初めての恋


休日、オレは町に出てある店を回って歩いている。オレが回って歩く店と言えば、豆腐屋しかありえない。オレが心から好きなのは、あの新雪のように白くて柔らかな豆腐だけだ。
豆腐の質の向上のためだったらオレは何でもする。だから、オレの懐には常に豆腐に関する研究書が入っているのだ。この研究書を作ったのはもちろんオレで、今まで食べ歩いてきた豆腐の味や質に関して書かれている。豆腐を実際に学園に持ち帰って、食堂のおばちゃんに意見を聞かせてもらったりと、プロの視線から見た事もまとめてある。
豆腐にはいつも美味しさと幸せを貰っているから、豆腐がより良い物になってくれるように行動している。
というわけで、今日もオレは町へと繰り出した。何件か豆腐屋を回った後、いつも最後に行きつけの豆腐屋に立ち寄る。暖簾を潜ると、オレの大好きな豆腐の匂いが広がっていた。

「おお、坊主!またうちの豆腐を食べに来てくれたのか?」
「はい!今のところ、ここ以上に美味しい豆腐は売っていませんので」
「ははは!そうかいそうかい。それなら、いつまでも坊主が通ってくれるような豆腐を作り続けねぇとな!」

すっかり常連客となったオレは木綿と絹を一丁ずつ頼み、水の張った桶の中に入れてもらった。まるで宝物が入っているみたいに嬉しくなる。
挨拶をして店を出ようとしたら、店に1人のお客が入って来た。オレと同じ年頃で、明るい橙色の着物に紺色の前掛けをつけている。前掛けには茶という文字が丸で囲まれていた。くりっと大きい目のその女の子の事は、どこかで見覚えがあるような気がした。

「おじさーん!豆乳あるかな?」
「あるぞー、出来たばかりの奴がな。持って行くといい。いつも美味しいお茶を飲ませてもらっているしな」
「いつもありがとうございます!」

元気な声でお礼を言う女の子の視線がオレとぶつかる。という事は、オレはずっとこの子を見ていたっていう事か……。何だか気まずくて視線を外そうとしたのだが、女の子は『ああッ?!』と驚いた顔でオレに近づいた。怒らせるほどオレは見ていたのだろうか?

「あなた、もしかしていつもこのお豆腐屋さんに通っている人?」
「えっと、いつもって……」

何だか話が読めない。

「私、このお豆腐屋のお向かいにある茶店の娘なんだ」
「ああ、それで見覚えがあると思った」

どこかで見たことがあると思ったら、向かいの茶屋の子だったのか。毎回通っているオレの姿もきっと見られていたんだろう。それはそれで何だか恥ずかしい気もするが……。
女の子はにっこりと普段お客に見せているよりも可愛い顔で笑った。

「私は。あなたは?」
「久々知兵助」
「じゃあこれから久々知くんって呼ぶね!」
「え?」

はぎゅっとオレの手を握って懇願するようにこう言った。

「お豆腐が大好きな久々知くんにお願いします!どうか、私の豆乳入りお菓子の試作品を食べてください!」
「何だか、話が読めないんだが?」

は『実はね』と困ったように眉を寄せる。

「今、このお豆腐屋さんの豆乳でお菓子を作ろうと思ってるんだけど、ちっとも美味しいのが出来ないの。豆乳とお菓子のバランスとか、味見して私にどこがおかしいのか教えて欲しいんだ。久々知くんはここら辺で有名なお豆腐好きだし、研究もしてるって聞いたから……」

いつの間にオレはそんな有名人になったんだろうか。別に目立つような事なんてしていないはずなのに。
の申し出は唐突だったけれど、オレにとっても得るものはありそうだ。豆腐を作る過程で出来る豆乳も大好きだし、豆乳入りの菓子だなんて素晴らしいじゃないか!

「オレで良かったら協力するよ。オレも豆乳入りの菓子を食べてみたいしさ」
「本当?!嬉しい!ありがとう!」

はオレの承諾に眩しい笑みを浮かべた。背景には花が見えそうなくらい喜んでくれている。そんな顔をされると、オレも思わずその笑顔が伝染してしまう。
素直で明るい女の子。それが、への最初の印象だった。














行きつけの豆腐屋で出会った日から、オレは茶屋の台所での豆乳入りの菓子を試食する事になった。毎日ってわけにはいかないけれど、学園からは割と近いので週に何回か通っている。
豆乳についての研究はしていなかったけれど、それでも豆腐が作られる過程で生まれるので、メモに残してあった。オレの助言を元にしながらは熱心に菓子作りに励む。
そして、最初に出来た試作品は、豆乳で煮詰めた餡を使ったおはぎだった。緊張した顔ではオレが食べるところをじーっと見つめている。

