鴉ノ君


忍術学園の一角にある学園長の庵に、食満留三郎の悲鳴にも似た叫び声が響いた。

「そんなに叫ぶ事でも無かろう」
「で、でもッ!オレには無理ですよ!?」

両耳に指で塞いだ学園長が差し出した文を指さしながら、彼は首を横に振った。
食満留三郎と言えば、学年一―――いや学園一の武闘派と呼ばれるほどである。今まで任されてきた忍務も、そんな彼の得意とする戦いをメインにしたものばかりだ。
今回学園長に呼び出されたときも、いつもと同じような内容のお使いだと思っていた。つまり、要人の護衛や山賊退治などである。
ところが、食満の予想とは全く違う忍務が与えられてしまった。それは―――

「そんなに嫌か?見合いの替え玉が」
「当たり前です!」

ある城の若君に代わり、姫との見合いのするという忍務。つまり替え玉だ。

「お前はもう少し忍者として話術を磨く必要があるじゃろう」

食満は授業でも実戦的なものは得意だったが、人から情報を引き出すなどの話術は苦手としている。忍者になるためにはどちらもこなさなくてはならない。

「それは重々承知してますけど……!オレじゃなくても良いじゃないですか?!」
「ならん!もう請け負ってしまったのじゃから、さっさと行け!学園長命令じゃ!!」
「そんな殺生な!?」

結局食満は依頼状の文を投げつけられ、庵を追い出されてしまった。恐らく粘ったとしても【学園長命令】の前には手も足も出せないだろう。

「はぁ……。何でオレがこんなこと……」

トボトボとうんざりした様子で自室へ向かいながら文を開く。達筆な文字がズラリと並び、何度読み返してもそれは夜盗退治ではなく見合いの替え玉を依頼するものだった。
見合いの相手は若君の隣国で、かなりの規模の鉄鋼山を所有している国の姫だった。それなりに有名な国であり、恐らく手を組みたいという城も多数いるに違いない。見合いは尚更成功させる必要がある。替え玉を使ってでも姫を妻に迎えたいという事なのだろう。
ところが、だ。

「んん?!」

よ〜〜〜く読むと、依頼内容は食満の想像とは全く逆だったのである。

「『見合いを破談にして欲しい』?!……ってこれは見間違いじゃないよな?」

食満は最後の2行目を凝視した。確かに見合いを破談にして欲しいと書かれている。普通に考えて、有力者の姫との縁談を断る必要があるだろうか?

「そういえば……、この国の姫って……変なあだ名があったような……。ま、いいか。それよか、見合いを成功させるより破談にさせるんだったらオレにでも出来そうだし、どうにかなるだろ!」

胸に引っかかるものを感じた食満だったが、さっさと面倒事を片付けようと支度をして学園を後にした。
















忍務当日は快晴で、見合いにはもってこいの日となった。
食満は見合い会場である若君の城に到着すると、さっそく替え玉として本物の若君に見えるように高級感溢れる上質な着物を着せられた。上着は雪のように白く、背中には涼しげな流水紋を浅葱色で刺繍されており、熱すぎる食満の気性を上手く覆い隠しているかのようだ。袴は黒に限りなく近い藍色で落ち着いた印象である。

「ふむ、なかなか似合うものだな。まぁわしと比べれば大したことは無いがのう。ふぉっふぉっふぉ!」
「は、はぁ……」

若君というのは名ばかりで、会ってみれば還暦を迎えて十年は立ちそうな老人であった。そうなると、この城の殿はいったい何歳なのかと問い詰めたくなる。
衣服とは違って趣味の悪いド派手な扇子を広げ、若君はしゃがれた声で言った。

「そうそう、見合い相手の事じゃが」
「何でしょう?」
「お前、どのようなあだ名で姫が呼ばれているか知っておるか?」

ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている若君に、自分の事を言われているわけでもないのにムッとしてしまう。

「……いえ、聞いた事はあると思いますが、忘れました」

その言葉を待っていたとばかりに、若君は顔の皺を深くして笑う。

「鴉じゃよ」
「か……らす?鴉って、あの真っ黒な?あの?」
「そうじゃ。姫は他国から【鴉の君】と呼ばれておる。本当に鴉のような姫じゃよ」
「鴉のようなって、全然想像出来ませんけれど?」
「ふぉっふぉっふぉ!直ぐに会えるんじゃから、直ぐにわかるわい」
「???」
「とにかく、お前は姫と長く話しておれば良いのじゃ。わしは戻るぞよ」
「はっ!」

