いわずもがな


忍たま同様、くの一教室の朝も早い。今朝からくの一教室に多くのくのたまたちが集まっている。
普段は各自で自主練をするのだけれど、今回は昨晩の諜報先である城での反省会だ。あたしは正直この反省会に参加したくない……。というのも、昨晩あたしのグループはあたしのせいで失敗をしてしまったのだ。
結果的に大きなミスにはならなかったのが、不幸中の幸い。でも、ミスはミス。不注意は不注意。若くて厳しい山本シナ先生に大目玉食らうのは間違い無いだろう。その事を考えると憂欝で仕方がない。

「おはよ〜」
「おはよ……」
「元気出しなよ〜。昨夜の事は皆怒ってないし」
「シナ先生は怒ってるでしょ」
「うー、それを言われるとねぇ……」

やっぱりシナ先生は皆怖いんだ。やっぱりそうよね……。
友達は焦りながらも、にこりと微妙な笑顔を見せる。

「でも、シナ先生は後に引きずったりしない人でしょ?安藤先生みたいにぐちぐち掘り返してこないからマシだよ」
「うん、そう思う様にする……。ありがとね」

安藤先生にぐちぐち文句を言われ続けるよりは、確かにマシな話。怒られるのは怖いけど、あたしの事を思って叱ってくれるのは理解している。
だけど、どうしても言われて辛い事があった。
















今朝の反省会を引きずってしまい、座学は上の空となってしまった。シナ先生も流石にあたしが落ち込んでいるのを感じ取ったのか、授業中何も咎めたりしないでくれた。その気遣いも、今のあたしには結構凹む要素なわけで……。
昼食を済ませ、あてもなくとぼとぼ廊下を歩いていると、大きな野獣の叫び声が聞こえてきた。驚いて叫び声が聞こえる方を見ると、そこには確かに野獣たちがいた。

「いっつもお前を見るとイライラするんだよ!!このヘタレ野郎!!」
「うるせー!!アヒル野郎になんざ言われたくねぇよ!!」
「やるか?!」
「やらいでか!!」

……やっぱりあの2人だった。懲りもせずよくもまぁこんなに喧嘩出来るものだと感心してしまう。
食満の回し蹴りを文次郎が右腕で受け流した。そこから、文次郎は遊ばせておいた左腕を突き上げた。食満の顎にその拳が食い込む。ギンギンに忍者しているだけあって、文次郎の体術はすごい。でも、食満も負けていない。殴られても、切れ長の瞳だけは文次郎をずっと追っている。

「てめぇにだけは絶対に負けないからなッ!」
「オレだって、文次郎になんかにはやらん!」
「勝手にお前の物にするんじゃねぇ!!」

会話からして、何かを取り合っているみたい。

「またやっているのか」
「仙蔵」

いつの間にか仙蔵が背後に立っていた。綺麗な黒髪を靡かせてあたしの隣に並ぶと、呆れたように溜息を吐いた。その気持ちはわからなくもない。

「あの2人はいつもああだな。良く飽きないものだ」
「それはそうね」
「止めないのか?」

仙蔵はしっとりとした笑みを浮かべてあたしを見ている。あたしの性格を知っているからそう言うのだろう。あたしは昔から争いは好まない。それは、学園に入学する前から変わっていない考え方だ。
だけど、仙蔵の笑みは含みがある。別の動機を期待している目だ。
これは……バレてるっぽい。

「あたしはそんなに暇してないの。ま、一応鍛錬になってるんじゃない?それに、今日はちょっと違うみたいだから」
「違うとは?」

仙蔵があたしの意外な答えに首を傾げる。サラッとした黒髪が肩を滑った。
あたしの視線にいる文次郎は、様子が違う気がする。だけど上手く説明出来なくて、あたしは沈黙した。仙蔵はあたしの言葉を待っていたけれど、やがてさっきと同じ溜息を吐いた。

「お前も飽きずに良く見ているものだ」
「ウルサイな!」

ギロッと睨んでも、仙蔵はただ笑うだけだった。綺麗な顔をしている分だけ、余計に腹が立ってくる。わかってる、自分でも顔が熱くなっているという事を。
あたしは、文次郎の事が好きだ。鍛錬バカだし、忍者バカだし、直ぐ喧嘩するし、乙女心をちっとも理解出来ないヤツだけど―――って、なーんかこの言い方だと文次郎に良いところが無いみたい……。そして、その文次郎が好きなあたしまで変なヤツみたいだわ。
とにかく、あたしは文次郎が好きだ。仙蔵が言うように、文次郎を観察するのが趣味って感じなくらい。文次郎を見ているのは全く飽きない。会計委員長をしているときは厳しいけれど、不器用な優しさを持っていると思う。