「なぁ……、そんなに見つめられると食べ難いんだが」
「え?あっ、ごめんね!」
「だからって、思い切り顔を逸らさなくても良いだろ」
「えっと……じゃあ、斜めの角度で―――」
「もういい。普通にしててくれ。それじゃ、食べるぞ」
「どうぞ!」

おはぎを箸で真っ二つに割ると、その片方を口に頬張る。もち米は口内でぐちゃぐちゃに引っ付いたりしない程度に練り上げられているし、もち米の感触が程良く伝わってくる。餡はおはぎにしては珍しいこし餡だった。丁寧にすり潰してあって、もち米の感触を消さないようにしてあるのだろう。だが……。

「餡の中に混ぜた豆乳だが、餡には入れない方が良いと思うぞ。餡の色が白っぽくなって、見た目が悪い。それに、入れ過ぎているみたいだ。これじゃ小豆の風味を消してしまっている」
「…………」

はオレの言葉に黙ってしまった。
もしかして、いつもの癖で言い過ぎたか?
オレ自身はそう思っていないけれど、どうやらオレの発言は刺々しいようだ。そういう風に意識して言った事は無いんだが……。
次に何て言おうか迷っていると、は残りの半分のおはぎを摘まんで口に入れた。それから神妙な顔つきに変わり、もごもごと口の中でおはぎを転がす。それを飲み下すと深く頷いた。

「やっぱりそうだよね、久々知くんの言う通り。私もそう思っていたところなの」
「え?」
「お父さんとお母さんにも食べてもらったんだけどね、『美味しい』って言うだけでさ……。ちっともこだわりを感じない感想しかくれないんだよ」

そう言いながら、むくれたは今回のおはぎの結果をメモしていく。
確かにこだわりの無い人にとっては、酷い失敗でもしていない限り菓子は何でも美味しいのかもしれない。……って、ちょっと待てよ?

「茶屋の主人が新作の菓子にこだわらなくてどうするんだよ?」

茶屋にはお茶と一緒に菓子も出される。その菓子に対して味や素材にこだわらないっていうのもおかしな話だ。
はきょとんとして、それから頬を赤く染めてはにかんだ。

「だって、このお菓子はお店に出すやつじゃないから……」
「そうなのか?オレはてっきり店に出すんだとばかり思ってた」

豆腐の研究をしているオレを呼び止めるくらいだから、新作の菓子として店に出すのかと思っていたが違ったらしい。
それならなぜ豆乳入りの菓子を作っているんだろう?

「今度はこっちのも食べてみて!」
「あ、ああ……わかった」
「こっちは結構自信作なんだよ」

が新しい皿を差し出し、オレの疑問は喉奥へと飲み込まれ、代わりに甘い豆乳の菓子が放り込まれた。
それからいくつかの菓子を試食したが、まだこの中で完璧と言える物は無かった。はせっせとメモを取り、ああでもないこうでもないと考え込む。その姿は豆腐を研究しているときのオレみたいに思えて、少し笑えた。

「ん?何かおかしい?」
「いや、オレも良くそうやって豆腐の事で考えるから」
「そうなんだ。私もお菓子の事になるとつい熱くなっちゃうんだよ」
「そうか」
「私たち、何だか似てるね」

親近感を抱いたがにこりと微笑む。の笑顔がオレの胸に染みる様な気がした。不思議と温かい気持ちになれる。

「久々知くんの事は前から知ってたよ」
「やっぱり豆腐を買いに来る常連だったから?」
「それもあったけれど、お豆腐屋のおじさんがね、『あんなに美味しいって素直に表現する子は初めてだ』って褒めてた。お店を開いている以上、美味しいお豆腐を提供するのは当たり前だから、お礼を言ってくれる人も少なくなってきちゃったみたい……。久々知くんみたいに美味しいって言ってくれる人がいるから頑張ってお豆腐が作れるって、おじさん喜んでたよ」
「オレは別に普通に美味しかったからそう言ってるだけなんだけどな」
「そうやって自然に言えるのが良いんだよ。そういうところ、私好きだな」
「そ、そうか……」

何だか照れくさくなって視線を泳がせてしまった。自身は結構恥ずかしい事を面と向かって言っているのだが、気付いていないらしくきょとんとしている。
おかしい。なぜか胸が熱くなって、ついに全身が火照ってくる。指先がピリピリ痺れるみたいだ。
それからしばらくと他愛もない話を続けたが、その間もずっと落ちつかない。こんな事今まで無かった。忍術学園は女子と男子が分かれて生活しているものの、顔を合わせる事が無いわけじゃない。同年代の女の子と話もする。けれど、の前だと妙に緊張している自分がいた。