結局食満の疑問に若君は答えず行ってしまった。
鴉とはいったいどういう意味なのだろう?鴉の濡れ羽色の美しい髪の姫という事なのだろうか?それにしては若君のあの表情はおかしく感じる。

(まぁ、確かに直ぐに会えるわけだし……どうでも良いか)

姫を迎えるために用意された塵1つ落ちていない広々とした部屋に通された。襖は金箔が貼られ、鶴と亀の美しい模様が浮き上がっていた。職人の洗練された技術が惜しげもなく披露されている。

(すっげぇ部屋!)

こんなにも立派な部屋に通すにも関わらず、破談を頼んでくる若君の気持ちが食満にはわからなかった。どんな相手にも、自分の権力を誇示したいというただの意地なのだろうか?
適当に寛いで待っていると、天井からカタンと小さな音がした。上を向くと、この城に仕える忍者らしき中年の男が顔を出した。

「姫が到着されたぞ。手筈通りにやれ」
「了解した」

それだけ言い残し、忍者は天井板を元の位置に戻した。直ぐに男の気配が消え、食満は襟元を整える。

(手筈通りって、ただ適当に話をしていろって言われただけだが……)

若君と直接話をしたときは、ただ姫と話をずっとしていて欲しいと言われただけである。手筈、なんていう大袈裟な手順は教わっていない。
それにしても、食満は自分が緊張状態にある事を今更ながら感じていた。例えこれが忍務でありお芝居だったとしても、見合いは見合いだ。学園ではくのたまたちに散々コケにされ、毎日鍛錬を積んでいる食満にとってこのような事は初めての経験。徐々に心拍数が上がっていく。

(落ち着け……。これはただの忍務だ。さっさと終わらせて帰ろう)

襖の向こうから数人の足音が聞こえてきた。

「若君、姫をお連れ致しました」
「は、入れ」

緊張のせいか、少々声が裏返ってしまったかもしれない。
食満の声に反応し、侍女が豪華な襖をすっと開く。襖の向こうには、畳に額を床ついた姫らしき少女がいた。珊瑚色をした美しい着物に身を包み、顔は見えなくても姫だとわかる出で立ちをしている。長い黒髪は十分に梳かれ、思わず触れたくなるほど艶やかだ。これが鴉の正体なのだろうか?

「では、若君。わたくしたちは下がっています故、何かご用がございますれば、なんなりとお声をお掛けくださいませ」
「あ……あぁ、わかった」

音も無く襖が閉じられ、部屋に沈黙が訪れる。

「とりあえず、だ。顔を上げてくれねぇか?」
「…………はい。それが若君様のお望みであれば」

大人になりかけている女性の声がして、姫はゆっくりと伏せていた顔を上げた。

「?!」
「わたくしはの国より参りました」

食満はの顔を見た途端、一瞬息が詰まった。
の顔を凝視していた事に気づき、食満はパッと視線を外へと逸らした。だが、それはもう遅かった。は薄く微笑みを浮かべて呟くように言う。

「やはり、ご存じ無かったのですね。わたくしがこのような肌の色をしていると……」
「……」

の肌は日本人の黄色ではなく褐色だった。顔だけではなく、袖から見える指先に至るまで。まるで特に年月を経て出来た濃い琥珀のような色をしている。農村で働く娘たちよりも黒く、日焼けというよりも地黒なのだろう。
鴉とは、この事だったのだ。
食満の失礼な反応にもは微笑んで見せた。

「ふふ……、生まれたときからこうなのですよ。わたくしの家族の誰とも色が似ていないのです。不思議なものですよね」
「そうなのか……」

そう答えるのがやっとだった。
自分の家族とも似つかない肌の色。その一言だけで、どれだけ苦労してきたのかが食満には良く理解出来た。

(破談の依頼は、こういう意味だったのか……)

食満は若君のあのいやらしい笑みに反吐が出そうになる。鴉の君というあだ名も不名誉極まりないものだ。

「さて、やっと見つかった縁談でしたけれども……、わたくしは直ぐにお暇致します。あなた様がこれ以上不快な思いをされるのは忍びありませんので」
「ちょっ、待てよ!!」
「?」