「言わないのか?」
「……何を?」
「決まっている。が文次郎を好いているという事だ」
「言わないよ」
「即答とはな」

あたしがキッパリそう答えれば、意外そうに仙蔵は目をぱちりと瞬いた。

「文次郎がギンギンに忍者してるのは、誰もが知ってるわよ」
「忍者の三禁か」
「そういう事」

忍者の三禁を重んじる文次郎を困らせたく無いし、三禁を破ろうとするあたしを、文次郎は良く思わないだろう。
あたしはあたしで、くの一を目指している。なるべく心乱れるような事はしたくない。ただでさえ、最近は失敗続きなんだから。
文次郎はなんとなく、あたしの事を好きでいてくれているんじゃないかと思う。これは自惚れではないつもりだ。でも、ハッキリしないのが恋愛感情なのかどうかだ。

「お、終わったみたいだぞ」

仙蔵の声に再び庭を見れば、食満も文次郎もボロボロの格好だ。文次郎は鼻血を垂らし、手の甲が斬れて赤い血が滲んでいた。全く……毎回こっちがどんな気持ちでいると思っているんだ。
喧嘩自体は止まったけれど、まだ不毛な言い争いをしている。お互いに何か捨て台詞を吐いて、ようやくあたしたちの存在に文次郎が気付いた。あたしを見た後、隣にいる仙蔵を見てクマのある顔がびっくりしていた。突進する猪みたいに、あたしたち方へ走って来た。

「文次郎、何をそんなに慌てている?」
「うるせーよ。おい、
「えっ?はい?」
「保健室に行くから、手当してくれ」

ぐいっと手首を掴まれてしまい、あたしは挙動不審になってしまう。触れたところから新しい熱が生まれて、顔が熱くなってしまうじゃない……!
変に思われたくないのに、感情を上手くコントロール出来ない。

「あ、あたしが?」
「今日は伊作が使いに出てていねぇんだよ」

あー、なんだそういう事か。
でも、文次郎があたしを頼ってくれたのが嬉しい。
半ば強制的に保健室へ連れて行かれる。保健室は相変わらず薬臭かった。新しい薬でも煎じたのか、臭いがさらに濃くなった気がする。

「そこに座ってて。直ぐに薬準備するから」
「ああ」

文次郎は適当な場所に胡坐を掻いて座った。その文次郎の背を向けて、あたしは薬棚を探る。
実は1年前に保健委員をやっていた。結構不運と言えば不運だったんだけれど、食満と同じくプチ不運ってヤツだから、保健委員を長く続けずに済んだというわけ。
この薬棚には、実は文次郎専用の切り傷の薬があったりする。これはあたしが保健委員をしていた当時、実家のある村の特産品の薬。文次郎の怪我が早く治るようにと、実家から送ってもらっているものだ。
粉になっている薬を水で少し溶いて、文次郎の傷口に当てて包帯を巻く。少し染みたのか、文次郎がくっと口の端を持ち上げたのが見えた。
保健委員をしていた事は、文次郎が怪我をしてもあたしは手当をしなかった。あの当時はどうやって文次郎に接すれば良いのかわからず、結局伊作や新野先生に任せていた。せめて文次郎の力になれるよう、こっそりと薬だけは準備していた。もちろん本人には内緒にしている。恥ずかしいし、言うほどの事でもないだろうし。

「これで良し、と」
「何で殴り合ってたのか、お前は聞かないんだな」
「伊作にはいつも責められるの?」
「まぁな」

確かに薬代とか包帯とか、余計な費用が掛るもんね。それで予算くれないんだったら、文句も言いたくなる伊作の気持ちはわかるな。

「だって、今日の文次郎は何かおかしかったから」
「おかしい?」
「何となく、真剣な事だったんだと思ったの。それだけよ。あたしだって伊作と同じで、怪我はして欲しくないし」

庭で見た文次郎は、いつものくだらない事で喧嘩しているのとは違う気がした。やっぱりその理由を上手く説明出来ないけれど、文次郎の変化には良く気付いていると思う。

「……」

文次郎は珍しく呆けた顔になって、それからじっとあたしが巻いた包帯に目を落とす。何か気に触るような事でも言った……?

「お前、怪我をしたりするか?」
「何でよ?」
「前から思っていたが、この薬はの村で作っている薬だな」
「え?!知ってたの……?」

それと、あたしが怪我をする事とどういう関係があるの?

