穴の埋め方


とある城の家臣が、忍術学園へ依頼書を送ってきた。その内容は姫の遊び相手をして欲しいというものだった。
この忍務は当初タカ丸にやらせるつもりでいたのだが、タカ丸はどうしても参加しなくてはならない授業と重なってしまったため、代わりにこの少年に白羽の矢が立ったのである。

「―――で……、そなたが代わりに来たという綾部喜八郎か?」
「はい。僕が綾部喜八郎です」

入城した綾部と対面した家臣は、あまりにも愛想の無い綾部に面食らっていた。ここへ来るはずだったタカ丸は、元髪結いで喋るのが得意だと聞いていたので安心していた。けれども、目の前に正座している綾部は表情を少しも変えない。というか、全くの無表情なのだ。これで姫を楽しませる事など出来るのだろうか?
気を取り直して家臣は綾部に質問をした。

「綾部殿、そなたは何が得意だ?」
「穴を掘る事です」
「あ……穴?穴とはいったい……?」
「穴は穴です」

会話が一向に成立しない。家臣は綾部の謎の言動に混乱している。無表情であるため、余計に言葉の真意が読めない。本当に姫が綾部と一緒にいて楽しめるのかが不安になってきた。
しかし、契約もあるためこのまま帰らせるわけにはいかない。思わず溜息が洩れた。

「今回頼みたいのは、姫様の遊び相手である。その前に……、綾部とやら、そなたに話しておかなければならない事がある」
「……何でしょう?」
「姫様はもう5年も自室へ籠りっ放しという生活を送っていらっしゃる。そして、姫様は……片目を失っておいでだ」

綾部は黙って家臣の表情を見ていた。
家臣は俯き、悲しそうに昔に思いを馳せた。

「姫様がお忍びでお出かけなさった際、賊の襲撃に遭ってしまった……。そのとき一緒におられた若様が賊を退治なさったが、時既に遅し……。姫様は右目を斬られてしまった。それ以来、部屋に塞ぎ込むようになられて―――って、どこへ行く?!」

綾部は鋤を背負い直してさっさと立ち上がると、家臣に背を向けた。

「あなたに聞いても仕方がない話しなので、姫に会いに行きます。じゃ」
「は……?」

綾部の飄々とした態度に家臣はポカンと口を開けてしまう。
綾部はさっさと客室を出て行き、姿が見えなくなってしまった。

「全く……。忍術学園の者は皆ああなのか?」

客室に1人残された家臣は再び大きな溜息を吐いた。















「暇だわー……」

有力な領主の娘とあり、姫の自室は広く大量の珍しい調度品が並んでいる。その豪華絢爛な部屋に寝転ぶ黒髪の姫は、天井板に向かって不満を漏らしていた。
姫の片目刀の柄を眼帯代わりにしており、姫の華奢な見た目と反している。柄から斜めにはみ出した頬の刀傷が痛々しい。
ここで障子の向こうから聞きなれない声がした。

「だったら外へ出れば良いじゃないですか」
「!?」

驚いてガバッと起き上り、障子をそろりと開ける。そこには中性的な顔をした見知らぬ少年が立っていた。しかも、背中には使い込まれた鋤を背負っている。
どう見ても怪しい。けれども姫には少年が敵には見えなかった。

(味方とも言えないけれど)

とりあえず姫は少年に問いかけた。

「アンタ誰よ?」
「僕は綾部喜八郎です」
「名前とかそんなんじゃなくて、身分を聞いているのよ。ここはこの城の姫の部屋だってわかってる?」

イライラした風に口を尖らせれば、綾部はこくりと頷いた。

「僕は忍術学園から派遣された忍たまです。姫、外へ出掛けましょう。そして穴を掘りましょう」
「はい?」

意味がわからない。そしてわけがわからない。姫は首を大きく傾げた。
綾部は懐から折り畳まれた文を取り出し、姫に差し出した。姫は文を受け取り、宛名と宛先を見ただけで全てを察知した。

「依頼書……忍術学園……ってことは、あたしを部屋から連れ出そうと家臣たちが計画してアンタを寄越したって事ね?!」
「遊び相手にと言われましたが、本心を言うとそういう事になります」
「余計な事を……!」

姫は形の良い眉を吊り上げて文を廊下に叩きつけた。パン!という良い音が廊下に響く。
ふと、先ほどの綾部の素直な言葉が頭に蘇ってくる。

「あたしが言う事じゃないけど、あたしを外へ連れ出すつもりならもっと上手くやりなさいよね……。忍者の卵とあろう者が本心をバラしてどうするのさ」
「はぁ。今度から気をつけます」

