子はお盆から落ち、無残にも地面に叩きつけられてしまう。
ちゃんがハッとなった。

「あ!そういえば私は今男なんだった……」

気づいたけれどもう遅い。僕たちの周りには人だかりができていた。しかもみんな珍しいものでも見るかのように興味津津の様子。

「衆道なんて初めて見たよ……」
「きゃああ!何かすごく新鮮!」
「昼間からなんて大胆な……!!」

口々に恥ずかしいことを浴びせられて僕はちゃんを引っ張った。

「行こう!ちゃん!!」
「う、うん!!」

ちゃんの手を引いて僕はひたすら走った。今度はこの手を握ることを躊躇わない。
後ろでちゃんが笑っているのがわかる。

「雷蔵!また一緒に来ようね!」
「うん!楽しみにしてる!!」

僕はまだいろいろ悩んでしまうことがこれからもあるだろう。だけど、そのときはちゃんにちゃんと言うと決めた。ちゃんならきっと僕のことを分かってくれる、それがわかったから。
ちゃんが悩んでいたら、今度は僕が助けてみせる。頼れる男になれるよう、僕は日々精進するんだ。
それから言い忘れたことがあって、僕は振り返った。

ちゃん」
「何?雷蔵」
「キミがもし本当に男だったとしても、僕はきっとちゃんを好きになるよ」
「ばッ、バカ……!!」

そんな風に真っ赤になるキミも大好きなんだ。


2009.01.07 更新