勝負だ!!


トントン、カンカン、という小気味良い木槌を打つ音が聞こえてくる。耳を澄ませ、は音のする方向へ白い息を吐きながら足を運んだ。
忍たま長屋の前にある井戸端の直ぐ横で、木槌を手慣れた様子で扱う男がいた。緑の衣の上に朱色の半纏を着て、指先は熟れたリンゴのように赤かった。ずっとこの寒空の下で作業をしていたのだろう。作りかけの木箱がいくつか転がっている。

「留三郎!」
「おー、か」

留三郎は手を休めるとの方へ振り向いた。手と同じくらい頬も耳も赤くなってしまっているのを見て、は顔を顰めた。

「留三郎、マフラーくらい巻きなさいよ。真っ赤になっちゃってる」
「それより、そのお盆に乗ってるおにぎりはどうしたんだ?」

食満の視線の先はが持つお盆の上。ほかほかという音が聞こえてきそうなくらい湯気立つ出来たてのおにぎりがあった。パリッとした海苔が綺麗に巻かれているおにぎりは何とも美味しそうだ。その隣には2つの湯呑み。熱々の緑茶がたっぷりと注がれている。
はニッとまるで少年のような笑みを浮かべてしゃがむと、おにぎりを食満に差し出した。

「もうお昼とっくに過ぎたのに、食堂にいなかったから作ってきたのよ」

この学園では毎日のように壊れた物が出てくるため、用具委員長の食満は常に修理作業に追われていた。そのせいで食堂へ彼が行く時間も他の生徒より若干遅れる事が多い。しかし、今回は昼時を過ぎても現れなかったので、こうしてが昼食の代わりとなるものを作って持って行くのだ。

「そういえばまた昼飯食べ損ねてた。悪いな。……あ」
「何?」
「さっき漆喰塗ってたから、手が汚れてる」
「もう、仕方ないなぁ。口開けて」
「ん」

に言われるまま口を大きく開けると、はおにぎりを食満に食べさせてやった。雛鳥に餌を与えているような光景。しかし、傍から見ればその光景は恋人同士にしか見えないだろう。
長屋の屋根の上に座っていた仙蔵と伊作はそれぞれ溜息を吐いた。

「アイツら、またあんな事をしているのか……!」
「僕はもう慣れたけどね」

たはははと伊作が困ったように笑みを浮かべた。
2人が屋根の上から見ているにも関わらず、も食満も特に気にした様子は見られない。なぜなら普段からこの2人は恋人がするような振舞いを堂々と行っているからである。本当の恋人同士ならばまだしも、この2人は付き合っていないというから不思議だ。
もしゃがみ込んでお盆を木箱の上に乗せると、食満におにぎりを与えながら器用に自分の分のおにぎりを食べた。

「絶妙な塩加減だな。の作る料理はいつ食べても美味い」
「ちょっと、ただのおにぎりなのに大袈裟ね」
「いや、そんな事ねぇよ。のおにぎりだったらいくらでも食べられる」
「ふふ、褒めても何も出ないわよ?」

口ではそう言いながらも、は嬉しそうにはにかんだ。屋根の上ではそんな2人のやり取りを見て砂を口から吐きまくっている。
おにぎりを食べ終えては食満にお茶を渡し、自分も熱いお茶を飲む。喉から腹にかけて温かさが広がっていく。

「今夜は私が食堂登板だから、くの一教室で食べたいものを聞いて、鍋にする事に決まったんだよ」
「確かに今日は特に冷えるから鍋が良いな」
「でしょ?でね、牡丹鍋にするからイノシシをこれから狩りに行ってこようと思って」
「ははは!勇ましいな、は。流石村を治める長の家の娘だ」

の家は、ほとんど町に近い規模の村を代々率いている家である。次の村長は兄に決まっているのだが、今は戦国の世。戦に村がいつ巻き込まれてもおかしくない。有事の際には女だろうと自分自身を護れるくらいに強くあるべし、という父親の意向で忍術学園に入学した。
元々村では淑やかな娘ではなく、野山を裸足で駆け回り、大人に交じって狩りについて行くほどの猪突猛進娘だった。そのため特に体術はめきめきと上達していき、くの一教室では1番の成績である。
食満とは鍛錬をするときに知り合ってから、一緒に行動する事が多くなった。
最初は2人の仲があまりにも良かったので、恋仲だと思われていたのだが、その度に2人は首を横に振り続けて周りをやきもきさせている。

「冬休みはまた実家に帰るのか?」
「そのつもり。でも最近うるさくってさ〜」
「うるさいって?」

首を傾げる食満に、は面倒臭そうな顔で答えた。

「実家に戻る度にお見合いさせられるのよ。面倒ったらないわ」
「見合い……か」

くの一教室には良いところのお嬢様も入学している。そういう家では卒業後、もしくは卒業前に祝言を上げる事もおかしくはない。
食満は複雑な心境らしく、寂しそうに笑った。