覇気の無い声に姫はなぜだかガクッと脱力した。

「姫、外に出ましょう」
「嫌よ」

姫はキッパリと断り、ふいとそっぽを向く。そして、思い詰めた表情で柄に隠されている右目に触れた。

「見てわかるでしょ?あたしは右目が無いの。良く転ぶし、家臣たちに気を使わせたくないから出ない。アンタもさっさと学園に戻りなさい」
「僕は忍務でここに来ています。それに、僕の依頼主はあなたじゃなくてあなたの家臣です。だから後7日は城にいないと」
「あっそ。だったらそこで穴でも何でも掘れば良いじゃない?!」

姫は綾部を怒鳴りつけ、ピシャリと戸を閉めた。
自分で言った事だというのに、姫の瞳に情けなくて涙が浮かぶ。

(こんな顔で……どうやって外へ出れば良いのよ?……兄様、本当に申し訳ありません……!)

姫は滲み出た滴を拭おうともせず、ただただ零し続けた。
追い出された綾部は戸の前でぼんやりしていたが、やがてくるりと方向転換し、元来た廊下を戻って行った。















綾部と姫が出会ってから次の日の事。
ざっく、ざっく、ざっく、ざっく……という低い音が耳を打つ。
姫は泣き腫らした瞼を開けると、戸をほんの少しだけ開ける。僅かな隙間から見えた奇妙な光景に驚き、思わず戸を全開にしてしまった。

「な、何してんのよアンタ?!」
「何って……、穴掘りです」

『見てわかりませんか?』と言わんばかりに綾部はしれっと答えた。
そう、綾部は姫の部屋の前にある庭で穴を掘っていたのだ。着物を真っ黒にしながら鋤を使って穴を掘る。大きな口を開けた穴と掘ったときに出来た土砂のせいで、桃の花が美しいこの手入れのされた庭が台無しである。
姫は呆れて声も出ないのか、首を力無く横に振った。

「姫が穴を掘っても良いとおっしゃったので掘りました」
「確かにね……。言った事には責任を持つわ。でも、忍務期間中だけよ。忍務が終わったらさっさと帰ってちょうだい」
「ええ、帰りますとも。姫の兄上に挨拶してから帰ります」
「兄様に会ったの?!」

兄の名前を出した途端、姫の目の色が変わったのを綾部は見逃さなかった。 姫は食い入るように綾部の事を見つめた。期待と、それでいて不安が織り交ざった姫の瞳に綾部はこくりと頷いてみせた。
姫は視線を泳がせて気まずそうに言った。

「……その、兄様はどうされていた?」
「別に普通でしたよ。少し怖い顔でした」
「ふふっ、兄様のお顔が怖いのは昔からよ」

綾部が失礼な感想を述べたのに対し、意外な事に姫は不愉快そうにしなかった。むしろ安心したように笑い、目を細めた。眼帯で覆われているのが惜しいくらいである。
綾部は首を傾げた。

「どうして同じ城にいながらお兄さんの様子を聞くんですか?」
「そ……、それは……!」

姫はズバリ指摘されて口籠った。
同じ城で生活していながら、なぜ兄の様子を何も知らないのか?綾部の疑問は最もである。だが、綾部は既にその理由を知っていた。

「城へ来る途中、町で話を聞きました。以前はとても仲の良い兄妹だったと、町人たちも知っていました。そんなにも仲が良い兄妹なのに、なぜ同じ城にいながら様子を知らないのか、僕には理解出来ません」
「…………」

姫はしばしの沈黙の後、再び口を開いた。右目の眼帯に触れながら、悲しそうに顔を歪める。

「あたしは……兄様に息抜きがして欲しかったの。兄様は父様が亡くなってから、お休みされる暇も無かった。あたしが男だったら、兄様の補佐も出来たのに……」

姫は自分にも他人にも厳しい兄を尊敬していた。それと同時に強い責任感と使命感を持つ兄の健康が気になっていた。当時まだ幼かった上に女の身である姫には、兄の健康を祈願する他に何も出来なかった。

「少しでもお休みしていただきたくて……、あたしは兄様を無理に外へ連れ出した」

いつも厳しい兄は、妹にも厳しく接していた。しかしそれは妹を大切に想えばこその事。それには姫も気付いていた。口ではお忍びへと自分を連れ出す姫を咎めたが、まんざらでもない様子だった。

「城の外へ出たとき、兄様は張り詰めた空気から解放されたみたいだった。あたしも、兄様と久しぶりに出かけられてすごく楽しかった。でも……」

姫は今まで見せた表情の中で、1番辛そうに瞳を細めた。唇を噛み、悔しそうに小さな声で絞り出そう様に言った。

「盗賊に襲われて、あたしは人質になってしまった。あたしは兄様が止めるのも聞かず、盗賊から逃げようとして暴れた。兄様の足手纏いになりたくなかったから……」
「そして、盗賊に右目を斬られた」
「そう。あたしは、自分の右目が失明した事は何とも思っていない。けれど……、兄様が周辺諸国に『妹も護れない、妹を失明させた城主』って陰口を叩かれているのが本当に嫌で仕方ない……っ!」