「小松田さんに包みを受け取っているのを見た」

あの袋、バッチリ薬って書いてあるもんね……。

「でも、良く考えるとは毎回怪我をしたりしねぇだろ?毎度毎度薬を送ってくる必要も無い。なら、保健室に置いてあると思うのが自然だ。そして、オレが傷を作ると出されるのがこの薬だ。この袋に入った、な」
「え……えーっと……」

これって色々マズくない?いやいや、どうマズいかって言われるとわからないけどさ。
文次郎って結構わかってるところあるな……。流石、ギンギンに忍者してるだけあるわね!

「それと、だ」
「こ、今度は何?!」
「お前こそ何かあっただろ?」
「!」

それは、やっぱり今朝の事なわけで。

「……言いたくないなら、別に言わなくて良い」

文次郎はそう言って、ポンと軽く頭に手を乗せてきた。視線は合わせてくれないけれど、温かくて包み込んでくれるような優しさを感じる。そんな事をされたら、口が自然と緩んでしまうじゃないか。

「文次郎は呆れるかもしれないけどね、あたし……」
「ああ」

顔は上げられなかった。これから言うあたしの話で、文次郎の顔が曇るのは嫌だったから。

「昨晩の実習で、失敗しちゃったの……。忍び込んだお城の中で、具合が悪そうにしている人がいてさ」
「助けたのか?」
「そう。休めそうな部屋に送ったら、敵に見つかっちゃって…………」

結果として目的の巻物は回収出来たけれど、敵に追い詰められてたくさん仲間に迷惑を掛けてしまった。思い出すと、情けなくて胸が苦しくなってくる。

「そういう事が結構あるの。友達にもシナ先生にも『くの一に向いていない』って言われちゃうし、その通りだしわかってるつもりだけれど……。いつもいつも言われると、流石にまいちゃったわ」

忍務は非情に振舞わなければならないときがある。感情を殺して、忍務遂行だけを目指さなければ、仲間まで危険に晒してしまう。取り返しがつかない事も多い。





あなたはくの一に向いていない、優し過ぎるところがあるわ。





危なく捕まるところだったじゃない!もっと周りを見てよ!






頭に木霊する言葉は全て正論だ。言い返せないし、言い返すつもりも無い。
しかし、文次郎の次の言葉は予想もしないものだった。

「それでも、お前はくの一になるんだろ?」
「え……?」
「だったら目指せば良いじゃねぇか。自分が思うくの一に、はなれば良い」
「文次郎、怒らないの?」
「はぁ?何を怒るってんだよ」
「だって、だって……、忍者の三禁を破ってる」

色という、優しさだ。

「軟弱な弱音を吐いてる。こんなの、文次郎は嫌でしょ……?」

文次郎はケロッとした様子だ。それに、少し笑っている。

が周りを良く見れば住む事だ。忍務中に人を助けたり情を見せるときは、1人じゃなくて誰かを頼れ。1人で何でもしようとするな」
「うん……わかった」

文次郎の言う通りだった。あたしの失敗は、ただ情に流されたからじゃない。1人でそれを全部しようとしてしまったからだ。仲間がいるなら、仲間に相談すれば良かったんだ。
苦しかった気持ちが、一気に消えていくのを感じる。文次郎から貰った言葉が、暗雲をすっかり晴らしてしまった。

「ありがとう、文次郎!」

今まで否定されてきたあたしのくの一への道は、この人によってまた歩き出せる。
笑顔でお礼を言ったら、文次郎は『うッ!』と喉を詰まらせてしまった。何よ、その反応は。

「も、もうそろそろ授業が始まる頃じゃないか?!」
「確かにそうだったわね」
「なら、さっさと行くぞ……!」
「あ……」

ガバッと文次郎がいきなり立ち上がって、保健室の戸に手を掛けた。
そんなに急がなくても良いのに。もっと一緒にいたいよ。

「文次郎、本当に色々ありがと。あたしの事良くわかってるじゃん!」

照れ隠しの冗談のつもりでそう背中に投げかけたら、文次郎は一瞬だけ動きを止める。それから振り返らずに大声で吐き出した。





見ているのが、お前だけと思うなよ!!





どうやら、冗談は冗談じゃなくなったらしい。

「な……、なんつー事を……言っ、て……!」

あたしは赤くなった顔を押さえるのに必死で、次の授業に遅れてしまいそうだ。後で絶対に文句言ってやるんだから!


2011.08.10 更新