「オレ……、そろそろ帰るな」
「え?ああ、もうこんなに日が暮れちゃってたんだね」

戸を開けて外を眺めるの背中がやけに小さく感じた。

「また来るよ」
「うん、待ってるね」

帰り道。沈みゆく夕陽に赤く染まった大和の笑みが、いつまでも脳裏に焼きついていた。















「なぁ、兵助ってその子の事が好きなんじゃない?」

勘右衛門の発言にオレは持っていた筆をころりと机の上に落としてしまった。せっかくやり終えた宿題が真っ黒な墨で汚れていく事にも反応出来ず、ただ茫然としてしまった。

「わ!?兵助、宿題が墨で汚れてるぞ?!」

慌てた勘右衛門がオレの変わりにごしごしと乱暴に半紙で擦るが、ただ黒い色が広がっただけだった。ようやく我に返って頭を抱える。

「せっかくやった宿題が……」
「だって、まさか図星だったとは思わなかったし」
「図星って……?」
「おいおいおい」

勘右衛門は呆れたようにオレを見つめる。何かおかしな事でも言っただろうか?

「兵助が通ってる茶屋の女の子の事。えっと、ちゃんだっけ?その子が好きなんじゃないかって話だよ」
「誰が?」
「オレが好いているように思えるのか、兵助くんは」

呆れるを通り越して苦笑いを浮かべた勘右衛門は勝手に話を進めていく。

「しかし……ついに兵助にも春が来たとはねぇ。普段はくのたまのアタックにも動じない様子だったのにさ」
「別にオレはに動じてるわけじゃない」

ようやく勘右衛門の言いたい事を理解して溜息を吐いた。
大和は確かに明るくて素直で良い子だ。だけど、オレが彼女の元へ通っているのは頼まれたからであって、それ以上の事があるはずない。
……妙に緊張するところはなぞだけど。

「兵助はちゃんの事話すとき、いつも豆腐食べているとき以上に嬉しそうな顔してるぞ」
「それは勘右衛門の勘違いだ」
「そんな事言ってても良いの?」
「どういう意味だよ」

途端に勘右衛門の表情が神妙なもの変わる。

「だってさ、ちゃんってそのお菓子を誰かのために作っているように思えるから」
「誰か……?」
「そ」

確かに自身が店に出すつもりは無いと言っていた事を思い出す。店に出さない菓子にこだわって作っているのは、オレみたいに熱心に好きな事を追及しているからなんじゃないか?

「菓子作るのが好きだって言ってたぞ」
「恥ずかしがるような要素も無いのに赤くなるのか?」
「……」

あのとき、はオレにはにかんで笑った。頬が赤く染まっているのを今でも良く覚えている。
じゃあ何か?あれは、好きな人の事を思っていたからか?だから赤くなったのか?
沸々と悔しい気持ちが湧き上がってくる。何だこれ……?

「兵助、眉間に皺出来てる」
「……勘右衛門」
「何?」
「オレ、が好きみたいだ」
「うん、知ってる」

勘右衛門はオレ以上にオレの事が良くわかってみたいだった。

「兵助の初恋かー。ま、当たって砕けても後悔しないようにな」
「砕けるって……」
「だって、その可能性は否定出来ないだろ?」
「う……」

あのときのの表情は、やっぱりそういう事だったんだろうか?好きな人に美味しい菓子を食べてもらいたい。その一心でオレに協力を頼んだのだとしたら……。そう考えると妙に寂しい気持ちになった。前はの事を考えると温かい気持ちになれたのに。

「……今日、行くから聞いてみる」
「ああ、そうしろよ。頑張れ!」

何を頑張れって言うのか良くわからなかったが、とにかくオレは外出届を貰い、急いでの元へ走った。いつも以上に道が長く感じられて、オレは必死に足を動かした。町に一歩近づく度に大和との別れも近くなるような不安が津波のように押し寄せてくる。それを振り払って、オレは茶屋の前で掃除をしているに声をかけた。