食満の驚き様に見合いが失敗だと悟ったのか、は着物を翻して立ち去ろうとする。だが、食満はそれを良しとせず声を掛けた。立ち上がり、不思議そうにこちらを見つめているの細い腕を取ると、くいと顎で庭を示す。

「誰も不快になんて思っていない」
「ですが―――」
「庭に出ろよ。そのまま帰るにはもったいないくらいに綺麗な庭なんだぜ?」

大きな黒目を綺麗に整えられた庭へ向けると、はふわりと先ほどとは違う柔らかな笑みを浮かべた。

「そうですね。帰るのは、それからでも遅くありませんね」

他愛のない世間話に花を咲かせながら庭を散策した。食満の言う通り、庭の景観は素晴らしいものだった。
しばらくして、庭の真ん中で悠々と泳ぐ錦鯉の前で食満とは足を止めた。
はその場にしゃがみ込み、鯉の混ざり合った錦の色に目を落とす。

「―――若君様は変わったお人ですね」
「ん?何がだ?」
「だって、わたくしを見ても追い帰さないのですから」
「追い帰すって、そんな事するわけねぇだろ!?こっちから見合いを頼んでおいて、そんな事―――」
「だから変わっているのです」
「……、お前、今までずっと?」
「…………ええ」

そう短く返事をし、は自分の褐色の掌を見つめる。

「流石にご存じと思いますが、わたくしの国は鉄鋼山を持っています。それ欲しさにいくつもの国がわたくしに縁談の話を持って来られました。わたくしがいざ姿を見せると、相手の方はわたくしの肌の色を見て気味悪がってしまわれるのです」
「それで追い帰すってのかよ?!」

食満の胸の中がムカムカと胸焼けでも起こしたようになる。隣でしゃがみ込んでいるは食満とは違い冷静だった。

「向こうからすれば、当たり前の反応です。わたくしのように色が黒い、まるで鴉のような肌のわたくしを受け入れるなんて無理な話なのです。これは人同士ではない、国と国の縁談。おかしな姫を妻に迎えては、周囲に悪影響を与えてしまいます故」
「姫……」
「おかしいと思いました。鴉の君なんて呼ばれているわたくしと、見合いをしたいなんていう城がまだあるなんて。ましてやわたくしはもう19の行き遅れですし、誰も相手にしてくださるわけありませんものね」

口ではそう言うものの、の表情は明るかった。

「でも、あなた様から見合いの話をいただいた時、つかの間でしたが、とても幸せでございました。城の者たちも、大変喜んでいました。本当にありがとうございました」

ずっと辛い話をしているはずだというのに、はずっと笑顔を絶やさずにいる。食満はそれが不思議でならなかった。
の肩に触れ、顔を上げたところを見計らい彼女の手を取る。

「若君様?」

食満は何も言わずにの手を引いて立たせた。自分を見上げるの褐色の肌は、どこにも傷が無く美しいと食満は素直に思った。

「姫はどうして見合いに出ようと思ったんだ?縁談なら、親同士がさっさと決めて顔を見なくても出来ずはずだろ?」

基本的に縁談は当人同士ではなく両親が決めてくるもの。顔を直接見なくても、婚約はいくらでも出来る。だが、のその口調だと、必ず縁談を進める前に相手と顔を合わせているようだった。
有力な国の姫が結婚出来ないのは国の一大事であり、肌の色の事を黙って権力のみを見せつければすんなり結婚も出来ただろう。

「若君様は、これから妻になる相手の顔を知りたいとはお考えになりませぬか?」
「まぁ……確かに」
「でしょう?わたくしも知りたいと思ったのです。それに、わたくしのこの肌をちゃんと知った上で妻にしていただきたいのです。その方が相手の方にとっても良いでしょうから。わたくしも、身を隠すような事などしておりませんし」
(なっ、何て真っ直ぐな女なんだ……!!)