「もしそうなったら寂しくなるな。の手料理も食べられなくなるしよ」
「私も寂しいな。食満が1番美味しそうに食べてくれるから、祝言を上げたら作り甲斐が無くなっちゃっうよ」

は不満げに唇を尖らせるのを見て、食満は意地悪くにんまりと笑った。

「いや、その前にお前の猪突猛進っぷりに旦那が逃げ出すかもしれねぇな」
「何よそれ!…………でも、そうかもしれない」
「納得するのかよ?!」

食満はズデンとその場に引っくり返ってしまった。

「留三郎と結婚する人ってすごく幸せになれそうだよね」
「そうかー?」
「そうだよ。だって、壊れた物は何でも直してくれるじゃない。一家に一台食満留三郎!」
「それって全然褒めてないだろ?」
「ええ?!褒めてるじゃん!留三郎がいたらすっごく助かるっていう」
「オレは修理屋か何かか?!」
「似たようなものでしょ」

はごくりとお茶を飲み干してお盆の上に乗せたときだ。手の甲に何か白いふわふわしたものが落ちて来た。ふと空を見上げれば、真っ白な雪が次々に舞い降りてくる。

「どーりで冷えるはずよね」

熱いお茶の入った湯呑みはすっかり無くなったため、いつの間にか手が冷え切っていた。両手を擦り合わせて縮こまっているの肩が、暖かい物で包まれる。隣を見れば、直ぐ傍に食満が立っていた。

「着ていろよ」
「え?だけど……」
「女は身体冷やすと良くない」
「こんなときばかり女扱いする」
「女だろ?」
「そうね」

はそう静かに呟いて食満の肩に寄り掛かった。寄り掛かられた食満は、ふんわりと何か甘い香りを感じて急に身体が熱くなるのを感じた。雪がしんしんと降っているのに、半纏も着ていない状態だというのに、の隣はとても温かい。それにほっとしている自分がいる。
食満はの肩を自分の方へと抱き寄せた。

「ひゃ?!何、いきなり」
「さっきの話し、だけどよ……」
「?」

顔を上げても、食満は顔を逸らしているせいで表情は窺えない。だが、普段よりも声が上ずっていて彼が照れていると直ぐにわかった。こういうとき、食満は絶対に相手の顔を見ない事とは知っている。だから静かに食満が再び口を開くのを待った。

「お前がもし、嫁の貰い手がいなかったら…………、オレが貰ってやるよ」
「へ?」

思わず聞き返してしまったに、食満は自由な左手で顔を覆った。相変わらず表情は見えなかったが、首が真っ赤で隠し切れていない。

「だから……、その、30歳まで独身だったら結婚してやっても良いぞ」
「え?ええ?」
「お前も貰い手無さそうだけどな、オレも闘う方が好きだからな。相手が呆れて捕まえられなさそうだしな。ちょ……丁度良いだろ?」

偉そうに言う食満がおかしくて、は吹き出して小さな子供のように笑う。

「30歳までって……何か、おかしいでしょそれ!あはははっ!」
「何笑ってんだよ?!」

滑ったと思い込んだ食満はもう顔を隠すのを止めてに喰ってかかった。なぜ今そんな事をに告げたのか、本人にも良くわかっていない。しかし、急に言いたくなってしまったのだ。
食満は笑われてしまい、自分の口にした事を後悔したように溜息を吐く。
は笑い終えて食満にぎゅっとしがみついた。何だ何だとの顔を覗き込めば、そこには満面の笑顔があった。

「良いわよ、留三郎。30歳になっても貰い手がいなかったら、留三郎にあげる」
「ほっ、本当かっ?!」
「うんうん。だから、これからは勝負ね!」
「は?」

はまるで組手の試合前みたいに勝気な笑い、ぱちくりと瞬かせる食満を見上げた。

「お互いに30歳まで相手がいなかったら祝言上げるわよ。どっちが先に相手を見つけて祝言出来るか、勝負よ!」
「……ぷっ、らしいなその考え。良いぜ?覚悟してろよ?」
「そっちこそ!」

何だかおかしな方向に話が進んでいってしまったというのに、2人の顔は満面の笑みを浮かべている。面白くなってきたとワクワクしているようにさえ見えるこの対決。
は食満に再びしがみついて頬を広い彼の胸に押しつける。そして、食満にこう宣言した。





でもこの勝負、きっと同じ日に引き分けると思うんだよね





屋根の上で2人を見下ろしていた仙蔵と伊作は、口からたくさんの砂をこれでもかというくらい吐きまくっている。

「これで付き合っていないんだから詐欺だな」
「あの2人、色々順序をすっ飛ばしちゃっている気がするよ……」

降り積もる雪が全て溶けてしまいそうなくらい、この空間だけは暑かったと、後に語られるのだった。


2010.12.31 更新