姫は込み上げてくる涙を何度も拭いながら、言葉を何度も詰まらせた。

「あたしの、せいでっ……、兄様が悪く言われてしまって……、本当に申し訳ないっ!こんなあたしじゃ、兄様には……っ、顔向け出来ないわ……!!」

涙を流して顔を覆う姫に、黙っていた綾部がようやく口を開いた。それは姫と比べて何の感情も込められていないような声だった。

「誰が悪いって、言うまでもなくあなたを斬った盗賊が悪いに決まっているじゃないですか。よくもまぁそんなに責任転嫁出来ますね」
「なっ?!」

予想していなかった言葉に姫は目を大きく見開いて顔を上げた。視界に入った綾部は、じっとこちらを見つめている。姫は首を大きく振って綾部の言葉を否定した。

「でも、あたしが悪いのよ!あたしが……外へ誘ったりしたから、あたしが悪いから……、だから兄様はあたしの事を避けるのよ!それが何よりの証拠じゃない?!」

姫は、蔭口の原因を作った自分を兄が許すはずがないと思っている。実際に兄からは避けられるようになっていった。食事だけは一緒にとっていたというのに、その時間にさえ兄は姿を見せなくなっていた。
兄に避けられ、兄の視界に入らない事だけ専念するようになった。姫は自室へ引き籠り、兄に対する罪悪感を日々募らせていたのである。
訴える姫を尻目に、綾部はくるりと背を向けた。穴掘りで黒く汚れてい意外と広い背中に、姫は兄の背中を思い浮かべた。

「姫、今の言葉は僕の意見ではありません」
「え……?」
「町の人たちが言っていました」





『誰が悪いって、言うまでもなくあなたを斬った盗賊が悪いに決まっているじゃないですか』





「町で、あなたや城主を責める者など誰もいませんでした」
「だ……だけど……」

姫は納得出来ないらしく困惑している。
綾部は掘りかけの穴の中に飛び込むと、再び鋤を動かした。ざっく、ざっくという土を削る音が聞こえ出し、ハッとなった姫は顔を赤くして憤怒する。

(何よコイツ……、何がしたいのか全然わからない!!)

熱が顔に集まっていき、姫は一方的に綾部の背中に怒りをぶつけた。

「アンタはそうやって穴でも掘っていれば良いのよ!あたしも、このままずっと部屋で生きていけば良い!そうなんでしょ?!」

綾部は姫の叫びに答えず、ただひたすら穴を掘る事に没頭していた。姫はその態度に拳を握ったが、そのまま部屋へと再び引き籠ってしまった。
綾部はそれでも振り返る事も無く、無心で掘り続けた。姫の耳には朝も昼も夜も、ずっと綾部の穴を掘る音だけが響いていた。
















ついに忍務終了の7日目がやって来た。
この日も朝からずっと綾部は穴を掘っているらしく、ざっく、ざっくという既に聞き慣れてしまった音が姫の部屋に届いた。

(結局ずっと今日まで穴を掘ってた……。何で穴ばっかり掘ってるのよ?頭どうかしてるんじゃない……?)

あの日、戸を閉めてから姫は1度も庭を見ていない。けれども想像するに、きっと庭は穴だらけなのだろう。いったい何が面白くてそんなに穴を掘っているのかがわからない。
夕方、赤い太陽が締め切られた部屋を染める頃、ようやく穴を掘る音が止まった。
スッと戸の前に人影が出来、姫は綾部の存在を感じた。しかし、戸を開ける事はしなかった。

「……何よ?」

ぶっきらぼうにそう問いかけると、綾部は相変わらず感情の読めない声で言った。

「時間なので学園に戻ります。穴、使ったらちゃんと埋めてくださいね」
「はぁ?!」

自分で勝手に掘っておきながら何を言い出すのかと、再び綾部に対して怒りが湧き上がってくる。
姫は戸の向こうにいる綾部を怒鳴った。

「そんな穴なんて使わないし、埋めるなんて自分でやりなさいよね!」
「姫」
「な、何よ……?」

綾部は普段よりもワントーン低い声で姫の名前を呼んだ。

「僕は学園でも穴を掘っています」

何を言い出すのかと身構えていた姫は、ガクッと姫は項垂れた。

「それが……?」
「僕は掘った後に穴を埋める事にしています。でも、埋め忘れたりする事もときどきあります」





ぽっかりと開いた穴。





穴は埋めなければ、穴のままです





「……綾部、あたしに説教するつもり?」
「いいえ。ただ僕は、穴の埋め方を言っただけです」

綾部がいったい何を言いたいのか、姫にはわかっていた。しかし腑に落ちないのである。

「姫、僕はこれで失礼します」
「はいはい……、御苦労様でした」

綾部の足音が自室から遠ざかり完全にいなくなった事を感じると、姫は戸を開けた。
美しく整えられた庭園には、意外な事にあれだけ掘る音がしていたにも関わらず、穴は1つだけしか無い。庭に降りてその穴を覗くと、湿った土の匂いがした。