!」
「久々知くん?!今日はやけに早いんだね、どうしたの?」

驚くのは無理も無い。普段ここへ来るときは大抵昼過ぎだからだ。しかもここまで全力疾走で来た日なんて無い。

「待ってて、今お水を……」
「行くな」
「久々知くん?」

オレはの腕を掴んで引き止める。初めて触れたの腕は、思っていた以上に細くて柔らかかった。

「聞きたい事が……あって今日はここに来た」
「聞きたい事?」
「ああ……」

ここでは人目もあるので、オレは店の裏に大和を連れて行く。そして改めてと向き合った。は相変わらず首を傾げてしまっている。

、豆乳入りの菓子の事だけど、もしかして……誰かのために作っているのか?」
「えっ?!」

パッと一瞬にして顔が赤く染まった。これは、間違いなく『はい』の意味だ。

「あの……、ごめんなさい。言ってなかった?」
「ああ……」

突き刺さるの態度にそう返事をするだけで精一杯だ。オレの初恋は、勘右衛門の言う通り砕け散ってしまった。
は少々俯き加減に答えた。

「あのね、初めて好きになった人がここへ来るから、そのときに渡したいと思って……。その人は豆乳が好きだったから、お菓子に使ったらどうかと思ったの」

オレが今まで協力してきたのは、気付いていなかったけれど、の笑顔が見たかったからだ。そして、はオレの知らない誰かの笑顔を見たいがためだろう。
オレは自分が道化にでも成り下がった気がして、胸が張り裂けそうだった。けれど、最後くらいはちゃんと言いたい。砕けるのならちゃんと砂になるまで砕けてしまえばいい。
俯いているの肩を掴んで正面を向かせると、が驚き目を丸くした。


「は、はい?」
「オレ、の事が好きだった」
「え……?えぇえええ?!」

さらにの目が丸く見開かれた。しかもさらに真っ赤な顔になる。こんな顔もするんだと思いながら、オレは口を開く。

「だからオレはもうここへは来ない」
「ど……、どうして?」
「お前に好きな人がいるなら、情けない話だけれど、応援出来ない。だから……、もうここへは来ない」

自分で言ってて本当に情けない。だが、これがオレの素直な気持ちだ。オレの気持ちが露見した今、オレがここにいたらに迷惑がかかる。……って事は、もう豆腐屋にも通えないわけだが、それでも悔いは無い。
は赤かった顔をサーっと青くさせて今度は泣き出しそうな顔になる。

「や……、どうしてそんな事……っ」
「どうしても何も、お前には好きな人が―――」
「私が好きなのは、久々知くんだよ!!」





え?





「私は……久々知くんが好きなんだよ。だから、そんな悲しい事言わないで……」

は綺麗な瞳からポロポロと涙を零して泣き出した。
急な展開にオレの思考はついて行かない。
誰が?誰を好きだって?

、オレが好きなのか……?」
「うん……。一緒にお菓子を作っている内に、ね……。気付いたら好きだった。久々知くんがここに来てくれるのがすごく楽しみで、久々知くんが帰っちゃうと悲しかった」

オレたちはいつの間にか惹かれ合っていたいたんだ。オレだけが緊張していたわけじゃない事がわかって、心底安心してしまった。
でも、まだ聞きたい事が残っている。

「さっき初恋の人が……って」

は涙をごしごしと乱暴に拭うと、ハッとした表情になり、そして目を赤くしたまま今度は笑った。泣いたり笑ったり忙しい子だ。

「久々知くん、私は初恋の人って言ったんだよ?」
「あ、ああ……?」
「聞いた事無い?初恋って、実らないんだよ」

は良く分からない事を言う。

「私が言っていた初恋の人はね、私が7歳のときに茶屋に下宿してた人なの。優しくて格好いい、頼れる素敵な人だった。その人は来月祝言なんだ。私のお姉ちゃんと」
「そう、だったのか……」

の言う初恋は、終わった恋の事だったのか。しかし疑問が残る。

「何であんなに赤くなったんだ?」
「だって……、初恋の人だもん」
「そういうものか?」
「そういうものです」

どうやらは照れ臭かっただけらしい。

「初恋って特別なものだと思うんだ。新しい恋をしても、大切にしたい思い出なんじゃないかって……。久々知くんだってそうでしょう?」
「オレは―――」

をそっと抱き寄せる。少々戸惑ったものの、は大人しくオレに身を預けた。

「オレはお前が特別だよ」
「え……?」

オレに特別な感情を教えてくれた、初めて好きになった女の子。

「初恋って実らないものだなんて知らなかった。だから、実る様に協力して欲しいんだけれど?」
「わ、私が……?」
「そう。じゃないと……ダメなんだ」

そっと身体を離してを見ると、初恋の人の話をするとき以上に顔を赤く染めていた。それから嬉しそうに笑って言う。

「良いよ、私で良ければず〜〜っと協力してあげる!!」
「それじゃ……、まずは名前で呼ばせてくれ、
「はい、兵助くん」

その日作った豆乳入りの団子は完成品の太鼓判押しがされ、優しくて甘い味がした。
これが多分初恋の味なんだろうと臭い事を思ったが、笑われても構わない。
オレは今、すごく幸せだ。


2010.09.25 更新