食満は雷にでも打たれたかのような衝撃を受けた。顔が真っ赤に染まっていくのを感じる。
今までも散々肌の色の事を言われてきただろう。男よりも女の身で言われる方が辛いはずだが、はいじけたりする事無く。ましてや自分を隠さずに相手を見つめている。
食満はぎゅっとの両手を自分の手で包み込んだ。

「姫ッ!」
「えっ?あ、はい?!」

いきなり大きな声で呼ばれ、姫はビクッと肩を震わせた。食満の顔が湯でダコのように真っ赤なのには目を見張る。

「姫!ぜひ、オレと付き合っ―――?!」
「きゃあッ?!」

食満は視界の端に光る何かに気付き、の華奢な腰に腕を回して苦無を振るった。ギィインという鈍い音が庭に響き渡り、地面に突き刺さった。は落ちたそれを見てハッとなった。

「手裏剣……?!なぜそのようなものがここに……」
「食満、お前の忍務は鴉の君と話をし続ける事だろう?なぜそれを叩き落とす?」

木の陰からゆらりと現れたのは、天井裏で食満に声を掛けてきた忍者だった。皮の厚い手には、使い込まれた苦無が握られている。食満は相手から視線を逸らさずに、ジリジリとを庇う姿勢のままで後ろへ下がった。

「そなたはいったい誰なのです?それに、若君様は……」

が不安げに食満の横顔を見上げた。

「いったい何の真似だ?姫を狙うなんて、何を考えている?!」
「お前こそ何を考えているのじゃ?」
「わ、若君様……?!」

忍者の後ろから本物の若君が姿を現した。相変わらず悪趣味な扇子をパタパタと仰いでいる。
食満に護られているを見ると、目が好奇の色へ変わった。

「ほう!ソレが例の鴉か。真に鴉のような肌をしておるのう。それとも、鉄鋼石の色か?ふぉっふぉっふぉ!洗っても落ちぬのか、それは?んん?どうなのじゃ?」
「ッ?!」

は面と向かって気にしている事を言われ、顔を赤く染めて食満の着物をぎゅっと握りしめた。悔しさと恥ずかしさが混じり合った、今日初めて見せるの表情に食満の怒りが頂点に達する。懐に隠していた鉄節棍を取り出して構えた。

「今の言葉、取り消せ!!それ以上の侮辱はオレが許さん!!」
「生意気な小童が。鴉に魅せられたとでも言うのか?」
「だいたい、これはいったいどういう事だ?!」
「わしはお前に鴉と話をしておれと言っただけじゃろう?姫が見合いで無礼を働いた事にし、始末すれば向こう(・・・)も困るであろう?」
「それでは……っ」

はぐっと拳を握って若君に問いかけた。

「あなた様が、本物の若君様……?」
「いかにも」

撫子は眉を寄せている食満を見上げ、再び目の前の若君に視線を戻した。

「わたくしとの見合いは、最初からわたくしを暗殺するつもりだったのですか?!」
「そうじゃ。お前のような鴉に、誰が振り向くと言うのじゃ?浅ましい姫じゃのう。あの狸城主も孫娘を溺愛しておるようじゃし、相当の痛手になると思うてな。どうじゃ?完璧じゃろう?ふぉっふぉっふぉ!」
「……」

は真実を知って茫然としてしまう。食満がずっとと話をしていろと言うのは、の気を引いて暗殺の機会を待っていたからだ。

「さぁ!忍術学園の食満留三郎よ、さっさとそこの鴉を始末せよ。忍者になりたくば、命令には絶対に逆らうでないわ」

忍者の道は修羅の道。例え女子供が対象だとしても、得物を握る手を緩めてはならない。
は覚悟を決めたようにぎゅっと瞳を閉じた。だが、いつまで経ってもその時は訪れない。

「若君さんよ、残念だがその命令は受け入れられねぇな」
「何じゃと?!」
「?!」

これには若君だけでなくも驚いて目を開けた。の隣にいる男は、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべている。

「オレがアンタから受けた命令は、姫との見合いの破談であり、暗殺なんかじゃねぇ。ずっと話をしていろと仰せになったじゃありませんか?話をする相手の姫が死んだら、忍務失敗になってしまいますからね」
「ならば追加料金を払う。それで良いじゃろう?」
「姫の血で汚れた金なんざなぁ、死んでも受け取らねぇよ!それにな、アンタの肌は白いかもしれねぇけど、腹の中は姫よりも真っ黒だっつーの!そんなんだからいつまでも結婚出来ねぇんだよハゲ爺!!」
「〜〜〜〜ッ?!」
「おい、姫も何か言ってやりたい事があるだろ?」