「はぁ……。使えって、こんなものどうすりゃ良いのよ?…………ん?」

姫は穴を見つめている内にある事に気付いた。
ただの穴にしては入り口が広い。人間が1人か2人は十分に入れる。そしてとても深く、2メートルはあるだろう。だが、それ以上におかしいのは―――

「風が……、吹いている……?」

穴から湿った風が吹いている事だ。姫の黒髪を揺らし、確かに穴の中から風を感じるのだ。
不思議に思った姫は、豪華な打ち掛けをその場に脱ぎ捨てて穴の中に飛び込んだ。ご丁寧にも草や葉が敷き詰められており、衝撃は僅かなものだった。

(……つか、これって庭の草木じゃない?)

庭師は今頃泣いているだろう。
穴の底には人が四つん這いで通り抜けられるくらいの横穴が開いている。

「風はここから吹いていたのね……」

姫は高価な着物が汚れる事も気にせず、横穴へ両手両膝をついて前進した。時々片目のせいで距離感が掴めずぶつかったが、土の壁は柔らかい。
薄暗い穴はまるで姫の今の心のようだ。

(こんなに泥だらけに汚れて、兄様が見たら何て言うかな……)

きっと怒るに決まっていると姫は苦笑した。
横穴が突き当たりにぶつかって、姫は上を見上げた。夕焼け空が狭い穴から顔を覗かせている。
縦穴の壁には厚い木の板が一定の間隔を開けて上へと突き刺さっている。それは梯子のような足場だ。

(まさかこれも庭の木……じゃないよね?)

姫は突き出た板に草履を脱いで汚れた素足を足場に掛け、上へと登って行く。
穴からひょっこりと顔を出してみれば、見覚えのある光景がそこには広がっていた。

「こ……、ここは……?!」





姫も良く知っている場所。





兄の自室の前にある庭だった。





「いったいそこにいるのは誰だ?」

姫の背後から低い男の声が聞こえ、鳥肌が立った。
振り返らなくてもそれが誰なのかはわかっている。1番姫が理解している。

「穴から頭だけ出して、いったい何者―――お前、まさか……?!」
「兄様……!!」

姫は穴から一気に這い出ると、土まみれのままで男―――兄の胸に飛び込んだ。兄は持っていた大切な書類全てをその場に落としてしまったが、5年振りに見る妹を強く抱き締め返した。

「兄様……!ずっとお逢いしたかった……っ!」
「うつけが!なぜ我の元へ来なかったのだ……?!」
「だって……、右目が……」

姫は涙を流して何度も謝罪を繰り返した。

「ごめんなさい、ごめんなさい……!兄様の足手纏いになってしまって、兄様が悪く言われて……!全部あたしが―――」
「何を申すか!!」
「?!」

兄は強く強く姫の細い肩を抱き締める。
あの強く厳しい兄の声が震えているのに気付いて、姫は息を飲んだ。

「あのとき……力が傍にいながら力及ばず、お前の目を失わせたのは我だ。我の事を……、怨んでいるのだろう?この情けない兄に、さぞや失望しただろう?」

姫は驚いて叫んだ。

「そのような事はありません!兄様を怨んだり情けなく思ったりするなどありえません!あたしは……、兄様を誇りに思っています。これからもそれは変わりません……!」
「……、そうか…………」

そう呟いた兄は心底安心したかのように力を抜いて、泣きじゃくる妹の顔を覗き込んだ。

「我はこれからもっと強くなり、お前とこの国を護っていく。力を貸してくれぬか?」
「もちろんです!兄様、あたしも全力でお力添えしていきます」

今までの長い誤解が解けた瞬間である。兄も姫も心から安堵する事が出来た。

「ところで、お前はなぜ穴から出て来たのだ?というか、どうしてこんなところに穴がある?」

兄の問いかけに、はたと動きが止まった。
姫はこの穴を掘った少年の事を思い出す。そして、こう言った。

「兄様、早馬を用意してください」
「なぜだ?」

にっこりと満面の笑顔で兄の質問に答える姫。

「あたしの遊び相手をして欲しい人がいるんです」


更新日時不明