チラリと食満がを見れば、怯えた様子もすっかり消え失せた一国の姫がそこにいた。
はキッチリと閉じられた襟元から白木の懐剣を取り出して構える。それは褐色の手に良く映えた。

「わたくしの事だけなら露知れず、我が祖父への侮辱は断固として許せませぬ!!」
「こしゃくな……!皆の者かかれッ!!」

若君の一声で庭に隠れていた忍者たちが次々に姿を現した。様々な得物を持ち、食満とに襲いかかって来る。
食満はの前に立って鉄節棍を振るった。

「姫!オレの傍から離れるんじゃねぇぞ!!」
「言われずとも!」

美しい庭を破壊してしまう事は残念だが、はぎゅっと懐剣を握り締めて目の前の敵に集中した。
















半刻ほどで庭に犇めいていた忍者たちを一掃する事が出来た2人は、増援が来る前に城から抜け出した。食満の手を取って走りながらが振り返ると、あの美しかった庭はめちゃくちゃになってしまっていた。
人の通る街道を避け、あえて追手を撒くために獣道を進む。食満は山歩きに慣れていないを背負って走り続けた。

「あれだけ暴れればしばらく大人しくなるだろ」

食満の言葉通り、城の内部は大混乱になっている事だろう。若君も散々絞ってやったので、今頃は目を回して倒れているに違いない。

「……」
「どうした?さっきから黙ったままじゃねぇか?」

城を出てから何も話さなくなったを心配して食満が声をかけると、撫子は溜息を吐く。

「あなた様―――食満様は雇われた忍者だったのですね」
「あ……。悪い、言うのが遅くなって」

食満は足を止めて来た道を振り返る。追ってが来る様子は無く、を近くにあった岩場に上着を脱いで座る様に言うとは首を横に振った。

「食満様が誰だろうとそれは構いません。助けてくださった事、感謝しています。でも……、あの方たちは、わたくしを殺してでも契りを結びたくなかったようですね……。わたくしの肌の色がもっと白かったら、食満様だってこんな事にはなりませんでしたのに……!」

若君の言葉を思い出したのか、流石のから笑顔が消えた。言葉は時にどんな刀よりも鋭い刃となり、胸に突き刺さってくる。外からは見えなくても、今のはかなりの重症だろう。
両手を震わせて、は庭にいたときのように自分の掌を見つめている。その掌には大粒の涙が零れ落ちた。

さん」

食満は正面からの身体を抱き締めた。強く強く、の涙が消えるように祈る。

さん、オレはお前が好きだ」
「え……!?」

食満の突然の告白には声が出なくなってしまう。代わりに食満の顔を覗き込めば、はにかんで頬を赤く染めた彼がいた。も、食満の言葉を頭の中で繰り返してしまい、釣られて朱色になっていく。

さんは自分の肌の色をどうこう言ってたけれどな、オレには……綺麗に見える」
「な……っ?!そんなはずありません!わたくしは本当に鴉のようで―――」
「だって、濃い琥珀みたいじゃねぇか。白い色が良く映える。それ以上に、さんの心は真っ白だ」

今度こそは可哀想なくらい顔を真っ赤にさせてしまった。蒸気が見えるんじゃないかと思うくらいに赤い頬を隠す事も出来ず、ただただ恥ずかしさに耐えかねて俯いた。

「け、食満様!そ、それ以上はおっしゃらないでください!恥ずかしくて耐えられません!!……でも…………」
「でも?」

は食満の逞しい背中に自分も腕を回して頬を胸に擦り寄せる。

「とても嬉しいです。ありがとう……。そんな事を言われたのは初めてです」

ずっと異性に罵られてきたにとって、食満の言葉は一筋の光に思えた。
何より、自分を愛してくれる存在に出会えた事が嬉しくて仕方が無かった。
食満は切れ長の瞳を細めて照れながらもこう続けた。

「だったら、これから先もずっと言ってやるよ」
「食満様……」

食満はそっとの褐色の肌に掌を当てた。心臓が高鳴っている事がその掌から伝わってくる。
は恥ずかしがりながらも両目を静かに閉じ、その時を待った。


2010.08.14 更新